第35話
「――というわけだ」
大方話し終えたところで、ミーレもボイスレコーダーの停止ボタンを押した。
これで後はその報告書とやらにまとめるだけだろう。
結局話した後も特に気付いたことはなかったが、その代わりに、大して重要でもないあることを思いだした。
「そういえばお前犯人が誰か当てるって言ってたな。いちおう殺人事件の関しては犯人はアムゼンだったけど、当たったのか?」
【あ、ああ、そんなことあったかしら?】
ミーレは白を切る。
どうやら完全に外したようだ。
いったい誰の名前を書いたのか気になるところだが、あの性格ではそれを書いた封筒もすぐに捨てただろう。
「とりあえずもう用はないだろ。俺もいい加減起きないと」
【まあ待ちなさい。アタシが思うにあの2人が怪しいのよね。何て言ったっけ、船越英○郎と多岐川○美?】
「はいはい」
康大は適当に答え目を開ける。
「起きたか」
目を覚まして初めに声をかけたのはザルマだった。
目覚ましコールがむさ苦しい男だと、それだけであまり良い一日とは思えない。
「……おはよう」
「おはよう、ではない。そろそろケイア卿が戻ってくる、しゃっきりしろ」
「何かあったのか?」
「それを調べに行っているのだ。あの乳女と伴にな」
「みんな朝が早いな……」
康大は欠伸混じりに答える。
それから少しして、話にあった圭阿とハイアサースが戻って来た。
せめて朝食でも持ってきてくれたらなと暢気に思っていた康大に、2人は冷水を浴びせるかのような報告を持ってくる。
「外が騒がしかった理由がわかったでござる。あいな様が殺されたでござる」
「いちおう私が棺に入っていた死体を確認したが、おそらく昨晩のうちには殺されたのだろうな。切られた首を見た限り、そういう傷痕だった」
「本当か!?」
ザルマは絶句する。
一方康大はその事態をすぐには理解することが出来なかった。
しかし、頭がはっきりするようになれば、事態の重大さに気付き、表情を変える。
「アイナ様が……」
ザルマはその場で頽れた。
あの性格を考えれば、決して好意など抱いていなかっただろう。けれど、今まで主の主と仰いできた人間の死は、その事実だけで衝撃だった。
ザルマと違い、そういった感慨が一切無い康大は、すぐにショックから立ち直り現状の分析を始める。
当然気になったのは、
「そもそもなんであのオバさんが殺されたんだ?」
ということだ。
アイナはインテライト家にとって重要だが、それ以外の人間にはもはや利用価値などない。
後継者のコアテルは失脚どころか罪人として捕まり、グラウネシアについても全く何も知らない。いちおう現王妃であるため人質には使えるかもしれないが、それは生きていた場合だ。
またしてもあの性格を考えると、この騒乱を利用した怨恨殺人ぐらいしか、康大には理由が思いつかなかった。
「犯人は分かってるのか?」
「女中が捕まったようでござる」
「じゃあ怨恨か」
康大は断言する。
「まあ分からんでもないな」
「陪臣として否定しなければならないところだが、なまじ知ってるだけに……」
ハイアサースもザルマも否定はしなかった。とりわけザルマの感想は実体験を伴った、なんとも説得力のあるものだった。
「あの……」
4人で死んだ人間に対し冒涜的な感想を言っていると、扉の外から女性の声がかけられた。
康大が今まで聞いたことのない声で、仲間達に尋ねても皆首を横に振った。
「コウタ様、でいらっしゃいますね。内々にお話があるのですが……」
女は少し申し訳なさそうな声で、そう言った。
圭阿は康大に一瞬目配せし、弾き飛ばすように扉を開け、倒れた女ののど元に苦無を当てる。
「ひっ」っと声をあげた女は若いメイドで、涙目で怯えながら圭阿を見ていた。
圭阿は彼女の無防備すぎる姿を確認すると、苦無を納める。
安全が確認されたようなので、康大は倒れたメイドに手をさしのべた。
「すみません、今色々殺気立っているので」
「い、いえ……」
メイドは手で目をこすり、なんとか平静を装いながら立ち上がった。
スカートが少し濡れている気がしたが、さすがにそれを指摘するほど康大も無神経ではない。
「それで、いったい何の用で?」
「あ、はい! その、アイナ様が殺された犯人として捕まったメイドが私の同僚なんですけど、是非コウタ様を連れてきて欲しいって」
「俺を?」
言うまでもなく康大にメイドの知り合いなどいない。
食事で給仕を受けたことはあるが、話したこともないし目を合わせてすらいない。印象に残ったのは、今目の前にいるこの女性ぐらいだ。
「どうする?」
「うーん、とりあえず行ってみるか……」
ザルマの問いかけに、康大はそう答える。
今日が期限とは言え、まだ具体的にやることは決まっていない。そのメイドと会うことで、これからの指針が決まる可能性もあるように思えた。
「あ、ありがとうございます!」
大仰に喜ぶメイド。
よっぽどのその捕まったメイドと仲が良いのか。
