チャンス
「アジサイ、アジサイ、いますか・・・・!」
先日のランプの焚かれた部屋にたどり着いたセレンは、夢中でアジサイに声を掛けた。
「まぁセレン、どうしたの?あぶないわ、こんな時間にくるなんて・・・」
「それが、大変な事になって・・・!」
事情を説明したら、アジサイも驚きに青くなった。
「なんてこと。その茶葉を見せてちょうだい」
アジサイはセレンが差し出したそれを開き、茶葉を検分した。
「これは・・・ミトラスの花だわ・・・・!まってちょうだい」
アジサイは部屋の隅の棚から箱を取り出し中をさぐった。様々な瓶や袋が詰まっている。
「これじゃなくて・・・そう・・・いえ・・・あった!」
アジサイが差し出したものを見て、セレンは仰天した。
「こ、これ・・・は・・・?!」
「ミトラスの花の蜜を吸う昆虫よ。この花は神経を鎮める成分を含んでいるのだけれど、多量に摂取すると人にとって毒になる。だけどこの昆虫だけはその毒を分解する力を持っているの。そのままが無理なら、すりつぶして食べさせてあげて」
セレンは反省すると同時に、アジサイの知識の的確さに驚いた。
「わかりました。貴重なものを、ありがとうござます・・・。このご恩は、忘れません」
「いいのよ。私達は家族なのだから。助けるのが当たり前よ」
「この花の作用は・・・ウツギの者は皆知っているのですか?」
迷ったが、セレンはアジサイにそう聞いた。アジサイはじっとセレンを見た。その表情には怒りはないが、翳りが感じられた。
「そうね・・・私はよく治療に使うわ。ウツギの者しか知らないはずよ」
という事は、姫様に毒を盛ったのは――?
だが混乱した頭では、何も考えられなかった。そんなセレンにアジサイは告げた。
「あなたが疑うもの、わかるわ。以前にも、城の人間を暗殺しようとしたものがいるもの・・・。でも、今回のことは私も本当に、わからないわ」
それを聞いてセレンの脳裏にあの男が浮かんだ。
(アサギリ?あの男が・・・ミリア様を?)
セレンは疑問に思った。彼がミリア様を暗殺するとは思えなかった。彼はむしろミリアネスの後ろ盾を必要としている。
「・・・ごめんなさい、何も答えられなくて」
アジサイはセレンに向かってそういった。悲しみと心配が、その優しい顔ににじみ出ていた。 セレンは首を振った。
「いいえ、アジサイが謝ることではありません。むしろ薬を・・・ありがとうございます。このお礼はいずれ!」
セレンは息が上がるのもかまわず山を下った。足が痛み呼吸も辛かったが、もはやどうでもよかった。
(急がないと、急がないと・・・!)
身体にムチをうつような気持ちでセレンは城の裏側の崖までたどり着いた。
(あ・・・シザリア!)
セレンが戻ってきたのをシザリアは確認し、窓からするすると布を裂いて作ったロープを下ろした。
(さあ、上がってきて!)
