3-32.顛末
「あの後のことなんですが──」
そう言って話し出すのはヨハンさん。
わたし達がいるのは、広場近くの有名なカフェ。深い臙脂色の外観が印象的なお店で、芸術家たちがよく通っているらしいお洒落な場所だった。
それもあってか、店内には様々な絵画やオブジェが飾られている。統一されているわけではないのに、ちぐはぐなわけでもなく、なんだか落ち着く空間に仕上がっていた。
わたし達が囲むテーブルには、人数分のコーヒーが並んでいる。
それに寄り添うのは赤いプラリネのブリオッシュ。王冠型をしたブリオッシュに、赤く色付けされたプラリネがぎっしりと詰め込まれている。
このお店で提供されるものはそれほど大きいものではないけれど、中々に食べ応えがありそうだ。
*
王城での一件から、三日が経っている。その日は宿で休む以外に出来なかったけれど、マスターからの手紙を王城の文官が届けてくれた。
他の誰でもなく、文官が届けてくれたという事に……マスターが外部と接触する事が出来るようになったのだとほっとしてしまった。
その手紙には【落ち着いたら連絡する。今日はありがとう。お疲れ様】と丁寧な字で書かれていた。
きっと王城では色々あったのだろう。
でもわたし達に出来る事はなく、ただ待つ以外になかった。だから当初の予定通りの観光を楽しむ事にしたのだ。
気持ちを切り替えるのが難しい時も、ずっとノアが傍にいてくれた。
思い出して苦しくなってしまう夜は、抱き締めて背を撫でてくれた。
そんな風に彼に甘えながらの日々を過ごし、今日は広場を歩いていたらひょっこりとヨハンさんが現れたのだ。
いつの間にか側に居るものだから心臓に悪い。ノアも気付かなかったようで目を丸くしていた。
*
ブリオッシュを切り分けながら、ヨハンさんが話し始める。
「アンハイムからの薬師が到着して、彼の方の診察を行いました。薬師の診断は、まぁ予想通りのもので。調合された薬がよく合ったみたいで回復に向かっています。もう起き上がれる程になったそうですよ」
「それは良かったわ。じゃあ……マスターはルガリザンドに帰れるのかしら」
「もう少し片付いてからになるでしょうが、もうそれを阻むものはないんじゃないですかねぇ」
ヨハンさんが教えてくれた情報にほっとしながら、わたしはコーヒーを一口飲んだ。今日はお砂糖もミルクも入れない気分だったから、そのままいただく。
軽やかで、苦味もすっきりとしたコーヒーだった。コクはあるのに、飲みやすい。
入口近くのテーブルからは大きな声が聞こえてくる。どうやら芸術家の集団が議論を交わしているようで、それが白熱しているようだ。
店の奥から店主らしき人が出てきて、仲裁している声がする。
ここは一番奥まったテーブルで周囲には誰も座っていない。他のお客さんの注目も入口付近の集団に向けられているようだった。
「今回の件は、宰相閣下が彼の方に毒を盛った事から始まりました」
声は潜められているけれど、ヨハンさんは直接的な言葉も使う。国王陛下については伏せたままだけど、それ以外は隠されていない。
周囲に人がいないのと、誰もこちらに注目していないからという判断だと思った。
「ヴェヒターさんに手配させたワインに毒を混入させ、それを飲んだ彼の方が亡くなる事を予定していたみたいですが。彼の方に耐性があった事と、混入を命じられた侍女が躊躇した事で命が助かったみたいですね」
「その侍女は? 無事ではいられなかったのでは?」
ノアの問いにヨハンさんはひとつ頷いた。大きく切ったブリオッシュを口に運び、ゆっくりと咀嚼してから飲み込んだ。
「その侍女の始末を命じられながら、ヴェヒターさんは逃がしたそうです。それを誤魔化す為に色々書類を偽造しなくちゃいけなかったみたいで、罪を重ねることになったようですが……まぁこれに関しては考慮してもらえるかと。その侍女が逃れた先がライネル侯爵領でした。ライネル侯爵は侍女を保護して、今回の事件に関しての証拠を色々掴んだそうですよ」
