表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

序章

 彼女は首を絞めた。

 少女ロザリー・ロレーヌの両腕により、鶏は呼吸を止められる。心臓の鼓動が止むまで、時間はかからなかった。彼女は鶏が絶えるまでの一時を、五感で受け止めていた。小さく薄暗い鶏小屋で生々しく。自分の生死のように思えたかもしれない。

 しかし彼女は、鶏に哀しみや憐れみは抱かず、家業に過ぎないと割り切っている。片親である母に頼まれ、家畜を屠殺しただけだと。大麦の餌を昨夜与えたばかりという事情も、たいしたことなかった。


 屠殺した鶏を、鶏小屋の冷たい地面に置くロザリー。細かな羽毛があてもなく舞う。他の鶏はすでに落ち着いてくれた。

 ただ残念ながら、その鶏は彼女の腹を満たさない運命だ。新鮮な肉のほとんど(もちろん手羽先も)は、誰かの口へ運ばれてしまう。誰かとは、彼女やその家族より上位の人間だ。王族や貴族、またそれに準じた高収入の人々である。まず「上級国民」をイメージするだろうが、その人々は国や権威に裏付けられた、絶対的な身分を誇る。ノリや若気の至りでバカにできる相手じゃない。幸か不幸か、パソコンやスマホ、ネット環境は整っておらず、彼女や周りの人々は渋々かつ淡々と日々を生きるばかり。時代で表すなら、十三から十五世紀頃の埃臭い暮らしぶりだ。

 亡き鶏の話に戻す。彼女が食べられる部位といえば、脂身がへばり付いた鶏皮やレバーぐらい。どちらもなかなか美味しい部位だが、彼女は食べ飽きてウンザリしていた。

 ああ、ワタシもかぶりつきたい! 肥えたモモ肉に歯を立て、一気に骨までかぶりつく! ブヨブヨ皮なんて噛み捨てちゃえ!

 そのとき、南西から「波」が訪れ、鶏の死骸をパタンと転がす。ロザリー自身は慣れた足腰で耐え、表情も崩さない。ただ心の中では、今日もざわめいている。

 もしこれを丸ごと食べられるなら、静かにじっくり味わいたいな。一片もこぼさず、肉汁や油が染み出る音を聴くんだ!

 ロザリーは屠りたて鶏を見下ろし、食欲を奮わせている。小さく揺れる鶏の姿は、夕食前で腹ペコの彼女に挑むよう。


 鶏の首を右手で掴み、鶏小屋を出るロザリー。粗末な戸を左手で閉めたとき、初夏の生温かい強風が彼女の顔に吹きつける。長い金髪がはためく。

 村や国全体を囲む高く険しい山々の向こうへ、陽がしんしんと隠れていく。その地の中央には、バケツを逆さまにしたような小山がそびえ、石灰岩造りの城が頂を占めている。あまり大きな城ではないが、その狭い国には相応だ。

 彼女の国は、この盆地だけが領土という狭苦しい王国だ。村長宅から王城までは、赤ん坊の足(ヨチヨチ歩き)でも一時間ほどの距離しかない。事実、その場からでも王城の様相を眺められる。王城の外壁を伝う太い鉄鎖が、波にガチャガチャと揺らされるのを目視できるほど。

 国の名は『ビセートル王国』といい、小国の癖に生意気かつキザな語感である。盆地の名から取ったとはいえ、まるで名前負けしている。

 ただ、そんな小王国の石造りの城でも、西日の照りつけにより、美しいコントラストを誇る。もし仮に観光客がいれば、何枚か写真を撮る絶景だ。……とはいえ、生まれてこの方十二年以上その地で生きる彼女からすれば、見飽きた景色に過ぎない。

 年頃の反抗期という点もあるが、ロザリーはここ最近、国外へ出てみたいと思いがちだ。短いながらこれまで築いた思い出や理由も、彼女にそう思わせてくる。けれども、簡単に実現できる話じゃない。

「オイオイきたぞ! 鳥が飛んできた!」

早口でやかましい声がした。ロザリーの親友で近所に住むルイの大声だ。普段から彼の声は、繰り返し訪れる波に負けない強さを誇る。

 ロザリーは鶏から視線を外し、手を振るルイを見た。彼が嘘や冗談を言っていないとわかるなり、彼女は驚いてみせた。

「ええっ、また飛んできた?」

彼女は右手で鶏を揺らしながら、ルイのほうへ駆け出す。彼女が一歩進む度に、羽毛が散っていく。

 少年ルイ・ピネルは細長い人差し指を空へ向け、ロザリーに指し示した。彼女は口をポカンと開けたまま、彼の指先から大空へ目を移す。

 彼女の長い金髪と彼の短い茶髪が、吹きつける風にバサバサと揺れた。ルイが足元に置くバケツも揺れ、中の水がバチャバチャと音を立てる。数滴が彼のブレー(ズボンの一種)を濡らした。二人とも家の手伝いなど綺麗に忘れ、その鳥に心を奪われている。


