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第1章

 女王はイラつきを覚えながらも、立場や平静は忘れない。ビセートル王国率いるジョセフィーヌ・デュクロは第九代女王で、先々月にはアラフォー(つまり三十代後半)を迎えたところだ。年功や疲労から、目尻のシワが今朝は深く見える。

 ただ、彼女には跡取り息子フランソワ(没個性的の癖に偉そうなガキ)と夫ピエール(息子は彼似だ)がおり、後継の心配は無用だ。今は自らに課せられた使命を、死ぬまで淡々と果たすのみ。


「何度も言うように、私の手は及ばないの。手が届かない」

イライラを向ける相手は、鏡の向こう側にいる……。その卓上鏡は彫刻付きのダイニングテーブルで、出来立ての朝食よりも存在感を誇る。

「ご自分には力があると、何度も言ってましたよね? 事あるごとに」

女王デュクロは鏡へそう言うと、ショコラティーヌ(チョコ入りパンの一種)を小さく契り、口に入れた。カップに半分ほど注がれたホットミルクは、波にずっと揺らされ続けている。

 彼女は侍女や廷臣、家族の全員を下がらせ、一人で私室にいた。知らぬ者が見れば、異様な光景に思えるはず。鏡面に一人向かい、声をかけているのだから。

「悪いけど、力の方向が異なるのよ。あなたと私で、立場や価値観がまったく異なるのと同じようにね」

灰色の服を着た中年女性が、鏡の向こう側で言った。

 デュクロの話し相手は卓上鏡の鏡面に映し出されており、彼女は幻覚じゃない。王国の人々からは魔女と呼ばれる女性だ。メニューは異なるが、相手も朝食を取っている。

 閉め切られた窓越しに、こすれ合う鉄鎖の音が聞こえてくる。波は階級に関わらず、平等に訪れるのだ。


 外縁に彫刻を施され、全体的に楕円形の卓上鏡は、女王に取って特別な代物だ。それを使えば、魔女と顔出しで話せる。即位したばかりのデュクロが、人伝に渡された物で、当初は本人も戸惑った。いくら純銀製の立派な品といえ、魔女からの贈り物である。因縁の相手から贈られた物を、素直に使えるものか。鏡へ顔を映した途端、何か魔法にかけられるのがオチだ。

 それでもデュクロは、波の問題解決に向け、恐る恐るだが使うことにした。初対面の際、彼女は魔女が自身と年齢がそう変わらない点に、驚きを軽く覚えた。彼女は先入観から、魔女が意地悪そうな老婆に違いないと考えていた。


 何度かやり取りする内に自然と、二人には情が芽生えていく。会話も次第に成り立った。ただお互いに、自分側の立場を忘れてはいない。服装も寝間着などではなく、立派な身なりだ(女王はメンツのため、上質なシルクのドレス姿)。

「しかし、今さらどうしろと? 初めて飛来した日以来、皆が『魔女の鳥』と呼んでいることはご存知のはず」

デュクロは魔女に言った。

「では、思い切ってバラしてしまえばどうかしら? この鏡のときみたいな開き直りの姿勢は、さすがにマズいけど」

「……冗談よね? 鏡の件は当時公然の話だった。今回の件と同じようには扱えないわ」

魔女の助言をデュクロは否定したものの、一番マシな策だとはすでに自覚していた。

「あらごめんなさい。考えもしなかった?」

魔女はそう言うと、手に持つカップをテーブルに置く。カチャッという音が、こちら側へも微かに聴こえた。

 デュクロが魔女と鏡でやり取りしている事実は、当初伏せられていたが、口の軽い者から者へと漏れ、公然の秘密と化した。その結果、女王は御触れを出し、事実だと認めざるをえなかった。

