第18話
宿舎を出た康大とハイアサースは、特に目的もなく王城内をぶらぶらと歩いた。
アムゼン王子暗殺事件は、王城にいるほぼ全員が知ることとなったのか、それまでと空気が全く違っていた。
内緒話の多さは変わっていないが、今はそれに加えて誰もが焦燥感を持っていた。
さらに、もう完全に日も暮れているというのに、人通りも全く減っていない。誰も彼もが突然の出来事に完全に浮き足立っていた。
しかし、その中には真実を知り、芝居をしている真犯人もいるのだろうか。
康大は歩きながらそんなことを思った。
一方のハイアサースはもっと単純で積極的だ。
「それで誰に話を聞く? アイツなんか怪しそうだぞ」
ハイアサースが指を差したのは、スキンヘッドで筋骨隆々、さらに顔が傷だらけの山賊のような男だった。
おそらく誰かが雇った傭兵だろう。人相が悪く、普段は本当に山賊同然のことをしているのかもしれない。
つまり、ただそれだけの存在だ。
「時間の無駄だ」
康大はにべもなく却下した。
「むむむ……では誰から話を聞くのだ!?」
「聞かないよ。俺達みたいな身分の低い赤の他人が話しかけて、べらべら話してくれると思うか?」
「だったらどうするんだ、まるで無駄に歩いてるだけじゃないか」
「無駄じゃないさ」
康大は少しだけニヒルに笑った。
自分がしたところでジェームスのように様にならないことは分かっているので、本当に少しだけだ。
「どんな内緒話も、完全に内緒にすることなんて出来ない。どうしても声が漏れるもんさ。だから歩きながら耳を澄ますんだ。そういう話を聞き漏らさないように」
「耳を澄ます……それって盗み聞きじゃないのか?」
「別の言い方ではそうだな」
「そういう卑怯なマネはどうも好きになれないな」
「だったら俺と一緒に歩いているだけでいいさ。シスターが隣にいたら、だいたいの人は気が緩むだろう」
「むむむ……」
ハイアサースが眉間に皺を寄せる。
自分が案山子のような役目しか持てず、不満なのだろうか。
「だったら私も聞き耳をする!」
果たして康大の推測通り、ハイアサースは大して役に立てないのが不満のようだった。
両耳に手を当て、誰がどう見ても聞き耳している姿で歩く。
康大は苦笑した。
隠密行動をしているなら止めるべきだろう。
だが、いくら内緒話とはいえ、肝心な秘密をおいそれと一目のある所では話さないし、あからさまに堂々と聞き耳を立てている人間が、本当に盗み聞きをしているとも思わない。ハイアサースのシスターの格好も相まって、むしろ内緒話をしている人間を咎めるように見えるだろう。
そうなると、皆警戒心が薄れ、反応もおざなりになる。中にはわざわざ声を大きくして話し、自分の潔白を証明するような敬虔で真面目な人間もいた。
つまり真面目すぎるハイアサースの態度は、情報収集に有効に働いたのだ。
しばらく2人で歩き続け、不意に康大は足を止める。
(結局――)
そして今まで集めた情報を、頭の中でまとめ始めた。
結論から言えば、皆、犯人には興味がないようだった。ザルマと同じようにアイナにできるわけがないと思っている人間もいたが、真犯人が誰かまで捜そうとはしていない。
彼らにとって重要なのは犯人ではなく、これからの身の振り方だ。
特にコアテル陣営にはそれが顕著で、どうやってアムゼンに渡りをつけようかと、その相談がほとんどだ。
死んだアス卿を悼んでいる人間に関しても、1人もいなかった。
アス卿自身に人望がなかったかもしれないが、それ以上に自分自身のことが大事なのだろう。
それを康大は身勝手だとか、冷酷だとかなじるつもりはない。
康大自身、現実セカイにいたときは、生きるために非人道的な振る舞いを多くしてきたのだから。
「……あの」
じっと立ち止まり考えていると、不意にか細い声がかけられる。
