Ch.ⅩⅩⅩⅥ
康大のもったいぶった態度に、ザルマは不満だった。
(素直に言えば良いだろうに)
物事をそれほどあまり深く考えないザルマには、そこまで気を使う理由ももったいぶる理由も理解出来ない。
少し得意気な顔と相まって、思わず張り倒したくなる。
以前のザルマなら実際にそうしただろう。
けれど、今は康大のすることがすべて先々のことを考えていると理解していた。
一度納得してしまえば、それまでのことは簡単に水に流せる。海賊船での一件も、腹は立ったがわだかまりはない。
そんな潔さもザルマにはあった。
そうでなければ、あの人生経験豊富なアイリーンを惚れさせることも出来なかっただろう。彼女は外見だけで近寄ってきた他の女達とはわけが違った。
とはいえ、今の康大の答えではとても納得など出来なかったが。
「じゃあせめて、どこに行くかぐらい教えろ」
「そうだな……一昨日、空間固定って魔法を広間で使った魔術師を覚えてるか?」
康大は直接答えを言わず、遠回しすぎる質問をする。
ザルマは思わず不機嫌そうになったが、それでも自分なりに考えた。口で言って勝てる相手にも思えない。
「……知らん、忘れた」
確か年寄りの魔術師がいたような気がしたが、ほとんど記憶に残っていなかった。見た目が派手なだけで大した魔法ではなく、つねに圭阿に気を配っていたので、ザルマの印象にはほとんど残らなかった。
「クリスタっていう魔術師なんだけど、今からその人に会いに行くんだ。たいてい飲み屋にいるような飲んだくれで、朝は教会で寝ているらしい」
「ああ、またあのご老人の所にくのか。ということは空間固定の魔法を?」
ハイアサースはザルマと違いちゃんと覚えていたようで、康大にそう聞いた。
しかし康大は首を横に振る。
「そこまでたいそうなことをするつもりはないさ。ただ話して確認をとるだけ」
「確認……」
ハイアサースには康大の話の意味が理解出来なかった。
言うまでもなくザルマも同じだ。
似通った知能レベルなのだから、すぐに察することなどできようもない。
ちなみに圭阿は自分の役割をよく認識し、最初から考えることを放棄していた。
そうこうしている間に王城を出て、4人は教会に到着する。
教会に入ると、そこまで信仰心の厚くないザルマもなにやら敬虔な気持ちになる。
しかし、そんな気持ちを台無しにするいびきが、扉を開けるのと同時に飛び込んできた。
康大はそのいびきの出所に向かって、一直線に向かって進んで行く。
「クリスタさん、起きてください」
「ん、ああ、んん……」
口をムニャムニャさせながら、なんとも頼りない姿で老魔法使い――クリスタは目を覚ます。
――と思ったらまた眠ってしまった。
康大はそれを必死になって起こそうとする。
ただ敬老精神があるのか年寄りに慣れていないのか、あまり手荒なまねができず、かなり苦戦しているようだ。
ハイアサースが手伝ってやろうと康大に近づこうとしたが、それをザルマが止めた。
「このままアイツが用事を済ませるのを、ただ見ているのもつまらん。せっかくだから俺達なりに推理してみないか?」
そう言ってにやりと笑った。
本当に推理ゲームがしたかったわけでもない。
ただ好き放題秘密主義を貫いている康大に対する、軽い嫌がらせだ。
そうとは知らないハイアサースは、「いいだろう」とこの提案にすぐに乗った。
「面白そうだな。拙者も参加しよう」
意外にも、圭阿もザルマの提案に乗ってくる。
けれど視線はしっかりと康大の方に向き、いつでも動ける体勢は取っていた。
そして康大が予想外のことでまごついている間に、3人の推理合戦は始まる。
「結局誰が黒幕なんだ? 少なくともアムゼン殿下や国王陛下ではないだろう」
「当たり前だ鳥頭、貴様の口は誰でも分かることしか話せないのか」
「も、申し訳ありません!」
圭阿の指摘にザルマはすぐに恐縮する。
社会的な身分はザルマの方が、異邦人で貴族ですらない圭阿より圧倒的に上だ。そもそも貴族でもないのだから『卿』という敬称自体おかしい。
