第20話
「これは……」
康大は絶句した。
以前来たときは、ずっと外で待っていたので、中の様子までは分からなかった。
しかしこうして中に入ると、その扉と室内のギャップに何も言えなくなった。
「これは逢い引き部屋か」
代わりに、女性経験がそれなりにあったらしいザルマが、平然とその部屋を分析した。
元の内装は扉から分かる通り粗末な物置小屋だったのだろう。
それを刺繍された布などで飾り、床にも藁の上に絨毯が敷かれている。
最も注意すべき部屋の真ん中で、そこには物置小屋には似つかわしくない、天蓋付きの古びたベッドがあった。
そしてベッドの上には。
「下着がそのままになってるな。それにやたら香水臭い。少し前までしてたな。噂でそういう場所があるとは聞いていたが、実際に見るのは初めてだ」
ザルマが呆れながら言った。
事後を見ても冷静に言えたあたり、童貞でないことは間違いなさそうだ。
一方の康大は突然連れてこられた簡易ラブホテルに、童貞感丸出しで目を皿のようにしながら、かつ頭が真っ白になっていた。
自覚出来るほどの取り乱しぶりに、今まで思い切り格下に見ていたザルマが、不意に自分より上の人間に見えた。
「しかしこんな所で真面目な話をするのもなんというか……」
「私もザルマと同意見だ。まあ睦事はするだろうが、密談をする空間ではないな。だからこそそれを疑われないわけではあるのだが、う~ん……」
ハイアサースが難しい顔をする。
2度目であることを考慮しても、康大ほど取り乱してはいない。最初の時も腹は立てていたが、今の康大のような焦りや羞恥は全くなかった。
結局、性に対する耐性は、この3人でダントツに康大が劣っていた。
普段えらそうにしていても、こればかりはいかんともしがたい。
本当にどうしようもないほど童貞丸出しである。
「まあこんな所に長居してもしようがない。ザルマ、先ほどしようとしていた話はなんだ?」
未だ呆然としている康大の代わりに、ハイアサースがザルマに聞いた。
「ああ、話とは言うまでもなくアイナ様のことだ。持てるツテを使ってなんとか面会にこぎつけたんだが、やはり自分は無罪だと主張していたよ。それとコアテル殿下のことより、フェルディナンド様の事を心配しておられた」
「相変わらずひどい母親だな」
「今更否定はせんが、あの方の浮沈にインテライト家の繁栄もあるのだから、文句も言えん。で、他にコアテル殿下に会おうともしたのだが、こちらは上手くいかなかった」
「何故だ?」
「アイナ様と違って、コアテル殿下自身が人に会いたがらなかったのだ。現在幽閉状態のアイナ様は、とにかく自分の無罪を主張しようと、自陣営の人間と連絡を取りたがっておられた。一方コアテル殿下は、今回の事件で自分も狙われていると思い込んだのか、信頼できる者しか面会を許されない」
「自分も狙われてるって、今回の事件はコアテルの部下の誰かがしたんじゃないのか?」
「その場合、コアテル殿下が手綱を握りきれず、誰かが暴走した可能性が高いだろう。いずれにしろ、把握はされていないだろうな。ちなみにコアテル殿下自身でアイナ様の潔白を証明する様子は、特に無かった」
「この親にしてこの子か……」
ハイアサースは軽蔑を隠しもせずにため息を吐いた。
ザルマも内心では同じことを思っていたのか、それを咎めたりはしなかった。
「――というのが俺が聞いた話だが、これからどうする?」
「え、あ、そ、そうだな……」
話を振られ、康大は頭を切り換えようとする。
しかし、視線は脱ぎ捨てられた下着と、訳ありの染みに向いたままだった。
あまりの情けない姿に、ザルマは失望のため息を吐いた。
普段とは全く逆の反応だ。
「今まで色々な奴に会ってきたが、お前ほど童貞臭い童貞は居なかったぞ。そこの乳女にとっとと筆降ろしをしてもらったらどうだ?」
「お前は人を娼婦みたいに言うな。シスターが婚前交渉など出来るか」
「・・・・・・」
2人の生々しい話に、康大は呆気にとられる。
こんな部屋を準備するあたり、本当にこのセカイの住人は、性に対して開けっ広げだ。
それとも今の日本が逆に性に対して厳しすぎるのか。
未婚率の高さも頷ける。
未だ状況が理解出来ない康大は、そんなとりとめもないことを考えた。
「とにかくここでは、そこの童貞は使い物になりそうもない。場所を変えよう」
「それが良さそうだな」
「・・・・・・」
反論も出来ないまま、康大はザルマとハイアサースの後について部屋を出る。
康大は外に出た瞬間、大きく息を吸い込んだ。
ようやく呼吸ができた気がする。
それほどあそこは男と女の密度が高い空間だった。
「……ふう」
「それで童貞、これからどうする?」
「童貞言うな!」
