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不滅の誓い  作者: 小達出みかん


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そうだ、私がやればいい

外の井戸でトラディスは頭から水をかぶった。


(あいつめ、妙な手を使いやがって)


 彼女が投げたそれを顔全体にかぶってしまったので、目や口がひりひりと痛んだ。肩の傷は大したことはない。体に力を入れて一太刀を跳ね返す術は、イベリスの男なら皆小さいころに叩き込まれる。セレンが自分に一太刀を浴びせたほうが驚きだった。彼女の体の軽さと速さに、一瞬圧倒された。彼女が飛び込んできたその時、まっさきに自分は彼女を取り押さえなければならなかったのに、一歩遅れた。


(あの時俺は…ためらったんだ、なぜだ?)


 ぺっと地面に水を吐きながら、トラディスは考えた。


 まっすぐに自分の腕に飛び込んできたセレンを…傷つけることができなかったのだ。そのおかげであの粉を浴び、結果的にセレンに刃を浴びせることになった。


(戦闘中に、俺はとんだ腑抜けだ)


 トラディスはそう自分をののしった。が…気にかかるのは、彼女につけてしまった傷のことだ。


(そう深くは切っていないが、とっさのことで手加減ができなかった)


 いくら裏切られても、歯向かわれても、彼女を目の前にすると憎むことができない自分に、トラディスは困惑していた。


(なぜだ…こんなことでは、困る。俺は陛下のための、兵団長だというのに…!)


 一番最初、橋の上で彼女の刃のような鋭いまなざしを受けたときから、トラディスは彼女から目が離せなくなった。女だてらに剣を差す奇異さと、間諜の疑いがあったから―だけではない。何か強い力にとらわれてしまったのだ。それが好意なのか嫌悪なのかわからないほど、有無を言わせない力に。疑いのかかる彼女を手元に置いたあの数日間は、それは嫌悪だと思っていた。自分についてくるセレンの足音を聞くとき、床に横たわる彼女の気配を感じたときに湧き上がる衝動は、憎しみゆえだと。自分の立場なら、彼女をどうにでもできる。食事を与えずとも、拳を振るってもいい。また、シャルリュスのような男がするであろうことも―…そう想像する自分に、トラディスはぞっとした。今までの自分からは考えられないような卑劣な考えだ。だが、一人懊悩を抱えるトラディスを軽々と飛び越えて、セレンは后の侍女の座へ戻った。鳥のように舞う彼女の、なんと人間離れしていたことか、美しかったことか…。

 だがトラディスは彼女とどう接するか決めかねていた。今更、彼女を素直に賞賛することなど、できなかった。だが彼女が他の男と接しているのを見ると、わけもなくいらだった。


 暗殺さわぎの激務を日々こなすうちに、ふってわいたようにトリトニア行きが決まり、そのころにはもう、彼女と旅に出れることに喜びを感じている自分がいた。

 

だが、セレンは始終不安な顔をして沈んでいた。あんなにも隙を見せなかった彼女がそんな顔をしている姿は、トラディスの胸をかき乱した。そしてまた、居酒屋のランプのしたで見る彼女は近くて美しく、理知的に意見を述べる怜悧さには驚かされた。トラディスが抱えていた憂いに対する答えを、彼女は見透かしたようにくれたのだ。

 

 今でもはっきりと目に浮かぶ。怖い夢を見て不安だと怯えるセレンの目。震える細い肩。そしてトラディスが、思わず自分の心の内をもらしたときの、表情…思い出すたびに、トラディスの胸の内は冷たくも、熱くもなった。


(俺がずっと見ていたと知って、あれはどう思っただろうか。何も感じなかっただろうか。それとも少しは、俺のことを――)


 だが。トラディスは夜空に聳え立つ山脈の尾根を見上げた。


(あいつは…敵なのだ。イベリスと陛下に害をなす存在)


 最早トラディスの感情で片付くことではない。


(彼女を尋問せねば。叔父上を殺した件と、ウツギの長の居場所について)


 切り替えられない心を、トラディスは無理やり殺した。そして厳しい面持ちで、兵舎へと戻っていった。




 セレンは動物のように体を丸めて硬い牢の床の上に横たわっていた。焦りと後悔と悪寒が、その体に渦巻いていた…


(体がいたい…それよりああ、ミリア様…お救いできなかった…)


 それどころか自分まで捕まってしまった。まだ命はとられていないが、どうなるか…。とその時、突然耳を切り裂くような爆発音が聞こえた。


(!?)