だが精神的には完全に奴隷と神だったため、両者ともにそれを不自然だとは思わなかった。立場が時に変わる"主人"ではなく、不変の"神"だ。
圭阿の叱責を快楽に感じる変態思考回路も、かなり早い段階で構築されていた。
「ふふふ、お前は本当に頭の回転が遅いな!」
「お前に言われたくないわ牛女」
「なんだとう!」
ハイアサースに関しては、何の気兼ねもなく悪態をつく。
不格好で、ただ太っているだけのハイアサースなど、気を使う必要性が全く感じられない。それに比べて、神の造形もかくやと思わせる圭阿の無駄のないプロポーションと、その若々しさに満ちあふれた愛らしい顔には畏敬の念すら抱く。唯一不満なのは、今着ている無駄に詰め物をしたドレスだ。より身体に密着し、そのすらりとしたプロポーションを強調するようなドレスであったなら、もう女神そのものにしか見えないだろう――。
そうザルマは気味の悪いことを考えていた。
「それで牛女、お前は誰が黒幕だと思うんだ」
「ふふ、それはもうあのジェームスとかいう男だろう。なんせ相方が捕まったのに、無視して逃げるような碌でなしだからな。女にはだらしないし、本当にコータとは大違いだ」
「なんだ、惚気話か?」
「そ、そんなわけないっぺ!」
顔を赤くして、ハイアサースは否定する。
ザルマは呆れた。
ザルマから見れば2人は似合いの恋人だ。ハイアサースに対する容姿の評価が低いので、釣り合いに関しても問題は感じられない。
こういう下らない煽りにいちいち反応していないで、とっとと所帯でも持てばいいのにと、常々思っていた。
「はいあさーす殿はじぇーむすが怪しいと思っているでござるか。確かに能力的には申し分ないかもしれませぬ。ですが拙者は違う考えでござる」
「ほう、面白い、聞かせてくれ」
「御意。まずじぇーむすが違うと思う理由についてでござるが、それは何より康大殿に近づきすぎだからでござる」
「近づきすぎ?」
ハイアサースは首をかしげた。
ザルマにも言葉の意味はよく分からない。
ただ声も美しいなと、いつものように無駄に感動していた。
「じぇーむすほどの男なら、康大殿の洞察力の鋭さはすぐに理解出来ましょう。もしじぇーむすが黒幕ならある程度康大殿から距離を取るはず。それ故の近づきすぎでござる」
「確かに……さすがケイア卿!」
「お前は話の途中で茶々を入れるな!」
「申し訳ありまア――ッ!!!」
ドレスを翻す華麗な前蹴りが、ザルマの下腹部よりやや下に突き刺さる。
恍惚の表情で蹲るザルマ。
肉体的には耐えがたい苦痛だが、精神的にはご褒美に近かった。
圭阿はそんなザルマを無視して話を続ける。
「――以上のことから黒幕ではないと。拙者が黒幕と思うのは――」
「思うのは?」
ハイアサースは思わず息を呑む。
それを見た圭阿は、コウタの真似をするかのように一呼吸入れもったいぶってから言った。
「えいぷる公爵でござる!」
「……誰?」
突然出てきた名前に、ハイアサースは首をかしげた。
そんなハイアサースにザルマがあからさまに呆れた顔をする。
そんな事も知らないのかと。
「エイプル公爵は我が国で3番目に広大な領土を持つ大貴族ではないか。晩餐会でも陛下の近くにいたのが見えなかったのか。これだから田舎者は」
「いや、話に一切出なかったから知らん」
「とにかく拙者が思うに、今回の後継者争いで日和見を通し、共倒れを狙っていた公爵こそ、黒幕だと思うのでござる。あの権力に興味がなさそうな素振りは、芝居でござろう。明敏な康大殿なら既に気付いているかと」
「さすがケイア卿、見事な推理です!」
「うーん、なにかいきなり全く知らない人間の名前聞かされてもなあ」
盛り上がるザルマとは対照的に、ハイアサースの態度は冷めていた。
やがて用件を終えたのか、康大が戻ってくる。
「何を聞いていたんだ?」
「内緒」
康大はそう言ってハイアサースの質問をはぐらかし、先に教会を出ていった。