 彼女は恥をかく羽目になったわけだし、保守的な大臣や騎士からは、遠回しに嫌味を言われた。ちなみに人々は、その卓上鏡の名を「魔法の鏡」と安直に呼んでいる。

 そんな経緯もあり、おととい落下した鳥について、人々は女王デュクロがどう対応するのか注目している。彼女が魔女とやり取りをし、迷惑な鳥の問題を解決できるのか。切羽詰まった問題ではないものの、人々は気にせずにいられなかった。

 デュクロが人々から受けるプレッシャーは強い。人々が忘れてくれるのを待つ余裕はない。何しろ、現在進行形で訪れる波の問題だけでも、いくらかの不満や不信を持たれている。

「いや、考えるに値する話よ」

彼女は魔女へそう言うと、ショコラティーヌを大きく契り、口に突っこんだ。



 鳥の問題は魔女本人による仕業でなかったが、波のほうはそうだ。魔女はこれは譲れないとして、ビセートル王国へ波を送るのを止めない。かつて栄華を誇った王国の残滓へ向けた、震動や音響や風圧による攻撃を、魔女は今さら撤回できなかった。魔女にも立場があるからだ。

 止めるのが無理だとしても、波の仕組みを学んでおくのは悪くない。

 波は規則的に王国を襲う。一定のリズムを刻んでいるが、時間に決まりがある。日により強弱の違いは多少あるが、波は十五秒間隔で訪れ、午前の零時から六時までは止む。これが「月月火水木金金」という具合で毎日続くのだ……。祝日だろうが年末年始だろうが関係なく。

 女王と魔女がやり取りする間も、波は王城に達する。つまり、魔女は休憩や有休を取ることもなく、波を自動的に放ち続けることができるわけだ。深夜未明の六時間は止むのは、魔女の温情ともいえる。

 とはいえ、王国は盆地であり、山々で反射した波にも悩まされる。十五秒の間隔でなく十秒未満と感じる者は多い。敏感な人間には地獄だろう。

 人々は耳鳴りに苦しみがちな上、眠る際は耳栓が欠かせない。一日中耳栓をつける者もいるほどだ。


 波の発生源を叩くにしても、無理のある話だった。発生する場所は判明していたが、そこは国境の向こう側であり、下手に手出しできないという事情から……。

 尖塔『動悸の塔』は今日も朝から、眼前の王国へ不快感を届けている。塔や周囲、付近を走る街道に人影は見られない。塔は淡々と波を放つだけ。

 魔女はビセートル王国と隣国との中間に、自身の国というか地域を勝手につくり、中古の塔の壁面に、波を放つ「花」を咲かせた。塔および辺りは、元々ビセートル王国の物だったが、魔女側の襲撃を受けた際、当時の女王が放棄した。山々の隙間を縫う、唯一の街道を守る要所にも関わらず、先代の女王(二代目および三代目に次ぐ無能)はやらかしたのだ。いくら王城のある盆地を守るためといえ、領土を奪われた歴史に変わりはない。

 かつて『ピティエの塔』と呼ばれた尖塔は、石灰岩の岩山から削り出されたという貴重な建造物だ。魔女はそんな塔の壁面に、大きく重い花を咲かせた。そして、十六枚の花びらの中心部(おしべやめしべにあたる箇所)より、迷惑な波を放たせている。直径十六メートルの花は、王城からでも目を凝らせば見えるはず。


 波は王国の人々を悩ませ続けている。犯人は魔女だとわかっているが、現状を変えられていない。朝から晩まで、「バァーン」とか「ボァーン」といった爆音を、揺れや風と共に聞かされる一方だ。

 波の発生が始まった時期は、ロザリーとルイがよちよち歩きできるかできないかの頃で、春先の冷えこんだ朝だった。まだ赤ん坊のため、二人とも以前ののどかさを知らない。とはいえ、違いを知らない身のほうが、むしろ幸せといえるかもだ。

 老若男女問わず、国中の人々が波に苦しみ始めた。昼寝はもちろんできず、皿やグラスが床で割れていく。家畜も落ち着かず、次々と流産する始末。たちまち、国内の生活や経済が大打撃を受けた。心身を壊す人が続出し、耳栓などの対策が普及しても混乱は収まらない。自殺する者も当然出た。