セシリアが身振り手振りでそうセレンに合図した。
セレンは登ってすぐさま包みをシザリアに渡した。
「これで解毒にはなると、アジサイは言ってた・・・。あとはシザリア、お願い」
「わかった。でも万が一の事があれば、私は城の医師をたよるわ」
たしかに、この薬が効かなかったとしたら・・・。セレンはうなずいた。
「そうね。いよいよとなったら姫の命が優先だもの・・・」
もし、姫が命を落としでもしたらそれこそ大変な事になる。
その時、ドンドンとドアを叩く音がした。
「まだ、あんまはおわらないのですか!?もう時間が・・・!」
兵士の切羽詰った声が聞こえた。
セレンはすばやくシザリアと目をかわしたあと、すぐさまドアを開けて外へ出た。
「早く!もう御前会議が終わる・・・!」
兵士は乱暴にセレンの手をつかんで走り出した。
「はぁはぁ・・・こんなことは、これっきりにしてもらうぞっ!今回だけは許したが・・・」
門に戻った兵士は、小声でぶつぶつとセレンを叱った。しかし、その表情はどこか後ろめたいところがあった。
(シザリアに心づけでも渡されたな)
セレンはそう察し、口裏を合わせるためしおらしく頭を下げた。
「申し訳ありませんでした・・・。なにしろ姫さまがとてもお疲れで。お癒しするのに思いのほか、時間がかかってしまって」
男はふうと息をついた。
するとその時門の扉が開き、団長が出てきた。
(・・・かなり、間一髪だったな・・・)
セレンはそう思ってひやりとしたが、おくびにも出さず団長の後ろへとついた。
「ごくろう」
団長は一言兵士に声をかけた。
「はっ」
兵士は頭を下げていて表情はよくわからない。だが今日の事を告げ口はしないだろう。心づけをもらっている以上、自分が不利になるからだ。
(団長さん、いくら私を締め付けても、抜け穴は必ず存在するんですよ)
セレンは胸の中で彼に向かって嘲笑した。とその時、団長が少し足を踏み外してよろけたのでセレンは驚いた。
「どうしたんです」
「・・・うるさい。しゃべるな」
そのイライラした声は、少しざらついている。
(今日の会議は、やけに長かったな・・・。何があったんだろう)
その理由は、寝る前にわかった。
今日は彼に言われる前に、セレンは手首を差し出した。とにかく心身ともに疲れていてさっさと横になりたかったからだ。
「・・・なにも持ってはいないな?」
彼は縄で手を縛りながら言った。
「ええ、持っていませんけど」
その時セレンは、彼からいつもはしない匂いがすることに気がついた。
(あ・・・酒の匂いだ。この人、酔ってるのか)
彼はすぐ横になって寝入ってしまった。セレンはそれを見てムカムカした。
脳裏にミリア様やアジサイ、兵士にひきずられていた女の人の姿が浮かんだ。
(会議で酔っ払うなんて、いいご身分だな。・・・この人たちの下で、どれほどの人が苦しんでいるのか知りもせず)
だが彼が下戸であるという事がわかった。一つ、彼の弱点を見つけた。と、セレンは思った。
(姫さま、ご無事だろうか・・・。この目で確かめたい)
もう一度ちらと団長を見たが、セレンはぐっと我慢した。
(いや・・・やめておこう。ここで捕まったら、なにもかもばれてしまう。今はシザリアに任せるしかない。彼女なら、大丈夫・・・)
セレンは再び諦めて、床に横になった。
それからは、特に事件もなく数日が過ぎた。姫に関する重大ニュースも聞こえてこなかったので、とりあえず安心したセレンだったが、常に抜け出す機会はうかがっていた。
が、なかなかそのチャンスも訪れない。団長はセレンが掃除などの雑事をすることも禁じていた。
会議のない日は、団長は一日、兵舎で指導などしてすごしている。その訓練は熾烈を極めていて、荒野育ちのセレンでも思わず目を背けてしまいたくなるような光景だった。
(これをずっと見させられるのも、一種の脅しのつもりか・・・)
その推測が当たっているかはともかく、セレンは彼らを見るにつれムカムカと腹が立つようになっていた。
(イベリスの重装歩兵は最強、って言いたいのはよーくわかりましたよ。その最強の兵が、無抵抗のウツギの民を殴って、翠玉を巻き上げているわけだ・・・)
翠玉だけではない。贅沢三昧をしている宰相に戯れに奪われたリンドウ。ずっと隠れて、洞窟から出れない生活を送っているアジサイ。彼女の手はいつも冷たく、その手は常に青い血管が透けて見えるほど、白く細かった。