ハイアサースではない。彼女は未だ分かりやすい聞き耳を続けている。
声をかけてきたのは質素なドレスを着た、妙齢の身分の高そうな女性だった。着ている服は地味だが、なかなかの美人だ。ただ康大はその胸が上げ底であることを、瞬時に見抜いていた。
「シスターにお話があるのですがよろしいですか?」
その女性はおずおずとそう切り出した。
どうやら用があったのは自分ではないようだ。
ハイアサースは聞き耳を止め、視線で康大に尋ねる。
康大は首を縦に振った。
罠……を張られるほど康大達の捜査は、まだ真犯人の脅威とはなっていないはずだ。そもそもしていること自体、自分達以外知らないだろう。
それを踏まえれば、新しい情報を手に入れる機会を捨てることもない。
康大のゴーサインを受け、ハイアサースは鷹揚に頷いた。
暗かった女性の顔も、幾分明るくなった。
「それでは教会に――」
「いえ、教会は内談の場所と知れ渡っているので、あそこに入る姿を見られると、あらぬ疑いをかけられてしまいます。別の場所でお願いできませんか?」
「まあそういうことでしたら」
ハイアサースは不承不承頷く。
その後女性はハイアサースを連れ、今まで入ったことの無い建物へと誘った。
建物自体は立派だが、女性が入るように勧めたのは裏口のおんぼろな扉だった。
怪しさを覚えた康大がまず中に入って様子を探ろうとしたが、突然女性が康大の前に立ち塞がり、なんとも嫌そうな顔をした。
「……悪いですけど状況が状況なんで、こちらもおいそれと知らない場所に入るわけには」
「・・・・・・」
そう言っても女性は頑として譲らず、その場から動こうとしなかった。
これには康大だけでなく、ハイアサースもため息を吐く。
「彼は信頼できる。問題はない」
「いえ、それは分かっているのですが、見ず知らずの男性に聞かれると私の立場が……」
女性はそう言って俯く。
どうやらそういう話らしい。
康大は少し考えてからハイアサースに「何かあったら大声で叫べ」と言い、外で待っていることにした。
これ以上こだわり続ければ、ただの出歯亀と思われてしまう。
康大の言葉にハイアサースは頷き、2人はその建物の中へと入っていった。
外で1人待たされることになった康大は、その暇な間に目を瞑る。
暇つぶしに丁度良い相手は、常に身近にいた。
【おいーっす、元気~?】
暗闇の先には、完全に出来上がっている元女神の何かがいた。
周囲がやけに騒がしい。
まあそれも当然だろう。
そこはどこからどう見ても、居酒屋だったのだから。
ミーレは赤ら顔で、しっかりと大ジョッキを握りしめていた。
【ほらねー、アタシが言ったじゃん。殺人事件が起きるってさー】
「まあこっちのセカイだと、殺人事件と言うよりは暗殺事件といった感じだけどな。トリックも糞もないし」
【まー魔法アリアリのセカイだからね~】
「そっちの女神の世界でも、殺人事件とか起きるのか?」
【ないわ】
ミーレは断言した。
やはり神同士は争いなどしないのかと、康大は少し感心したが、
【そもそも神様って死なないし】
物理的な要因が理由だったらしい。
【殺してやりたいブスは何人もいるんだけどね。死なないからね。超丈夫だから。6600万年前の隕石衝突をライブで見て、その後「思ったよりアレだったねアレ。そこそこヤバい」とか、IQ6ぐらいの感想を言いながら平然と帰ってくる連中よ】
「それはすごいな」
尊敬には全く値しないが。
【まあそういうわけで、アタシらの中には自分達にはあり得ない殺人事件とか、そういう話がめっちゃ好きなのが多いのよ。ぶっちゃけ血の気が多いわけ。それで、アンタは誰が犯人だと思う?】
「わかるわけがねえだろ。知ってる容疑者候補絶望的に少ないし、現場も被害者も冤罪っぽいおばさんも見たことすらないし」
【でもだいたい今まで会った人間の中に、犯人がいるもんじゃん。ぽっと出の奴が犯人だったら、抗議の電話殺到よ?】
