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故国を出て

その晩、夜空にはまばゆいほどの星が輝いていた。


「きれいだね、セレン」


「ええ、シリル様」


 セレンは車輪つきの椅子をテラスの中央で止めた。星が良く見えるように。


「君とこうして話すのも今夜が最後か・・・。準備はもう、終えたのかい?」


「ええ、すべて整って、ミリア様はもう身体を休めておられます」


「淋しくなるね・・・どうか、気をつけて」


「はい。姫さまをお守りするよう、全力を尽くします」


「ねぇ、セレン」


 シリル王子がセレンにそう呼びかけたので、セレンは腰掛ける彼の前にひざまずき目線を合わせた。 


「なんでしょう、シリル様」


 星の光を映す彼の水色の目はとても美しく、セレンは一瞬、その輝きに見とれた。


 この4年間、ずっとそばで見守り続けた光。セレンの惨めな人生を変えるきっかけをくれたのは、彼だった。


(ずっと・・・ずっと、好きでした)

 

今夜を最後、もう二度と彼と会うことはないだろう。だがセレンはその言葉を飲み込んだ。彼に心を捧げる娘など、この城には掃いて捨てるほどいるだろうから。それに・・・


(一介の侍女がそんな事を言っても、シリル様を困らせるだけ)


 しかし、シリルはそんなセレンの目をとらえて言った。 


「ミリアだけじゃない、セレン、君もだ。僕は君にも、生きていてほしいんだ。」


 その力強い眼差しに、セレンは圧倒された。


「シリル・・・様」


 シリルはセレンの耳元に顔を近づけてささやいた。


「どんな役目かは知っている。だからこそ、いやなんだ・・・父上の野望のために、君たちが危険な目に遭うのは」


 近くで見交わすその瞳には、憂いがにじんでいた。


「ぼくは、ミリアと君のおかげでずいぶん、救われたんだ。君を失うのは・・・辛い」

 

「シリル様・・・わ、わたくしこそ。私こそ、あなたに救われました」

 

シリルは優しくセレンの頬に手を添えた。


「先行きが短い僕の変わりに・・・セレンたちにはずっと元気でいてほしかった。なのに・・・」

「何をいいます!私もミリアさまも、ずっとあちらの国で元気に生き長らえますよ。もちろんシリル様も。たとえ・・・遠くはなれていても」

 うそとわかっていながら、セレンはそう明るく言った。

 シリルもそれはわかっている。ただ悲しかった。危険な地に足を踏み入れる彼女たちを、ここで見送ることしかできない自分が。


「セレン。今まで世話になった・・・どうか気をつけて」

 

 彼の眼差しを正面から受けて、セレンは頬を染めてうつむいた。が、すぐに彼に向き直った。


「ありがとうございます。シリル様。あなたのおかげで、私は・・・」

 

 だがあふれそうになる熱い思いを、セレンはおしとどめた。

 それは口に出して良いものではない。

 だからかわりに出てきたのは、行き場を失ったため息だ。


(おやさしいシリル様。妹のミリア様だけでなく、私の身も本気で案じて下さっている・・・でもそれは、私を妹のように思ってくださっているから。決して女としてでは、ない)


 セレンは悲しいほどそれをわかっていた。

 そしてシリルも、彼女の気持ちをわかっていた。シリルは彼女らの出発をとめる力のない自分を、悔しく、そしてまた悲しく思った。


(すまない・・・君の気持ちに、自分は答えられない。その上、敵地に送り出す立場だ・・・・)