物だけではない。ウツギの人々のまともな暮らしを、幸せを奪ってイベリス人はここに君臨している。
(汚いやつらだ、自分の力で富を得ようと努力せず、他人のものを奪ってこの国は成り立っている。こいつら全員盗人だ)
セレンが胸の中でそう罵倒していると、ふと見慣れぬ男が目の前に立った。
(誰?兵士じゃなさそうだな)
怪訝な顔で見つめるセレンに、男は声を掛けた。
「お前が、セレンとかいう侍女?」
男が少し困惑気味にそうたずねたので、セレンはうなずいた。
「そうですけど・・・」
すると気がついた団長がやってきた。
「こやつに何用だ」
「トラディス様。王の命で、こいつを城へつれてこい、と」
「それは・・・どういう事だ?」
「后様のご希望のお召しで・・・。ですがこの女は疑惑があるので、陛下自らが見て確かめると仰せで」
団長はしぶい顔でため息をついた。思った以上にあの后は王に対して影響力があるようだ。
(その上陛下は人のいいところがある。こやつを見たら、同情して話を聞き入れてしまうかもしれんな・・・まったく、トリトニアの女は・・・)
しかし敬愛する陛下に危険が迫るのを防ぐのは、自分の仕事だ。
「わかった。だが俺も同行させてもらう。いいな?」
ジェイルはうなずいた。
「ええ、それはもちろん」
2人の男について城まで歩きながら、セレンは内心快哉を叫んでいた。
(やった!さすがミリア様。王におねだりが出来るくらいには回復しているんだ、よかった・・・・)
大して団長は厳しい顔をくずさなかった。
「お前がセレンとやらか」
到着したセレンを見て、開口一番に王が言った。セレンは初めて彼を見て、意外な印象を受けた。
(・・・もっと、血も涙もなさそうな悪い男を想像していたけれど・・・)
確かに壮年の王は強面で精悍に見えたが、ミリア様が隣にいるからか、くつろいだ表情だった。
ミリア様は普段と変わらない様子だったので、セレンはとりあえず胸をなでおろした。
「聞くが、お前はウツギなのか?」
セレンはできるだけ優雅な動作を心がけながら礼をした。
「私なぞにお声を掛けていただいて光栄です、陛下。私の出自ですが、ウツギではございません。生まれはベルニーザ領に近い辺境と聞いております」
セレンは王をまっすぐ見て出自を語った。
(嘘をつくときほど、相手の目をまっすぐ見ろ、疑われにくい――そう教えてくれたのは、一座
の誰だったかな)
セレンは言いながらふとそんな事が頭によぎった。
「両親は?顔を知らないのか」
「その通りでございます。両親は食い詰めて私を売ったそうです。物心ついたときには難民の一座におりました。そこの大人から、私は辺境の出身だと教えられました」
「それでは、確実な証拠と呼べるものはないのだな」
セレンは目を伏せた。
「はい・・・本来ならば、こうして陛下や姫とお話できるような身分ではないことだけは、たしかですが・・・」
「お前は曲芸ができると后は言っているが、本当か」
セレンは頭を少し下げた。
「陛下のお耳に入れていただいているとは、おそれ多いです。一座で披露していたつまらないものですが、いくつかできます」
王はうなずいていった。
「実は、近々催しがあってな・・・。それの目玉となる出し物をちょうど探しているところだ。お前の曲芸とやらがそれに値すれば、褒美として姫の侍女に戻してやっても、良いのだが」
それを聞いて、団長が抗議の声を上げた。
「危険です、陛下!こやつがウツギでない証拠は、何一つない!」
王は方眉を上げた。
「トラディス。彼女を調査して、ウツギであるという証拠は見つかったのか?見つからないのなら、働かせるに越したことはなかろう?わが国には人材が不足しているのだから」
団長はぐっとつまった。自分達がふがいないといわれている気がしたからだ。
結局、王とミリア姫、団長の居る前でセレンは芸を披露することになった。
セレンにとってはこれ以上ないくらいのチャンスが、金の皿に置かれて差し出されたようなものだ。
(最高の芸を見せて、王を納得させなければ)
せっかくミリア姫が作ってくれたチャンスだ。この際なりふり構ってなぞいられない。
セレンは気合を入れてドレスのすぞをまとめ、動きやすいよう短くまとめふとももの付け根で固くしばった。
セレンはチラと天上を見た。
(よし、高い。これならトンボも余裕で切れるな)
ミリア様も、王も、そして団長もセレンに注目している。彼の視線は痛いくらいだ。
そんな中セレンは片膝をついて口上を述べた。