 セレンは上半身を起こした。が、ここは一番地下の牢で、窓も鉄格子もない。出入り口は天井の重たい扉だけだ。外で何が起こったかなど、わかるはずがない。

 だがしばらくすると、扉の付近からカチカチという音と、声が聞こえた。


「こうかな…わっ、すごい、本当にあいたよ」


 ギイと重たい音がし、天井の扉が開いた。


「セレン、ぼくだよ!早く出て!」


「ハエ!?どうやってここに…兵士たちは?」


「軽い爆発と、少し倉庫を燃やしたから皆そっちへ消火にいったよ!今のうちに、はやく!」


 その抜け目なさに、セレンは舌を巻きつつ、痛む腹を押さえながら牢を脱出した。


「ハエ、ミリア様を助けにいかないと」


「今は無理だ。后さまはもう牢にはいない…たぶんまた、他の場所へ移されたんだ。セレンが助けにこれないように。でもとにかく、あと三日間は后様の命は保証される」


「3日間?なぜ」


「今日、トリトニアから使者が来て、条件をつけて帰ったらしい。その回答期限が3日だって、兵がしゃべっているのを聞いたから」


 セレンは唇をかみしめた。その三日間の間に、どうにか…!


「セレン、しっかり!僕が戻ってきたのは、アジサイ様を助けてほしいからなんだ、いこう!」


 森への道中、ハエはわけを話した。


「ウツギの人達は、戦が始まること以上に半狂乱になってた…アジサイ様が、地下にいってしまったんだって」


「地下って、アジサイは常にそこにいるはずだけど」


「そうじゃなくて、洞窟の一番下に行ってしまったんだって。神様と契約するとかなんとか、スグリさんが言ってた。で、肝心なのが、そこで契約すると…」


 セレンは全身から血の気が引いた。


「――命と、引き換え」


「そうなんだ…生きている身でそこに入ることができるのは、巫女だけなんだって?セレンは巫女の血筋なんでしょう?だからセレンをよんできてくれって、頼まれたんだ。行って、アジサイ様を止めてほしいって。だからセレン、行ってあげてよ。ぼく、姉さんに会ったんだ…」


「姉さん?」


 セレンはよくわからず聞き返した。


「うん。ママがウツギの村にいたときの子…僕がリンドウの息子だって言ったら、スグリさんが会わせてくれたんだ。ママに…似てた。彼女も、アジサイ様を助けたいって泣いてた…」


「そうだね、ウツギの人たちにとって、アジサイは母のようなものだから…」


 森の入り口で、ハエはセレンに翠玉を返した。


「さあ、セレン、行って。これが必要なんでしょ。洞窟を下るには」


「そうだけど、ハエ…あなたはこれからどうするの?外へ、逃げるんだよね?」


「ううん、ぼくもウツギのために働く。ママがしたように。ママは死んだけど、姉さんには生きててほしいから」


 きっぱりそう言い切った彼に、もう子どもの面影はなかった。セレンはその選択を尊重しようと思った。



 地下道を一歩歩くごとに、腹の痛みが響いた。だが立ち止まることはできない。セレンは歩きながら頭を振った。


(戦が始まるまでは、ミリア様は生きている…今は、アジサイを助けることを考えないと)


 セレンはあの不吉な夢の事を思い出した。「ここは、すべての願いがかなう場所」、アジサイはそういっていた。


(アジサイは、戦が起こっても誰も傷つかずにすむように…ウツギの民の無事をかなえるために、地下に降りたんだ…たぶん)


 女神様はその願いをかなえてくれるのだろうか?アジサイの命と引き換えに…?そこまで考え、セレンはぞっとした。


(だめだ、そんな事…たとえそれがかなうとしても、アジサイが死んではいけない)


 しかし、いくら血が近くても、巫女ではないセレンがその最深部にたどり着けるのだろうか?アジサイを助けられるだろうか…?セレンは無意識に、ぎゅっとてのひらの翠玉を握り締めた。するとそれはとたんに熱くなった。あわてて手を開くと、その輝きは、白から青色に変わっていた。その青色に呼応するように、セレンの足元の地面がぼうっと光った。そしてその青色は道を示すように、どんどん先の地面へ映りひろがっていった…まるで、はやく先へ進めといっているように。


 あまりに奇妙なこの現象に、セレンは驚いて立ち止まった。


(これは、一体…?もしかして)


 自分は、呼ばれているのだろうか?地の底に。何かが手招きしているような気配を、セレンは感じた。その瞬間セレンの脳内にぱっと天啓のように一つの考えが浮かんだ。


(私が、最深部に踏み込む資格があるのなら――私も「契約」ができるのではないか)


 アジサイのかわりに、自分が契約する―…。

 神なのだから、人間には不可能な願いだって、かなえてくれるはずだ。


(たとえば…戦をとめて、ミリアさまやウツギの人々を救って、そして…幼い姫たちやハエも、争わずに助けてやりたい…)


 虫のいい願いだ。人の身では、どう考えても皆の命を救うことなどできない。ミリア様一人でさえ、さっき自分は救えなかった。だが、人ならざる力なら…。


(無理なことも、かなうかもしれない)


 そのために支払う代償なら、安いものだ。アジサイやミリアネスと違い、セレンは換えのきく人間だ。死んでも困る人は誰も居ない。


(これで、アサギリとの誓いも果たせる。待っていて、皆…きっと助けるから)


 セレンは確信を持って、青く光る地下道を歩いた。その目には、強い決意があった。



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