「だからそれはテレビの中の話だろ」
【アンタがそのセカイにいるのが、もうテレビの話みたいなもんでしょ】
「・・・・・・」
それを言われると、康大としても返す言葉がない。
【まあアタシは酒飲みながら楽しく見てるわ】
「本当に羨ましいぐらいいい根性してるな。せめて何かアドバイスでもないのか」
【そうねえ~】
ミーレは焼き鳥を囓りながら考える。
今は女神姿ではなく、何故かスーツを着ていたので完全にどこかのOLだ。康大もだんだん、くだを巻いているだけのOLに説教されているような気になってくる。
【ま、アタシが言いたいのは、所変われば場所変わるってことよ】
「ところ……いや、冷静に考えると同じ意味じゃねーか!」
【そうだっけ? まあいいや。とにかくアンタはまだ自分の世界の常識を、そっちのセカイに持ち込みすぎてるわ。もっと柔軟になりなさい、洗剤みたいに。あ、すみませーん、枝豆追加で】
「柔軟……」
OLの説教でも、今の話には聞くべき点があったような気がした。
確かにミーレの言う通り、今回の事件を康大はまず科学的にどうにかしようと考えていた。今でも科学的に証明すれば、ある程度の冤罪は晴らせると思っていた。
けれどこのセカイには魔法があり、科学的ならぬ魔法的捜査が存在する。
その魔法があれば、科学的な証拠すらでっち上げることも出来るかもしれない。
康大はそれをほとんど知らなかった。
それが今考え得る最大の弱点なのかもしれない。
(写真だけで満足してたけど、もっと他の魔法についても知った方がいいかもしれないな)
康大は後でアイリーンにさらに詳しく話を聞く必要性を感じた。
【すみませーん、生中追加で。……ごく……ごく……ぷはぁ! この一杯のために生きてるわね! まあ死なないけど。最後にもう1つ、アンタは自分がゾンビであることを忘れないように。良くも悪くも、ね】
「ああ」
珍しく真っ当なアドバイスだったので、康大は素直に返事をした。
ひょっとしてこの女神は、アルコールが回っているときの方がまともなのかもしれない。
ただその後、「あ、出る……」という不吉な言葉を言ってきたので、すぐに目を開けた。お互い肉体的接触は出来るので、可能な限り被害は防がなければならない。
ミーレとの役に立ったのか、立たなかったのか分からない暇つぶしから少しして、建物の扉が開き、先にあの女性が出てきた。
言いたいことが言えたのか、大分スッキリした顔をしている。
それから少し遅れて出てきたハイアサースの顔は険しく、不機嫌そのものといった様子だ。
康大はとりあえず事情を聞く。何かヒントがあるかもしれない。
ハイアサースは「相談と言うより懺悔だったから、あまり詳しくは言えないが――」と前置きしてから、
「あのジェームスという男は最低だな!」
と、それだけでほぼ内容の8割が分かりそうな文句を言った。
康大としてもそれだけ分かれば充分だ。
別に赤の他人の色恋沙汰など興味はない。
「それではまた情報収集を再開するか。今度は有益な情報を持っている人間の相談だといいな」
「それなんだが、その間に改めてアイリーンに聞きたいことがあるんだ」
「アイリンーン?」
ハイアサースが首をかしげる。
そういえばまだ自己紹介もしてなかったなと思い出し、康大はアイリーンが誰かハイアサースに教えた。先ほどの会話からそれを察することは、ハイアサースには未だ難しかったようだ。
説明後、ハイアサースの表情がまた険しくなる。
「まさかお前あの女の色香に……」
「ちげーよ。彼女からこのセカイの捜査について、もっと詳しく聞きたかったんだ。逮捕……処罰が下されるまで魔法がどういった働きをするのかなって。あの時は証拠集めの方法しか聞かなかったけど、その証明方法とかむしろそっちの方が重要なのかも知れないんだよ」
