第12章
至極当然のことだ。
現代的な病院での健康診断は、彼女に取って驚きの連続だった。高度な医療機器など、当然彼女は初めて目にしたし、清潔感に包まれ居心地悪く感じた。周りすべてが初めて目にするものばかり。
初日の晩は結局、ほぼ一睡できない有り様だ。ベッドの寝心地からして、彼女は信じがたい気持ちになる。次第にそれは不快に変わり、彼女はブランケットを一晩中握りしめたままでいた。
見渡す限りの世界すべてが新鮮だ。新しさに包まれ、自らの居所は過去へ去ったように思えた。王国から隣国へ脱出する夢はかなったわけだが、彼女には実感がない。想像以上の現実が彼女を迎えたのだ。
それでも彼女の若い脳は、次第に慣れていく。用意された品々、食べ物、窓の景色。目に見え、手に触れられる物を彼女は受け入れていく。
窓外に広がる町の景色が、彼女には始め夢景色に思えた。一般的に言うならば、これはSFの世界だと捉えた。今はなんとか現実と捉えられているが、心の奥深くでは信じたくない気持ちがある。彼女の知る世界は、中世ヨーロッパの生き写しそのもの。
検査を終え、ロザリーは病室(個室待遇!)でゆっくり休んでいた。ボンヤリと窓を眺めているが、視点は上を向いたまま。
窓の外は外でも、空は変わらない。この隣国でも王国でも、同じような雲が青空に浮かんでいる。山を越え、空は繋がっているのだ。
「調子はどう?」
いつの間にか、アンヌが病室にやってきていた。彼女は小脇にメモ帳を挟んでいる。
「さて、どの話がいいかしらね?」
アンヌはロザリーの顔を見るなり、そう言った。話すべきことは山積みだが、どういう順に話すかを考えるだけで、彼女は浮足立っていた。無邪気さは十二歳のロザリーとそう変わらない。
「まず、あなたがいた王国について話すね。やっぱり一番の前提だから」
「……ハイ」
アンヌに任せることにしたロザリー。好きなように話させればいいだけと、彼女は軽く考えていた。
「まずこの国では建前として、あのビセートル王国を『地域』と扱っているの」
アンヌは含みのある言い方をした。
「えっ、地域ですか? 国じゃなくて?」
「そう建前としてね。この国の政府はビセートル王国を自分たちの国の一部として扱っているの。あの狭い地域をね」
「……でも学校の先生は、戦争に負けてあの広さになったって」
ロザリーは食い下がった。
「それは正しいんだけど、『戦争』と呼べるほど大きな争いではなかったみたい。あの女王様なら『闘争』とも呼ぶだろうね。合法とはいえ、あなたの親たちがあそこに居ついているだけなの」
「…………」
ロザリーは絶句した。明らかにアンヌは事実を話している。
「じゃあ、ワタシはこの国の生まれというわけですか?」
言葉を振り絞るロザリー。
「公的にはそうなるわね。ただ、正式な出生届は出されていないみたい」
「……ルイもですか? あの、ワタシぐらいの男の子なんですけど」
「ああそうよ。実は彼もあなたと同じなの。もうじきココに来るはずだから」
「ハイ?」
アンヌはルイが死亡扱いになっている話を知らなかった。そのため、ロザリーの面食らった顔を、きょとんと見ることに。
「お友達でしょ? 彼はこっちに向かっているけど」
「ルイは死んだはずです……。魔女にやられたって話で」
ロザリーがそう言うと、アンヌは事情を察する。そして同時に、面白い再会になりそうだと考えた。
もったいぶって会わせるのがいいかな? いや、平然と入ってくる流れも悪くない。
「ルイ君もあなたと同じぐらい驚いてたよ。さて、話を続ける?」
「……どうぞ」
ロザリーは話の続きを促したものの、脳内の処理は早くも追いついていない。
「私たちNGO『大衆の鐘』は、あなたたちの生活を観察するため、何度も無人偵察機を飛ばしたの。あっ、無人偵察機というのは、鉄の鳥と思ってくれていいよ」
「……大衆の鐘? 鉄の鳥?」
聞き慣れない単語を並べ立てられ、ロザリーは当然困惑する。
「あなたたちの生活を調べるための組織よ。ギルドに近いかな。とにかく私たちは鳥を飛ばして、いろいろ見させてもらった。たいていの人は逃げるけど、あなたたちは逆に観察していた子だよね?」
「そうです」
ロザリーは素直にそう答えた。知らぬ間に会っていたようなものだ。
「特に生活は問題なかったようね。……塔の波を除いて」
「ええ、波を除いて。あの波は何なんですか?」
彼女は知りたがった。長年の悩みは解決済みだけど、真実はまだ知らない。
「はっきり言うと、アレは政府による嫌がらせね。居座るあなたたちを困らせるため、波を送り続けているの。……私たちが抗議して、深夜は止めさせたけど、そうとうキツかったでしょ?」
「そりゃもう!」
思わず声を荒げてしまったロザリー。するとアンヌは、彼女の頭を撫でた。
「もう大丈夫よ。子供だからと虐げる大人はもういないから」
「……つまり、ワタシはもう帰れないというわけですか?」
「残念だけどそういうことになるわね。でも、お母様があそこを出れば再会できるから。お父様と一緒にまた暮らせるよ」
父親も生きている事実に、ロザリーはまた面食らう。ルイの際と変わらないため、その驚き様は割愛する。
アンヌがロザリーたちロレーヌ家の経緯を話してくれた。
ロザリーの両親および祖母は、都会での生活に別れと告げ、ビセートル王国に移住した。そして生活に慣れた頃、ロザリーが誕生した。
ルイが生まれたのもその頃だ。ルイたちピネル家も同じように移住した身だった。
ところが、ロザリーの父親は王国での暮らしに嫌気を覚えた。波に日々悩まされ、ネットも電気もない不便な生活だから。しかし、ロザリーの母親は猛反発した。父親は出ていくなら一人で行ってくれと言われ、その通りにする。
ロザリーが経緯を聞き、大変ショックを受けたのは言うまでもない。自分たちと暮らすよりも脱出を選んだのだ。けれど彼女は、父親を無責任だとは責められない。彼女自身も、波の訪れない生活を選んだ。国の外へ出ようと動いた身だ。
父親になんて言えばいい? どんな顔をすれば? どういう生活を望めばいい?
「安心して。あなたを縛る悪い大人はここにいない。波の訪れる先にいる分だけ」
アンヌがロザリーにそう語りかけた。
とはいえ、自問自答するロザリーの脳には半分も届いていない。
「話を続けさせてね」
アンヌは務めを果たすのを止めない。




