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博士と助手のSF(すこしふしぎ)シリーズ

貴女との距離の概算

作者: むねにく三太郎

博士と助手のSFすこしふしぎコメディです。

 「実証実験を行うのである」

 と、彼女に連れ出されてたのは、近所の一級河川の土手の上。

 そこは、菜の花が揺れる遊歩道になっている。

 今日は川面がきらめく晴天で、風も清々しい。実に素晴らしいお散歩日和だ。


 そんなリラックスムードに反して、彼女は実に真剣な様子で、一歩一歩、慎重に足を進めている。

 彼女は金属の棒を引きずっている。

 変な棒だ。

 先端には車輪がついていて、アスファルトを滑らかに転がっている。

 棒の柄の部分にはカウンターがついていて、彼女が進み車輪がコロコロする毎に、数値が加算されていく。

 ふむ、これはコロコロで距離を測る道具らしい。


 正式な名前は知らないけれど、測量器の一種なのだろう。

 似たようなのは道路工事で見たことがある。歩道の幅を測っていた。

 刑事ドラマでも見た気がする。鑑識が凶器と遺体との距離を測っていた。


 原理は単純そうに見える。

 車輪が一周したら円周ぶん進んだことになる。


 学校で習ったとおり、直径×3.14=円周だ。

 この車輪の直径は10センチくらいなので、1周分は10×3.14=31.4センチ。

 2周ならその倍の62.8センチだ。

 円周率をうまく利用すれば、もっと細かな数値も分かるのだろう。


 コロコロしている女性は、一応、わたしの上司にあたる。

 彼女は天才で、しかも博士なのである。

 なにを研究しているのかも、なんの学会の博士号なのかも知らないけれど、とにかく博士なのである。


 博士は小柄な女の子だ。

 低い背丈、柔らかい背骨、小さなお尻。

 若いというか、幼いと表現してもいいと思える外見だ。


 でも、成人しているらしい。

 実年齢はよく知らない。

 本人曰く「成人式には10回くらい出席したのだよ」と宣うから、ざっくり200歳は超えている。

 そういう冗談を彼女は好む・・・きっと冗談に違いない。


 ともかく、可愛らしい博士はコロコロ転がし、ゆっくりわたしから遠ざかっていく。

 彼女の視線はコロコロに集中しすぎていて周りが見えていない。サイクリングする自転車とぶつかりそうで危ない。

 あまり遠くに行かないように、ついて行ったほうが良いのだろうか。


「そのまま! そこで立っててくれたまえよ!」

 唐突に、彼女は振り返る。

「え?」

 すでにわたしは一歩踏み出してしまった。

「もー! 動かないでくーれーたーまーえー!」

 わたしは助手なので博士の指示に逆らうことができない。

 踏み出した足を戻し、起立の姿勢で待機する。


「ねー! キミの身長って何センチー!?」

 彼女の声は少し遠い。

 いつの間にか随分、離れてしまっていた。


「179センチです」

 と答えるが、

「きーこーえーなーいー! もっと大きな声でー!」

 とダメだしされる。

 なんというか、こう、公衆の往来で個人情報を叫ぶのは気恥ずかしい。博士の命なら仕方がないが・・・

「179センチです!」

「ほんとぉ?」

「うそですー。181せんちですぅ!」

 うわ。下手にサバ読んだせいで2度恥をかいた。


 博士は分度器みたいな装置でわたしを睨む。

 分度器には2つの矢のようなメモリがついており、1つはわたしの足元、もう1つはわたしの頭を狙っている。


 なるほど、わたしの身長とみための角度で、距離を割り出そうというらしい。

 たぶん、三角関数ってやつだ。


 サイン・コサイン・タンジェントであり、詳しい計算方法はさっぱりわからない。

 いま、わかることは、たったの1つ。つま先から頭の頂点まで、わたしの身体が貴女の瞳に収まっているということだけだ。

 