このセカイにDNA検査や指紋照合の技術がないことは火を見るより明らかだ。指紋は当然のこと、DNAとて魔法で変えられるかもしれない。
ただ、逆にこのセカイだからこそ使える証明方法があってもおかしくはない。
その候補が多ければ多いほど、真相究明に近づくのだ。
ミーレの話を聞いた康大は、そう思い至った。
「……お前の話はよく分からないが、とにかく犯人捜しのために必要であることは理解出来た。それでは早速捜そう!」
ハイアサースは歩き出す。
どこに行けばいいのかも分からないのに、適当な方向に。
康大はそんな彼女を慌てて止めた。
「出たら目に歩き回っても疲れるだけだ。まあ宿舎で待ってるのが一番確実なんだけど、とりあえず知ってそうな人に話を聞こう」
「それはつまり、コウタのような胸が大きい女が好きなスケベ男を捜せということだな」
「・・・・・・」
ハイアサースのある意味で鋭すぎる指摘に、康大は一瞬言葉に詰まった。
康大が用意していた答えにはかすりもしない。
しかし、間違いではない。
間違いではないのだ。
声を大にして否定したかったが、それは許されないことだった。
康大はそのかわりにある方向を指さす。
ハイアサースがそちらに視線を向けると、そこにはつい先ほど懺悔していた女性の小さくなる背中があった。
「彼女から聞くのか?」
「ああ。ジェームスとアイリーンはコンビみたいだから、ジェームスを知っていれば察しもつくかもしれない」
「普段はあの女と乳繰り合っているのか……。本当にあの男はどうしようもないな」
ハイアサースはうんざりする。
さすがにそれはハイアサースの誤解だと康大は思ったが、否定するのも面倒なのでそのままにしていた。
婚約者がモテる男に嫌悪感を持つという状況は康大にとって好ましい。
そんな康大の浅ましい下心などかほども知らない様子で、ハイアサースは先ほどの女性に声をかける。
女性は最初怪訝な表情をしたが、警戒まではしなかった。
ある程度シスターとして信頼されているのだろう。
「実は聞きたいことがあるのだ。先ほどの話にあった男は実は私達も知っていてな。あの男といつも一緒にいる、派手で娼婦のような女のことを捜しているのだが」
端で聞いていてひどい言われようだなと、康大は苦笑した。
せめて色っぽく、胸が大きい妙齢の女性程度の言い方はなかったのだろうかと。
ただその言い方が良かったのか、女性はすぐに何か思い当たったような顔をした。
しかもただ知っているだけでなく、唾棄するような表情までした。
「シスターはあの雌豚のお知り合いで?」
ハイアサース以上にひどい言い回しだった。
どうやら彼女とアイリーンは、非友好の極みにあるような関係らしい。
こういう相手にどう説明すればいいのか分からないハイアサースは、助けを求めるように康大を見る。
康大は少し考えてから、場に即した適当な理由をでっち上げた。
「実は以前彼女に金を貸していたんですが、返してもらえず……。それで、居場所を探しているんです」
「まあまあそれはお気の毒に……」
女性は康大にひどく同情するような態度をとった。
しかし目は完全に笑っている。
どうやらアイリーンの失点が、嬉しくてしようがないらしい。
女の醜いところを見せつけられた気がしたが、今回はそれが幸いした。
「おそらくあの女はあの建物にいますわ。あそこは酒場のような所で、夜な夜な淫靡な催しをくり広げているとか。本当に汚らわしい話です。是非お金を取り返してきてくださいな」
「あ……ありがとうございます」
人のことが言えた義理かという言葉を飲み込み、康大は礼を言った。
それから女性と別れ、彼女の姿が見えなくなったとき、
「あいつはそんなことしてるのか……」
真に受けたハイアサースが、吐き捨てるように言ってきた。
