マフラーを落としただけなのに
【あとがき的な】ってところ、読み進めてくとあるけど気にしないでね
人気のない道を歩いていた。二月の凍えるように寒い雪の夜では煌々と道を照らすはずの街灯の光も、心なしか弱いように感じた。今日は彼女の誕生日だった。バレンタインも近いので、同じ日に贈ろうとしたのだが、そのことを言ったら彼女を不機嫌にしてしまった。僕は一緒でもいいと思うのだが、なぜかダメらしい。
ともかく、学校帰りに彼女の喜びそうな化粧品を買ってきた。彼女がいつもほしいとごねていたもので、目が飛び出るほど高かったが誕生日だからと思い、すっからかんになった財布をしみじみと感じながら帰路についていた。
そこで、ふとマフラーがないことに気がついた。
マフラーがないと寒くてしょうがないという季節なのに、寒いと感じないことは少々疑問だが、歩いて体が温まったのだろう、とやや強引に自分に納得させると、僕は無くなったマフラーを探しに、化粧品を買った店に足を向けた。
あのマフラーは彼女が僕に誕生日プレゼントとしてくれた大切なマフラーなので、彼女に無くしたと知られれば大目玉を食らうだろう。僕もあのマフラーはそれなりに気に入っていて、彼女からもらったことを除いても無くすには惜しい代物なのだ。
通って来た道を同じ道を辿ったがマフラーは落ちておらず、化粧品店の店員に聞いてみたが知らないと言うので、お手上げだ。
ないものは仕方がないし、これ以上探すのは時間の無駄だと思ったので家に帰ることにした。
僕は少し前から彼女と同棲している。彼女の名前は杏と言って、自慢の可愛い彼女だ。美容の専門学校に通っていて将来は美容師になりたいらしい。僕はそのようなはっきりとした将来の夢がないため、その点では少しばかり羨ましく思う。とまれ、僕は彼女が好きだ。
「ただいま」
玄関の扉を開けると、いつもならリビングからテレビの喧騒や彼女の「おかえり」という声が聞こえるのだが、今日は一切聞こえない。僕は怪訝に思ったが、近くのコンビニにでも行っているのだろうと思い、上着を脱いで荷物を降ろし、手を洗うために洗面所へ向かう。
蛇口を捻る。家賃の安い家なので、冬でもお構いなしに冷たい水が出る。杏がいないとやけに静かに感じる。水の流れる音が静寂に響く。ふと視界に入った正面の鏡に映るのは杏の顔。
「は」
手を洗おうと冷たい水に伸ばした手が止まる。
鏡に映るのは、いくら剃っても微かに見える髭を口元に生やす僕の顔ではなく、ショートカットで丸顔の杏の顔だった。不可解な現象が起きている。
僕は僕で、僕についている顔は僕であるはずなのに、目が映し出す事実はそうではない。
頬を撫でてみる僕の動きも、鏡は無機質に模倣してみせる。冷たい水に当たっていた僕の手が冷たかった。
手も僕の手ではなく、女性の細くて白い手だった。華奢な体。女性らしいふっくらとした体つき。細い四肢。しかし着ている服は男物で、これは僕が今日の朝自分が着る服として選んだものだった。
静寂に雫が垂れる音が響く。
だんだん何が起こっているか理解し始めると、懸念は恐怖に変わっていく。
「入れ替わり…?」
不可解な現象に、催眠術にかかったように動けないでいる僕を解いたのは、玄関の扉を開ける音。
現れたのは杏だった。ということは、僕と彼女が入れ替わったわけではない。
「杏!」
僕は縋りつくように杏の名前を呼ぶ。どうなっているのか意味がわからない。一刻も早くこの得体の知れない恐怖から解放して欲しかった。
「私の体を返して、それは私の体だから!」
予想とは裏腹に、今まで聞いたこともないような悲痛な叫びが返ってくる。それは鋭い針となって僕の心を容赦なく刺してくる。
「どういう…ことだ?」
「わからないとでも? 心当たりが全くないっていう気?」
これは悪い夢か。そうでなければなぜ、このような身に覚えのないことで糾弾さなければいけないのか。
僕は小さく頷く。僕だって突然起こったことに理解ができない。彼女は信じられないとでも言うようにため息をつくと、半ば投げやりにこう言った。
「自己紹介をどうぞ」
なぜそんなことを言うのかと不思議に思うが、言われた通りに自己紹介をする。
「天海圭二十一歳…大学生で杏の彼氏」
「彼氏…ね。いい? 私に彼氏はいないから」
