第43話
振り返ったライゼルはその人間の姿を見て、反射的に膝を折る。
本来なら声が聞こえた時点でそうしなければならなかったのだが、あまり聞く機会のなかった声であったため、実際に顔を見るまでは判断できなかったのだ。
礼儀作法には疎い康大もそれが当然の対応だと思い、同じように膝折る。
最初から頽れたように地べたに座っている神父だけが、不躾にその人間を見た。
「ここまで近い所に住んでいながら、こうして合うのは久しぶりだな」
「……陛下」
神父は陛下――国王に向かって呆けたような口調で言った。
康大は無礼と思いながらわずかに視線を上げ、国王を見る。
晩餐の会場で見た国王はまさに耄碌そのものであったが、今目の前にいる国王にその気配は欠片もない。
背筋もピンと伸び、堂々とした態度には威厳があり、窪んだ目の奥からは強い意志が感じられる。腰が曲がり、どこを見ているのか、そもそも目を開けているのかすら分からなかった老人の面影はどこにもなかった。
また、その場にいたのは国王一人だけではなかった。
何人かの部下を従え、十分な警護態勢も整えている。
そして中には康大の良く知る人間もいた。
その中の1人が、膝を折りながら康大に向かって茶目っ気たっぷりに手を振る。
康大はその人物――ジェームスに苦笑で返した。
(あいつら結局国王直属の部下だったのかよ)
隣にいるアイリーンともども他国スパイでは無かったようだ。
おそらく耄碌しているように見える国王の代わりに、耳目となって情報を集めていたのだろう。
つまり国王の衰えは芝居だったのだ。
これには康大も完全に騙された。
ひょっとしたらアムゼンあたりはそれを知っていたのかもしれない。
知っていたとしても、康大には絶対に言わなかっただろう。
そんなことを考えている康大の頭上で、国王と神父の会話は続く。
「お前が最高の魔術師かは知らぬ。だが確かに有能な魔術師ではあった。若い頃からお前は才能に溢れ、野心もあった。しかしいつまで経っても、それに見合う誠実さは芽生えなかった。もしお前にそれがあれば、最低でも侯爵にはなっていたかもしれんな」
「誠実? 貴方が私に誠実さに値するようなことをしてくれたか!? 私の地位は全て私の力によるものだ!」
「・・・・・・」
神父の血の籠もった訴えを、国王は無表情……どころか鼻で笑う。
そのあまりの冷徹さに、康大の背筋に寒気が走った。
「王が家臣に誠実さを求めて下手に出ることなどない。家臣は何があろうが王に対して誠実であらねばならぬ。この者達のようにな」
「・・・・・・」
後ろに控えるジェームスとアイリーンはわずかに頭を下げる。
あの様子だと、すでにアイリーンの冤罪は晴らされているのだろう。
ただ、たとえアイリーンが冤罪のままでも、彼女は真の主の名を口には出さなかったはずだ。
それが国王の言う無条件の"誠実さ"なのだから。
「……ならば私は奴隷のように働かなければならぬというのですか?」
「そうだ。お前は王ではないのだからな」
(王、か……)
康大は膝を屈したまま、改めてその地位について考える。
ライトノベルの世界では、敢えて王にならなかったり、陰の権力者の地位にわざわざ就こうとしたりする。
だが現実的に――このセカイにおいては、それが利口な選択とは到底思えなかった。
王は重い責務を負うかもしれないが、それ以上に自由裁量という権利がある。
これが冗談ではなく大きい。
厄介ごとだけ回される現実セカイの中間管理職とはわけが違うのだ。
対して家臣には義務しかなく、王の無理難題を断る権利などない。最悪死ねと言われれば死ななければならない。
それが嫌なら反乱か逐電のどちらかだ。
そしてフィクションの王と違い、このセカイの王はそれを悪とは思わないし、ためらいもしない。絶対的な価値観が違うのだから改心もない。
それにも拘わらず、王は家臣に絶対の忠誠を求める。
