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21.自覚は戸惑いを添えて

 強い風に自室の窓が揺れる。

 その音に顔を上げたわたしは、読んでいた本に栞を挟んでから立ち上がった。


 歩み寄った窓、カーテンを開けた先に広がるのは真白。吹き荒ぶ風が降り落ちる雪を乱して、浚って、冬嵐を巻き起こしている。

 庭も見えず、門を照らす灯りだけが、薄ぼんやりながらも吹雪の中でその存在を主張していた。



 今日は一日中天気が悪かった。

 折角のお休みだというのに、どこかに出掛ける事も出来ずに引きこもりだ。


 日中にはわたしも雪かきを手伝ったけれど、この分だと明日の朝もまた雪かきになりそうで溜息が出てしまうのも仕方がない。それなりに広い敷地全ての雪をよける事は出来ずに、門から家までのアプローチだけを綺麗にする作業だったけれど、残念ながらわたしと母は戦力外だと言われてしまった。

 雪の重さに遊ばれているようだ、とは雪かきの手伝いに来てくれた商会の従業員達の言葉だった。


 明日は開館日だから、どうにかしてこの吹雪がおさまってくれるようにと願っている。上司からは【雪がひどければ無理して出勤しないように】と、今日のうちに報せが来ていたけれど……出来る事なら出勤したい。



 溜息をついても、風の強さと降る雪が変わらないのは当然で。

 窓辺にいた事で冷えてしまったわたしは、またソファーに戻ると傍らに置いていたブランケットを肩から羽織った。

 ローテーブルに用意した紅茶はすっかり冷めてしまっている。夢中になって本を読んでいたら、飲むことさえ忘れてしまっていた。


 手にしたカップはひんやりとしている。それでも紅茶を飲むけれど、少し渋味が強くなっているようだ。眉を下げながらそれを飲み干すと、栞を挟んだばかりの本を手に取った。


 本の表紙に描かれているのは、蒼映える三日月。

 それを光源に、一本の樹が蒼い影を雪原に伸ばしている。


 大きな文字で記されたタイトルは『迷宮』──以前にアインハルト様も好きだと言っていた本だ。この作者の推理小説が好きなわたしは、刊行されている本を全て買い揃えている。


 何度も読み返して、犯人もトリックも全て分かっている。それでも読みたくなるだけの魅力が詰まった本なのだ。

 挟んでいた栞を頼りに本を開く。昔に押し花で自作した栞をテーブルに置く。

 少し戻ったところから読み直して、わたしは本の世界へと没入した。



 何度も読んでいる事もあって、最後のページまで辿り着くのはあっという間だった。初めて読んだ時とは異なる読後感。心地良いほどの余韻に、ふぅと小さな吐息が漏れた。


「んー……もう一冊くらいなら読めそうかな」


 静かな室内に独り言が大きく響いた。

 風の音のせいかもしれない。


 部屋にはわたししかいないのに、なんだか気恥ずかしくなりながら、わたしは本棚へと歩み寄る。

 読み終わった『迷宮』を棚の中で決めている場所に戻す。作者ごとに綺麗に並んだ本棚は見ていて気持ちがいい。だけどあと数冊しか入る場所はないだろうから、これはまた本棚を新調しないとだめかもしれない。


 何を読もうかと背表紙を指でなぞっていく。

 恋愛小説ばかりを揃えた段で、その指が止まった。背表紙に触れる自分の指先が、記憶の中の夕星と重なったからだった。

 ……アインハルト様も、こうして本の背を撫でていたっけ。


『それを読めば女性の心も分かるようになるだろうか』

『私はずっと臆病な男なんだよ』


 アインハルト様の、低くて固い真っ直ぐな声が甦って耳を擽る。

 あの方は、何を思ってあんな言葉を呟いたんだろう。いつもの姿とは異なる、どこか自嘲すら感じる物憂げな表情を言葉にするならきっと──切なさ。


 一際強い風が吹く。

 大きく窓が揺れて、わたしの肩が大きく跳ねた。


「びっくりした……風も止みそうにないし、本当に明日はお休みしないとだめかしら」


 一人呟くと、棚の中から一冊の本を抜き出した。

 軽やかな文体で紡がれた、爽やかな恋愛小説だ。幸せな結末のこの本は、寝る前の時間に読むにはちょうどいいかもしれない。


 ソファーに戻ってクッションの場所を直したわたしは、行儀も悪く寝転がった。クッションに頭を預けながら高さを調整する。少し冷える足元にはブランケットをしっかりと掛けて……うん、いいでしょう。あとはこのまま寝ないようにだけ、気を付けなくちゃ。


 初めての本でも、慣れた本でも、はじまりのページを開く時はいつもわくわくする。

 口元が綻ぶ事を自覚しながら、わたしは本の世界に落ちていった──



 ──はずなのに。

 主人公が恋を自覚する場面に差し掛かって、もうそれ以上が読み進められなくなってしまった。

 可愛いと言って貰いたくて、会えたら嬉しくて、寂しさも悲しみも、全てその人に翻弄されて。そんなの……。


「いまのわたしと一緒じゃない……」


 そう思うともうだめだった。

 心臓が早鐘を打って喧しい。顔がどんな色をしているか、鏡を見なくたって分かる。


 本の主人公が自覚した時は、まるで曇り空が一気に晴れ渡るかのような爽快さだったのに。

 わたしの場合は羞恥と戸惑いが強いみたいだ。いや、自分でも自分の気持ちには気付いていたつもりだった。だけど改めてそれを自覚すると、むず痒いような不思議な感覚にどうしていいか分からなくなってしまう。


「会えないって知っているのが、こんなにも寂しいものだったなんて」


 約束なんてしない間柄で、偶然会えば一緒の時間を過ごすだけ。そんな飲み友達の関係性が心地よくて楽だったはずなのに。


 会えたら嬉しい。

 会えなかったら寂しい。


 ただそれだけの単純な事が、こんなにもわたしの心を乱していく。


「何をしているか分からない男だし、大体顔だって分からないし、いつも曖昧であやふやで、それなのに……寄り添ってくれるのが悪いんだわ」


 もう読む気が無くなってしまった本を閉じる。

 ブランケットをはね除けたわたしは、足早にベッドへと向かって飛び込んだ。部屋の灯りは元々絞っていたし、このままでも眠れるだろう。


 今日はもう眠ってしまおう。

 眠って、起きて、いつも通りの日を過ごして、また眠って──そうしたら一ヶ月なんてきっとあっという間だもの。


 会いたいな、なんて吐息混じりの囁きは風の音に溶けて消えた。

 そんな言葉を呟く自分さえ恥ずかしくて、わたしは上掛けを頭の上まで引っ張ると眠れるように願いながら目を閉じた。


 あの優しい笑みを浮かべる口元を、思い浮かべないよう意識しながら。



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