第6話
山を越えれば王都は目と鼻の先だった。
間にあるのは平原だけで、移動だけなら登山の百分の一ほどの労力も必要とはしない。
しかし、それが逆に問題になることもある。
「はあ……はあ……これはちょっと面倒かな……」
息も絶え絶えといった様子で康大は言った。
ハイアサースとザルマは何のことかよく分からない顔をしたが、圭阿はその言葉の意味を察し無言で頷く。
「どうしたというんだ? なぜあんな近くにある王都に行くことが面倒なのだ。ひょっとしてもう歩けないほど疲れているのか?」
回復力に関してはゾンビ化しようが全く衰えていないハイアサースは、脳天気な表情ですぐに疑問を口にした。
康大はそんなハイアサースを羨ましく思いながら、首を横に振り状況説明をする。
「見れば分かると思うけど、王都は高い城壁で周囲を囲まれている。まあ関所との二段構えだな。で、高い城壁からだと、誰が入ってきたか丸わかりだ。そんな状況で正式に関所を通らなかった俺達が見つかったら――」
「……すぐに捕まる、ということか」
ハイアサースにもようやく状況が理解出来た。
「ではどうするんだ? 王都に入らないことにはどうしようもないんだろう?」
「いや、そうでもないぞ」
ザルマがハイアサースの問いかけを否定する。
これには圭阿も意外そうな顔をした。
ただ自分から聞くのは癪だったのか、ザルマ本人が言うまで口は開かなかった。
「これは新参の圭阿卿は知らない事だが、有事に備えインテライト家では王都の外に避難所のような場所を設けている。そこに行けば、王都に入ることもそう難しくないはずだ」
「へえ、さすがに貴族様ともなると色々考えてるんだな」
「そうだろうそうだろう!」
康大の皮肉をザルマは額面通り受け取り、誇らしげに胸を張る。
一方、充分理解していた圭阿はため息を吐いた。
では残る1人のハイアサースはどうしていたのかというと。
「では行こう!」
その避難所がどこにあるのかさえ分からないのに、1人で勝手に歩き出す。
少しは頭を使った分、ザルマの方がまだマシと言えた。
康大は圭阿に倣うようにため息を吐く。
それから当然ザルマが先頭に立ち、3人を先導する。
避難所にしているだけあって、王都からは距離があり、ずっとジャンダルム山沿いの森を進んだ。昼なお暗く、獣の鳴き声も聞こえ、用があってもあまり近づきたくはない場所だ。
言うまでもなく鈍くさい康大が次第に遅れはじめ、いよいよ前を歩く3人の背中がちらほら隠れるようになった頃、幸いにも目的地に到着する。
そこは一言で言えば洞窟だった。
ちなみに二言で言っても結局は洞窟だ。
鬱蒼と木々が生い茂るジャンダルム山の麓に隠れるようにあり、道無き道を進んだため、部外者はまずたどりつけない。康大にはザルマが何を目印に進んだのかすら理解できなかった。
その洞窟の前に、1人のボロ切れを纏った男が座っており、辺りに注意深く目を向けている。
ザルマは特に警戒する素振りも見せず、その男に話しかけた。
「戻って来たぞ!」
「・・・・・・」
ザルマが声をかけてもその男は返事すらしない。
ザルマは不満そうな顔をした。
そしてその不満を行動で現そうとその男に近づいたとき、
「俺の格好を見て察しろ」
逆に静かな声で叱責される。
つまり、わざわざ身元を誤魔化すようこんな姿をしているというのに、それが判明するようなことを声高に言うな、というわけだ。
ザルマは気まずそうな顔をした。
幸いにもその一部始終は康大が到着する前に終わり、恥の上塗りは避けられた。尤も、現時点で塗り残しが見つけられないほど、色とりどりの恥がその顔面に描かれていたが。
「この2人は?」
「協力者だ。信頼出来る」
「・・・・・・」
ザルマの返事では満足出来なかったのか、男は視線で圭阿にも確認を取る。
完全に状況を弁えている圭阿は、無言で頷いた。
それで納得できたのか、ボロを着た男は置いてあった松明に火を付け、ついてこいと言わんばかりに無言で洞窟の奥へと進む。
情けさと釈然としない気持ちを半分づつ抱えたような表情で、ザルマが続き、残りの3人も後を追った。
洞窟は海賊が利用していた場所とは違い広くもなく、すぐに終点に到着する。
本当に避難場所といった態で、生活に必要そうな最低限の物しか置いておらず、その雑多に置かれた日用品の中心に、仄かな松明の明かりに照らされた1人の老人がいた。
使い古した木箱に座っているその老人は、背筋が伸び居住まい正しいものの、ソルダとはまた違った威圧感があった。
ザルマはその老人の姿を視界に捉えると、すぐに膝を曲げ威儀を正す。
圭阿もそれに続き、康大とハイアサースは顔を見合わせてから、とりあえず2人に倣った。
「ザルマ・アビ、ただ今戻りました」
「ご苦労」
頭を垂れながら言ったザルマの言葉に、老人は木箱に座ったまま、大儀そうに返す。