陰で操るなど無能な王に限られるし、代が変わった瞬間首を切られる可能性すらある。
正直言ってやってられない。
厄介ごとを背負っても、これなら王になった方がいい。
おそらくこの神父もそう思ったのかもしれない。
康大はほんの少しだけ、神父に同情した。
「しかし、お前の言う通り、その才能は失うのは惜しかった。そう思いお前の弟を城で使い、お前は神に仕えることでその性根が改まることを期待したのだが、最悪の形で裏切ってくれたな」
「・・・・・・」
神父はもう何も言わなかった。
おそらくこの王に向かっては何を話しても無駄だと悟ったのだろう。
心に届かない言葉は、いくつ紡いでもただの徒労だ。
不条理を不条理とは思わない人間の心は、どうやっても動かすことはできない。
「本来なら余がお前の尋問に当たりたいところだが、今し方アムゼンが我が後を継いだ。せいぜい新しい王の慈悲にすがることだな。引っ立て」
「御意」
ジェームスとアイリーンは神父の両脇を掴み、教会から連れ出す。
この2人なら後れを取ることもないだろう。
康大はそう思っていた。
実際、康大は気付かなかったが、自害しないよう既にジェームスが神父に麻痺針を打ち込んでいたのだ。
この一点だけでも、これからこの神父に待ち受ける運命が碌なものではないことは明らかだ。
いや、もう死の13階段を歩み始めたと言ってもいいぐらいだろう。
「……」
深く考えると気が滅入るので、康大は金輪際あの神父については考えないようにした。
「顔を上げよ」
そのままライゼルと帰るものだと思っていた国王が、不意に康大に向かってそう言った。
康大は慌てて視線だけでなく顔を上げる。
間近で見る国王の顔は、想像以上に恐ろしかった。
本当に魔王のようだ。
この国王相手だと、アムゼンのように軽く毒づくことさえできない。あの曲者の王子の方が冗談が通じるだけ遙かにマシだ。
これでバランスタイプの王というのだから、暴君であったならどうなったか想像もつかない。
「アムゼンやあの者らに聞いたが、お前は今回の件で陪臣以下の身でありながら、多大な活躍をしたらしいな」
「ぎょ、御意」
反射的にそう答える。
謙遜する余裕さえなかった。
「いずれアムゼンより褒美が下されるだろうが、余も王としてその功に報いねばなるまい。家臣が王に忠誠を誓うことは当然とはいえ、その功を蔑ろにするのはまた別問題よ」
「ぎょ、御意」
同じ言葉を繰り返す。
久しぶりに現実セカイの頼りない平均的な日本人男子高校生の感覚が蘇ってきた。
それでも今の康大なら、厳しい教師から分からない問題を差されても「さあ?」としらばっくれる自信はある。
「どうした、言わぬか?」
「え、あ、その……」
康大は必死で考える。
望みが大きすぎても小さすぎても不興を買うような気がした。そしてそれは、自分の将来に直結するような気さえも。
この王に仕える気などさらさらないというのに。
そんな康大の脳裏に、ある人物の顔が浮かぶ。
追い詰められた康大は、よく考えもせずにその人物のことを口にした。
「神父の弟……クリスタさんの罪は問わないでもらえないでしょうか。今回の件はあの人の協力があって成功した面もありますから」
「ほう、自らの利益より、他人の命を優先させるか」
「そ、そこまでのものでは……」
「良い。だがそれを決めるのはアムゼンだ。だが余が口添えすれば、あ奴も無下にはしまい。大義であった」
そう言うと、国王は踵を返し他の家来を引き連れ去って行く。
その後をライゼルが慌てて追った。
あの猛将も、国王の前ではただの小間使いだ。
そんな彼らの背中を見送りながら、康大は大きく息を吐く。
しばらくして彼の仲間達が教会にやってきた。
その平和そうな顔を見て、康大は今回の長かった事件がようやく終わったことを理解するのだった――。




