第42話
ついに生誕祭が始まる。
そして最も重要である後継者の発表も。
ただし、それが誰であるかは、発表前から全ての人間が知っていた。
唯一の対抗馬が仮想敵国に内通し、失脚したのだから当然だ。
問題は後継者に王たる資格があるか、それに尽きた。
その点、前日の深夜に会った大捕物は後継者――アムゼンにとって良いアピールになった。
来客を王城の安全な場所に避難させ、自らは陣頭指揮を執り薬で強化された暗殺者達を次々と鎮圧していく。
その姿は平衡感覚で王位に就いた現国王より、頼もしくさえ見えた。
結局反乱はその日の昼までにはほぼ完全に鎮圧され、夜には予定通り生誕祭は行われることになった。ただ、さすがに人的被害は軽微でも建物の被害までは免れることができず、本来あるべきだったイベントは省略されてはいたが。
そして本城において、国王によるアムゼンの後継が高らかに宣言された頃、康大は1人教会にいた――。
「つつ……」
康大は腹を押さえながら、よく分からない神の像に向かって祈りを捧げる。
ファジール草を服用してからどうも腹の調子が良くない。毒が効かないとはいえ、完全に無毒化出来るわけでもないらしい。
尤も、毒以前に緊張の連続で腹の調子が悪かっただけかもしれないが。
「・・・・・・」
祈りを捧げる康大に、あの耳が聞こえているのかいないのかよく分からない神父が近づいてくる。
顔は下げていたが足音だけで分かった。
それほどこの礼拝堂は静かだった。
康大は構わず祈る形だけ続けた。
元より無神論者で祈る神もない。
「……これを」
初めて康大は神父から話しかけられる。
本城の喧噪とは打って変わって静かな礼拝堂では、小さな神父の声もよく響いた。
康大が視線を上げると、神父にワインが入ったグラスを差し出される。
「これは?」
「聖酒です。何かおめでたいことがあったとき振る舞われるのですが、ここには私と貴方しかいませんから」
「それではいただきます」
康大は渡されたワインを少しずつ飲んでいく。
その様子をじっと見つめる神父を、横目で確認しながら。
ワインの味を云々出来るほど、康大は酒を飲み慣れていない。高校生なのだからそれも当然だ。
ただ、舌は明敏なため、複雑な味だなとグルメレポーターのように思った。
やがてワインを全て飲み干す。
そこまで飲まなくても良かったかかもしれないが、念のためだ。
康大はグラスを返し、再び祈りを再開する。
そんな康大を神父はじっと見つめていた。
「……うっ!?」
不意に康大が呻き始める。
喉を押さえ、それこそに毒を飲まされたような人間のように。
本当にそんな人間など見たことが無いので、過剰なリアクションだと思ってもそうするしかない。
転げ回る康大を、神父は助けるでもなくじっと見下ろしていた。
掠れた声で康大が「助けて……」と手を伸ばしても、握り返すことすらしない。
モルモットで実験している科学者のような冷徹な目で、ただ苦しみもがく康大を見ていた。
「……なかなかしぶといな」
やがて神父が神父とは思えぬ台詞を口にする。
その瞬間表情さえも一変した。
それまでは皺だらけの顔に、皺と区別がつかないような垂れ下がった糸目だったが、それが今は見開かれ、好々爺然とした雰囲気は全て消し飛んでいた。
神父は手をさしのべるどころか、ついには康大の胸元に脚を振り落とす。
「ごほっ!?」
この行為はさすがに予想の範疇になかったので、康大は演技ではなく心の底から苦悶の表情を浮かべた。
そんな康大に神父は顔を近づけながら呪詛の言葉を叩き付ける。
「お前がいなければ全て上手くいったのだ! あのバカ王子を焚きつけ、アムゼンめを殺し、私がこの国の、ひいてはグラウネシアでさえも王になれたのだ! それを貴様が余計なことをして! このゴミが!」
神父は康大を何度も蹴りつける。
その力は、棺桶に片足を突っ込んでいるような老人のものとは思えなかった。
今回の事件の全ての糸を引いているだけあって、その身体能力も尋常ではない。
このままではさすがに肋骨を折られるかもしれない。
それにもう充分証拠は揃った。
「アンタもいい加減年寄りの冷や水って言葉を理解するんだな」
康大は苦悶の表情を一瞬で変え、胸を踏みにじる神父の脚を掴み、それを力の限り放り投げる。
もはやこの神父に敬老精神を抱く必要はない。
すさまじいゾンビの力で放り投げられた神父は、そのまま壁にぶつかりそうになった。
しかしその直前で身体をひねり、直撃だけは回避する。
それでも老体にはかなりのダメージで、打ち付けた肩を押さえながら息も荒く立ち上がった。
「貴様何故死なない!?」
「まあ色々秘密が多い男なんだよ。確認もしたしな」
康大は不敵に笑う。
――そう、あの時わざわざ毒と分かっているファジール草を服用したのはこのため、つまり自分が直接毒を飲んでも死なないか確認するためだった。
圭阿の冗談では済まされない暗躍で、口から摂取してもやはり毒は受け付けないことは確認済みだ。
とはいえ、神父の使う毒は分からず、確信までは得られなかったので、圭阿監修の元わざわざファジール草を服用して試したのである。
現実セカイにいた頃の康大では、考えられないような暴挙だ。