外見同様、重く威厳のある声であった。
「首尾は?」
「医学書は無事入手できました。今回の件は圭阿卿のみならず、この2人の協力あってのことです」
「・・・・・・」
老人は無言で康大達を見る。
顔は合わせずとも頭頂部から感じる圧力で、康大の頰には知らずに汗が流れた。
「……金で雇ったのか?」
「恐れながら申し上げます」
圭阿が同じく頭を下げたまま、目を合わせずに言った。
圭阿ですらここまでの態度を取るいうことは、よっぽど上の人間なのだろう。ひょっとしたら話にあった御当主様かもしれない。康大はハイアサースがまた余計なことを言って老人を怒らせないよう、横目で注意深く監視した。
「彼らはふぉっくすばーど殿の知己で、行きがかり上我らの任務に助力してもらい、またこの圭阿が伏して協力の継続を申し込んだのでございます」
「・・・・・・」
老人はやおら目を瞑り、逡巡する。
そして康大とハイアサースの目と鼻の距離まで近づき、顔を上げるよう言った。
2人は言われた通りにする。
(うわ……)
老人の顔を間近に見て、康大はかなり気後れした。
今までこのセカイで会った老人達と比べると、髭も剃り髪も整えかなりしっかりした身だしなみをしている。
ただそれ以上に印象的な大小無数の顔の傷と、少し濁りながらも背筋を貫くような眼光が、康大を萎縮させた。首から下もその迫力に負けず筋骨隆々で、この場には不釣り合いな礼服がはち切れそうである。
ちらりと横目でハイアサースを見ると、こちらはあまり恐れている風ではなかった。いつもどおり、根拠の無い自信に満ちあふれた顔をしている。
「貴殿らに聞きたい。何故大して得にもならないのに、我らに協力をするのだ。貴殿らにとって何の利益があるのだ?」
「えっと、利益というか……」
康大は後頭部をかきながら、改めて現状を振り返ってみる。
確かにこの老人の言う通り、康大には圭阿達の頼みを聞く義務もなければ、そうした事によるメリットもない。
それにも拘わらず、今まで命の危険に何度も遭いながらここまでついてきた。
いったいそれは何故か。
答えはすぐに出た。
「その、俺は異邦人なんです」
「ほう、無駄に歳を重ねたが、生きた異邦人を見るのは初めてだ」
「まあそこは完全に正解とは……。――、それは置いておいて、だからこの世界に来て未だ数日しかたってなくて、まあいちおう目的はあるんですけど、そのためにどうすればいいのかも具体的なことは未だ分からなくて」
「つまりどういうことだ?」
「主体性がないので断りづらかっただけです」
「・・・・・・」
老人が黙り込む。
呆れられたのだろうか。
だが仕方ない、それ以外にここまで来た理由が思いつかないのだから。
結局色々と考えてみても、最後はその情けない理由に尽きるのだ。
正義漢からでも下心からでもない。ただどうすればいいのか分からなかったから、目の前に提示された目的を、嫌々ながら引き受けただけである。
もしゲームのようにゾンビ化を治す具体的なルートが提示されていたら、圭阿の頼みも断っただろう。
しかし今のところそれは全く見えない。
ならば状況に流されるより他ないではないか。
もし文句を言われたら、そう言い返してやりたかった。
ハイアサースが何か複雑な表情で自分を見ていた。
康大はそれを見ないフリをする。
やがて。
「圭阿、彼の言っていることに間違いはないか?」
「はい。ここまで来るよう強引に頼んだのは拙者で、康大殿にとってこれといった益はありませぬ。ですが康大殿の力はまりあ様も認めておられます。盗賊に襲われた際も、拙者だけの力ではまりあ様達を守り切れませなんだ。そのことはまりあ様も大変感謝しておられました」
「マリア様が……」
「・・・・・・」
本人が自主的に下げた株を、忍者がなんとか立て直そうとする。
当の本人は「マリアさんに様付けだと少なくともこの人は当主じゃないんだなあ」と、他人事のように現状を分析していた。
「・・・・・・」
老人はそれからしばらくの間、じっと康大を正面から見つめた。
典型的日本人の康大は、やましいこともないのにすぐに目を逸らす。
ハイアサースは負けてなるものかとその大きな胸を張っているが、こちらもこちらであまり意味はない。
「……今までのご無礼お許し願いたい」
不意に老人が深く頭を下げた。
唐突に下手に出られたことで、康大の頭は更に混乱した。
しばらく頭を下げ続け、再び顔を上げた老人の顔には初対面の時の剣呑さはなかった。
どこにでもいる、ごく普通の老人といった雰囲気で、目もたれ下がり随分と細くなっていた。
そして老人は言った。
「申し遅れましたが、私はマクスタムと申します。インテライト家で執事をしております」
「執事……」
表情は変わったとはいえ、体格までは変わらない。
