第15話
「まさかここまで進んでいるとは予想だにしなかったぞ」
宿舎に戻ってから、ハイアサースは水の入った桶に浮かぶ自分の顔を見て、しみじみと呟いた。
それからすぐに回復魔法をかけ、ほぼ一瞬で元の美しい肌に戻る。
「俺もあのアホ王子に言われて気付いたぐらいだ。いや、さすがに胸だけ見過ぎていたかな……」
「その通りだ愚か者。ただ私も胸が苦しかったり、やたら疲れていたのはドレスのせいだとばかり思っていたから、あまり人のことは言えんが……」
ハイアサースはため息を吐いた。
「少し中で休んでるか?」
「悪いがそうして欲しい」
そう言ってハイアサースはベッドに横になる。
部屋には4つベッドがあるので、寝る場所には困らない。ただ自分が寝たあとのベッドで巨乳美女の婚約者が寝るのは少し興奮した。
やがて安らかな寝息が聞こえ始める。
康大は気を効かせて少し胸を緩めようかと思った。
しかしそれがスケベ根性からの親切だと気付き、すぐに手を止める。
ただ鍵もかからない部屋で、このまま婚約者を1人残すのはいかにも不用心な気がした。
そこで康大は隣の、圭阿が寝ていたはずのベッドに特に感慨もなく腰掛け、起きるまで様子を見ていることにした。
昨日の睡眠程度では、疲れが取れきれなかったのか。
自然と瞼も下がっていく。
【人の子よ、キャストだけでなく脚本にも注意が向くようになったら、本物の2時間サスペンスマニアです】
当然のようにミーレが顔を出す。
まだ就業時間なので、背景もいつものオフィスだ。
それにも拘わらず、こんなどうでも良い話が出来るあたり、本当に適当な職場だなと、康大は羨ましく思った。
【ところでそろそろ誰か死んだ?】
「死んでねーよ。不吉なこと言うな」
【いや、そろそろそういう流れになってるんじゃないかと。考えてもみなさい人の子よ、跡目を巡って親族が骨肉の争いを始めたら、もうそれはやっすい2時間ドラマでは?】
「あのなあ……」
康大は目を開けて、このどうでもいい話題を終わらせたかった。
ただ、よっぽど暇だったのかそれとも上司の手前点数稼ぎしたかったのか、ミーレが会話を終わらせない。
【待ちなさい人の子よ! ここからはちょっと真面目な話です。違う経緯を辿ったとはいえ、貴方のいるセカイはあくまで日本。人間の本質はそうそう変わるものではありません】
「・・・・・・」
そう言われると、康大もすぐには反論できない。
このセカイで色々な人に会ってきたが、本質的には元のセカイの人とそれほど変わりないように思えてもいた。彼らも同じ人間だ。
ただ。
「いや、そもそも現実世界でも2時間ドラマみたいな事件起こったりしないから。あくまでテレビの中の話だろ」
フィクションと現実をごっちゃにしてはいけない。
【あら、分からないわよ。船越英○や沢口○子が突然現れて無意味に走って無意味に崖の上に立つかもしれないし】
「意味が分からん」
残念ながら、平均的な男子高校生の康大はミーレのような疲れたOLと違い、2時間サスペンスの知識はなかった。
【まあとにかく人の子よ。もし事件が起こったとき、俯瞰的に物事を見られるのは自分だけと考えなさい。あなたの知識は役に立たずとも、その心構えが大きな意味を持つときが来るかもしれません】
「大きな意味ねえ……ん?」
康大は一方的に会話を中断し目を開ける。
不意に廊下を慌ただしく移動する宿泊客の足音が聞こえてきたのだ。
「どうするかな……」
この状況だ。
無視して部屋にいたら、厄介ごとから逃げ遅れる可能性がある。ハイアサースを1人部屋に残しても、確認した方がいいのかもしれない。
そう結論づけた康大は、ベッドから立ち上がり部屋を出た。
騒動の震源地は簡単に見つかった。ただ人波に飲まれれば良かった。
そこ――宿舎の玄関には大勢の人だかりが出来、その中心には1人の男がいた。
つい先ほど見たような光景だ。
ただ、前回と違うのはその周りにいたのはあまり身分の高そうでない、若い男ばかりだったこと。そして、中心にいた樽を担いだ男は、体格がよく、落ち着いた趣味のよいスーツ着ている精悍な白人金髪の男性だったことだ。
人種的にはコアテルと同じだが、真っ白で幼稚なあばた面ではなく、日焼けし彫りも深く、ニヒルな印象を受ける。
また終始笑顔でいるが、その目は鋭く、油断が見られない。何より顔中にある小さな疵は、まさに戦士のそれだ。はち切れんばかりに隆起したスーツが、その下にある厚い胸板を逆に強調し、多数の勲章もコアテルと違って自身の功績によって得られた物であることは、疑いようもなかった。
男が惚れるような男、そんな空気を漂わせた軍人である。
――ただ、人物眼に優れいているわけでも無い康大にはそこまで理解出来ず、ただ高級将校でも来たのかなあと、それだけの感想しか持てなかった。
「アムゼン殿下! わざわざこんな所に来て頂けるなんて光栄です!」
取り巻きの誰かがそう言った。
