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第8話

「……犬?」


 だった。


 豪華なビロードのソファーの上に、ちょこんと、豆柴のような可愛らしい犬が鎮座していたのである。

 ただその犬は微妙に震え、あまり体調が良さそうには見えなかった。

 狭い1畳もないような部屋には、この犬とソファー以外何もない。四方は壁に囲まれ、誰も近づくことさえ出来ない。

 圭阿は隠し扉でも探るように壁を触るが、特に反応ななかった。

 康大は康大でこの状況を整理しようと、立ち止まって考え出す。

 犬に興味を持ったのは、


「めんこい子だべ~」


 唯一ハイアサースだけだった。

 ハイアサースは特に注意せず子犬に触ろうとする。


「止めろ!」


 それを病人とは思えない声でジェイコブが止めた。

 反射的に手を引っ込めるハイアサース。

 犬の方は撫でられたかったのか「くぅ~ん……」と、力なく鳴いた。


「その方こそ、我がインテライト家にとって何よりも大事な、フェルディナンド様だ」

「フェル……へ?」

 ハイアサースは呆気にとられる。

 それは康大も同様であったが、すぐに頭を切り換え、この状況を理論的に説明できる答えを導き出す。


「ということは、このい……フェルディナンド様は元は人間で、今は何らかの理由で犬の姿をしていると――」

 魔法が存在する世界だ。

 人間がゾンビになって動き回っているのだから、犬になってもあり得ないことではない。


 しかしジェイコブは首を横に振った。


「フェルディナンド様は産まれた時から犬だ。そもそもインテライト家は医者でも獣医の家系だ」


『えええええええええ!?』


 康大、ハイアサース、そして圭阿までもが声を揃えて驚く。


「拙者の世界でも獣医はおりましたが、たいていは医者が片手間にやるか、動物好きが勝手に名乗るかで、貴族の獣医などありませなんだ……」

「まあ俺の世界でも獣医はあんまり社会的な地位は高くないな」

「だが我がインテライト家の隆盛はそこにある」

 ジェイコブは厳かな様子で言った。

 声は少し掠れているというのに、貴族と呼ぶに相応しい威厳がそこにはあった。


「フェルディナンド様は、コアテル殿下の御母堂であらせられるアイナ様の愛犬だ。コアテル殿下が無理を通して後継者に名乗り出たのも、このアイナ様の存在が大きい。アイナ様にとってはフェルディナンド様は心の支えであり、そのフェルディナンド様のための後継者争いでもある。ここでフェルディナンド様に何かあれば、アイナ様は戦う理由をなくし、アムゼン殿下が後を継ぐだろう」

「あの、疑問なのですが、なぜ後継者になるのがい……フェルディナンド……様のためになるのですか?」

「アムゼン殿下の御母堂は、犬を食用にしている文化を持つ国の出身だ。その殿下が王になられたら、フェルディナンド様もただでは済まない……そうアイナ様は心配されたのだ。正直なところ、完全な杞憂ではあるのだがな」

「・・・・・・」

 話を聞きながら、康大はとんでもない連中だなと内心うんざりした。

 実の子がいるというのに愛犬が大事で、そんな母親の無茶に従い後継者争いをする馬鹿息子。

 実際に顔を合わせなくとも、話が通じそうにない相手であると分かる。出来るならそんな連中に関わりたくなど無かった。

 そして何より、そんな無茶な動機に家の進退をかけなければならないこのインテライト家とも。


「……事情は分かりました。ただそれでフェルディナンド……様が回復されたら、私にやれることはありませんよね」

「確かにお前に具体的に何かをさせる気はない。ただ王城に詰めていればよい」

「王城……ですか」

「そうだ。っごほっごほ!」

 しゃべりすぎたのか、ジェイコブが咳き込む。

 康大が見た限り、震えている犬よりもはるかに未来がなさそうに見えた。

 もちろんそれを口にするほど康大も阿呆ではない。


「たいして能力もなさそうなお前がここまで来られたのは、一重にその立ち回りからだろう。よって相談役として待機してもらう。ケイアは隠密としては優秀だが、残念ながら機転が効かないからな。期間はそうだな……生誕祭が終わるまでとしよう。もしその間私が死んだら、ここに一端戻り、マリアが帰ってくるまで待機するようにしろ」

「御屋形様!」

「……喚くな。獣医とはいえ医者である以上、()()準備はとっくに出来ている」

「・・・・・・」

 圭阿の言葉をジェイコブは冷徹に窘める。

 医者とは言え、自分の死まで客観的に見られる人間はそうはいない。「恐ろしい人だな」と、康大は思った。

 ――と同時に、何故こんな暴挙の尻馬に乗ったのか、これほど頭が回ればアムゼン陣営でもやっていけるのではないのか、そう思わずにはいられなかった。


「そして私の名代としてはザルマ、お前が行け」

「わ、私ですか!?」

 ジェイコブの指名にザルマは目に見えて狼狽した。

 康大にしても、ザルマにそんな大役が務まるようには思えなかった。


「確かにお前では心許ない。だが今インテライト家において信頼でき、殿下の拝謁に耐えうる家格がある人間は、お前だけだ。マリアが戻ってくるまで待っている余裕もない。お前の兄達に任せるなどもってのほかだ。やれるか聞いているのではない、やれと言っている」