3人は顔を見合わせるが、結局それ以上聞かずに康大の後に続く。聞けば教えてくれるような素直な性格でないことは、全員が分かりきっていた。
「そういえば教会で3人で話してたみたいだけど、何話してたんだ?」
教会を出てすぐ後、康大は不意に近くにいたハイアサースにそんなことを聞いてきた。
素直にハイアサースが答える前に、
「それはお前が何を聞いていたか言ってからだ!」
とザルマが鬼の首を取ったように言う。
ザルマとしてはどうしてもそれが聞きたかった。
康大は少し悩んでから、
「それは駄目だ。俺が秘密にしているのは、何ももったいぶってるわけでも嫌がらせでもなく、今後の計画のためにそれが絶対に必要だからだ。ただまあそうだな、とりあえず確認したら予想通りだったとだけ言っておく」
そう返事をした。
ザルマも、それ自体が計画の一部と言われれば強くは言えない。
不承不承という感情を隠しもしない表情で、ザルマはため息混じりに答えた。
「私達は誰が犯人か推理していたんだ」
「へえ、具体的には?」
「乳女はジェームス、ケイア卿はエイプル公爵がそうだと思っている」
「お前は?」
「私か? 私もケイア卿と同じだ!」
自信満々に答えるザルマ。
しかし、圭阿が言う前は誰が犯人かの目星すらつけていなかった。
完全に尻馬に乗った発言である。
康大はザルマの答えに少し考えるような素振りを見せ、
「ところでエイプル公爵って何者だ?」
身も蓋もない感想を言った。
その瞬間、圭阿ががっくりと肩を落とす。
探偵が名前も知らない人間が、犯人なわけがない。
そんな圭阿を、ハイアサースが優越感に充ち満ちた目で見下す。
尤も、そのマウントも長くは続かなかったが。
「ちなみにジェームスも違うぞ」
「・・・・・・」
「同じ穴の狢でござるなあ」
今度は圭阿がハイアサースの肩をポンポンとたたき、嫌な笑いを浮かべた。自信満々でいた分、ダメージも圭阿より大きい。
「それよりそのエイプル公爵ってどういう人間なんだ?」
「それは――」
責任をとってか、圭阿がエイプルについて、ザルマより詳細な説明をする。
血統的、状況的、政治的なその説明は、聞いていて確かに納得出来る部分が大きかった。特に今回の王都警備の責任者で、スパイを侵入させやすいという話に関しては、康大も「なるほど」とひどく感心した。
「――以上でござる」
「よく調べたな。確かに犯人にはうってつけの人間みたいだ。おそらくアムゼン殿下も、その男を中心に調べていたんだろうな」
「しかし、エイプル公爵でないとしたらいったい……」
「ま、そこはあくまで秘密ということで。さて、腹も減ったし何か食べたいな。また食堂にでも――」
康大がそう言っていると、以前会ったアムゼンの執事が向こうから近づいて来た。
今度は何の用だとザルマが訝しんでいると、
「アムゼン殿下より、朝食のお誘いに参りました」
とのことだった。
晩餐と違い、このセカイでは朝食は基本的に個人や家族単位でとる。
そんな朝食に招待されることは、晩餐に招待されることよりさらに光栄なことであった。
あまりの申し出にザルマの脚は震え、冷や汗さえ流れる。
しかし別セカイの人間である康大はどこ吹く風で「腹も減ってたしすぐに行きます」と、平然と答えた。
(こ、この男……)
康大の傍若無人ぶりにザルマは絶句する。
そんなザルマの気持ちなど全く気付いていないふうで、「何が食べられるのかな」と、楽しそうに康大は執事について行った。
「お前とは器が違うのだ」
未だに釈然としない感情を抱えているザルマに、圭阿は我が事のように誇らしげに言った。
ザルマは歯がみして悔しがる。
敬愛する人間に全く信頼されていないことではなく、未だ信頼に値しない自分自身に。
朝食会は本城ではなく、本城近くにあるテラスのような場所で行われていた。
コアテルなら部屋に籠もり1人で食事しただろうが、アムゼンはそんな臆病な真似はしない。