 彼女の検算が終わったらしい。

「きーたーまーえー」

 と言われるので、お召の通りに彼女に駆け寄る。

「ふむ。三角測量の結果は歩行計測器の値と一致した。わたしが発明した歩行測量器の精度に問題はないようだね」

 博士は御満悦でドヤ顔だ。かわいい。


「では、実験場所を変えてみよう」

 博士は土手を駆け降りる。


 □ □ □


 川っぺりは野球場も併設された大規模な公園になっている。

 大雨のときに水を逃がす遊水地でもある。

 わたしたちは外野のさらに外の原っぱに降り立つ。


 博士から測量機を渡される。

「ちょっと、あそこのジャングルジムの直線距離を測ってみたまえ」

 彼女の指差す先に、ちょっとした子供公園があって、遊具がいろいろと集まっている。

 わたしは命じられるがまま、一番目立つジャングルジムに向かって歩き出す。


 この芝生は土手の遊歩道みたいに舗装されているわけではないが、スムーズにコロコロ回り続ける。

 コロコロがこつんと小石を拾うが、力を入れずに乗り越えられる。ダンパーみたいな衝撃を吸収する機構が組み込まれているらしい。


 雑草や踏みつけ、モグラの巣穴をまたいで、ジャングルジムにたどり着いた。

 振り返ると、彼女が分度器でわたしを測っている。 


「もどってきーたーまーえー」

「はーい」

 わたしは飼い主に呼ばれたイヌのように彼女の元へ駆け戻る。


「面白い結果が出た、見たまえよ」

 彼女が分度器で割り出した数値と、コロコロ目盛りを見比べる。

「オカシイですね。このコロコロで測った距離のほうが、博士の検算より長くなっています」


 コロコロで測った距離・・・43メートル

 分度器で測った距離・・・40メートル


 数値がズレている。

 博士の計算が間違うはずがない。きっと、わたしの歩き方が悪かったのだ。しょぼん。

「フム、吾輩の狙い通りなのだよ」

 しかし、博士は満足そうだ。

「この値の差異の原因はわかるかね?」

 わたしは首を横に振る。


「分度器で測った場合は、空中を真っすぐ直線で検算している。これは衛星写真に定規を当てた場合と同じだ」

「はい。正しい距離ですね」

「『客観的な』距離だのだよ。あくまで地図上の距離に過ぎないのだ。たいしてキミは『主観的な』距離を測ったのだよ」

 ・・・なんだか難しいことを宣いだす少女である。


「主観的に正しい数字なのだ」

 博士の講義が始まる。


「キミは慎重だ。そして心優しいニンゲンだね」

「はあ、そうでしょうか」

 ほめられたのだろうか。わたしは思わず頬をかく。


「キミは無意識に水たまりを避けたり、タンポポを踏みつけない様に回り道したり、小さく蛇行した。一方で、小石を乗り越えたりすることで、地図上ではわからないようなタテ方向の距離も測った」

「わたしの歩き方がおかしかったんですね」

 真っすぐ歩いたつもりが、無意識的にうねうねと回り道をしまったらしい。


「いや・・・それが、吾輩が測りたかった『主観的な』距離なのだよ」

 わたしは小首をかしげる。そんな不出来な助手に、博士は講義を続けていく。


「キミは花を踏みつず遠回りした。それは間違った行為かね? 花も水たまりもお構いなしに歩く無粋漢が測った距離のほうが、『正しい距離』と呼べるのかね?」

「うーん。一概にはどちらが正しいともいえないような・・・」

「そうだね。つまり、キミの測った距離は、客観的に見れば40メートルであるが、キミ自身の主観では43メートルであり、他人からすれば41メートルの場合もありえるのだ」

 

 わたしは、さっき自分が歩いた原っぱを眺める。

 さんさんと降り注ぐ太陽に目がくらみ、ジャングルジムが遠ざかっていく。


「助手君。マラソン競技の距離は知っているかね?」

「42.195キロですね」

「しかし、同じ距離でも、アップダウンの大きい山道より、坂道の少ない平坦なコースのほうが良いタイムが出る」

「まあ、そうでしょうね」

「また、悪路よりアスファルトのほうが良いタイムが出る」

「走りやすいですからね」

「そういう距離を同じ42.195キロと呼んでいいのかね?」

 と博士は提言する。


「うーん・・・まあ、険しい山道では、ランナーは42.195キロよりも長く感じるでしょうけど・・・」

「では、同じ平坦コースでも、晴天の場合と、雨天場合はどちらが長い?」 

「雨のコースのほうが長そうですね。過酷ですし」

 博士の言いたいことが分かってきた。


 同じ距離でも、路面の状況や環境の違いで距離は変わる。このコロコロはそういう地図では分からない違いを測る機械なのだ。

 

「では、ファンから声援を受けて走る場合と、ブーイングを受けて走る場合は?」

 それは、物理を超越した問題だ。


「ブーイングを受けたほうが長く感じそうですけど・・・それは気分の問題では・・・」

 あきれ気分で反論を試みるが、

「そう! 気分の問題なのだよ!」

 しかし、全力で肯定する博士である。

 

「罵詈雑言を浴びせられながら、まっすぐ走ることなどできない。きっとメンタルがダメージを受けてフラフラになる。よって、声援を受けたランナーよりも走る距離は長くなる」

