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壁越しの気持ち

作者: 宇梶あきら
掲載日:2020/10/01

「今日も、一人で眠るの?」


 問いかけた声は平静を装ったつもりだった。

 少なくとも自分では、震えもしなかったし、心細げにも聞こえなかった。

 ただ相手がそれをどう受けとるかまでは、こちらにはわからない。


 もう長年のつきあいで、そして今は同じ家に暮らす仲で。

 自分は大概感情表出の激しいほうだと自覚しているから、

 大きな気持ちの波はすぐに見破られてしまう。

 それでも疲れているからか、余裕がないのか、

 彼は特になにも言わず、ただうなずいただけだった。


 場所は彼の部屋の前。

 急ぎの仕事がない時は、彼の部屋で眠ることが当たり前になってから、もうずいぶんになる。

 未だに照れはあるけれど、それでもようやく叶ったこの生活。

 わざわざ別々に寝るほど、相手への気持ちは浅いものでもなかった。


 それでもまだ両者の生活は相当にすれ違いが多くて。

 いきなり変えることができるほど、彼の立場は軽くもなく。

 同じ家にいても、顔を合わせない日があるくらいだった。

 お休みの挨拶だけはしにきてくれても、そのあとまた部屋にこもってしまう。

 わりあてられた自分の部屋は、家具もあらかた運び終えて、大分くつろげる場所になっている。

 けれどそれも、隣で眠る安息を得た今では、たいしたものではなくなっていた。


 寂しい、なんて、面とむかって言うのは嫌だった。

 恋人だから我儘を言ってもいいという意見もあるけれど、

 それはあくまで相手に余裕のある時だけだ。

 少なくとも彼女はそう考えるから、今の彼には絶対に漏らせない。


「……夜は冷えるし、無理しないでね?」


 そういった面で役に立たない自分にできることは、注意を促したりする程度だ。

 無力な自分が悔しいけれど、それならそれで開き直って、できることをするまでだ。

 背の高い彼を見上げてそう言うと、昔から大好きな、今はなお甘い笑みを返される。


「……大丈夫」


 息がかかるほどの至近距離に顔が近づく。

 薄暗い視界がその体躯で遮られて、……そして額に柔らかな感触。

 弱いところを、あまり見せたくないからと。

 恋人としてのささやかなプライドなのだと、そう笑って言った。


 そんな男性の自尊心なんて、本当はどうでもいい。

 苦しい時には言ってほしいし、つらい時には抱きしめたい。

 だけどポーカーフェイスで笑われてしまうと、彼の気持ちはまるで霧の中。


 恋人同士なのに、と、時折胸が痛む。

 そんなに頼りにならないのかと。

 そんなに、信用できないのかと……


 そうではないとわかっていても、時に襲う不安は拭えなくて。

 言葉と態度で示してほしいけれど、今の彼にそれを強いることはできない。

 見せないようにしているその奥に、かすかな疲労の色があることくらいは悟っているから。


「もう少しで片づくから、そうしたらゆっくりしよう」


 最後にそうしめくくってくれるから、だから待てる。

 だから、にっこりと、できるかぎり最高の笑顔を返してうなずいた。


「うん、楽しみに待ってる」


 それは心からの願いでもあったから、演技をする必要もなかった。

 彼はその笑顔に満足したのか、軽く彼女を抱きしめると、部屋にもどっていった。


 残された途端に広く感じる家も、寒く感じる外気も、慣れたもの。


 時刻はそろそろ、今日と明日の境界線。

 今日が昨日になり明日がいまになる、そんな合間の刹那。

 眠るにはやい時間でもないので、このまま部屋に帰ってもいいのだが、それも躊躇われた。


 なにせ彼女の部屋はここから離れた場所にある。

 日当たりのよい広い部屋が、そこにしかなかったからだ。


 心の距離は実際のそれに関係しなくても、それでも。

 ……それでも遠いのは嫌だった。

 女々しい感情と言われても、なんでも、ほんの少しでも近くにいたかった。


 だから、意を決した彼女は、彼の部屋の隣のドアを開けた。

 客室用にされているそこは、最低限の家具しかない。

 ソファベッドに、簡素な机と椅子、あとは家主が置ききれなくなった本をしまう棚。


 物音を立てないよう細心の注意を払って、ソファベッドを壁際に寄せる。

 そのむこうは、彼の部屋だ。

 クローゼットから毛布を何枚もひっぱりだすと、ベッドを整えてもぐりこむ。

 これだけしておけば、風邪をひくことはないだろう。

 あとは明日の朝、彼が気づく前にここから出ればいい。


「少しでも近くに、いたいから……」


 声に出さずにそっと呟いて、目を閉じる。

 ここにいることを彼は知らないし、どこにいようとかまわないと言うだろう。

 先に眠っていいとも、気遣って言うのだ、彼は。


 だからこれはまったくの自分の意志。

 窓から漏れる光が消えるか、自分が眠りに落ちるまで。


 誰に気づかれなくてもそっとここで、恋人を見守ろうと、そう思った。

 大昔のサイト掲載作品、十年以上前のものです。

 恥ずかしいので見返していません。

 恋愛状態にあっても色々ある、系の話。

 幸せだけどちょっとした不安とか悩みとか。

 でもそれも幸せだからこそなのだけれど、……という話、だったはず。

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