むしろ自分の健在ぶりを見せつけるように、優雅に、かつ堂々と椅子に座っていた。
たとえ内通がなかったとしても、コアテルに後継者の目はなかっただろう。
いや、だからこそ内通などという危険な橋を渡ったのか。
平然としているアムゼンを見ると、ザルマはそう思わずにはいられなかった。
「朝から色々とご苦労だな」
「殿下ほどではありません」
康大はそう答えながら、アムゼンが勧めるのも聞かずに平然と向かいに座る。
アムゼン本人は気にしていないが、周囲を囲む護衛の騎士達は一様に顔をしかめた。
さすがに屋外でたった1人、護衛もつけずに食事をするほどアムゼンも不用心ではない。
そんな彼らがこの無礼者を手打ちにしても、何の不思議もなかった。
このセカイの常識など知らず、警戒心に乏しい康大は自分が置かれている状況に全く気付いていない。
一方、このセカイの常識があり、臆病で周囲の警戒を怠らないザルマは恐怖で鼓動が急上昇した。
(本当に無知というのは無敵だな)
自分のことは一切顧みず、ザルマはそう確信する。
「さて、いよいよ明日の生誕祭のために各国の賓客も集まりつつある。首謀者は分かったのか?」
「・・・・・・」
アムゼン相手に同じようにはぐらかすか、それとも素直にしゃべるか、ザルマは固唾をのんで見守った。
さすがにこの状況でそんなことをすればただでは済まないだろう。
その一方で、アムゼンに対しても傲岸不遜な態度をとってほしくもあった。
複雑な気持ちでザルマは康大の一挙手一投足を見守る。
「はい、完全に当たったかどうかは分かりませんが、目星はつきました」
「それを私に言う気は?」
「あります」
康大は後者を選んだ。
ザルマはホッとしながらも少し失望した。
やはり権力には勝てないか。
そう思っていたが――。
「というか、聞いて貰わないと困ります。今のところ私の考えは私しか知りません。もし私が死んだ場合、全てがうやむやになってしまいますから。その点殿下はしっかりと護られ、亡くなられた時点で、そもそもグラウネシアがどうこう言っていられる状況ではないでしょうし」
「はは! 確かに。お前の言う通り私がこの国で最も安全かもしれないな」
「とはいえ殿下以外の人に聞かれても困ります。お耳汚しを」
そう言って康大はアムゼンに近づく。
護衛の1人が咄嗟にそれを止めようとしたが、他ならぬアムゼンによって制止される。
もし止めなかったら、康大はその場で首を切られていたかもしれない。
そんなこととはつゆ知らぬ様子で、康大はアムゼンに耳打ちした。
名前だけ言ったわけではないのか、内緒話は意外に長かった。
アムゼンはその間、疑問をさしはさまず黙って聞いている。
全て言い終えると、康大はまた向かいに座った。
「なるほど、な。それで、どうするつもりだ? 私はこの一件を貴様に一任している。今すぐ捕まえるというのなら兵を貸してやるが――」
「その時になればお願いしますが、それは未だ結構です。今動けば、首謀者を捕まえられるだけで、計画自体はそのまま進行してしまうかもしれません。全容を暴くまで泳がせておくべきかと。どうぞ許可を」
「・・・・・・」
アムゼンは黙り込み、無精髭をさすりながら考える。
「どうぞ許可を! 殿下!」
康大にしては珍しく、再度強くアムゼンに許可を求める。
その強引な態度に、アムゼンも少し驚いたようだが、わずかに笑い、
「それは許可出来ない」
――と答えた。
康大はがっくりと肩を落とす。
幾分大げさすぎるように見えるのは、当てつけか。
しかし、すぐに康大は気持ちを切り替え、アムゼンに言った。
「分かりました。そう仰るのでしたら、私も殿下の御意に従います。しかし、せめて殿下のお役に立てるよう、作戦には参加します。よろしいですね?」
「ん……ああ、いや、そうだな、粉骨砕身励むがいい。よし、時間も惜しい、すぐに開始するぞ」
「御意。ところで私まだ朝食をとっていないのですが……」