 お互い、もう言葉は口に出せなかった。だからシリルは、ただ彼女の頬に、キスをした。親愛と別れの気持ちのこもったキスだ。

 セレンにはそれで、十分だった。


 星降る夜、シリルの夜空を映した瞳、そしてその柔らかく温かいキス・・・ セレンは今の事をずっと覚えていようと思った。

 明日以降、辛い目にあおうとも、最後の瞬間を迎えても、その思い出はきっとセレンを元気付けて、前へ進ませてくれるだろうから。



今日、晴天の佳き日、西の大陸を一手に占める新トリトニア大公国の一族の姫、ミリアネスは東の新興国家、イベリス王国へ嫁ぐ。

相手は、イベリスのトルドハル王だ。


「セレン、そんなに何を見ているのかしら?」


「いえ…ミリア様、朝日がきれいなもので」


「あら…本当ね」


 はしばみ色の瞳を馬車の窓の外に向け、もうすぐ后様になるミリアが微笑んだ。

 だがその微笑みはどこか悲しげだった。

 きっと考えているのだろう、永遠に後にした故郷の事を。


「ミリア様でも、不安にお思いになる時があるのですね」


 もうひとりの侍女、シザリアが案ずるように言った。


「あら…そんな風に見えたかしら」


「はい。…いつも見ていますから、私達は」


 とたんにミリアは盛大にため息をつき、体勢を崩し天鵞絨のクッションの上に頬杖をついた。


「セレンとシザリアの前で澄ましたってしょうがないわね・・・。さすがの私だって…こんな時は少しくらい緊張するわ」


「一世一代のお輿入れになりますからね」

 シザリアが言ったので、セレンもうなずいた。


「そうね。前代未聞だわ。まさか私が山の中のイベリスに嫁ぐことになるなんて、トリトニア中が仰天でしょうね」


 半ば低い声で姫がつぶやいた。セレンもそれにこたえて声を低くした。馬車の中は3人きりとはいえ、外に聞こえないとも限らない。


「ええ・・・てっきりミリア様は、リオーズ公かベルニーザ公とご結婚すると思っておりました」


「あちらでも、そう思っていたでしょうね・・・そういうしきたりだもの」

 

姫の言うとおり、新トリトニア建国以来、それは繰り返されてきたことだった。

 

 ミリア姫の父―13代目ガウラス大公の祖先、初代ガウラス公は、野心に燃える男だった。政治の腐敗により一部の貴族が富をもてあまし、無意味な戦ばかりを繰り返す祖国、旧トリトニア王国に見切りをつけ、旧トリトニアが建国して以来誰も踏破したことのない白霧山脈を越え、「神に見捨てられた地」である未開の西の地を目指すことを考えた。

 

 山脈は長きに渡って人の手が入らず、入ったら二度と出てはこれぬ森、時折火を吹き上げる山、そして太古の力を持つ原住民がいるとされ恐れられていた。

 初代ガウラス公は配下を従え、一か八かの思いで森へと足を踏み入れた。彼らはいずれも知恵と勇気に恵まれていたので、命を落とさず山脈を越えることに成功した。

 

 その先に広がる西の地は広大で、建国までには容易ではない道のりがあったが、初代ガウラス公は自分の国を持つという一念で開拓を成し遂げた。

 

 そして白霧山脈を一緒に越えた配下のリオーズ、ベルニーザにそれぞれ北西と北東の土地を与えおさめさせ、自分の直轄地を一番温暖な南海岸地に定め、自らは王ではなく大公と名乗り、新トリトニア大公国を建設した。

 

 それ以来、ガウラ大公の娘はリオーズ家かベルニーザ家に降嫁することとなっていた。国内の変わらぬ友好関係を保つためと、いざという時の世継ぎの候補を絶やさないためだ。

 

 セレンが想像もつかないほどの昔から、それは決まっていたことだった。歴代ガウラス公たちの巧みな政策により、大きな戦もなく、さまざまな産業や経済が発達し、新トリトニア大公国は栄えていた。

 

 一方、イベリスはここ数十年で台頭してきた新しい国だ。

 新トリトニア大公国建国以来、先例ができたせいで命からがら山脈を越えてくる者は少なからずいた。

 

 しかし兵力・知力・経済力どれもガウラス公にかなうような者はおらず、山脈付近の辺境の地に寄せ集まり細々と暮らしていた。だがその数もふくれあがった5代目のガウラス公の時代に、彼はこれらの者もトリトニア公国の一部として、間接的に治めようと乗り出した。

 

 辺境を治めるに足るものをその中から選出しようと5代目は考えたが、それが長く続く揉め事の発端となった。

 

 その座をめぐって辺境の者たちの間で争いが勃発し、今にいたるまで完全な解決を見ていない。辺境と地続きの地を治めるベルニーザ家が臨時の辺境伯を派遣することによって、とりあえずの措置としている。

 

 だが12代目ガウラス公の時代に新しい風が吹き込む。山脈の向こうから、新たな強い民族がやってきたのである。

 

 この大陸でも屈指の戦闘力を持った彼らは、制するのが不可能と言われていた山脈の原住民を制圧し従え、「イベリス王国」を名乗りその地に居座った。

 

 そして、その原住民は信じられないような宝を持っていた。イベリスの者は今まで誰も知らなかったその宝を白日のもとに晒し、略奪することにより、今や大きな富を得ている。

 

