3-19.共に歩む為に
今日はマスターが忙しいらしい。仕事が立て込んでいて、すぐに執務室に戻らなくてはいけないそうだ。
手紙の返事をすぐに書けないそうなので、出来上がったら知らせてもらう事にしたのだけど……その手紙をわたし達の宿まで、ヨハンさんが届けてくれる事になった。
申し訳ないし、わたし達が取りに来るのは構わないと言ったのだけど「息抜きになりますし」なんてにこにこと笑うものだから、流されるままにお願いしてしまった。
いつかジェイド殿下に怒られるのではないだろうかと心配になるけれど、きっとそれもうまくやるのだろう。
エマさんからのお手紙を渡して、用事は終わってしまった。
当初の予定通り図書館に行ってもいいのだけど……王城を後にしたわたし達は何も言わずに街までの道を歩いている。
わたしも何も言わないし、ノアも口を開かない。
いつもは繋いでいる手も、離れたまま。それが凄く寂しいのに、触れる事を躊躇ってしまう。
拒まれたらどうしよう、と不安な気持ちで胸がいっぱいになっている。
ちゃんと気持ちを伝えようと決めたのに。
不安も何もかも、一人で抱え込まないってそう決意したのに。
マフラーに口元を埋めて零した溜息は、すぐに冷えてしまってマフラーを少し濡らしていく。それにさえげんなりしてしまって、懲りもせずにまた溜息が漏れた。
ずっとこうしているわけにはいかない。
頑張れ、と自分を鼓舞しながら俯いていた顔を上げる。曇り空からは、ゆっくりと雪が降り始めていた。
「……ノア」
「ん?」
呼びかける声は自分でも情けない程に震えていた。ノアも気付いているだろうけれど、それには触れずに返事をしてくれる。
「話をしましょう」
「……そうだな。どっか入るか」
「ううん、そこの公園でいいわ」
「寒いだろ。じゃあせめて、そこでワインでも買っていこうぜ」
公園の入り口にはいくつかの露店が出ている。
どのお店も温かいものを売っているらしく、お鍋からは湯気が立ち上っていた。真っ白な湯気が雪を孕んで消えていく。
ノアはその中でも飲み物を売っているお店で、ホットワインを買ってくれた。
公園の奥にはベンチがいくつか並んでいる。
そのうちの一つに並んで座り、差し出されたワインのカップを受け取った。
木で出来たカップから伝わる熱は、手袋越しでも冷たくなった指先を温めてくれる。それにほっとしながら、ゆっくりとワインを口にした。
白ワインには薄切りになったレモンとオレンジが沈んでいる。添えられているシナモンスティックでワインを混ぜると、スパイシーな香りがした。ほんのりと甘いワインにシナモンがよく合っている。
口から喉、そしてお腹までじんわりと熱が広がっていく。
「さっきはごめんなさい。またノアに嫌な思いをさせてしまったわ」
自分の不安を零すよりも先に、まずは謝りたかった。
前にエミルに会った時もヤキモチを妬かせてしまったのに、また不快な思いをさせてしまった。今回は特に棘のあるような言葉を選んでいるみたいだったから、もっと嫌だっただろう。
「アリシアが謝る事じゃないから、その謝罪は受け取らない。でも……アリシアには悪いが、俺は……あの幼馴染は好きになれない」
「ええ、そうよね。わたしもエミルの言葉が嫌だったから、ノアはもっと嫌だったと思う。もちろんエミルと仲良くしなくていいわ。わたしも……昔のような付き合いは出来ないと思っているもの」
「……謝らなくちゃいけないのは俺の方だ。機嫌を悪くして、アリシアに謝らせるなんて。本当にごめん」
いつものような声色に安心して、それだけで泣けてしまいそう。でもここで泣くのは嫌だと思って、ワインを飲んで誤魔化した。
立ち上る湯気は酒精が強く、噎せてしまいそうになる。それをいいことに、震えそうになる声は咳に紛れさせた。
「謝らないで。ノアは、何も悪くないから」
「お前だって悪くないだろ」
そう言ったノアはわたしの肩をそっと抱いてくれた。カップを両手でしっかりと握りながら、わたしは体を預けて寄り添った。
「幼馴染に関してはこれで終わり……って言いたいんだが、まだそうもいかないみたいだな」
「え?」
「アリシア。何を不安に思ってる?」
「……っ、わたしは、その……」
顔を上げるとわたしを真っ直ぐに見つめる夕星と視線が重なった。わたしの心の中まで見透かすようなその眼差しに、視界が滲む。
もう我慢する事も、誤魔化す事も出来なかった。
「……釣り合っていない、って。ノアと、わたしは……釣り合っていないって、言われて。分かっているんだろって……わたし、っ……」
不意に握っていたカップが取られた。それをベンチの端に置いたノアは、両腕でわたしを抱き締めてくれる。
その力強さに、更に涙が溢れてくる。堪えようとした嗚咽が体を震わせて、うまく息が出来ない。
「そ、そんなの……今までだって言われてきたし、でも、ノアはわたしを好きって、分かってる。周りに、何を言われても良かったのに……っ、何でか、うまく流せなくて……」
「俺の気持ちを疑わないでくれて良かった。俺はアリシアだから傍に居るんだ。他の誰かじゃ絶対にだめで、もうアリシアのいない未来なんて思い描けない」
わたしを抱き締めながら、背中を撫でてくれる。その優しいリズムに、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。
息が整うと、それに同調するように気持ちも穏やかなものになってくるから不思議だ。
「アリシア、もしこの顔のせいでお前が嫌な気持ちになるんなら、俺はいつだって顔に傷をつける。騎士だからお前の側に居られないというなら、別の仕事をしたっていい」
「ノア……」
「それくらいの覚悟はあるんだ。何を手放す事になっても、お前を失わないで済むならそれでいい」
ノアが本気だということは、その声からも、表情からも伝わってくる。
それだけわたしを大事にしてくれているのだ。不安になる事なんて、何もなかったのに。
「俺の顔に傷があっても、騎士じゃなくなっても、俺の傍にいてくれるだろ?」
「もちろん。騎士だから好きになったんじゃないし、最初は顔だって見せなかったでしょ。それでもわたしは、ノアの事が好きになったんだから」
わたしの顔を覗き込んだノアが、ほっとしたように笑う。
不安になるのはわたしだけじゃないんだ。だから二人で解決していくんだ。
「……変な事を言ってごめんなさい」
「謝るなって。悪いのはそんな事を吹き込んだ幼馴染だろ」
「そうね。どうしてあんな事を言いだしたのかしら」
「……さぁな」
「ねぇ、その間って何か知ってるんじゃない?」
「同じだからな」
「なぁにそれ」
嘘を言われているわけじゃないけれど、きっと曖昧にぼかしている。問いを重ねてもノアはただ笑うばかりだ。
気にはなるけれど、でも今はもういいと思った。
大事なのは、ノアとすれ違わない事。
気持ちを伝えて、不安を減らして、そうやってわたし達は共に歩むのだ。
ノアはわたしの目元に唇を寄せてから、また笑った。
わたしの事が大切だと、そう伝わるような眼差しをくれながら。




