第13話
翌日――。
康大は眠気を堪えながら1階に降りる。
1回やり過ごせたとはいえ、またもう一度点呼があるかもしれない。ひょっとしたら突然の呼び出しもあるかもしれない。
――そう思って、一晩中寝ずに警戒していたのだ。
幸いにも再び番兵が現れることはなかったが、眠いことに変わりは無い。
1階には食堂があり、客達が三々五々食事をしていた。
食卓には既に冷めたスープといくつかのパンが用意され、好きな席について食べろというスタイルだ。
中には陪臣以下であるにも拘わらず、自前の豪勢な食事を運ばれている者もいる。確かにあんな連中と自分を一緒に扱ったら問題があるだろう。
「おおい、こっちだ!」
不意に呼びかけられる。
声のした方を見れば、昨日会ったジェームスが大きく手を振っていた。
特に一緒に食べる相手もいないので、康大はそちらに移動する。
「なんだ、あんた1人か」
「まあな」
康大は適当に答える。
信用出来るか出来ないか分からないほぼ初対面の人間に、こちらの内情をばらすほど康大も間抜けでは無い。
「ま、女には色々あるだろう。どこも同じだな」
「あら、聞き捨てならない話ね」
「おっと、やはり女は耳ざとい」
ジェームスはわざとらしくおどけた態度を取る。それでも滑稽にならないあたり、天性の伊達男なのだろう。
康大は曖昧な笑いで答えながら、ジェームスに声をかけてきた女性を見る。
(随分色っぽい人だな)
それが康大の第一印象だった。
ジェームスと同じような、あまり派手でないシャツとズボンをはいているものの、片目が隠れるほどの長い髪と厚い唇、そしてシャツからこぼれそうな胸となんとも艶めかしい。
その切れ長で潤んだ瞳で見つめられた男は、平然としていられないだろう。
類は友を呼ぶ、と言いたくなるような大人の艶っぽい女性だった。
「この子は?」
「昨日来た新入りさ。そういえば今のところ、どこの家中どころか名前すら知らないな」
「相変わらず適当ね」
女は笑う。
その仕草もまた色っぽい。
同じような体型でも、ハイアサースには絶対にできないマネだ。
康大は少し考えてから、自分の素性を明らかにすることにした。秘密にするほど重要でないし、隠せば逆に怪しまれる。
「インテライト家の者で仁木康大と言います。ここにいないもう1人は圭阿です」
「2人とも変わった名前だな。それにしても医者先生の家の人間か。滅多に来ないから想像すらつかなかったよ。えっと、なんて呼んだら良いかな?」
「コウタで」
現実セカイでは考えられないフレンドリーな答えを返す。
皆が名前で呼んでいるのに、彼らだけ苗字で呼ばせるのは色々と面倒な気がしたのだ。
「じゃあコウタ、やっぱりお前の主は今王城にいる誰かの治療に来たわけか?」
「それは……」
康大は言葉に詰まる。
遠回しに口止めされていることを、おいそれと話すわけにはいかなかった。
「馬鹿ねえ、そんなの話すわけないじゃない。それよりアタシは坊や自身が気になるわ。噂によると、一緒にいた子と一晩中してたらしいじゃない」
「それは……」
噂がそこまで広まったのかと、康大はげんなりした。
だが真実を言うわけにもいかない。言えば圭阿の不在がバレてしまう。
むしろここは本人の口から肯定する必要すらあった。
「ま、まあ他にやることもなかったんで……」
「へえ、彼女は未だ寝てるみたいだけど、一晩中できるなんてすごいわ。若いっていいわね。アタシもお世話になりたいくらい……」
そう言って女は舌なめずりをする。
経験の乏しい康大は、興奮するより背筋が寒くなった。
「おいアイリーン、幼気な少年をからかうんじゃないぜ。こんな所で刃傷沙汰はごめんだ」
「あら、そういえばこの子には、一晩中愛し合った彼女がいたんだったわね。どうでもいいことだから忘れていたわ。アタシって、この世に存在する男は全て自分の恋人ぐらいに思ってるから」
「お前なあ」
「あなただって平気で人妻に手を出すじゃない」
「バカ、あれは俺が誘ったんじゃない、向こうが誘ってきたんだ。本当にお前は嘘ばっかりだな」
「嘘が女を綺麗にするのよ。私みたいにね」
気障な台詞もこの2人が言うと様になるなあと、温くなったスープを啜りながら康大は思った。