 ガウラス大公が脅威に思っているのは、彼らの存在そのものだけでなく、辺境のものたちが次第にそちらに飲み込まれそうになっていることだった。

 

 ベルニーザ家の辺境伯は、日に日にその地を治めるのが困難になってきていると報告してきていた。

 

 イベリスといえば旧トリトニア王国の時代から、最強の兵を育成していることで有名であった。

 

 しかし山脈の向こうで繰り広げられた長年の戦いに敗れ、後のない状況で山脈攻略に挑み、見事国として息を吹き返した。

 

 イベリスは今勢いに乗っている。そして強い兵を持つ。

 

 新トリトニアが彼らに対抗するために、どうすれば良いのか。

 

 その方策が、公の一人娘、ミリアネス姫をイベリス王に嫁がせることであった。


「…これからの生活を思うと、正直、辛いわ」


「そうでございましょう、ミリア様…ですが、私たちがついております」


 セレンは姫の手を握り言った。今回の輿入れは数百名の兵士を連れた大行列であったが、イベリス国に連れて入れるのは2名の侍女と数頭の馬だけなのである。あとは引き返さねばならない。


「あちらには商人も吟遊詩人もいなければ、外に自由に行き来もできないのですってね」

 

 イベリスは白霧山脈の山中、古森の広がる地を開拓して城郭都市を築いた。

 天然と人口入り混じる城壁に囲まれたその国は、出入りが厳しく制限され、中の様子は謎に包まれていた。


 だが、セレンはおぼろげながら覚えていた。響く怒号、ゆれる大地、急峻な山道を一人で降りた、あやうい足裏の感覚。 


「…本当は、セレンのほうが不安なのではないの?だってあなたは…」


 イベリスが原住民から奪った宝。それはかの山から大量に採掘される希少な輝くジュエルだった。

 それを採掘しているのは「ウツギ」と呼ばれる原住民だった。

「そうですね。もしかしたら、着いたとたんに私は鉱山に放り込まれるかもしれません」

 

冗談半分にセレンが言うと、シザリアは不安気にセレンを見、姫様は怖い顔をした。


「なんて事を言うの。あの鉱山の空気は、西に居た人間に耐えられるようなものではないのよ。きっとすぐに死んでしまうわ」

 

そしていつもの癖で、口元に指先を押し当て、閉じ込めきれない不安を抑えるようにして姫様は口を開いた。


「だめよセレン。やはりあなたは来てはいけないわ。今からでも間に合うわ、戻るのよ!」

  セレンは姫様の瞳を見つめ、ゆっくりと、何度も繰り返した事を口に出した。


「いいえ、私は何があっても姫様をお守りするためにここにおります。それが私の望みなのです…それに」


「それに?」


「この任に適任なのは、私をおいて他にはないでしょう。大公もそういったお考えです」


 イベリスの建国により、ウツギの民は迫害を受けた。土地もジュエルも取り上げられ、奴隷として支配される生活が始まった。


 西へ散り散りに亡命したウツギもいたが、ほとんどの者はそれがかなわなかった。イベリスは彼らを支配し、逃亡する事を許さなかった。「ウツギ」の一族を利用すれば、彼らは命を危険にさらさず、採掘された輝く石を手にすることができたからだ。


「セレン…」

 

 セレンは辛くも、イベリスから逃げ延びたウツギの一人だった。

 すでに両親の顔など覚えておらず、ただ追われて必死に逃げたという記憶しかない。

 生まれ故郷とも、戻りたいとも思わない。そんなセレンがこうしてついてきたのは、ガウラス公の命令という以上に、ミリア姫を守りたかったからだった。


「わかったわ、セレン…でも…気をつけてね」


「姫様、心配のしすぎです。たとえ私が逃れた『ウツギ』の一族だと露見しても…」


 セレンは笑って先を続けた。


「姫様のもちものに手を出すような不届き者はいない筈です」


「そうかしら?セレン、呑気すぎるわよ」


 姫様が目を細めた。何かを推量するときの彼女の癖だ。


「いくら私の後ろ盾に父上がいるといっても、イベリスにいったん入ってしまえば孤立無援のようなものよ。あそこは外からの出入りが厳しく制限されている国なのだから。情報もほとんど入ってこなければ、出ても行かない。城壁の中で本当は何が起こっているのか、わかったものではないのよ」