康大はいつものように反論した。
ようやく調子も戻って来たかと、ザルマが苦笑する。
「馬鹿話はそれぐらいにしろ。どうて……じゃなかったコータ、これから――」
「ちょっと待て」
康大はハイアサースの言葉を止めた。
そしてしばらく辺りの様子を窺い、
「向こうで何かやってるな……」
人の流れが一方に偏っていることに気付いた。
「これから何をするにせよ、とりあえず行ってみよう。まあ具体的に何すればいいかなんて、元から思いついてないけどな!」
「自信たっぷりに言うな。それにしても何があったんだ?」
ハイアサースが率先して人波に向かって行く。
やがてそれが、王城中央の噴水に集まっていたことを知る。
さらにその中心には、康大どころか、おそらくこの場にいる全ての人間が知っている超有名人が居た。
「皆の者、アムゼン様は戻ってこられた!」
ザルマほどの年齢だが、背が高く、漆黒の全身鎧を纏ったひどく威圧感のある騎士の男が叫ぶ。
その隣には、輿に担がれたアムゼンが居た。
どうやら外出出来るまでには回復したらしい。
ただその日焼けした肌は青白く、体調が悪いことは誰の目にも明らかだった。もし完調していたら、本人が大勢の前で、アジテーターよろしく演説しただろう。
黒い騎士の声と同時に、観衆達は大音声で腕を上げた。
その場にいるのは例によって身分の低そうな身なりの者ばかりで、貴族は居ない。とはいえ、周到なアムゼンが貴族達を無視しているとも思えず、おそらく二通りの演説でもしているのだろう。
そんなアムゼンの代わりに黒い騎士は続ける。
「今回の件は非常に残念な事件であった。そして犯人としてアイナ内親王殿下も捕まった。しかし我が偉大なアムゼン殿下は、これがアイナ内親王殿下の強行でないことを確信している! よしんばあの臆病な――」
「・・・・・・」
アムゼンが無言でヒートアップしすぎた黒い騎士を窘める。
さすがに家臣の分際で、それは言いすぎだった。
「……いや、慎重なコアテル殿下の所行でもない! 今回の件は全てグラウネシアによるものである!」
再び観衆達が声を上げる。
そんな人間達の中にあって、康大は微動だにせず、冷静に男の演説の解釈を始める。
まず、ジェームスとの会話から、アムゼンがアイナを真犯人と思っていないのは明白だ。
ただ、それを口外したのは意外だった。影では何をしていようが、アイナを犯人に仕立て上げた方が色々と都合がいいはずだ。
そして真犯人と決めつけたグラウネシア。
おそらく他の国の名前だろうが、康大には全く心当たりがない。
とにかくこのグラウネシアについて知らなければ、話にならない。
「(グラウネシアは今色々と込み入った関係にある隣国だ、主に悪い意味で、な)」
事情を察したザルマが、康大に耳打ちする。
(ということは、真偽は別にして罪を仮想敵国になすりつけるわけか……)
大局的に考え、政敵より外敵に視線を向けさせた方が効果的と思ったのだろうか。少なくとも現在真犯人を捜索中と言うよりは、格好もつく。
康大は演説の真意をそう結論づけた。
観衆の熱狂はアムゼンが右手を高々と上げたときにピークになり、地面を揺るがすような歓声が起きる。
ここまでの大声は、アムゼン陣営だけでは出せない。おそらく身の振り方を考え始めた、コアテル陣営の人間も居るのだろう。
何事かと、建物に籠もっていた貴族達も、窓から様子を見始める。
宣伝効果は抜群だ。
歓声を受けながら、アムゼンを乗せた輿は本城へと向かっていく。
今回の犯人が誰であれ、コアテルがアムゼンに勝てる可能性は完全に無くなったなと、康大は確信した。
「さて、俺達も戻――」
康大が振り返った瞬間、彼の背後に予期せぬ人間がいた。
さきほど、アムゼンの代わりに演説していたあの黒い騎士だ。
実際に間近で見てみると、その威圧感は想像以上にあった。
歳はザルマと同じぐらいでも、その彫が深く、肉食獣のようなするどい顔と比べると、草食動物と肉食動物ぐらいの違いがある。
康大は思わず息を呑んだ。
「インテライト家の者だな?」
男は居丈高に言ってきた。
康大は水飲み人形のようにカクカクと頷く。
初対面から高圧的な態度だったが、それに足る威圧感があれば嫌悪感も湧いてこない。
ハイアサースとザルマも康大と同じ気持ちなのか、呆然と男を見ているだけだった。
「アムゼン殿下から話がある。来るがいい」
言うだけ言うと、黒い騎士は踵を返し、歩いて行く。
康大が2人に何か言おうとする前に、いつの間に背後に来たのか、部下らしき別の騎士に強引に歩かされる。
どうやら拒否権は存在しないらしい。
そして3人は一切の抵抗も許されず、アムゼンが待つ本城へと連れて行かれるのだった……。