「・・・ホントですか?」

「仮説である!」

 博士は胸を張って答えた。 


「この仮説を立証するために、歩行測量器(コロコロ)を作ったのだよ! 路面、環境、性格、気分・・・あらゆるファクターを、ぜーんぶ含めた距離を測るのだ」

 思ったより無茶苦茶で壮大な構想を描いていたらしい。


 つくづく博士は天才で、天才の考えていることはよくわからない。


「もっといろんなモノを測ってみるのだ! ついてきたまえよ!」

 博士はきびすを返して歩き始めた。

「え、えっと待ってください」

 わたしは必死に彼女を追いかける。


 こうして、わたしたちは測量の旅に出かけたのであった。


 □ □ □



 わたしたちはあらゆる距離を測り始める。

 色々な場所を、色々な状況で、色々なヒトと測り始める。


 アスファルトより原っぱのほうが距離が長い。

 原っぱより砂場のほうが長い。


 鳥取砂丘は横に長い。

 サハラ砂漠は長すぎる。半分くらいで諦めた。


 フェアウエイよりラフのほうが長い。

 バンカーからは抜け出せない。


 グリーンのカップはどこから測っても遠い。

 ちょっとの距離でも入らない。


 寒い朝は玄関が遠い。

 布団から洗面台の距離が一番長い。

 顔を洗ってしまえば平気になるんだけどね。


 ナゴヤドームはホームが遠い。

 ドラゴンズが攻撃してるときにはさらに遠い。


 独りで乗る新幹線は長い。

 友達とトランプでもすれば短くなる。

 ちなみに岐阜羽島~米原間はどんなときでも短い。


 政治家との距離は遠すぎる。国民の声が届かないほど。

 ワイロを渡せば近くなる。


 時事ネタは座布団が近い。

 とくに紫色の着物にとっては。

 

 月曜日の通勤電車はうんざりするほど長い。

 かといって、金曜日の帰り道が短いわけでは無い。

 楽しく寄り道、夜の街。千鳥足での帰り道。 


 みんなで楽しくお酒を呑んで、気になるあの娘にお近づき。

 翌朝も近くに居られるかは、保証できない。


 測って測って測りまくる。

 

 ちなみに、マラソンはブーイングがひどすぎて3キロ地点で心が折れた。

 

 □ □ □


 色々なところを測っていたら、すっかり日が暮れてしまった。

 わたしたちは測量を終えて帰宅する。


 ここは自宅兼、研究所。

 さっきの河川敷公園のそばの住宅街にある、ごく普通の一軒家だ。


 わたしは夕食の準備を始める。

 タケノコごはんを炊飯器にセット。

 お味噌汁とシシャモ。作り置きのポテトサラダでいいかな。


 炊飯器からほのかな湯気が立ち上る。


 博士はリビングでパソコンとにらめっこしている。

「本日のデータを共同研究者に報告しているのだ。夏に発表する学会の論文を書くのだよ」

 と彼女はいう。

 わたしは、肩越しに画面を覗く。白く広がるテキストエディタに、無数のアルファベットの連続が無機質に並んででいる。


 眩暈がして台所に戻る。


 わたしは英語が分からない。

 ある種のアレルギーなのかもしれない。眺めるだけでくらくらする。

 いや、英語なのかどうかも判別がつかない。フランス語やドイツ語・・・はたまた古代ラテン語なのかもしれない。


 わたしには何語なのかもわからない文字列を、読み下し書きこなしていく博士に、思わず距離を感じる。


 リビングで仕事をする彼女を、わたしはキッチンに隠れて見つめる。

 博士が遠く感じる。

 わたしと博士は同じ屋根の部屋で暮らしていながら、同じ領域の中で生きているわけではない。

 こんなに近くにいるのだけれど、彼女の考えはわからない。

 そんな事実に、一抹の寂しさを抱えるのは、ちょっと罪深いことなんだろう。

 

 貴女はリズム良くキーボードを叩き、わたしの読めない外国語で、わたしの理解できない理論を構築していく。

 貴女は天才で、わたしは凡才で、そういう知性の断絶で、わたしたちは遠く離れている。


 コロコロでなら何キロメートルになるんだろうか?

 測る勇気もないけれど。


 博士の打鍵がピタリと止まる。

 ノートパソコンをパタンと閉じ、わたしに振り向く。


「まーだー?」

「え、はあ、もうちょっとです」

 炊飯器はそろそろ残り五分。

 そろそろ、ししゃもを焼いて、味噌汁を温めなおす頃合いだ。


「えー」

 彼女は立ち上がる。

 わたしが勝手に造ってしまった断絶に気づく様子もなく、お腹をすかした女の子になって、わたしに近づいてくる。

 しょせん、リビングとキッチンは数歩の距離に過ぎないのだ。


「もっと早くならんのかね?」

 彼女はエプロンの裾を引っ張り上目遣いに懇願する。

 望みをかなえてあげたいところだが、

「無理です」

 と答えざるを得ない。


「ここに、『早炊きモード』というボタンがあるではないか」

「その魔法は、この終盤では通用しません」

 彼女はわたしのエプロンを掴みながら、呪うように炊飯器を睨む。


 今、わたしと貴女の距離はとても近い。

 小さなカラダはわたしの手の届く距離にある。少なくとも胃袋は手中にある。


 わたしと貴女は、近づいたり、遠ざかったりしながら暮らしていく。


 貴女との距離の概算。



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