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壁越しの気持ち

作者: 宇梶あきら

「今日も、一人で眠るの?」


 問いかけた声は平静を装ったつもりだった。

 少なくとも自分では、震えもしなかったし、心細げにも聞こえなかった。

 ただ相手がそれをどう受けとるかまでは、こちらにはわからない。


 もう長年のつきあいで、そして今は同じ家に暮らす仲で。

 自分は大概感情表出の激しいほうだと自覚しているから、

 大きな気持ちの波はすぐに見破られてしまう。

 それでも疲れているからか、余裕がないのか、

 彼は特になにも言わず、ただうなずいただけだった。


 場所は彼の部屋の前。

 急ぎの仕事がない時は、彼の部屋で眠ることが当たり前になってから、もうずいぶんになる。

 未だに照れはあるけれど、それでもようやく叶ったこの生活。

 わざわざ別々に寝るほど、相手への気持ちは浅いものでもなかった。


 それでもまだ両者の生活は相当にすれ違いが多くて。

 いきなり変えることができるほど、彼の立場は軽くもなく。

 同じ家にいても、顔を合わせない日があるくらいだった。

 お休みの挨拶だけはしにきてくれても、そのあとまた部屋にこもってしまう。

 わりあてられた自分の部屋は、家具もあらかた運び終えて、大分くつろげる場所になっている。

 けれどそれも、隣で眠る安息を得た今では、たいしたものではなくなっていた。


 寂しい、なんて、面とむかって言うのは嫌だった。

 恋人だから我儘を言ってもいいという意見もあるけれど、

 それはあくまで相手に余裕のある時だけだ。

 少なくとも彼女はそう考えるから、今の彼には絶対に漏らせない。


「……夜は冷えるし、無理しないでね?」


 そういった面で役に立たない自分にできることは、注意を促したりする程度だ。

 無力な自分が悔しいけれど、それならそれで開き直って、できることをするまでだ。

 背の高い彼を見上げてそう言うと、昔から大好きな、今はなお甘い笑みを返される。


「……大丈夫」


 息がかかるほどの至近距離に顔が近づく。

 薄暗い視界がその体躯で遮られて、……そして額に柔らかな感触。

 弱いところを、あまり見せたくないからと。

 恋人としてのささやかなプライドなのだと、そう笑って言った。


 そんな男性の自尊心なんて、本当はどうでもいい。

 苦しい時には言ってほしいし、つらい時には抱きしめたい。

 だけどポーカーフェイスで笑われてしまうと、彼の気持ちはまるで霧の中。


 恋人同士なのに、と、時折胸が痛む。

 そんなに頼りにならないのかと。

 そんなに、信用できないのかと……


 そうではないとわかっていても、時に襲う不安は拭えなくて。

 言葉と態度で示してほしいけれど、今の彼にそれを強いることはできない。

 見せないようにしているその奥に、かすかな疲労の色があることくらいは悟っているから。


「もう少しで片づくから、そうしたらゆっくりしよう」


 最後にそうしめくくってくれるから、だから待てる。

 だから、にっこりと、できるかぎり最高の笑顔を返してうなずいた。


「うん、楽しみに待ってる」


 それは心からの願いでもあったから、演技をする必要もなかった。

 彼はその笑顔に満足したのか、軽く彼女を抱きしめると、部屋にもどっていった。


 残された途端に広く感じる家も、寒く感じる外気も、慣れたもの。


 時刻はそろそろ、今日と明日の境界線。

 今日が昨日になり明日がいまになる、そんな合間の刹那。

 眠るにはやい時間でもないので、このまま部屋に帰ってもいいのだが、それも躊躇われた。


 なにせ彼女の部屋はここから離れた場所にある。

 日当たりのよい広い部屋が、そこにしかなかったからだ。


 心の距離は実際のそれに関係しなくても、それでも。

 ……それでも遠いのは嫌だった。

 女々しい感情と言われても、なんでも、ほんの少しでも近くにいたかった。


 だから、意を決した彼女は、彼の部屋の隣のドアを開けた。

 客室用にされているそこは、最低限の家具しかない。

 ソファベッドに、簡素な机と椅子、あとは家主が置ききれなくなった本をしまう棚。


 物音を立てないよう細心の注意を払って、ソファベッドを壁際に寄せる。

 そのむこうは、彼の部屋だ。

 クローゼットから毛布を何枚もひっぱりだすと、ベッドを整えてもぐりこむ。

 これだけしておけば、風邪をひくことはないだろう。

 あとは明日の朝、彼が気づく前にここから出ればいい。


「少しでも近くに、いたいから……」


 声に出さずにそっと呟いて、目を閉じる。

 ここにいることを彼は知らないし、どこにいようとかまわないと言うだろう。

 先に眠っていいとも、気遣って言うのだ、彼は。


 だからこれはまったくの自分の意志。

 窓から漏れる光が消えるか、自分が眠りに落ちるまで。


 誰に気づかれなくてもそっとここで、恋人を見守ろうと、そう思った。

 大昔のサイト掲載作品、十年以上前のものです。

 恥ずかしいので見返していません。

 恋愛状態にあっても色々ある、系の話。

 幸せだけどちょっとした不安とか悩みとか。

 でもそれも幸せだからこそなのだけれど、……という話、だったはず。

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