「知ったことか。行くぞ」
「ああ……」
アムゼンは立ち上がり、康大に自分についてくるよう指示する。
康大は、口は災いの元という言葉を痛感したような顔で、護衛に周りを囲まれ、囚人のように連行される。
「ああ、みんなは待っててくれ。作戦会議には俺1人で参加する」
去り際、当然ついていこうとした3人に、康大はそう言った。さらに圭阿にだけは何か耳打ちをして、結局1人でアムゼンと一緒に王城に行ってしまう。
特に指示もなかったザルマとハイアサースは呆然とした。
ハイアサースが圭阿に康大に何を言われたのか聞いたのかは、それからしばらく経ってからだった。
「とりあえずはいあさーす殿と役立たずが暴走しないように見ていてくれ、と言われました」
「暴走などするか!」
ハイアサースがムキになって否定する。
『・・・・・・』
圭阿だけでなくザルマにも、すでに康大の懸念が的中しているように感じられた。
「話はそれだけですか?」気を取り直したところで今度はザルマが聞く。
「いや、あと1つ。そちらはどうにも奇妙なのだが……」
圭阿はもったいぶるというより、考えながら釈然としない表情で言った。
それがすぐに理解出来たザルマも、あえて急かしはしない。
そして2拍ほど置き、言われたことをそのまま伝える。
「もしじぇーむすが頼ってきたら、出来るだけ話を聞いてやって欲しい、と」
「ジェームス?」
突然名前が出てきた元本犯人候補に、ザルマは首をかしげる。
それは言い出した圭阿も同じで、2人とも意味が全く理解出来なかった。
「いったいどういうことでしょうか?」
「私に分かるか。康大殿の深慮遠謀は一忍者などには到底及びもつかないところ――」
「まあアイツが何を考えているのか、私達が考えたところで時間の無駄だろう。それより、だ」
表情を変え、ハイアサースが真面目な顔で言った。
「そろそろ朝食にしないか?」
その言葉と同時に、彼女の腹の虫も素晴らしく情けない音を奏でる。
「お前は……」
「てっきり朝食にありつけると思ったら、結局何も食べられなかったからな。とりあえず私は先に行くぞ。腹が減っては何とやらだ」
ハイアサースは返事も聞かずに、本城に向かって歩き出した。
今は食事と言えば本城らしい。
ザルマと圭阿は珍しく顔を見合わせ、これまた珍しく同じようなため息を吐きながら、そのあとについて行った……。
3人は、以前中華料理を作った食堂に向かった。
注文はザルマが行い、外連味のないワイン、パン、ハムのセットがテーブルに置かれる。
それを見た圭阿は「本当にお前役立たずだな」と殺意の籠もった目でザルマを睨んだが、これは完全な逆恨みだ。
ただ睨まれた本人は、それなりの快感を手に入れていたので、損はしなかった。
「まずまず美味いな」と言いながら、ハイアサースはばくばく食べる。
隣の圭阿は少しずつ、つまらなそうな表情でゆっくり食べていた。
もちろん理由は中華料理を食べ損ねたことにあるのだが、ザルマにはそんな圭阿の姿がこの上なく優雅に見えた。
「おかわり」
そう言って空になった皿を側にいた長い髭を生やした給仕らしき男に渡す。
しかし給仕は皿を受け取っただけで、何も言わずその場を去ることすらしない。
これにはハイアサースも腹を立て、「とっとと行ったらどうだ」と文句を言った。
「いや、俺が思うに嬢ちゃんは食いすぎなんじゃないか?」
「なんだとう! おらの田舎じゃこれぐらいは当たり前だっぺ!」
売り言葉に買い言葉のハイアサース。
呆れるザルマ。
しかし圭阿だけは彼がどういう存在か気付くことができた。
「おぬしはジェームス!」
咄嗟にドレスの胸物から苦無を取りだし、臨戦体勢を取る。
その瞬間わずかに乳首が見えていたのだが、残念ながらザルマはそれに全く気付くことが出来なかった。
敵意を向けられたジェームスは自分の無害さを強調するように両手を上げ、付け髭を外し、給仕服まで脱いで見せた。