 色が鮮やかに変わりゆく夕空に、鳥を見つけられた。希少な渡り鳥とも違う、独特の存在感を誇っていた。相変わらず届く波のせいか、羽音はまったく聴こえないが、たいした問題じゃない。今回も鳥は国中から注目を浴びていた。なので、波について語るのは後でいい。

「ホントだ! ……ええと、これで今月は四回目か」

急に声を潜めるロザリー。けれど傍目には、興奮を抑えきれていない。彼女に取って興味深い存在だけある。

 ワタシたちが気になるのかな? まあ、放っておかれるより全然いいけど。

「何してるんだ! 家に入りなさい、早く早く!」

藁編み帽子の中年男性が、二人のほうへ駆け寄る。殻棹からざおを無造作に振り、興奮した様子だが、二人とは違う意味でだ。紅潮した顔には、冷や汗の線が何本も走る。

 その見苦しい面は顔見知りであり、ロザリーとルイは無視できなかった。二人とも「ハイハイ、やれやれ」という調子で、家路にそれぞれつく。男はルイが舞い戻らないよう、彼についていく。それでも時々、ロザリーのほうを振り返り、注意を示す。

 彼女は大人しく家路につきながらも、悠々と舞う鳥へ目をやらずにいられない。


 件の鳥は、鮮やかな夕陽により薄いオレンジ色を帯びるが、実際は燻られた具合の灰色だ。ほぼ全身をグレーに染めた鳥は、彼女彼らの王国の上空を旋回していた。営巣地探しではなく、国そのものに興味を抱き、国中へ目を配るよう。

 王国の人々はその鳥を「ロジックバード」と呼んでいるが、熱烈歓迎などしていない。「ジロジロ見やがって」と迷惑がるだけでなく、蔑視や激昂の的だ。無邪気な子供は別として、ほぼ全ての人々がその鳥を毛嫌いしていた。毛が一本も生えていない特殊な鳥という点もあるが。

 鳥は両翼を左右一杯に広げたまま、少しも動じない風体で飛び続ける。以前なら一時間ほど飛んだ後、やがて元来た方へ去る流れだが、その日は変わった……。


「あっ」

ロザリーが家のドアをゆっくり開けたその時、鳥が力尽きたように落ちていく。着陸ではなく、ストンという具合に上空からどこかへ消えた。材木が割れるような音が響く。

「ホラホラ早く入る! 奥にいなさい!」

母親に急かされ、ロザリーは仕方なく家に入る。彼女と入れ違いに母親がドアを抜け、鳥のほうへ駆け出していく。落下地点は、家からだいぶ離れていたが、母親はいても立ってもいられない様子だ。ロザリーの持つ鶏には目もくれない。

 母親は怒りで顔を紅潮させ、両腕をバカみたいに振っていたが、ロザリーは笑いを堪えた。道の先で、母親が波に転ばされてもだ。

 誰かに見られないよう気をつけつつ、居間の窓から外を伺うロザリー。あちこちの道から大人が駆けつけるのが見え、鳥の落下場所は把握できた。しかし、自宅から距離があるため、落ちた鳥の姿は見えない。

 波にやられた? いやいや、あの魔法の鳥が波にやられるわけない。いくら魔女でも、そんなヘマしないはず。

 ロザリーは鳥の落下原因を一人考える。件の波は今も届けられ、窓枠をガタガタと鳴らす。彼女は首を左右にしつこく傾け、落ち着かないご様子。頭を捻りながら、窓の遠くを伺う。

 今も大勢の大人が必死に駆けていく。鉱石を運ぶ大きな荷馬車まで、落下場所へ向かうのが見えた。今月四回目(通算何回目かは知らない)の騒ぎだが、鳥が落ちた今回はその様に磨きがかかる。彼らは皆、鳥を嫌っていたのだから当然だ。

 そうだ、鶏小屋に忘れ物したことにして……。

 ロザリーは「正当な理由」を思いつくなり、窓を素早く開けた。そして、窓の外へ足を伸ばす。



 落下した鳥の周りに集う、大勢の人々。彼らは皆、農道に落ちたそれを忌み嫌い、ピクリと動かない有り様でも許さなかった。

 現代人ならスマホで撮りまくるところだが、彼らにはできないしやらなかった。……その代わり、吹っ切れたように鳥を痛めつけ始める。殻棹やかま、ツルハシなど多彩な道具を手に襲いかかった。数の暴力もあり、鳥はたちまちバラバラにされていく。

「うわあ」

鶏小屋の陰から、リンチ現場を見守るロザリー。鳥自体は一部しか見えないが、怒り狂う人々はバッチリ見える位置だ。そこからでも距離は少々あるが、近づきすぎて大人にバレる恐れを考慮すれば悪くない。