そこで康大はその男がアムゼンであることを知る。
コアテルがあのていたらくであったため、まさか対抗馬のアムゼンがここまで威圧感のある人間だとは夢にも思わなかった。
(これは勝てないな)
康大は確信した。
人間の器が違いすぎる。人物眼に長けていない康大でさえ、それは嫌と言うほど理解出来た。
インテライト家は、負けると分かっているギャンブルに手を出したように思えてならない。
それから康大は更に様子を窺う。
成り行き上とは言え、敵対してしまった人間をもっと詳しく知っておきたかった。
「ここじゃあお前達も大して良いものは食えないだろう。差し入れだ、遠慮なく飲んでおけ」
そう言ってアムゼンは、肩に担いでいた大きめの樽を玄関のど真ん中に置いた。
床に置いた瞬間、地面がわずかに揺れる。
てっきり空かと思っていたら、中身があるらしい。もっとも空の酒樽など、何の役にも立たないが。
見た目通り、腕力もかなりのものだ。康大が同じことをしたら、その場で押しつぶされていただろう。
アムゼンの差し入れに誰もが喜ぶ。
このセカイでは酒は嗜好品と同時に娯楽でもあるようだ。
そして酒の前では敵陣営も味方陣営も関係ないらしい。我先にと酒樽に人が群がる。
酒に興味が無い未成年である康大は何とも思わないが、明らかに年下の少年も喜んでいた。もちろん現実セカイの法を持ち出して、それを咎める気はさらさらない。
現実セカイでもそんな野暮はしない。
(コアテルの方じゃ絶対こんなサービスしないだろうなあ)
あのへっぽこ王子は、会ったときに康大の存在さえ無視していた。下等民に王族が構っていられるかという態度が、ありありと出ていた。
それに引き替えアムゼンはざっくばらんで親しげだ。
地位をあまり気にしている素振りもない――。
(いや、ひょっとしたら価値観が逆なだけかも……)
康大はこうも思った。
もしここで何か起こった際、肥え太った貴族やコルセットで締め付けられている貴婦人では、とても戦力にはならない。そして兵士達はまず国王第一で、自分を守るのは直属の家来だけとなる。
だがそれだけの戦力では心許ない。
そこでここにいるような身分は低いが、若く、戦力にはなってくれそうな連中が重要になる。
厚遇されている者ならまだしも、ジェームスのような下っ端に真っ当な忠誠心があるようには思えない。人間誰しも、日頃こき使われている主を、命がけで守る気にはならないだろう。
そんな人間より、次期国王かつ度量が大きい王子を守った方がはるかに得だ。
少なくとも自分達を真っ当に扱ってくれる人間なら、それだけで信用出来る。
――そう、彼らに思わせる打算の元でした行動のように康大には感じられた。
少なくともそう思わせる有能さがアムゼンにはあった。
そんなことを考えながらアムゼンを見ていると、視線が当人と合う。
康大は軽く会釈した。インテライト家がコアテル陣営とは言え、末端の康大までアムゼンを敵視する必要もない。
モブ顔の自分はそのまま目にも止められず、何事もなく終わる。
康大はそう思っていたが、現実は康大の想像通りには進まなかった。
「……そこのお前、ちょっと来てくれないか」
顔を背けることなく真っ正面から目を合わせたアムゼンは、はっきりと康大に向かって言った。
念のため後ろを振り返ってみたものの、そこには誰もいない。
さらに「今振り返ったそこのお前だ」と、駄目押しをされる。
康大は少し考えて、言われたとおり人波をかき分けてアムゼンの前にでた。
何の取り柄もなさそうな康大の登場に、周りの人間達がざわつく。おそらくその理由を色々考えているのだろう。
とはいえ、それは康大も同じだ。逃げれば怪しまれるので素直に従ったが、何故呼ばれたのか見当もつかない。
それが分かるのはこの場ではアムゼンだけだ。
「お前はどこの家中のものだ?」
「……インテライト家です」
康大はわずかに逡巡して正直に答えた。
敵対している陣営とはいえ、それを隠せば無駄な疑惑を持たれる。それに末端の康大まで誤魔化す必要性は感じられなかった。
「インテライト……確か典医の家であったか。アイナ様の侍医だとか」
「……はい」
少し考えてから康大は頷く。
どうやら医者は医者でも、獣医であることをアムゼンは知らないらしい。
正確にはアイナではなくその飼い犬の侍医だ。
ただそれを正直に言う必要までは康大には感じられなかった。なによりジェイコブが側近にだけ伝えている秘密を、簡単に敵陣営の人間に言うわけにもいかない。
それが分からないほど康大も間抜けでは無い。
康大の一瞬の言いよどみに、アムゼンはわずかに眉を動かした。
けれども、実際に問い詰めることはなかった。
それ以上に大きな動き――密かに剣の鯉口を切ったことさえ気付けない人間に、色々問いただしたところで大した意味は無い。
――そう思われていたとは、康大は夢にも思っていなかった。
「・・・・・・」
「あの、何か?」
「いや、ちょっとな」
