3-21.ライネル侯爵家へ
次の日も昼近くまで起きられなかった。眠るのが遅くなっているせいもあるのだけど、何とも怠惰な日々を送っていると思う。
これじゃいけないと思いつつも、こんな風に過ごせるのも今だけだから、なんて言い訳を心の中で並べてしまう。
そもそも、眠りに就くのが遅いというのが悪いのだ。その原因であるノアが満足そうににこにこと笑うものだから、口から零れそうになった文句はいつだって消えてしまう。
結局、わたしもノアに触れていたいから……これはもう、どうしようもないと思うしかなくて。甘やかしているのか、甘やかされているのか、もうどちらでもいいかなと思う。
宿の一階にあるカフェでブランチを食べた後、コーヒーを飲みながら午後の予定を話していた時だった。
メモを持った従業員がわたし達のテーブルにやってくる。
ノアが受け取ったメモを一緒に覗き込むと、それはライネル侯爵家の家令であるバイスさんからの伝言だった。お屋敷に来て欲しいと書いてあるそれを見て、わたしとノアは顔を見合わせて頷いた。
***
晴れた空の下、侯爵家までの道をノアと歩く。しっかりと繋がれた手は、ノアのコートのポケットの中にしまわれているから温かい。
夜の間に雪が降ったようで、道端に除けられた雪はまだ柔らかく、風に吹かれて飛んでいるのが綺麗だと思った。
見上げたノアは髪を上げているけれど、眼鏡をかけている。くぁ……と大きな欠伸をして、瞬きを繰り返している様子はリラックスしているようにも見える。
そんな姿も好きだなんて言ったら、きっとまた笑うのだろう。
「侯爵からお返事が来たのかしら」
「きっとそうだろうな。届けるよう頼まれるかもしれないから、午後からの予定は空けておいた方がよさそうだ」
「そうね。でもマスターもエマさんに手紙を書いているかもしれないし、ちょうど良かったかも」
「マスターから手紙を受け取ったとして、商会は荷物を出せるのか?」
「手紙があるならいつでも荷物を出せるとは言ってくれているけど、相談してみた方がよさそうね」
そんな事を話しながら、貴族街の中を歩く。
時折、わたし達の横を馬車が走っていくけれど、速度を落としてくれるから雪が跳ねる事もない。でも馬車が来る度に、ノアがわたしを守るように体を寄せてくれるから何だかドキドキしてしまう。
わたしよりも自分の方が馬車に近い方を歩いてくれているというのにだ。そういう所からも大事にされていると実感してしまって、嬉しいし落ち着かない。
結婚してもまだまだドキドキする。好きだという気持ちが溢れていく。
ノアもそうであってくれたらいいなと、そう願った。
ライネル侯爵家の前には、前回訪れた時と同じ門番が二人立っている。
わたし達の顔を覚えていたのか、バイスさんに言われているのか、わたし達を見て表情を和らげた二人が門を開けてくれた。
お屋敷の中に入ると、エントランスではバイスさんが待っていてくれた。
前回と同じ応接室に案内されると、部屋の中はとても暖かかった。暖炉ではくべられた薪が勢いよく燃えている。時折聞こえる爆ぜる音が何だか心地よかった。
ソファーにノアと並んで座り、用意されたコーヒーを一口いただいた。
酸味が少なく、口当たりのいいコーヒーだった。苦味を含む余韻はすっと引いていって、ナッツを思わせるような香りだけが残っている。美味しい。
「ご足労いただきありがとうございます。本日はお願いがありまして……」
「リガスさんへのお届けものですか?」
「話が早くて助かります。領地におります主人よりリガス様への手紙が届きました。私が城に行っても通して貰えるかは分かりませんし、誰にでも託せるわけではありませんから。お二人にお願いしたく、お呼び立てした次第です」
「分かりました。お預かりします」
ノアの返事にバイスさんがほっとしたのが分かった。
その様子に、わたし達が来るまでは困っていたのだろうというのが伝わってくる。連絡が取れていなかったと、最初に訪問した時に言っていたのを思い出す。
でもそれも、今思えばおかしな話だ。
侯爵家ともなれば高位貴族だし、ライネル侯爵はマスターの滞在先になるほどの関係性がある。それなのにその侯爵家に仕えるバイスさんが連絡を取れないというのは、意図的に遮断されていたという事で。
マスターの味方になる人を近付けさせないようにという意図さえ感じるし、それが出来るだけの人なんてきっと限られている。
「主人も領地から王都に向かうそうです。色々片付ける事があるようで、もう少し時間が掛かりそうではありますが、こちらに来たらお二人にご挨拶がしたいと申しておりました」
「それは光栄です。私達からもご挨拶をさせてください」
「そう言って下さると主人も喜びます」
ノアとバイスさんはにこやかにお話をしている。
それを聞きながらコーヒーを飲んでいると、話が途切れたタイミングでバイスさんが居住まいを正した。
つられるように、わたしとノアの背筋も伸びる。
「お二人はどこまで今の王城についてご存知なのか測りかねますが、城に出入りする以上お気をつけていただきたい事がありまして……」
「それは、宰相閣下の件でしょうか」
ノアの問いにバイスさんが目を瞠った。
それがもう答えだった。
また薪の爆ぜる音が聞こえた。
小さな音なのに、それがよく聞こえるほどに部屋の中は静まり返っていた。