「つまり、どんな事も起こりえるという事…でしょうか」


「そうよ。…身の処し方に気をつけなければ、命が危ない…いいえ、私たちは西からあの国へ乗り込むという時点ですでに危険だわ。十分に気をつけて父上の『宿題』を済ませてしまわなければ」


「そうですね・・・ミリア様のお身が、私も心配です」


「まぁ、そんな難しい顔をしないで。私は大丈夫よ。疲れたら、またシザリアのお茶を飲んで、セレンに按摩してもらうから」


その冗談めかした笑顔に、2人ともつられて笑った。


「ええ、おまかせください。お疲れを完璧に癒しますから」

 

 13代目トリトニア大公ガウラスが、娘のミリアネスを東のイベリスに嫁がせた本当の理由は『敵状偵察』だ。

 誰もが、あの鉱山を狙っている。

 だが、「宝の山」と呼ばれるその鉱山の全貌は、西の国々には明らかになっていない。採掘方法も鉱山の規模も謎につつまれている。

 

 ミリアネスに与えられた「宿題」は、とても危険なものであった。

 セレンは数ヶ月前、ガウラス大公の執務室に呼ばれた事を思い出した。

 執務室は城の中心部にあり、高価なガラスをふんだんに使ってあるその部屋からは、トリトニアの城下街を一望する事ができた。

 

 窓を背景にどっしりと腰掛けた公は、まるで夕陽を背負っているかのようだった。「トリトニアのオレンジ」と讃えられる見事な夕暮れを。セレンは胸が締め付けられるようだった。

 太陽の国、トリトニア。小麦色の髪に輝くような無邪気な笑顔のミリア姫。


(それらが全て、もうすぐ見納めになるだろう。なぜなら…)

 

 そんなセレンの想いを読んだかのように、公は重々しく口を開いた。


「身分もない、一介の護衛に過ぎないお前を、腹心の侍女として姫に同行させる理由はわかっておろう」


「…はい」

 

 とたんに、公は睨むのをやめ、一見陽気な顔つきになり言った。


「よろしい、よろしい」

 

 そしてスッと目を細めた。


「お前の生まれを利用し、ウツギの一族と接触をとるのだ。だがよいか、それをイベリス側の連中に気取られぬようにするのだ」


 わかってはいたが、その命令に、セレンの表情は強ばった。


「ここ数年、イベリスの行状は目にあまる。辺境のもの達が彼らになびく気配を見せ始めている。辺境の地とてこのトリトニアの地。奪われるわけにはいかん。もしあの地が奪われれば、彼らはそれを足がかりにこちらを攻めてくるだろう…何としても防がねばならん。

 わしも戦はしたくない。だがしなくてはならないのなら、確実に勝てるように手回しをしておきたいのだ。

そのためには、まずウツギを抑えたい。ウツギに裏切られるのは彼らにとってはかなりの痛手だろう。それで富を得ているからな。

 わしの耳に入った情報によれは、ウツギの民は今一千人ほどで、長は女らしい。かの民は、我々が太古に失ってしまった、原始的な力を持つという…。ジュエルとその力、勝利への布石としてぜひ仲間にひき入れたいのだ」

 

 ガウラスはセレンに語った。かの民は、我々がこの地に来るよりずっと昔に白霧山脈の中で石を見出し、祀っている。その石を祀ることによって不思議な力を得て、その宝石と同じ色の目を持ち、黒髪に抜けるような白い肌になった。だからそれ以前の彼らの姿は誰も知らない…と。

 だがセレンは少し首をかしげた。 


「御伽噺のようなお話ですね」


「うむ。どこまで神話で、どこから現実なのかわしもわからん。ただその特徴はお前にも現れている」


「私に不思議な力などありませんが…」


「お前のずば抜けた身体能力はその力ではないのかね?」


 たしかにセレンは身体を動かすことが得意だ。だがそれは幼いころ血の吐くような努力で身に着けたもので、不思議な力などは断じてない。


「お言葉ですが…私の技は、訓練して出来るようになったことで、何も特別なことではないのです」


「そうかね。だが、目の色は合致している。青いあの石と、全く同じ色だ。初めてミリアネスがお前を連れてきたとき、わしはそれに気づいたのだよ。それ以外の特徴はないがな。だがそれでかえってあちらに見破られることもなかろう。好都合だな」

 