「そんな顔しないでくれよ。まあ俺のことを怪しいと思うのは分かるが、話を聞いてくれないか?」
「そうだぞケイア、コータもそう言っていたではないか」
「む……」
ジェームスだけでなくハイアサースにまで言われれば、圭阿も引かざるをえない。
苦無はしまったが、それでも警戒は解かなかった。
ジェームスはわざとらしく胸をなで下ろし、許可も取らずにテーブルに座る。
「ところで大将から何か言われたことがあるらしいが、いったい何を言われたんだ?」
「ああ、お前が頼ってきたら話を聞いてやるように言っていたんだ」
ハイアサースが正直に答えてやる。
これが康大ならもったいぶっただろうなと思いながらも、ザルマにも正直に答えること以外選択肢がなかった。
「あの坊主は本当にどこまで知っているのやら……」
「少なくともお前よりは物事を知っているだろう」
「かもな」
ジェームスは自嘲気味に笑った。
その後すぐに表情を改める。
「それじゃあその天才様の厚意に甘えるか。実は本来ならアイリーンと一緒にやるべき仕事があったんだが――」
「あの女を助けに行くのか!?」
ハイアサースが話の途中で、興奮しながら言った。
変わった性格とはいえ、そういったヒロイン救出物語にはそれなりの憧れがあったのだろう。
しかしジェームスは首を横に振った。
「あいつは自分の意志で捕まった。なら俺はそれを尊重するさ。けど仕事に穴を開けちゃあいけない。で、その仕事をお前さんらに手伝ってもらいたいと」
「康大殿に話を聞くように言われているが、内容によるでござる。拙者達とて、暇ではない」
「そりゃ分かってるさ。大将はアムゼン殿下に呼ばれていろいろ忙しいんだろ? 大将の力は借りない、俺が頼みたいのは一言で言えば監視さ」
「監視?」
ザルマが鸚鵡返しに言った。
「ああ。王都は関所と海、それにジャンダルムという要害で囲まれていはいるが、完璧というわけでもない。特にジャンダルムはどこかの誰かが綱を渡して、誰でも通れるような道を作ったりもしていたしな」
「・・・・・・」
圭阿は素知らぬ顔をする。
しかし、ザルマとハイアサースは素直で、2人とも咄嗟に視線を逸らす。
ジェームスは苦笑した。
「まあ最初はあんなもの作ったお前さんらがグラウネシアの人間かとも思ったが、なんというか、その、平和すぎてな。途中から疑うのがばかばかしくなってきたよ」
「・・・・・・」
圭阿は表情を変えず、黙して答えなかった。ただ、なぜ宿舎でいきなり近づいてきたのかは、よく分かった。
ザルマとハイアサースはこういうときどういう反応をすればいいか分からず、2人してうんうんと、意味もなく知ったような顔で頷いていた。
「それにしてもまさかお前さんらがアムゼン殿下の手の者だったとはな。それがなんでインテライト家に仕えているのかよく分からないが」
「・・・・・・」
圭阿は相変わらず何も言わない。
けれど深く考えず、反射的に生きているザルマやハイアサースは口に戸を立てることができなかった。
「いや、私はずっとインテライト家の家臣だぞ。コウタにしてもアムゼン殿下とは初対面だったからな」
「お前はそう軽々しく口を開くな」
「申し訳――へげっ!」
圭阿はザルマの脳天に肘を叩き落とす。
ちょうど舌が挟まり、かなりの地獄絵図であったが、それでもザルマは幸せだった。
恐怖を覚えたのはハイアサースとジェームスだ。
口から血を垂れ流しているのに笑顔でいる男というのは、気持ち悪医を通り越し純粋に恐ろしい。
念のためザルマにハイアサースが回復魔法をかけている脇で、ジェームスと圭阿の話し合いは続く。
「ますます面白い連中だな。しかし、あのアムゼン殿下がそんな会ったばかりの人間をあそこまで重用するとは」
「話しは以上でござるか? ないなら拙者達はお暇させていただくでござる」
「ああ、悪い悪い、脱線しすぎた。最初に言った通り頼みたいのは監視だ。俺はジャンダルム、アイリーンは王都、とりわけ酒場を監視してたんだが、それが出来なくなった」