アイリーンに対する誤解は、色々問題がありそうなので、康大は念のため解いておくことにする。別にハイアサースの言うように色香に惑わされたからではない。
断じてない。
「おそらく情報を集めるために、色仕掛けでもしてるんだろう。彼女がああ言ったのは、単に嫉妬によるものさ」
「嫉妬……ああなるほど」
その言葉だけでハイアサースにも合点がいったようだった。
いったいあの女性はハイアサースにどんな懺悔をしたのか。
人間関係的な興味はないが、男子高校生ならではの性的な興味は多少沸き起こった。
もちろんそれをいちいち確認するわけもなく、康大とハイアサースは言われた建物へと向かう。
今の時刻は、王城の外の住民はほとんど眠っている。
そのため、王城内では至る処にかがり火が焚かれているが、やはり相当暗い。
それにも拘わらず、その建物の扉を開けると、煌々とした明かりが2人の目に飛び込んできた。
おそらくただのランプや松明ではなく、魔法の明かりを使っているのだろう。結界が張られているのは本城だけで、それ以外の場所は普通に魔法が使えるのかもしれない。
更にやたら熱気もあり、全体的に酒臭かった。
あの女性の言った通り、ほぼ酒場だ。
そして捜していたアイリーンは、鼻の下を伸ばしている男共に囲まれ、その中心にいた。
康大とハイアサースはその人の輪を縫うように、アイリーンに近づく。
「あら坊やじゃない。今日は彼女とお楽しみかしら?」
「話がある」
しなを作るアイリーンを無視し、康大はすぐに本題に入った。
こんな所に長くいたら、臭いだけでも酔っ払いそうだ。
けれどアイリーンはそんな康大を窘め、その頭を自分の首元まで近づける。
突然のことに康大はされるがままだ。
そんな康大の耳元に息を吹きかけるように、アイリーンは囁いた。
「言いたいことは分かるけど、こんな人の多いところ話しちゃまずいでしょ?」
「・・・・・・」
「おいおい、その坊主とはどういう関係だよ?」
親密すぎる康大とアイリーンのやり取りに、隣の酔客が絡んでくる。
その見た目から察するに衛兵だろう。鎧を着たままでこんな所に来るとは、末端まではそこまで緊張感はないらしい。
「やあねえ、この子は弟みたいなものよ。ちゃんと彼女もいるし。それよりあなた――」
アイリーンは2つほど隣にいた、赤ら顔の老人を呼ぶ。
突然の指名に好色そうな顔で近づいて老人に、アイリーンは言った。
「この子達があなたに用があるそうよ」
「俺に?」
『!?』
突然全く面識のない赤の他人を紹介され、康大とハイアサースは呆然とする。
いったいアイリーンは何を言っているのか。
そんな2人に、アイリーンは全てを氷解させる答えをもたらした。
「彼はあの暗殺事件の現場に立ち会った魔法使いなのよ」
『――!』
老人の方は「いやあ」と照れながらも自慢し、康大とハイアサースははっとする。
アイリーンに伝聞で聞くより、本職の人間に聞いた方がはるかに正確だ。アイリーンはこの場に来ただけで、康大達の用事を細大漏らさず完璧に理解していたのだ。
やはり食えないなと、康大は思った。
しかし今はそれが頼もしい。
「可愛がってる子達なの、その2人に良くしてあげてね。その分アタシが後でたっぷりサービスるから」
「ほっ、こりゃいい」
孫ほど年が離れているアイリーンの色目に、老魔法使いは更に鼻の下を伸ばす。
いい根性しているなと、康大は呆れ、また感心した。
話がついたところで、3人は酒場……ではなく正式名称"慰安所"の片隅へと移動する。
「さて、坊や達はこんな老いぼれに何が聞きたいんだ?」
テーブルに着くなり、老魔法使いは本題に入った。
アイリーンと引き離されても、それほど嫌そうな顔はしていない。酒の肴として康大達の話に興味でもあるのか。
なんにせよ、聞く気になってもらえたのなら話しやすい。
康大は口を開いた。