 そこで一部の勇敢な人々(官民合同に近いかも)が、波に堪えつつ、問題の塔へ向かった。しかし案の定、大半が死ぬか行方不明になり、残りはトボトボと帰ってきてしまう。帰宅組の中には、ロザリーの今はいない父親もおり、すっかり疲弊していた。

 ロザリーの父親シャルル・ロレーヌが行方不明になったのは、その翌月中旬のこと……。彼女は幼かったが、父親がいなくなった当時をある程度覚えている。ルイのピネル家を始め、村中が探したが、結局見つからずじまいに。絶望する母親に代わり、村長がロザリーに吹きこんだ話は、「父親は魔女に決死の戦いを挑み、帰らぬ人となった」という、ありきたりなもの。しかしながら、彼女は残された母親とその母親(祖母)のためもあり、即興の小話に納得してみせた。

 ところが、不幸は続けて起きやすいもので、今度は祖母が……。といっても、行方不明や事故死じゃなく、寿命による逝去だ。しかし、床で死ぬまでの経緯は不幸といえる。


 ――不幸が始まるその晩、トイレに起きたロザリー(今よりも子供)は、祖母がドアをそっと開け、鶏小屋へ一人向かうところを目撃する。祖母に年相応の徘徊癖はなかったが、彼女は幼心でも不安に駆られた。祖母まで行方不明になるのではないかと……。

 彼女は祖母の後をつけた。波のおかげで、忍び足じゃなくても平気だ。祖母は震動によろめきながらも、暗い鶏小屋に着くと、ためらわず中へ消えた。

 波を除けば、満月が浮かぶ静かな夜だ。ロザリーは心臓の鼓動を、これでもかというほど強く感じた。それでも彼女は、鶏小屋に近づき、耳を研ぎ澄ます。波の合間に、言葉を聞き取れるはずだと。

「どうして……言わないで頂戴……だってそんな……けどここは」

差し迫った口調の祖母。

 誰と話しているのかと気になり、ロザリーは鶏小屋の戸を二センチほど慎重に開けた。

 ……鶏小屋にいたのは祖母一人だけ。シワくちゃな両方のてのひらを両耳に当て、天を仰ぐ格好だ。か細い一筋の月明かりが、祖母の曲がった背中に差す。祖母は一人で喋り続けるばかり。

 見てはならない光景だと直感したロザリーは、家へ舞い戻る。波と年寄りのおかげで、忍び足で帰る必要はない。


 翌日。戸惑いや罪悪感はあったが、ロザリーは祖母の件を母親に話す。母親は驚きを示し、この件は秘密にするよう言った。母親が普段以上に真剣な表情や口調だったため、ロザリーは今も秘密を固く守っている。親友ルイにも話していない。

 それから母親は、ロザリーを自室に籠らせ、祖母を呼びつけた。白いリネンの頭巾を被る祖母は、これ以上ないほど真剣な面の娘を見た途端、何かを悟る……。

 さらに翌々朝のこと。祖母は格子付きの馬車に乗り、王城内の療養所へ入れられた。とはいえ、低予算の精神病院よりはマシな環境だといえた(入院経験がないので知らないが)。殺風景の一人部屋で死ぬまで監禁などではなく、たまに面会を許された。


 最後の面会で祖母は、ちょうど死の淵にいた。死神が始業前用意を済ませ、深呼吸してるような状況だ。

 やり取りの締めに、祖母は幼きロザリーへ遺言を示す。

「自由になりなさい!」

精一杯の口調で言い切った祖母。ロザリーは生まれて初めて、「自由」という単語を聴けた。

 直後に死んだわけではなかったが、祖母の言葉は彼女の心に今も残る。国外へ出たいと思わせる気持ちの一割、いや二割はそこから生まれた。

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