23.恋慕に染まる
ポタージュの最後の一匙を飲み終えて、満腹感に息をつく。いつもより時間は掛かったけれど、今日も綺麗に完食した。しかし夕飯は先に伝えて、量を減らして貰った方がいいかもしれない。苦しさを紛らわすように胃の辺りを擦りながら、忘れずにいようと心に決めた。
わたしの前に座るウェンディはデザートのレモンムースを食べている。薄切りレモンとミントが飾られた見目も可愛らしいデザートだけど、わたしはやめておく事にした。
「ねぇ、アリシアのお相手って誰なの?」
持ち手に硝子細工が埋め込まれた優美なスプーンでムースを掬い取りながら、ウェンディが問うてくる。その声は潜められていて、同じテーブルのわたし達にしか聞こえないだろう。
水差しに手を伸ばしたわたしは、ゴブレットに水を注ぎながら笑みを浮かべた。
「……行きつけのご飯屋さんがあるって、前に話した事があるでしょう?」
「ご夫婦で営んでいるお店よね?」
「ええ。そこで時々あって友人に……なったと、わたしは思っている人なの」
「余程気が合ったのね。何をしている人なの?」
ムースを食べ終えたウェンディは食事トレイに器を載せると、それをテーブルの端に追いやった。空いた場所に両肘を突いて身を乗り出す彼女の頬は朱に染まっている。隠しきれない興味が瞳から窺えるが、それは不快なものではなく、可愛らしささえ感じるほどだった。
「分からないの」
「はい?」
「知っているのは名前だけ。いつも分厚い前髪を下ろしているし眼鏡も掛けているから、顔だってよく分からない。でも、それでも好きなの」
紡ぐ声は自分でも驚くくらいに、恋慕の色に染まっていた。
「こんな事は言いたくないけれど……大丈夫、なの?」
心配そうに瞳を陰らせる友人の姿に笑みが漏れた。テーブルに置いていたゴブレットは表面に水滴を張り付けている。それをナフキンで拭き取ってから口に運んだ。
冷たい水が喉を潤す。ふぅと一息ついてから、やっぱり笑みが零れた。
「ふふ、あやしいわよね。でも好きなの。自分でも驚くくらいに」
笑いさんざめく人々が溢れる食堂内で、わたし達の会話に気を留める人はいない。その賑やかさに後押しされるように、わたしは想いを言葉にしていた。
「何をしているのか、どんな顔をしているのか、わたしに見せている姿は本物なのか。知りたい事はもちろんたくさんあるんだけど……聞けない。この関係が終わってしまう事が怖いもの」
「そうね……難しいわね。でももしかしたら、相手も踏み出す事を恐れているのかもしれないわ」
「相手も?」
「そう。時間が解決するかもしれないし、どちらかが……ううん、もしかしたら二人とも踏み込まないといけないのかもしれない」
「わたしに、それが出来るかしら」
思わず漏れた本音に、ウェンディは優しく微笑むばかりだった。手を伸ばしたウェンディは、ゴブレットを包むわたしの手にそっと触れる。
「アリシアなら大丈夫よ。次はお相手にいつ会うの?」
「会う約束なんてしていないのよ、いつも。お店で偶然会えたらいいなって、それだけだもの。でも暫く……一ヶ月くらいはお店に来られなくなるって」
「あら、それは寂しい。早く会えるといいわね」
「ありがとう」
わたしの手をぽんぽんと撫でたウェンディはゆっくりとその手を戻していく。ミルクティー色の髪を耳に掛けた彼女の視線が、ふとわたしの向こうへと移った。
「やだ、また降ってきたわ」
「酷くならないといいけど。ウェンディのお屋敷、雪は大丈夫だった?」
ウェンディの視線を追って、わたしも肩越しに振り返る。はらはらと舞う雪の向こうは青い空で、きっと大雪とまではいかないだろう。
「そんなに広い屋敷でもないしね。領地の方が凄かったみたい。一階の窓が雪で埋まったとか」
「そこまで? 大丈夫だったの?」
「防犯的にも良くないから、総出で雪を除けたらしいわ」
想像しただけで体が冷えてくるようだ。ぶるりと体を震わせたわたしは腕を擦った。
わたしの仕草にくすくすと笑ったウェンディは、水差しを手にして自分の手元のゴブレットを水で満たす。
「領地は元々雪の多いところなんだけど、王都にこんなに降るのも珍しいわよね」
「出勤出来ないんじゃないかと心配だったもの。来館される方も少ないから、やっぱり雪の影響が大きいのね」
「あら、それはアインハルト様がいらっしゃらないからよ」
「そうなの?」
「しばらくの間、北の砦に赴任されるんですって。アインハルト様の所属する隊の面々、十六人……だったかしら。ちょっと前に見送る為の壮行式があったんだけど、アリシアがまだ出勤する前の朝早い時間だったものね」
全く知らなかった。
アインハルト様から職務のお話を聞く事は無いし、そこまでの関係でもない。熱心なファンならそういうものも調べているのかもしれないけれど。
「騎士団は貴族子弟の方も多いから、うちにもそういう話が入ってくるのよ。凄かったわよ。見送りにきた女性陣が、今生の別れかと思うくらいに泣きながらハンカチを振っているんだもの」
「想像できるから不思議。ウェンディも見送りに行ったのね?」
「私は……団長が挨拶をするから、それを見に来たの」
問い掛けにウェンディが目を瞬くのも束の間で、彼女の顔が一気に朱に染まっていく。視線をテーブルに落としたウェンディは、ゴブレットを口元に寄せてちびちびと水を飲み始めた。
「あらあら、前から素敵だと言っていたけれど……お慕いしている相手って」
「……叶わない恋だって知っているんだけれどね。好きになってしまったのは、どうしようもないものね」
寂しげな口元とは裏腹に、ピンク色の瞳は輝いている。それがとても美しくて思わず見惚れてしまいそうになるほどだった。
わたしもそんな瞳をしているんだろうか。本人を前にしてもそんな恋慕が溢れていたら、この気持ちを隠し通す事なんて出来るんだろうか。
もう少し話をしていたかったのに、昼休みの終了が近付いていると報せる為の鐘が鳴った。窓から外を見れば、時計塔の鐘が大きく揺れている。
周囲のテーブルで談笑していた人達も席を立ち始め、わたし達もトレイを手にして立ち上がった。
「さっきの話だけど、確かにここ数日は女性の来館者が少なかったかもしれない。午後もそんな感じになりそうね」
「静かでいいわ」
きっぱりと言い切るウェンディの様子が可笑しくて笑ってしまうと、手にしていたトレイが揺れた。
所定の場所にそれを返したわたし達は足早に図書館へ続く道を歩む。途中で見える騎士団の詰所にアインハルト様がいないのだと思うと、何だか不思議な気持ちになった。
それが何なのか、自分でも分からないけれど。