その執事とは思えないほどたくましい姿に、康大は高位の軍人か何かだと思っていた。
「元々は別の生業をしておりましたが、先代様に拾われまして……。皆様のことは聞いておりましたが、現在インテライト家は非常に複雑な状況に置かれ、つい疑り深くなってしまったのです。申し訳ありません」
「え、あ、いえ、別にそこまで気にしてませんし……」
どもりながら康大は答えた。
咄嗟に目を逸らしたのは我ながら失敗だと思ったが、どうやら信用はしてくれたようだ。
そもそもこのマクスタムを前に、平然と目を合わせ続けるなどできるものではない。目を逸らしていても、康大の胸中は恐怖で一杯だった。
虚勢かもしれないとはいえ、今回ばかりは最後まで堂々としていたハイアサースが素直に尊敬できた。
「それで、康大殿と……」
「ハイアサースです」
老人――マクスタムの目配せを受け、ハイアサースが名乗る。
こちらは声も普段と変わらずしっかりしている。どうやら虚勢というわけでもなさそうだった。
「――ハイアサース殿にはマリア様が大変お世話になったと。当主に代わり御礼申し上げます」
マクスタムは再び頭を下げる。
ここまで下手に出られると、康大としても居心地が悪くなった。
ザルマのようなどうでもいい人間なら良い気がしただけだが、マクスタムのようなただならない人間が必要以上に謙ると、むしろ背筋が寒くなる。
康大が本人の代わりに慌てながら恐縮し、今回はマクスタムもすぐに頭を上げた。
そして圭阿の方を向く。
「圭阿、お前は康大殿達に引き続き協力を求めつもりだな?」
「御意。この状況においてお二人の力は得がたいものがあります。何より今からこれほど信頼でき、能力がある人間を雇うなど決して出来ないでしょう」
「そうか。分かった。お前が使えると思い拾ったのも私だ。ならばお前の眼力も私の眼力も変わりはない」
マクスタムは再び康大に向き直る。
表情は変わっていなかったが、その眼光は最初に見たときとほとんど同じで、鋭く厳しかった。
康大は知らずにつばを飲む。
それでも今回はありったけの自制心を導入し、目を逸らさなかった。
婚約者の前で何度も醜態をさらすわけにはいかない。
「今度はこのマクスタムがお2人にお願い申し上げます。是非、御当主様に協力して頂きたい。もちろん、今までのような善意に甘えず、充分な報酬はご用意致します」
「報酬……」
言われて康大は、未だにこのセカイで自分は買い物すらしたことがないことに気付いた。村では物々交換で、それ以外の買い物は全て圭阿に任せていた。
ちらっと硬貨は見たことがあるが、未だにどれが一番価値があるかすら分からない。せいぜい銀貨の方が銅貨より価値があるだろう程度だ。金貨は海賊達とやり取りしているときでさえ、結局見られなかった。
(たとえここでふっかけた方が良かったとしても経済観念0じゃ……)
残念ながらこの場での交渉は不可能そうだった。
しかし、意外なことにハイアサースには考えがあった。
「報酬に関して、私は物をもらうより、御当主様に骨折りして頂きたいことがございます」
「骨折り? それは事と次第によりますが……」
「実は私は大教会に用があるのですが、ある理由から……破門等ではありませんが、近づくことさえ出来ません。そのために、御当主様に口添えして大司教様と対面できるよう取りはからって頂きたいのです」
「大司教様と、ですか。確かに御当主様ならそれも可能でしょうな。分かりました、私が我が誇りをかけて取りなしましょう」
「ありがとうございます!」
ハイアサースが破顔する。
大司教っていったい何だと康大は訝しんだが、すぐにそれがゾンビ化の治療に関することだと気付いた。
ハイアサースのゾンビ化は康大に感染されたとはいえ、康大の身体とは随分と状況が違う。身体が死んでいるというのなら、医学よりもオカルトの方が重要なのかもしれない。
今までの経験上蘇生の魔法まで存在するとは思えなかったが、聖職者の助けは快癒に大きな意味を持つだろう。
(何も考えてないようでアイツも色々考えてるんだなあ)
婚約者の予想外の成長に、康大は素直に感心した。
ただその感情は、子供の成長を喜ぶ親と同じであったが。
「それでは早速御当主様に会って頂きましょう。私めはまだここに残らねばなりませんから、引き続き圭阿とザルマに案内させます」
マクスタムはそう言うと圭阿に耳打ちした。有能とはいえ新参の圭阿の方に指示を出すあたり、ザルマは本当に信頼されていないらしい。
「皆様よろしくお願いします」
圭阿について洞窟を出て行く間際、マクスタムが深く頭を下げながら康大達を見送った。
康大はそれを一瞥しただけで、胸に渦巻くもやもやを口に出しはしなかった。
ただ、もう乗りかかった船のような気持ちではいられないなと、なんとなく思った……。