それともメイドの人徳が素晴らしいのか。
いずれにしろ興味は引かれた。
それからそのメイドの先導で、康大達は彼女の同僚が捕まっているという地下牢獄へと向かう。
途中まではすんなりいけたが、さすがに牢獄へと続く階段前では、衛兵に止められた。
しかし康大が自分とアムゼンの名前を出すと、すんなりと衛兵はその場を退いた。
まだここに来て数日だが、それなりに自分の存在も知られているのかもしれない。
(本当にあの時刺されないでよかった……)
有名になるのが一日遅かったことに感謝しながら、康大は階段を下った。
地下牢は全体的に湿った空間でかび臭くネズミも這いずり、上の絨毯敷きの広間との対比がすさまじい。まさに天国と地獄だ。
先導したメイドも牢までは入ったことがないのか、ひどく怯えていた。
それでも囚人達から下卑た声がかけられるのにも耐え、必死で友人のメイドを捜す。
そして、最も奥の牢にその姿を見つけ、大きな声で叫んだ。
「アイリーン! 連れてきたよ!」
「!?」
その名前は康大にとって予想外過ぎた。
まさかあのアイリーンが。
康大は慌ててその牢に駆け寄った。
「ふふ、久しぶり……というほどでもないか。おはよう坊や」
「・・・・・・」
鉄格子の向こうにいたのは、粗末な布の下着だけで顔も身体も痣だらけであったが、それは間違いなくあの美女スパイ、アイリーンであった。
「なんでお前が……」
「それをこれから説明するわ。あ、貴女はもう帰って良いわ。色々ありがとう」
「えっと、大丈夫?」
「心配しないで。それより早くここを出た方がいいわよ。ここにいると貴方まで共犯を疑われるわ」
「え、あ、その、ごめん」
メイドは駆け出すように牢屋の階段を上る。
やはりこのアウトローな空間は、繊細そうな彼女にはきつかったようだ。
走り去って行くメイドを見送りながら、他の仲間達もアイリーンの牢の前に立った。
「みんな元気そうで何よりだわ。でも彼にせっかく会えたのに、この顔じゃ女として屈辱ね」
康大の背後にいるザルマを見ながらアイリーンは自嘲的に言い、少しだけ牢の奥へと移動する。
幸いにも牢の中にはアイリーン以外誰もおらず、話を聞かれることもそれで彼女が襲われることもない。
「コウタの話だとお前、アムゼン殿下の部下じゃなかったのか? なんでアイナ様を……」
そう尋ねたザルマの顔に怒りはなかった。
あるのは困惑だけだ。
ザルマの問いかけに、アイリーンはわざとらしく指を厚い唇に当てる。
囚人がそんな仕草をしても滑稽なだけだが、彼女の場合どんな状況でも男を魅了する力は失われなかった。
「質問に答える前に、1つだけ騙していたことを謝るわ。私達、そもそもアムゼン殿下の部下じゃないのよ」
「なんだって!?」
ハイアサースはあからさまに驚いたが、康大と圭阿は表情を変えなかった。
ここまでくれば、さすがにそれぐらい察しがつく。ザルマにしてもそこまで驚いてはいなかった。
「ふふ、どうやら察しがついてたみたいね。でもグラウネシアのスパイでもないわ。その2つだけは事実よ。信じてもらえるとは思わないけど」
「じゃあいったい誰が本当の主なんだ?」
「それは言えないわ」
康大の質問を、アイリーンは取り付く島もない態度で退けた。罪人となり、今にも処刑されそうな人間には見えない、悠然とした雰囲気だった。
「それを言えば、私という存在が地に落ちてしまう。少なくとも全てが終わるまで、殺されたって言うつもりは無いわ。でもこれだけは言える、私はアイナ王妃を殺していない」
「じゃあなんで捕まったんだよ」
「いちおう私、アイツが御者をやっているように、ここでは副業としてメイドの仕事をしてるの。それもアイナ王妃付きのね。その日隣の部屋に詰めていて、朝様子を見に来たら、死んでたの。そしてたまたま部屋に来た兵士に捕まったわけ」
「逃げなかったのか?」
「逃げようと思えば出来たわ。でもあそこで逃げると、任務に支障が出るのよね。だから大人しく捕まってやったわけ」
「・・・・・・」
どこまで信じていいのか分からない。
アイリーンは童貞男子高校生の康大が信じるにはあまりに妖艶すぎ、余裕がありすぎた。
さらに本当の雇い主についてこの期に及んでも黙り、何の秘密も打ち明けない。
そんな人間を信じるというのが、どだい無理な話だ。
康大がどう言えばいいか悩んでいると、物事を非常に単純に捕らえるハイアサースが代わりに言った。
「結局お前は冤罪を証明して欲しいのか?」
「いいえ」
アイリーンは首を振った。
「捕まった時点で殺されることは覚悟していたわ。後はアイツがなんとかしてくれるだろうし。ただその前に、話せることは話しておこうと思っただけ。ふふ、私的なことだったら男性遍歴までいくらでも話すわよ」
「・・・・・・」
アイリーンの顔は虚ろそうに見えたが、その目には強い意志が感じられた。
使命を何よりも重視し、死を受け入れている。