たとえ圭阿が安全に配慮していたとしても、少しでも死ぬ可能性のあることなど、絶対にしなかっただろう。
それでも康大は試した。
こうして神父の犯行を白日の下に晒すために。
ゾンビになったことで頭の回転が速くなっただけでなく、思い切りも良くなった、そんな気がした。
神父はほんのわずか考えてから、すぐに礼拝堂の出口に向かって走る。
康大1人ならどうとでもなる。だがここまで周到に準備した康大が、1人でのこのこ来たようには思えなかったのだ。
神父の判断は正しかった。
だがもう遅かった。
「悪いが神父、ここは通行止めだ」
神父が扉を開けた瞬間、漆黒の鎧を纏った死に神の化身が立ち塞がる。
相手が神父であることを考えれば、本当によく出来た皮肉だった。
「手をかけてすみませんねライゼル将軍」
「まったくだ。私のことを顎で使う者など、陛下と殿下を除いてはお前ぐらいだろう」
「まあまあ、そのアムゼン殿下の命令ですから」
康大は死に神――ライゼルに対して、しごく日本人的な曖昧な笑みを返す。
「な、なぜだ……何故近づいたことに気付けなかった……」
「1つは貴様がその小芝居に夢中になっていたから、もう1つはこれだ」
そう言ってライゼルは持っていた何かを神父に向かって放り投げる。
その何かは神父の前まで転がり終えると、狙ったように目を合わせた。
「……やはり格が違ったか」
「当然だ。だがよく頑張った方だぞ。さすがわざわざグラウネシア本国から呼び寄せただけはあるな」
ライゼルは今は生首だけとなった敵国のスパイに、それなりの敬意を表する。
彼らこそ、ジャンダルム山を通って来たグラウネシア人であった。
ファジール草を服用し肉体強化した人間達は、多少訓練しただけのほぼ一般市民であったが、彼らは生まれた時より訓練されたスパイであり、ファジール草も服用していなかった。
だからこそあのジャンダルムを、圭阿の用意したような仕掛けも使わずに、越えることができたのである。
作戦終了後は神父と共にグラウネシアに帰還する予定であったが、どうやら帰れるのは良くて肉体だけ、魂はすでに別の場所へと還ってしまったようだ。
神父はがっくりとその場に頽れる。
有能故に、もはや逃げられないことは嫌というほど理解しいてた。
「……何故分かった?」
やがて同じ体勢のまま、絞り出すような声で康大に言った。
それを聞かずに死ねば、成仏出来ないとでもいうかのように。
「そうだな。これが決定打っていう話じゃなくて、証拠の積み重ねだった」
康大もここに至って嫌がらせをする気もなく、素直に答える。数時間後の死者に、追い打ちをかけることもない。
「中でも大きいのは3つ。1つはこの教会が密談のメッカであった事。2つ目はアンタが盗聴の魔法が使えると言う事。3つ目はグラウネシアのスパイの中に確実に魔法使いがいる事、だ」
「・・・・・」
神父は黙って話を聞いていた。
康大も余計な茶々は入れず、自らの推理をダイレクトに披露する。
「ただこうなると、クリスタの爺さんが犯人である可能性もある。けど、晩餐会の暗殺でその可能性は消えた。一緒にいた時間が長いクリスタの爺さんが犯人なら、俺が別の服を着ていても間違えなかったはずだ。けどアンタは教会で盗み聞きしていただけで、顔を合わせたのも一瞬だけ。だから暗殺者に正確な人相を伝えることが出来ず、服の特徴だけしか教えられずにああなったのさ」
「あの愚弟が……。多少は役に立つかと思い魔法を教えてやったが、それが仇になるとはな……」
「それはアンタの自業自得だ。で、アンタが犯人だと仮定した場合、この教会が非常に都合のいい場所だとわかる。なんせ密談のメッカだからな。まあアンタが耳が遠いふりして、そう仕向けたわけだけど」
「・・・・・・」
神父の耳が遠いという嘘は既に自らが白状している。
今更言い訳する言葉も無かった。
「で、アンタが犯人だとアムゼン殿下に報告したものの、相手は老いた聖職者だし、確固たる証拠を出せなんて言われたんだよ。だからこうして一芝居打って、ライゼル将軍の前で白日の下に晒したわけ」
「まさか本当にお前が黒幕とは思っていなかったがな」
ライゼルは大きく息を吐いた。
彼も他の人間同様、人畜無害の神父だと思っていたのだろう。
その証拠に、わき上がる疑問がつい口をついて出た。
「何故だ? お前が今の地位に就けたのは、本来なら処刑も免れなかった失態を陛下に許してもらってのもの。恩こそあれ怨みなどないだろう」
「恩、だと?」
神父はライゼルの言葉を鼻で笑う。
その顔には、何も知らぬ若造が訳知り顔でと、これ以上ないほどの嘲笑に溢れていた。
そしてその表情はすぐに怒りで満たされる。
「貴様のような小僧がよくもぬけぬけと! 私がどれだけの不遇を託っていたかも知らずに!」
「ほう、それは是非聞いて見たいものだな」
『――!?』
その声はライゼルでも康大のものでもなく、ライゼルの背後に現れた第三者によるものであった。
その人物はライゼルも康大も、神父でさえも良く知っていたが、誰もこんな場所にくるとは思ってもいなかった。
そしてその人間が現れたことで、物語はいよいよ完全な終局を迎えるのだった――。