「俺達は魔法を使った捜査について知りたいんです」
「魔法を使った捜査?」
老魔法使いは首をかしげた。
どうやら具体的な話をしなければならないらしい。
「その、例の暗殺事件について詳しく知りたいんです。どうしてアイナ……様が犯人になったのか、とか」
「ああ、その話か。確か色々嗅ぎ回ってる奴らがいると聞いたが、まさか坊や達のこととはな」
「有名なんですか?」
「まあそんなことする変わり者は、滅多にいないからな。貴族の大部分は自分の家のことだけ考えて、宿舎にいるような連中は上の指示待ちか就職活動さ」
「・・・・・・」
どうやらこの日本では、武士道精神は希薄らしい。
(ああでも――)
――実際の日本でも戦国時代は似たようなものだったという。ああいう姿勢が実際に取れるのは、江戸時代以降の平和な期間だけだと。
つまりこのセカイは、決して平和などではないということだ。
康大は魔法使いの話を聞きながら、そんなことを考えていた。
「――と、無駄話しちまったかな。年寄りの悪い癖だ。若い奴と話すとつい口が軽くなる。えっと……それでなんだっけか?」
歳を取ると口は軽くなっても、記憶の扉は重そうだった。
「アイナ様が犯人になった経緯です」
「ああ、それな。まあ俺みたいな下っ端が行ったときには、全て終わってたさ。空間固定の魔法……坊やは知ってるか?」
「はい、その時の空間……景色を保存する魔法だと」
「感心感心、その通りだ。知名度が低いから使える人間も少なくて、まあ俺みたいな奴でも宮仕え出来たんだよ。で、それを使うように言われたんだが、まあ大方真相を解明するためじゃなくて、王国史に記録するためのもんだったんだろうな。俺が来たときにはほぼ片付け終わってて、まあ綺麗なもんだったさ」
「つまり禄に尋問もせずに、アイナ様が犯人と決めつけたと?」
「まあ多少は聞いただろうさ。ただやり方が毒殺だ。誰が犯人かなんて分かるわけがない。結局一番犯人らしい人間が、そのまま犯人にされたわけだ」
「・・・・・・」
現代日本なら考えられない杜撰さだ。
だがこのセカイではそれが当たり前なのだろう。
そしてまったく捜査をしていないあたり、科学的な証拠はこのセカイで役に立つようには思えない。
とにかく誰にでも分かる形で犯人を証明しなければならなかった。
そのための情報はまだまだ足りない。
「じゃあ凶器になったワインは、詳しく調べていないんですか?」
「凶器だからな。どんな魔法がかけられているかも分からないから、アス卿と殿下が倒れてすぐ消滅させたって話だ」
「消滅……」
これも現代日本では考えられない話だ。
証拠がなければ立証も出来ないのだから。
だがここではそう考える自分の方に問題があるんだなと、康大は頭を切り換えた。このセカイではそのワイン瓶から悪魔が現れても、不思議ではないのだ。いつまでも凶器を放って置くわけにはいかない。
「その消滅したワインを復活させる方法ってあります?」
「さすがにそんな魔法は知らないなあ」
「それじゃあ、空間固定の魔法で記憶した物を、今実際に見せてもらうことは?」
「そりゃ無理だな。いちおう機密事項だ。誰かお偉いさんの許可でもない限り、おいそれとはできんさ」
「そうですか……」
現時点で空間固定を利用することは難しそうだ。
そこで康大は今までとは別の方向から、事件にアプローチしてみた。
「ところで今回は既に犯人捜しが終わっていましたが、あなたの力で解決した事件はありませんか?」
「俺の力で解決? 解決ねえ……」
老魔法使いは眉間に皺を寄せ、考え出す。
年寄り故に長い時間がかかると康大は思った。
けれども年寄りは、昔の話ほど早く思い出すもの、老魔法使いからの返事は予想以上に早かった。
「降霊術を使っていくつかあったな」
「降霊術……」