「つまり拙者達に酒場を見張っていろと?」
「察しが良くて助かる。なあに、君がいつもやってるようにすればいいだけさ。俺が具体的にどうしろと指示しなくても、充分何をすればいいのか理解してるだろう?」
「・・・・・・」
相変わらず圭阿は答えない。
極力手の内を晒さないようにしていた。
今回はザルマもハイアサースも口に手を当て、物理的に何も言わないように努める。
ジェームスはそんなちぐはぐな3人を見てまた苦笑した。
「まあそんなわけでよろしく頼むわ。いちおう俺の方で何かあったら知らせるが、お前さんらが俺に知らせる必要はない。今回の騒動で殿下に次いで重要な人間はお前達の大将なんだからな、そのことだけ肝に銘じておけばいいさ」
言いたいことを言うと、ジェームスは空になった皿を持ってどこかに行ってしまった。
その背中を見て「おかわり……」とハイアサースは呟いたが、その声は誰の耳にも届くことはなかった……。
その後、遅い朝食を終えた3人はそのままあの酒場へと向かった。
さすがにあんな事件があったのに昼間から酒を飲んでいる人間もいないだろうと思って中に入った3人であるが、豈図らんや、未だ日も高いというのに店内は大盛況だ。
座れそうなテーブルを探していると、丁度顔見知りがいたので、その人間がいる席に座る。
「おお、確か坊主の連れの」
「そう言うお前はクリスタ……だな」
ザルマが老魔術師、クリスタに向かって高圧的な態度で言った。
康大と違い敬老精神より身分階級を重視するザルマは、目上でも相手の地位が低ければへりくだったりはしない。
クリスタもその点はわきまえており、いちいち気分を害したりはしなかった。
「いやあ、良くねえなあ。若いのが朝からこんな所に入り浸るなんてよ」
「私とて好きで来たわけではない。これも仕事だ」
「ザルマ」
圭阿がザルマの軽口を窘める。
今回は注目を集めるので、実力行使はしない。
「仕事、ねえ……」
「ところで先ほど康大殿と話していたようでござるが、いったい何を?」
「あーそれな、悪いけど言えねえんだ。坊主に口止めされていてな」
そう言ってクリスタはけらけら笑った。
どうやらクリスタにも口止めしていたらしい。
そしてクリスタは宮仕えをしているだけあって、適当に見えて締めるところは締める人間だった。
圭阿は表情こそ変えなかったが、内心では落胆する。
「で、お前さんらはどんな仕事をしてんだ?」
「まあ酒を飲みながらの楽な仕事でござる」
圭阿はそう言って当然のように酒を注文した。
こんな所に来て酒も頼まずじっとしていれば、怪しいのは明らかだ。まず何より周囲に溶け込む必要があった。
ただ、門外漢であるハイアサースやザルマにはそれが分からない。
「(ケイア卿、今酒を飲むのは控えるべきかと)」
「(そうだ、私達には監視という任務があるんだ)」
2人して圭阿にそう言った。
圭阿は深くため息を吐く。
「飲まないなら出て行くでござる」
圭阿は笑顔で、拒否権を一切認めない態度で言った。
「……暴飲は教義に反する。私は教会で礼拝でもしてくる」
ハイアサースはそう言って、酒場を出て行く。
彼女には乗り気でない任務を遂行するより、もっと大切なことがあった。
しかし、ザルマには任務……というより圭阿以上に大切なことはない。
「わ、私は残ります! おい店主! 一番強いやつを持っていこい!」
そもそもの任務も忘れ、いきなりそんなことを言うザルマ。
圭阿は更に呆れ、明らかな軽蔑の視線を向けた。
(こ、ここで男を見せなければ!)
それが全く分からない単細胞。
とはいえザルマもそこまでアルコールに弱いわけではない。貴族の付き合いをしていれば、嫌でも先には強くなる。
実際、最初の1,2杯では顔色も大して変わらなかった。
とはいえ人間限度がある。
持ってくる酒をそれこそ浴びるように飲み続け、気付けば――。
「……zzz」
――1人の駄目人間が出来上がっていた……。