 セレンの目は珍しいほど深い青色だ。しかし、長年野外で生活してきた肌は日に焼けて白いとはいいがたく、元は黒かった髪も赤茶けている。これではウツギには見えないだろう。


 だが目だけは変えられない。セレンはたずねた。


「目の色から見破られる可能性は、ないでしょうか」


 大公は少し考えてから言った。


「そうだな…少数だが、藍色の目のものはトリトニア人にもいる。心配なかろう」


「その青い石・・・ジュエルというものは、実際にはどういうものなのでしょうか」


 大公は眉を上げてセレンを見た。


「お前はウツギながら、何も知らないのだったな」


「・・・申し訳ありませんが、逃げ出す前のことはほとんど覚えていなくて」


「まぁ、さもあることだ。見せてやろう」


 大公はそう言って机の引き出しから皮の箱を取り出した。

 ふたをひらくとそこには輝く大粒の宝石があった。深い青色をしたその宝石はうつくしい形に切り出され、差し込む夕日をとらえて七色に輝いている。

思わずセレンは見とれた。

 

そして確かに自分の目の色と似ていると思った。藍に近い、濃い青だ。


「たしかに見事な宝石ですね」


「そうだ。ここまで大きく完全な宝石は、この大陸でこれが初めてだろう。わしは見たことがないが、自ら光を放つジュエルもあるらしい・・・イベリスの者はこれらを山脈の向こうの貴族たちに高く売りつけて、富を得ている・・・こちらでも法外な値段で取引を行っている。欲しがるものが多いせいでどんどん値段は釣りあがって天上知らずだ。いまいましいことに」


「そうですね」

 

 青い石、ジュエルの噂はたしかにセレンも知っていた。高級な物といえば今まではトリトニアの銀細工、リオーズのワインと相場が決まっていたが、最近ではジュエルがそれらを圧倒的に上回って一人勝ちしていく勢いがある。


 今日実物を見て、セレンもその威力がよくわかった。たしかに、どんなものにもこの輝きは勝る。


「イベリスにこれ以上我が物顔をさせておくわけにはいかん。ウツギには、内密にトリトニアからの援助を申し出るのだ。…その文書は、姫に隠し持たせておる。散々イベリスに蹂躙された彼らだが、同胞のお前であれば、耳を傾けよう」


 そして、トリトニアとウツギが手を組めば、彼らをイベリスの支配から開放し、イベリスに内部から打撃を与えることができる…そう公は説明した。


「シリルがわしの跡を継ぐ前に、面倒ごとはできるだけ片付けておきたい。あれは病弱だから、戦の指揮をとるとなると、難しいだろう。それにお前にとっても、イベリスは憎い相手であろう」


「…ええ」

 

今更、ウツギが憎いとも思わないが、シリルのためになることならば、頑張れる。セレンはうなずいた。


「姫の婚姻は、敵打ちの第一歩となる。それにはお前の働きが必要不可欠だ。ウツギと内々で同盟を結び、有利に戦ができるよう情報を集めるのだ」 


「情報、ですか」


「そうだ。最強といわれるイベリス兵は実際どの位強いのか?イベリスの地形や、王やその一族、家臣たちの動きや関係も知らねばならん。王は老いて、体を壊していると聞く。霍乱するのなら今が機会だ。弱いところを見つけ、それの全てに罠を張れば、戦わずして勝てる可能性もある。とにかく現状に不満を持つ者を見つけろ」


「内部分裂を誘え、という事ですね」


公はにやりと笑った。人の悪い笑みだった。


「わかっているではないか。間諜の基本だがな。しかし、急いてはことを仕損じるから、慎重にな。そして…イベリス内で命を狙われても、わしはミリアネスを守れん。彼女の最後の命綱が、お前だ」


 その言葉に、セレンは身も心も引き締まる思いがした。


「はいッ」


 すると公はふと声を柔らかくし、言った。


「あれも、お前を拾ってからずいぶん笑うようになったものよ」

 

 そのガウラス公らしくない発言に、セレンはうろたえたのであった。


 ミリアネスに命がけの任務を負わせても、やはり公はただ一人の娘として、彼女を愛しているのだろうか。

 

だが、君主にとってわが子というのはいざというときに切れる最上のカードだ。13代にわたって築き上げた大国、トリトニアを守り、今後も存続させていくためにはどうしても新しい突破口―イベリスへの密かな侵攻が必要だった。

 

その天秤にかけた末の苦しい決断が一瞬、セレンにも見えたような気がした。


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