「――って、無駄話している場合じゃなかったわ。ジェームス、仕事よ」
「ああ、もうそんな時間か。それじゃあコウタまたな」
女――アイリーンに引っ張られるように、ジェームスは席を後にする。その姿を羨ましそうに見る他の宿泊客と違い、康大はほっと胸をなで下ろした。
平均的な日本の童貞男子高校生の康大の手には余る女性だ。長時間一緒にいたら、取って食われそうな気さえした。
異世界らしいほとんど味がしないスープでぼそぼそのパンを流し込み、康大は席を立つ。
別に他の宿泊客と仲良くなる気もないので、そのまま宿舎を出た。
安全面を考えれば、部屋に籠もって圭阿を待っていた方がいい。だが、あんな噂を立てられた状況でそれは酷な話だった。
他人の目が気になる今時の日本人である康大に、人に会う度に陰口をたたかれるなど耐えられない。今思うと、もっと別のマシな誤魔化し方があったのではないかと思えてならない。
外に出ると、予想以上に辺りは暗かった。
おそらく高い塀に囲まれて、日の光が届かないためだろう。
影が多い空間はそれだけ多くの暗躍を生む。
過去そういった事例が数多くあったはずだ。誰にも知られなかったものも含めて。
康大は庭を歩きながらそんなことを思った。
やがて康大は本城の前に到着する。
未だ朝早いというのに、多くの人間が忙しそうに出入りしていた。
誰にとっても誕生祭がただの祝祭でないことは明らかだ。
その中に見知った人間を見つける。
ザルマだ。
張り付いたような笑顔を浮かべ、着飾った貴族の婦人達と談笑していた。
婦人達の方は、康大にも分かるくらいザルマに熱い視線を送っている。
大半は厚化粧でとうが立ったご婦人であるが、中にはかなり魅力的なスタイル抜群の美女もいた。
それでもザルマは心底迷惑そうに眉を下げている。
鼻の下を伸ばしている様子が一切無い。
(アイツ本当にどうしようもないロリコンみたいだな……)
康大は確信した。
(ま、俺にはどうでもいい話か……)
康大は一瞥しただけですぐに別れようとしたが、ザルマは違った。
「すみませんみなさん、これから所用がありますので失礼します。おいコウタ!」
コウタの姿を認めると、話を切り上げ用もないはずなのに話しかけてくる。
どれだけ会話が苦痛だったんだと内心ため息を吐きながら、康大は仕方なくそれに付き合ってやることにした。
「よう色男。現実世界の俺の100倍はモテてたぞ」
「冷やかしはよせ。好きでもない女性に言い寄られても迷惑なだけだ」
「俺みたいなモテない男には理解出来ないなあ」
死ぬまでに一度は言ってみたい台詞だなと思いながら、康大は皮肉交じりに言った。
「そんなことよりケイア卿は?」
「未だ帰ってきてない。まあ圭阿のことだから俺達が心配する必要もないだろう。そっちはあれから何かあったか?」
「・・・・・・」
ザルマは無言で首を横に振った。
「あれから晩餐会があったが、特にこれといって。コアテル殿下とアムゼン殿下も陛下の手前、表面上は笑顔で談笑していたよ。まあ当事者であるお2人が、そこまで仲が悪いという話も聞いたことはないがな」
「なるほどね、まさに政治って感じだ」
「それが政治なら俺は産まれた時から政治家だ。あの兄達の前で、どれだけ感情を殺してきたか……」
今度はザルマがうんざりする番だった。
この脳天気な男にも色々過去があるんだなと、康大は少し同情した。
「これからもインテライト家の名代として、多くの人間達に顔を見せに行かねばならん。それを思うと今から気が滅入る」
「具体的にやることが分かってるってことは、過去にも同じようなことを?」
「いいや。ただ、王城にはお付きとして何回も来ていたから、何をすればいいのかは良く理解している。……実際にやってみた結果、結局何一つ分かっていなかったと痛感させられたがな」
「なんだよ、何かお前が有能な人間に見えてきたぞ……」
「ほう、ケンカを売るなら買うぞ。俺は本城以外なら帯剣が許されている身分だからな」
そう言いながらザルマが腰の剣に手を伸ばす。
康大は「本当に剣を抜いても、こいつが相手ならどうにかなるだろうな」と、暢気に思いながら、この茶番に付き合って形だけ身構えた。