そんな顔だ。
それは康大には絶対に共感出来ない生き方だった。
元のセカイでは生き残るために、有形無形色々な物を犠牲にしてきた康大には。
「……ジェームスはアンタのために何もしないのか?」
意志を覆すことは不可能だし、康大にはその権利も理由もない。知り合いが死ぬのは哀しいが、たったそれだけの感傷のために彼女の生き方を否定することまでは出来なかった。
「しないわ。必要ならするでしょうけど、アイツと私はそういう関係でもないから。坊やとそこの彼女とは違ってね」
「そうかもな」
康大は苦笑した。
今回アムゼンから任された任務も、自分とハイアサースの命には代えられない。
……お互い生きているか死んでいるか分からない状態ではあるが。
「――と、そういえば敢えて聞く必要もないから聞かなかったけど、ゾンビ化について何か知ってるか?」
「ゾンビ化? 何かの魔法か毒薬かしら? 私はあまり詳しくは無いわ」
「だろうな。いや忘れてくれ。それじゃあグラウネシアのスパイじゃないって言ってたけど、何かしらの証拠は示せるか?」
「無理ね、さすがにそんな物あるなら捕まる前に見せてるわ」
「うーむ、厳しい状況だな」
ハイアサースは腕を組み眉間に皺を寄せる。
そんなハイアサースにザルマも同調した。
「そうだな、アイナ様には怨恨以外にも殺される動機があるからな」
「あれ、そんなものあったっけ?」
康大が不思議な顔をする。
そんな康大に、ザルマは今更なんだと言った顔をした。
珍しい構図だ。
「お前が教会で言ってただろう。グラウネシアの件をアイナ様に調べるよう指示されたと。それはつまりアイナ様がグラウネシアの件の責任者であり、その責任者が殺されたら、犯人がグラウネシアのスパイだと疑われるのも当然だ」
「あー……」
康大は頰を引きつらせた。
そういえば、その場しのぎの出任せでそんなことを言ったっけ。
言った本人はすっかり忘れていた。
そもそも少しでも考えてみれば、アイナが責任者でないことなど分かるはずだ。現場の責任者である康大が、明らかにアムゼンの指揮下にある上、自分の息子がグラウネシアと内通し、それすら知らなかったのだから。
「あら、あの方がそんな大役になったの? そこそこ側にいたけど全然気付かなかったわ」
「まあそれは――」
康大はアイリーンの話を肯定しようとして、言葉を飲み込む。
勘違いされているのなら、あえて真実を話す必要もない。
アイリーンはまだ完全に味方と確定したわけではないのだから。
(というかそっちの方が事実として知られてるなら……)
状況的に怨恨の線は思い切り薄くなる。
そもそもただの素人に、アイリーンの目を盗んで殺害が実行できるとも思えない。
逆にアイリーンがやはり真犯人だったと仮定した場合、彼女にアイナを殺す動機がない。感情で殺すような人間なら、自ら冤罪を受け入れたりはしないだろう。
犯人がグラウネシアのスパイという点は間違いないはずだ。
ただ、アムゼンの側近たちは自分が責任者であることを知っている。
そしてアイナが責任者だという嘘をついたのは、ここにいる仲間――正確にはザルマとハイアサースだけだ。
「なあザルマ、ハイアサース。2人ともアイナ王妃のことを誰かに話したか?」
康大がそう聞くと、2人とも同じように心外だという顔をして抗議した。
「するわけがないだろう! 私とて話していいことと悪いことの区別ぐらいつく!」
「私も話していないぞ! お前は婚約者が信じられないのか!?」
「悪い悪い、ただ確認しただけだ」
2人に康大は平謝りする。
「どうしたの坊や?」
「いや、今まで全く分からなかった黒幕の正体が、このタイミングで一気に分かった気がしたんだ。アイナ王妃の死も無駄じゃなかったってことさ」
「へえ、それはすごいわね……」
「もし俺の予想通りなら、アンタの冤罪も晴らせる。まあ当たることを期待していてよ」
「そうね、この豪華な客室で楽しみにしているわ」
そう言って康大に投げキッスをする。
くぐってきた修羅場が違うのか、本当に肝が据わっている。
自分には絶対に到達出来ない境地だなと思いながら、康大はひらひらと手を振り返した。
「それで、何が分かったんだ?」
牢から出る階段を上っている途中、ザルマが不意に聞いてきた。
帰りは行きより更に適当で、衛兵も食事でもしに行ったのか1人もいなかった。
ここまでくると完全な職務怠慢だ。
敢えて今優秀な人間を割いてまで、アイナ殺人犯程度を監視しようとは思っていないのか。
「そうだな……」
そんなことを考えながら、康大はいつものもったいぶった反応をする。
おそらくハイアサースも圭阿もそれを知りたがっているのだろう、耳をそばだてている。
だが康大は、
「壁に耳あり障子に目あり、残念ながらここで言うわけにはいかない。けどまあ、そう遠くない頃に嫌でも気づかされるはずさ」
結局いつものようにはぐらかすばかりであった……。