それからアムゼンは康大に対して興味を失ったとばかりに、そっぽを向いて別の誰かと話し始める。
康大は内心ほっと胸をなで下ろした。
それから横目でアムゼンを見ながら、康大は部屋に戻る。
この程度の騒ぎなら別段問題もなさそうだ。
階段を上り、自然体でノックもせずに扉を開ける。
それが最悪かつ最善の結果をもたらす。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
2人の男女はその瞬間固まった。
ハイアサースは既に起きていた。
それはいい。
ただドレスを脱ぎ、上半身がほぼ裸でその大きすぎる胸を両腕で持ち上げていなければ。
「き、ぎゃああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「うわごめん!」
ハイアサースは踏みつぶされた虫の断末魔のような汚い悲鳴を上げ、康大は慌てて部屋から出て扉を閉めた。
ただ、その時の光景は、彼の両目に両胸づつしっかりと刻まれた。
「い、いぎなり開げるやつがいるがあこのだらず!」
「本当に悪いとは思うけど、この部屋鍵かからないんだよ!」
扉越しに大声で問答をする2人。
誰がどう見ても痴話げんかだ。
幸いにも大部分の人間はアムゼンの元にいるか宿舎いなかったため、部屋には誰も来なかった。
それからしばらくして、蚊の鳴くような声でハイアサースから「入れ」と許可が下りる。
康大は「ふぅ」と息をを吐きながら扉を開けた。
中には不愉快そうに眉に皺を寄せていたハイアサースが、今度はちゃんとドレスを着て待っていた。
「……その」
「何もなかった。それでいいな」
「……うん」
康大は頷いた。
あまり話を長引かせると、更に機嫌を損ないそうだ。
あの見事な巨乳は自分の心の中にだけ留めておこう。
「とにかくこの服は辛すぎる。とりあえず教会に行って修道服を借りてくることにする」
「こんな所で修道服なんか着て大丈夫なのか?」
「修道服は礼服だ、どこに行くにも問題はない。ただ、私が着ると見た目が不格好になるのであまり着たくは無かった。もはや背に腹は替えられん」
「修道服……」
コスプレキタ(゜∀゜)と言いかけて、康大は慌てて口をつぐんだ。
そもそもハイアサースの本職はシスターなのだから、修道服を着ていてもなんら問題はない。むしろ普段のフルアーマーの方がおかしいのだ。
しかし、男子高校生の童貞的な感覚から、どうしてもAV的な連想を止めることが出来なかった。不格好という言葉も、何か淫靡な響きに聞こえてしまう。
「これから私は教会に行ってくるが、お前はどうする?」
「そうだな、他にすることもないし付き合うよ」
「分かった。行く途中にまた変なことするなよ」
「いや、そもそもただ扉開けただけだから……」
康大はため息を吐いた。
これからねちねちと同じことを言われそうだ。
ただその一方で、あのおっぱいにはそれだけの価値は充分にあったかなとも思っていた。
転んでもただでは起きない精神が構築されつつある康大であった。
それから2人は玄関を通って再び教会に向かう。
別の用事が出来たのか、アムゼンはもう玄関にはいなかった。当然その取り巻きも三々五々どこかへ行っている。
……取り巻きどころか番兵すらおらず、宿舎はほぼもぬけの殻のような状態だった。
扉も開きっぱなしだったので、2人は静かに宿舎を出た。
教会に向かうまでの間、特にこれといった人間と出会うこともなかった。
コアテルあたりに会ったら面倒だとは思っていたので、康大にとっては幸いだ。
教会には以前同様神父1人しかいなかった。
教会の作りはどこも同じなのか、ハイアサースは1人すたすたと歩き、すぐに修道服を見つけ、着替えてから戻ってくる。
それからハイアサースは大声で神父に向かい、「お借りします」と言った。
ひどい事後承諾だったが、神父は分かっているのかいないのか判断できない表情で、頷いていた。
「これで少しは楽になったな」
「・・・・・・」
「なんだ、どうした? やはり不格好か?」
「え、いや、まあ……」
康大は言葉を濁す。
康大の頭の中では、身体にぴっちりと張り付き、胸を強調した18禁的な修道服のイメージがあった。
しかし現実は酷で、ハイアサースのような爆乳の人間が着られる服はどうしても太め用の服になってしまい、しかも胸から下は身体にフィットせずそのまますとんと下がる。
結果、肥満体か妊婦のように見えてしまい、つまるところ――
(全然エロくない……)
――わけだった。
本人が言った通り、謙遜ではなく本当に不格好だった。
今のハイアサースなら、コアテルも声をかけたりはしなかっただろう。
がっくり肩を落とす康大の気持ちがかほども理解出来ないハイアサース。
理解したらしたで、腹を立てただろうが。
それから2人は日が暮れるまで王城を見て回ったが、特に何か起こることもなく、またハイアサースに声をかけるものもいなかった……。