「いつまでくだらないことをしているつもりだ」
そんなとき、背後から聞き慣れた声がかけられる。
康大は思わず振り向き言った。
「おっぱい!」
「おめえは……」
おっぱい扱いされた胸が大きすぎる美女――ハイアサースは、呆れてため息を吐いた。
今のハイアサースは鎧ではなく、圭阿のような胸元の大きく開いたドレスを纏っている。当然詰め物など必要ないぐらいぴったりで、それどころかその胸がこぼれ落ちそうなほど自己主張をしていた。
ちなみに、隣にいた圭阿はぴくりとも笑わっていない。
瞳の奥底には殺意すら宿っているようであった。
「ケイア殿! 戻られましたか! だが何故お前まで?」
ハイアサースの胸に全く関心がないザルマにとって、興味の対象はあくまで圭阿だった。
一方の康大は、我知らず空中を掴むように両手が伸びていた。
その手をハイアサースが無言で振り払う。
「その話に関してはここでは話さないない方が良いだろう。人気の少ないところに移動しよう」
ハイアサースは真面目な顔でそう言った。ザルマ同様、彼女も成長しているらしい。
「しからばこちらへ」
昨晩の偵察で王城の構造をかなり把握出来たのか、ザルマが先導する前に圭阿が歩き出す。
3人は特に反対することもなく、それについていった。
圭阿が中に入ったのは教会らしき建物で、実際扉を開けて中に入ると、そこは礼拝堂だった。
奥では年老いた神父がなにやらごそごそとやっている。
「見ての通りここは教会でござる。あの神父はいつもいるようでござるが、高齢で耳が遠く、また権力争いからも遠い人。聞かれてもそれほど問題はないでござる」
「ああ、確かにそんな方ですな。俺もよくは知りませんが」
圭阿の言葉にザルマは賛同する。
まあどこの世界にもそういう人間はいるんだなあと思いながら、康大は表情で話を促した。
「まずはいあさーす殿についてでござるが、これはご本人から説明してもらった方が早いでしょう」
「まあ結論から言えば、向こうで役に立たなかったから来た、ってところだな」
ハイアサースは少し恥ずかしげな様子でそう切り出した。
「まずあのわんちゃんには、やはり私の回復魔法は効かなかった。そもそも回復魔法は信仰を持たない者には、基本的に効果が無いのだ。それでも何かの足しになればとジェイコブ様は思い手伝うよう言ったようだが、やはり駄目だったよ」
「初めて聞いたな。となると俺や圭阿には効かないな」
康大は平均的な日本人にありがちな無宗教で、圭阿は信仰心があったとしても、対象になる神様がハイアサースとは違う。
圭阿も康大と同じ結論にたどり着いたのか、無言で首を縦に振った。
しかし、当のハイアサースが首を横に振って、それを否定する。
「確かに私と2人では、信仰する神は違うだろう。だが重要なのは神の存在を意識しているかどうか、だ。中には神はいないとのたまう者もいるが、それも神の存在を意識しなければ出ぬ言葉。それに比べて動物は、そもそも神という概念が存在しない」
「ああ、そういうことなのか。それじゃあよっぽど特殊な教育をされてきた人間でないと、回復魔法は効くんだな」
「いや、それとは別の理由で効かない人間がいる。それがジェイコブ様だった。はっきり言って、魔法ではもはや手の施しようがなかったよ」
「やはりそこまで悪いのか……」
ザルマの表情が曇る。
ハイアサースも顔を曇らせながら、首を縦に振った。
「以前も話したが、回復魔法で病気は治せない。ただ、風邪低度なら、体力を消費して回復を早めることは出来る。しかし、ジェイコブ様のように重い症状になると、どんな魔法を使っても症状を悪化させてしまうのだ」
「なるほどね」
やはりそうだろうな、と、康大は驚きもせずに思った。
今まで聞いた内容から察するに、ハイアサースの回復魔法は、言うなれば体力の前借りだ。
体力を消費して、免疫力および回復力を強化するのだろう。
そのため、その消費すべき体力すらない状態では、効果があるわけが無い。
借金と違い、絶対に担保が必要なのだ。
「そこでジェイコブ様の勧めもあり、こちらに来たのだ。実際もう私が屋敷にいても意味はないからな。むしろ、こちらにいた方が活躍する機会もあるだろう、と」
