燃える屋敷
真っ暗な夜空が真っ赤に燃えている。白い雪が散らつく寒い夜に王都郊外に建つ貴族の屋敷が炎に包まれていた。
駆けつけた騎士団は圧倒される。ここ数年でも珍しいほどに激しく燃える火災だった。思わずたじろぐ男達へ我に返った騎士団長の怒号が響き水魔術の道具を使える者が消火活動する。
「……酷いな。おい屋敷の所有者は誰だ」
「団長、この屋敷の所有者はゼッコロー伯爵です。夫妻には嫡男と幼い令嬢に使用人が十人ほどいますが、いずれも安否の確認はできておりません」
「襲撃か事故か……物盗りにしちゃ地面の足跡が無いな」
「だとすると単独犯でしょうか」
「警備の固い伯爵家を襲うとしたら相当の手練れだな。総員に告ぐ! 屋敷周辺の散策を二人一組で行え。現場の指揮は各小隊の隊長が取れ! 王都の端とは言え燃え広がったら一大事だ。ここで食い止めるぞ!!」
消火作業開始から数分が経過した。屋敷内に生存者がいるなら救助を急いだ方がいいと騎士団長は己の他に火耐性のある魔術具を装備した者を連れ被害が少ない出入り口を探して屋敷内の救助へ向かおうとしていた。
「団長! 屋敷の裏手に怪しい男の死体がありました。王都に向かって血の跡が続いており副団長と共に探索部隊が追う許可をください!」
「わかった。だが深追いはするな。戦闘になった場合は力量を見極めろ!」
「「はっ!」」
「こっちの火は弱まったぞ! 今から屋敷内の救助に向かう!!」
「待てっ! 火の手の様子が可笑しい……魔術の可能性がある。急いで王宮の魔術師を呼べ!」
現場は騒然としていた。火の勢いは水魔術で弱まったかと思えば、いきなり屋敷を包む火がうねるような動きを見せる。まるで救助に向かう者を拒んでいるようだ。呆然とする騎士団と隊を率いる団長の背後へ音もなく立ち屋敷を痛ましげに見つめる痩身の男が声をかけた。
「状況を報告してください」
「っ!? 消火活動から十分が経過しましたが……火の気配が弱まらず魔術の可能性があり現在調査中です。屋敷内の生存者は絶望的で救助に向かうことも我々には不可能……って将軍!? どこに行く気ですか!」
「決まっています。屋敷の中ですよ」
「無茶はやめてください! いくら貴方でも燃え盛る炎の中は危険すぎます!!」
騎士団長の静止を振り切って将軍と呼ばれたノーキンス・ライヴァールは炎で崩れた正面玄関の扉を蹴り壊した。そのまま燃え盛る壁や柱を破壊しながら屋敷の中へと入って行く。その姿を呆然と目で追っていたが、ノーキンスの破壊消火が功をなしたのか先ほどよりも火の手が弱まってきたので、騎士団長も数人の騎士を率いて救助に向かった。
屋敷内は凄惨な有様だった。刃物で切られたかのような傷跡と大量の血痕。使用人たちは至る所に打ち捨てられ絶命していた。そして階段を上がってすぐの部屋で折り重なるようにして倒れる伯爵夫妻がいる。ノーキンスは変わり果てた妹夫婦を見て静かに涙を零した時だった。
「ぁぁぁぁああ」
二階の奥から幼い少女の悲鳴が聞こえる。騎士達も生存者の存在を確認し急いで各部屋の扉を蹴り壊した。ノーキンスは少女の声に聞き覚えがあった。
それは、つい先日七歳の誕生日会を祝った姪のキィラだ。
ノーキンスは姪の部屋へと急ぐ。廊下の火は勢いを増すばかりで奥の部屋に辿り着くのは至難の業だった。天上が崩れ落ちる。近くにいた騎士達を庇うためノーキンスは拳で燃える瓦礫を粉砕した。破片が近くにいた騎士とノーキンスに降り注ぐ。二人は顔や至る所に火傷を負ったが、そのまま奥の部屋へと走った。
***
燃え盛る部屋の中に充満した黒い煙。ベッドで眠っていたキィラは異変に気づき目を覚ました。咄嗟に飛び起きようとしたが身体は鉛のように重い。毒が回っているのだと本能的に理解した。
(動けませんわね。私に効く毒が、まだあったなんて……)
炎のせいか、毒のせいなのか熱に苦しむキィラは朦朧とするなかで冷静に今の状況を把握しようとした。しかし火の手は増すばかりで室内の息が苦しくなる。ふと意識を手放しかけたその時、既視感を感じて咄嗟に悲鳴を上げた。
「ぁ……あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっ!!!」
頭が割れるように痛い。処理しきれない凄まじい情報量と”前世の私”が”今の私”と混ざり合う。数秒か数分か。時間の感覚がわからないままキィラは叫び声を何度も上げ続ける。
そして、すでに人格もしっかりしていた”今の私”が”前世の私”を取り込むような形で落ち着いたのだった。
(……こんな時に死に際を思いだすのはちっとも嬉しくありませんわ)
息も絶え絶えのキィラは前世の死因を思い出す。年末年始は働きづめで、ようやく休みが取れた三が日に売れ残った正月料理を買い一人で飲んで泥のように眠っていたら住んでいたアパートが放火にあった。そのせいなのか、炎に包まれた状態に触発され前世の記憶が蘇る。
しかし前世の詳細は混ざり合ったせいで殆ど覚えておらず死因以外の記憶は曖昧だが、”キィラ”という名前が引っかかるようだった。いったいどういうことだと悩んでいると慌ただしい声が聞こえる。勢いよく扉が蹴破られ数人の騎士がキィラの自室へ入ってきた。
「こっちだ! 声が聞こえた!!」
「おいっ! どこだ! 返事をしてくれ、助けに来たぞ!」
「ベッドにいる! まだ息があるぞ!」
「急いで運び出せっ! 屋敷はもうもたない!!」
「私が運びましょう。貴女だけでも必ず助けますよ……キィラ」
キィラと名前を呼ばれ、抱きかかえる銀髪の男の顔を見て”前世の私”が反応した。そして一瞬であったが、自室の鏡に映る銀髪金眼の美幼女を見て確信する。
(よりにもよって『黄金の太陽』の”悪役令嬢”に転生なんて悪夢でしかありませんわっ!!!!)
助けられた安堵や毒に侵された身体も相まって受け止めきれない現実へ声にならない悲鳴を上げた後、キィラは限界だった意識を手放す。
次に目が覚めたのは一週間後であり、見知らぬ天上ではなく母の実家であるライヴァール侯爵家の一室だった。