アイリーンに聞いた通りの操作内容だ。被害者が一番犯人に詳しいのだから、まず降霊術、それが当たり前だ。
ただ今回は毒殺なので、被害者には犯人を知りようがない。
それでも被害者の声を聞けるにこしたことはない。
「今回のアス卿に関してはそれをしましたか?」
「まさか。毒殺だと明らかだし、今は微妙な状況だ。何より降霊した際、生前隠していた秘密をべらべらしゃべる可能性がある。アス卿の魂はすぐに強制昇天させられたみたいだぜ」
「・・・・・・」
強制昇天という単語が気になったが、康大は今は敢えて聞かなかった。年寄り故に長い説明になりそうな気がしたし、それ以上に知ればいたたまれない気持ちになりそうな気がした。
ちなみに強制昇天とは文字通り、魂が地上にたゆたうモラトリアム的な期間を中断し、強引に霧散させる魔法である。昇天とはいいながらも、その後魂がどこに行くのかは、使った本人さえも知らない非人道的な魔法だ。康大の懸念は完全に当たっていた。
「では降霊術以外の魔法を使って解決した事件はありませんか?」
「降霊術抜きか……。ああ、1つだけあったな。今回みたいな毒殺事件で。殺されたのはある夫人で、その愛妻家だった旦那からどうしても犯人を見つけてくれって、頼まれたんだよ」
「本当ですか! その時の話を是非聞かせてください!」
康大は思わず身を乗り出す。
その拍子にテーブルのワイン瓶が床に落ちそうになった。
それを老魔法使いが咄嗟に拾う。
飲んべえだけあって、酔っていようが歳を取ろうが、酒のことになると反応が速い。
そして拾ったワイン瓶をテーブルに置きながら、老魔法使いは話を続けた。
「まず俺は、そのときも同じく凶器として使われたワインの成分を魔法で調べてみた。夫人が死んだのはワインを飲んだ直後だったからな。しかも夫人以外誰もワインに触ってなかったとすりゃあ、まず調べるだろう」
老魔法使いはぴんとワインを叩く。
歳の割には中々しゃれっ気のある老人だった。
「そもそも毒っていうのは、使う人間によって特徴があるんだよ。人を殺すようなものならなおさらだ。で、当時の俺は、そこから誰がやったか探ろうとしたわけだ」
「・・・・・・」
もしそれで犯人が見つかったとしたら、康大としては最悪だ。
今回の事件では、物証となるワインがもはやこの世界のどこにも存在しないのだから。
ただ幸いにも、そうはならなかった。
「その結果毒は見つかったし、解明もできた。ただそれは、誰かを特定できるような毒じゃなかった。まあ言うなれば誰でも使える毒だったわけだ」
「誰でも使えるって怖い話ですね」
「そうでもないさ。たとえばこの王城に生えてある植物で、人が殺せるやつを俺は最低でも2つは知ってる。その時使われたのはその内の1つさ。魔力がなくても多少知識があれば、誰でも手に入る。ただ殺せると言っても、そこまで強い毒じゃあなかった。大量に摂取しなければ、まあ何週間は苦しむが死ぬこたあない。けど運の悪いことにその夫人は身体が弱っていて、すぐに毒が効いちまったのさ」
「なるほど」
「で、凶器の線が駄目と分かったら、今度は人に当たるしかないだろう。そういうわけで色々な人間から話を聞いたんだが、その夫人はそもそも人に恨みを買うような人間じゃなかった。その夫人が死んで得するような人間もみつからない。こうなるともう自殺しか考えられないだろう」
「・・・・・・」
康大はガッカリした。
それが結論だったら、長いだけであまり役に立たない話だ。
そんな康大に「チッチッチ」と老魔法使いはわざとらしく指を振る。
「最初に調査した連中もそう判断し、それに納得できなかった旦那が俺に頼んできたんだ。だから、そんな結論じゃあ仕事にならねえんだよ。それで俺も参っちまって、さてどうするべかなあと頭をひねってたら、ある魔法に気付いたんだ」
「魔法!?」
どうやら蜘蛛の糸は未だ切れていなかったらしい。