「……御意」

 ザルマは冷や汗を流しながら頷く。

 ここはRPGゲームのような、どこの馬の骨ともしれない人間が平然と城に入り、いきなり王様に謁見できるセカイではない。現実の地球と同じスタートラインから始まっているのだから、ファンタジー風になっていてもそれは当然だろうなと康大にも思えた。

 ただ、その荷が勝ちすぎることは誰の目にも明らかだった。


 それでも頼まなければいけないあたり、インテライト家の台所事情はかなり厳しいのだろう。

 ジェイコブとしても、出来るなら優秀そうなガンディアンセあたりを送り込みたかったのだろうが、あの顔では……。

 康大はインテライト家の置かれた状況にわずかに同情した。


「だが確かにザルマだけに任せるのも不安だ。そこでコウタ。もしザルマが何かしでかしそうになったら、お前が止めるんだ。そういう判断は得意なのだろう?」

「つまり手綱を握れ、と言うことですね」

「有り体に言えばそうだ。任せたぞ」

「……御意」

 こちらも拒否権がないことは分かりきっていたので、康大は素直に命令を受け入れた。


「それでは私は何をすれば!?」

 康大がらしくない敬礼をした後、特にこれといった役のないハイアサースが身を乗り出す。


「お前にはここに残って、フェルディナンド様の治療に協力してもらう。魔法が利かないとはいえ、ひょっとしたらなにか必要になる場合もあるかもしれん」

「……分かりました」

 地味な役目を押しつけられ、ハイアサースが肩を落とす。康大と違い、血統の関係から英雄志願的なところがある彼女は、出来れば話の中心にいたかったようだ。

 康大は消沈しているハイアサースを見ながら、出来ることなら変わって欲しいと心の底から思った。


「それではこれよりフェルディナンド様の施術を始める。関係のないものは邪魔だ。今すぐ出て行くように」

「・・・・・・」

 ハイアサース以外の人間は、指示通りすぐに部屋を出る。

 フェルディナンド()は可愛かったが、病犬であるし、ジェイコブの不興を買ってまで遊ぼうとは誰も思わない。

 部屋を出た直後、外で待っていたガンディアセが3人に具体的な指示を出す。


「すぐに着替え、外にある馬車で今から王城へ行け。王城に着いたらザルマは名代としての務めを果たし、2人は既に中にいる者の指示に従え」

 外見から想像できる通りのドスの効いた声で言われ、康大は思わず首を縦に振った。

 圭阿は特に感情の変化も見せずに頷く。

 ただ1人、ザルマだけはその場で呆然としていた。

 ――いや、間抜け面なのでそう見えるが、実際は彼なりに色々考えているのだろう。


「……ザルマ?」

 康大が話しかける。

 それでも反応がなかったため、今度は蹴り飛ばされ、強かに壁に全身を打ち付けた。

 康大……でも圭阿でもなくガンディアセによって。

 家格は劣るとはいえ、扱いは他と大差ないらしい。


「ぐへっ!?」


「・・・・・・」


 もう用は済んだとばかりに、無言で去って行くガンディアセ。

 康大と圭阿はただその背中を同じように無言で見送った。


「いつつ……、あの方も容赦ない……」

「与えられた命令のこと考えてたんだろうが、もうこうなった以上、やるしかないと思うぞ。これは経験者からの適切なアドバイスだ」

「分かってはいるのだが……」

「ざるま」

 圭阿がザルマの目を真っ向から見つめる。

 いつものウジ虫を見るような目ではなく、同じ人間として――。


「お前が不安に思っている気持ちも分かる。だれそれは誰でも感じることだ。そもそも自分に出来る命令しか受けない者など、糞の役にも立たぬ。貴様はせめて自分が糞以上の活躍が出来ると証明して見せろ」

「ケイア卿……」

 康大の言葉は届かなくとも、圭阿の言葉は心に響いたのか、ザルマは目頭を押さえ胸に手を当てた。

 無駄な心配をするだけだったその間抜け面も、多少はマシになったように見えた。


「ジェイコブ様も出来るかどうかではなく、やれ、と仰られていた。だったらもうやるしかないのだな。私の力が足りなければ、使命の間に高めれば良い」

「ザルマ……」

「そういうわけでよろしくたのむぞ」

 ザルマが康大の肩をバンバンと叩く。

 突然の責任転嫁に、康大は思わず咳き込んだ。


「お前……」

「まあ、お前の力も多少は認めてやったんだ。その期待にこたえんとな!」

「・・・・・・」

 あまりの調子の良さに、康大は思わず殴りたくなった。


「ぼげッ!」


 と思ったら身体は正直で、既に顔面を殴っていた。

 まあ頑丈なザルマのこと、ゾンビの力で殴ってもたいしたことはないだろう。鼻血だってすぐに止まるはずだ。


「……はぁ、まあ俺だってできる限り協力するさ。だからお前は脚引っ張るなよ」

「それはこっちの台詞だ!」

 廊下で怒鳴り合う男2人。

 扉の向こうでは、死にかけの獣医が命を賭して治療に当たっていることも忘れて。


 その数分後、青筋を立てながら戻って来たガンディアセに2人とも蹴り飛ばされるのだが、それはこの国の長い歴史において、あまりに些細なことだった……。

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