マスターに手紙を渡した時に「証拠が揃った」と言っていたのを思い出す。
この侍女の件が書かれていたのだろう。手紙が間に合って良かったと改めて思った。
「宰相閣下は更迭。その後の事は分かりませんが……処分は重いでしょう。スカビオサ公爵家は降格処分、領地の没収。男爵まで爵位を落とし、当主は即時交代。息子が跡を継ぎました。スカビオサ嬢は放逐されて平民となったそうです。スカビオサ男爵領で監視されながら暮らしていく事になると聞きました」
王族を毒殺しようとした宰相閣下への処分はともかく、レイラ様への罰は重いものだと思う。
そんな考えが顔に出ていたのか、わたしを見たヨハンさんが苦笑いをした。
「王兵を私用に使った事も、リガス殿下の客人に兵を向けた事も許されるものではないんですが。それ以外にも色々あくどい事をやっていたみたいですよ。なので妥当な処分になったのかと思います」
何をしていたのか、わたし達が知る事はないだろう。
ブリオッシュを一口大に切って、口に運ぶ。色鮮やかなプラリネが香ばしい。強めに焼かれた表面はカリカリとしているのに中は柔らかい。かなり甘いのに、飲み込んだらすぐにもう一口食べたくなるほど美味しかった。
「ヴェヒター殿は侍女を逃がしていた事もありますし、他にも宰相からの指示メモなどを全部残していた事が証拠保全として評価されました。他にも宰相が手を染めていた悪事なども調べていたようで、情状酌量の余地があると判断されたそうです。ですが免職はまぬがれませんでした。もう王都を去ったそうです」
「そう、ですか……」
きっともう会う事はないだろう。
それでもまだ、幼い頃の思い出が胸に残って消えないのだ。思い出の中のエミルはいつだって笑っていて、優しくて、わたしの事を見守っていてくれた。
もう一人の兄のように慕っていた。
そんな彼が、これからは道を間違う事無く……幸せに過ごしてくれたらいいなと思ってしまう。
複雑な思いを、コーヒーと一緒に飲み込んだ。苦いのはコーヒーなのか、それともやるせない気持ちなのか。わたしにはわからなかった。
「それでですね」
雰囲気を一変させるように、ヨハンさんが明るい声を出す。
いつの間にかヨハンさんはブリオッシュを食べ終えていて、コーヒーカップを手にしていた。コーヒーを一気に飲み干してから、いつものようににっこりと笑みを浮かべて見せる。
「彼の方がお二人にお会いしたいと言っているそうでして。僕が案内を仰せつかりました」
「は?」
ノアとわたしの声が揃う。
国王陛下にお会いする……?
「それはいつだ?」
「今日、これからです。ほらほら、早く食べちゃってください。約束の時間に間に合いませんよ」
「いやちょっと待て。今日? もっと他にないのか」
「お忙しい方ですからね。謁見が決まったのも昨日の夜ですから。あ、平服で構わないそうなので、そのままで大丈夫ですよ」
「昨日の夜に知らせてくれたらよかったのに。いまもこんなゆっくりお茶をしている場合じゃなかったわ」
「いやぁすみません。先に知らせて逃げられても嫌だなって」
「逃げられるわけねぇだろうが!」
ノアの悪態もヨハンさんには効かないようだ。にこにことした笑みを崩さない。
折角のブリオッシュだけど、味わう暇もなく一気に食べる羽目になってしまった。
美味しかったからまた来よう。……今日はもう謁見後にもそんな余裕はなさそうだけど。
あけましておめでとうございます!
皆様にとって素晴らしい年になりますよう、お祈り申し上げます。
2025年も頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!