康大は更に身を乗り出す。
その勢いに老魔法使いは少しのけぞり、「こほん」と威儀を正してから話し始めた。
「そうだ。凶器も動機もないとなったら、もう他のものに頼るしかないだろう。それが俺にとっては壁だった」
「壁?」
それだけの説明では、康大には意味がさっぱり分からなかった。
そんな康大にさらにワインをあおりながら、老魔法使いは得意気に話す。
「俺の使える魔法に壁の声って言うのがある。それはつい最近その場所の近くであった会話を、再び聞けるって魔法さ。大部分の人間は知らないが、声ってのは周囲の壁にある一定期間保存されるんだ。俺はそれを聞くことが出来るってわけ」
「すごいじゃないですか!」
康大は素直に感心した。
その魔法は現実セカイでいうところの盗聴器だ。壁をレコード替わりにした、即席蓄音機でもある。そんな便利な魔法があるなら、捜査以外でも役に立つだろう。
康大の賞賛に老魔法使いは照れたように後頭部をかく。
「いや、まさかそこまで褒められるとは予想外だな。俺の魔法なんて、攻撃も回復も出来ないから、馬鹿にされることばっかだったのにさ。ありがとな小僧」
「いえ、それで、それからどうなったんですか!?」
「ああ、ワインがある場所はワイン倉に決まってるから、俺はそこで壁の声の魔法を使ったわけよ。そうしたら事件の真相も分かった。当時その屋敷は酒ネズミの被害に悩まされていた」
「酒ネズミ?」
「なんだいお前さん、酒ネズミを知らないのか。やたら酒ばっか飲みたがる厄介なあのネズミに決まってるだろ。で、それに困ったある使用人が、ワイン樽に例の毒を仕込んで罠をかけていたのさ」
「じゃあそのワインの残りを間違って?」
「まあまあそう焦るなって。ちなみにその答えは不正解だ。罠用のワイン樽に入っていたワインはちゃんと全部使った。でもどっかの馬鹿が、その時に使ったワイン樽を禄に洗いもしないで、新しいワインを入れちまったのさ。毒はまだ内側に染みこんでて、それを飲んだ夫人が敢え無く……それが真相だ」
「つまり事故だったわけですか。でもその魔法があれば今回の事件も――」
「無理だ」
老魔法使いは断言した。
「なんでですか!?」
「本城は謀略の巣窟だ。そんなところで俺の魔法を使うなんて、許されるわけがない。まあ俺も個人的に誰がやったのかは気になるが、そのために危ない橋まで渡る気はねえさ」
「・・・・・・」
康大は黙り込んだ。
それを会話終了の合図と受け取ったのか、老魔法使いは「それじゃ姉ちゃんによろしくな」と肩を叩き、またあのむさ苦しい男の輪の中へと戻っていく。
康大からすると花の蜜に群がる虫と言うより、蟻地獄にはまり込んでいる蟻の群に見えた。
「でも壁の声か……」
直接証拠探しに使えなくても、盗聴が出来るのならそれは大きな武器になる気がした。
「なあハイアサース、お前はどう思う?」
「・・・・・・」
「ハイアサー……!」
今までずっと反応がなかったので少し違和感は覚えていた。
だがまさかこんな事になっているとは。
「す……座ったまま寝てる!?」
「……ぐー」
ハイアサースは起用に鼻提灯まで作り、背筋を伸ばして座ったまま静かにいびきをかいていた。
時刻は現実セカイに当てはめれば11時頃で、このセカイ基準だとほとんどの人が寝ている時間だ。だが、こんなうるさい場所でも寝られるとは予想外だった。
「……これ以上は無理かな」
康大はそう判断し、寝ているハイアサースを担いで慰安所を出て行く。
その姿を視界に捉えたアイリーンが、手を振った後、指で明らかにそれと分かるような卑猥な仕草をした。たとえこのセカイでは意味が違っていたとしても、彼女がすると下ネタ以外考えられない。
そのため、康大はそれに気付いたが完全に無視し、ハイアサースの胸の感触を背中で楽しみながら宿舎へと戻っていった……。