 鶏小屋と落下場所の間には大麦畑が広がり、無数の穂がウェーブを広げている。人々はしきりに喋っていたが、ロザリーの耳には届かない。波に阻まれ、上手く聞き取れずにいた。

 もっと知りたいのに……。

 彼女は鳥について少しでも多く知りたかった。国外から飛んできた、魔女の鳥という事しか教えてもらっていない。母親を始め大人たちは、鳥の事を子供に教えたがらなかった。典型的な事なかれ主義だが、彼らなりの愛情からである。しかし、それが歪んでいると言われたら否定できないだろう。

「危ない、危ないよ」

ロザリーの注目は鳥から離れる。

 ウェーブを描く大麦畑を、少年が掻き分け進んでいる。それはルイだ。彼は殻棹の男や両親の目を欺き、落下現場へ向かうことにしたのだ。一歩でも近くから見物したいのだろう。大人たちが我を忘れたように、怒り狂っている点など気にせず……。

 いいなあ。ワタシも行きたい。

 ロザリーは堪えた。家からそっと抜け出し、鶏小屋の陰から覗くだけでも折檻ものだ。

 ルイは躊躇せず畑を進んでいくが、やがて立ち止まる。彼と現場との距離は十数メートルほど。別に彼が自重したわけじゃなく、現場にやっと落ち着きが訪れたからだ。大人たちは深々と呼吸を繰り返し、疲れた腕を休めている。

 鳥はバラバラに千切られたり潰されたりし、原形をとどめていなかった。無数の一部が辺りに散乱している。


 ちょうどそのとき、数人の騎兵が王城から駆けつけ、人々を鳥から遠ざけ始めた。いくら小国でも、人々に隠し事ぐらいしたい。ただ、大きな耳栓を着けた馬にまたがる騎兵たちは、荒っぽくも人々を宥めてもいた。これ以上大事に発展させたくない雰囲気だ。

 人々は特に抵抗せず、現場から次第に離れていく。

「ああっ! オイお前!」

振り向いた大人の一人に、ルイがとうとう発見されてしまう。周りの大人たちがすぐさま連携し、彼は逃げる間もなく捕らえられた。間近で見られた満足感の代償として、折檻が見合うかはわからない。

 あーあ、あーあ。

 ロザリーは始め、折檻は他人事と思っていた。しかし、悪寒を覚えたらしき母親が、農道から家への小道を急ぐところを見た途端、そう思わなくなる。

 彼女は姿勢を低くし、窓から家に舞い戻る。ツバメが雨の前に低空飛行するような格好だ。波が訪れる中、なかなか軽快な足取りだった。若いというのは素晴らしい。


 若くない母親は、娘がルイのようなバカをしてないかを恐れた。そのため家路を急いでいるのだが、波で地面が揺れる度に足取りが乱れる。あの鳥を自らの手で痛めつけられた満足感など、早くも消え失せていた。今は娘の安全的な何かを優先したかった。

「ロザ、ロザリー! ちょっとロザリー!」

彼女は息を切らせながら家に駆けこむと、娘を何度も呼ぶ。

「なーに!」

ギリギリで息を整えたロザリーが、自室(ネットカフェの個室ぐらいの狭さ)のドアから顔を覗かせる。

「あっ、ちゃんといたのね、ああ良かった。ウン、それだけよそれだけ。あとそうそう、鶏ありがとね」

母親は適当にそう言うなり、マヌケに乱れた髪型を整え始めた。



 ロザリーは自室のベッドに仰向けで寝転がり、夕食まで一眠りすることにした。燻る興奮をすっかり落ち着かせるためだ。母親に悟られてはならない。

 ……しかし、なかなか寝つけない。鶏を解体する母親の声(鼻息も含む)はさておき、波による音響や震動、風圧を今日はやけに強く感じるのだ。風が吹きつける窓の音も、普段より明らかに大きく聞こえる。

 彼女はサイドテーブルの抽斗ひきだしからコルクの耳栓を出し、両耳へ深く突っこむ。

 音がいくらかマシになり、しばらくして彼女は眠りにつける。だが不眠症の如くなかなか眠れずにいたせいで、母親に起こされたのは直後のこと……。波さえなければ、長く眠れただろうに。


 彼女が国外へ出たいと願う大きな理由は、その「波」にある。これは彼女だけの問題でなく、経緯やらを一言二言で話せはしない。とはいえ、彼女の苦労を蔑ろにする気はなく、最終的には一通り理解できるはず。

 ……まず始めに言える事柄といえばだ。その哀れな小国は、震動や音響、風圧にほぼ常に襲われているという現状だ。想像しただけで狂う者すらいるだろう。ロザリーたち当事者からすれば、それは想像では済まされない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