「親切心とは分かっていても物騒だな。俺には現状がそこまで切迫しているようには思えないが」
「それがそうもいかないのでござる」
康大の呟きに圭阿が答える。
「拙者が前任者との連絡が取れなくなったことを御屋形様に報告したところ、御屋形様とがんでぃあせ殿の結論は、まず間違いなく殺された、と」
「・・・・・・」
どうやら圭阿の予想は悪い方に当たっていたらしい。
康大は人知れずつばを飲み込んだ。
「その前任者が誰かは、拙者達が余計なことに首を突っ込まないよう教えてはもらえませなんだ。ただその者が命令を怠ることはあり得ず、また定時報告もない以上そう考えるのが妥当だと」
「誰がやったのか目星はついてるのか?」
「・・・・・・」
圭阿は首を振った。
「目星がないのではござらん、多すぎるのでござる。誰も彼も叩けば埃を持つ身、探りを入れる者がいれば、捨て置きはしないだろう、と」
「うわ、まさに人外魔境だな。正直こんな所でただの高校生の俺に出来ることがあるとは思えないぞ」
「その点はご心配なく。御屋形様もそこまでの事を期待しているわけではありませぬ。ただこの阿呆が暴走しないように、手綱を握ってくれていれば。それが拙者受けた指示でござる。まあ有り体に言えば現状維持と言ったところでござるなあ」
「あの、まさかその阿呆というのは私の事じゃ……」
「貴様以外に誰がいるというのだこのド阿呆」
「もっとひどくなった……」
ザルマはがっくり肩を落とす。
康大は一瞬同情しかけたが、微妙に興奮しているその顔を見て止めた。
「これからは拙者が死んだであろう前任者の代わりを務め、中と外の渡りをつけるでござる。ざるまは適当に顔をつないでおけとの、御屋形様からの指示だ」
「了解です!」
ザルマが勢いよく答える。
「方針は理解したけど、具体的に俺はどうすればいい?」
「先ほども申したように、基本はこの阿呆を監視することでござる。とはいえ、康大殿の身分では王城には入れますまい。さしあたっては、はいあさーす殿と共に王城を見て回ってはどうかと」
「いや、それかなり危険なのでは……。前任者の人も殺されたっぽいし……」
「その点は問題ござらん」
圭阿は首を横に振った。
「康大殿のようなおどおどしているわりに隙だらけな者や、はいあさーす殿のようにこれ見よがしに胸を見せつけている牛女が、透波などとは誰も思わないでござる」
「牛女……」
笑顔で言った圭阿の言葉に、ハイアサースが軽く沈む。
ドレスを着た際の強烈な格差が、未だに尾を引いているようだ。
「まあ拙者としては、気分が高まりすぎて人気のないところで激しく致しても一向に構わないでござるよ」
「致しません」
康大はうんざりしながら否定した。
ただ無意識におっぱいを揉んでしまう可能性までは否定できなかった。
「とりあえずやることは分かった。ただいちおう教会に来た以上、シスターとして神父殿に挨拶をしたいんだが……」
「まあいいんじゃないのか、立場上挨拶ぐらいして当然だし」
「康大殿が反対しないなら、拙者から言うべき事はないでござる。それでは拙者達は先に行っているでござるよ」
圭阿とザルマは教会を出、ハイアサースは神父の方へと歩いて行った。
残された康大はハイアサースの様子を椅子に座ったまま見ていることにした。ザルマ以外にも、ハイアサースも暴走すると何をするか分からない。
遠目で見た限り、ハイアサースは優雅な様子で神父に挨拶をしていた。
ただ、神父の方にあまり反応がない。
小声で聞こえないのかなと思っていたら、次第にハイアサースの声が大きくなっていく。
やがてハイアサースは康大のいる場所でもはっきり聞こえるほどの大声で、自己紹介を始めた。
その後ようやく神父はゆっくり頷き、なにやら手をかざす。
ハイアサースはそれに応じるように掌に頭を当て、そして戻って来た。
「駄目だ、全然話が通じん。耳が遠いにもほどがあるだろう。こう言ってはなんだが、あれでよく神父が務まるな」
「閑職なんだろ。さて、それじゃあ俺達も行くか」
「ああ」
康大は椅子から立ち上がり、ハイアサースと共に教会を出る。
2人が出たあとも、神父の祈りの言葉が延々と礼拝堂に響いた……。