彼女のその言葉に僕は憤慨する。この訳がわからない状況にあっても僕が杏の恋人で、僕が彼女を愛しているということは覆されてはならない真実だ。
「そんなはずがない!じゃあなんで同棲してるんだよ。この歯ブラシは、コップは、君のだろ?」
僕は、洗面所に僕のそれと色違いのものを指差して言った。
「知らない」
僕の心からの叫びにも彼女は動じない。
「嘘だ」
「いい? これは全部あなたの妄想」
彼女が小さく「正確には私のだけど」と付け足した一言は僕には伝わらなかった。
「は…?」
「天海圭も私の妄想。そんな人間いないから」
「どういうことだよ!」
そんなことがあっていいはずがない。僕はあの日高校生だった彼女に告白をして、ハイと答えてくれた時には嬉しさと安心感で崩れそうになった。夏休みに水族館に行って、一緒に淡い光に照らされながら優雅に泳ぐクラゲや、イルカショーを見た。遊園地に行って、二人で同じソフトクリームを食べあった。
彼女との思い出を語りだすときりがないし、まるで昨日のように思い出せる。それが全てなかったと彼女は言うのだ。ありえない。そんな訳がない。
「じゃああなたが今使っている体は何? それは私の体、あなたが使っているのはおかしいでしょ! 私、『木村杏』は今この世に存在していないことになっているの! あなたが私の体を乗っ取っているの! 」
彼女は、心の奥底に溜まっていた黒いドロドロしたものを一斉に吐き出すようにそこまで言うと、彼女の叫びは泣き声に変わる。
確かになぜ僕が使っている体が杏の体なのはおかしいと思うが、どうしたら僕が杏の体を使うようになるかがわからない。僕だって彼女の体を乗っ取りたくはない。
僕はどうしたらいいかわからず、また、なんと声をかけたらいいかわからなかった。当然のことだが、こうなった時の対処法など、僕は知らない。
彼女がゆっくりと話し始めた。
「いつからかはわからないけど、私があなたという人格を作りだした。私がはっきり気づいたのは二ヶ月前だけど、ずっと前から記憶が時々抜けてた。あなたもそうだったはず。私の意識がない時あなたが私になって、あなたの意識がない時私があなたになって、私の体を使って生活していたってこと」
杏の口から話されたことはひどく衝撃的で、そして真実のようであった。僕は愕然とする。そして、同時に涙が込み上げてくる。僕はただ杏が好きなだけなのに、なぜ。
「なんで、なんでそうなった」
「過去のトラウマが甦ったからかもしれないって思ってる。私には心の奥でちょっと何かがつっかえてる感覚しかなくて思い出せないから、あなたの方にトラウマの記憶があるんじゃない?」
そう言われても僕には心当たりがない。僕は沈黙を守る。
「ともあれ、私の体の支配権があなたにある時の私の姿は、全部あなたの妄想。あなたの彼女である杏は、何から何まで天海圭という人格が作り出した妄想でしかない」
そんなはずがない。あの日の彼女の声が、笑顔が、ぬくもりが、全てないなどそれこそありえない。
「そんなわけない」
「じゃあ証拠を見せるよ。外に出よう」
彼女が外に出るように促すので、僕は上着を羽織る。今気づいたが、彼女の雪の降るこの季節にしては薄手すぎる服装に違和感を覚える。
しかし、彼女がいつまでたっても扉を開けないのは何故なのか。
「なんで扉を開けないんだ?」
「私はあくまでもあなたの妄想だから、現実世界には干渉できないの。あなたの前で彼女さんが何かを持ったり触ったりした?」
僕は必死に頷く。彼女が妄想なわけがない。まさに僕の前で何かを持ったり、触ったりしていた。
「それはあなたの妄想だからよ。まあ、そう言ってもあなたは信じないでしょうけど。そういうわけだから、扉を開けて」
心にどこかやるせなさを感じながら扉を開けた。外のひんやりとした冷たい空気が頬を打ち付ける。数日前に降った雪が固まったため、白銀の世界とは程遠い残念な景色が広がる。空は暗い。
彼女についていく。階段を降り歩道に出る。散歩でもしに来たかのようにのんびり歩いていた。
空を見上げると、もやのようなすっきりしない曇天が広がる。しばらく見ていると無数の小さな花が降りてくる。手のひらを天に向け、それを手にのせるが、それはふっと消えてしまう。それがのっていたところには小さな雫がが残るばかりだった。
彼女が僕を連れてきたのは近所の公園だった。
公園の地面に積もっていた雪は、雪遊びをしたと思しき子供たちによってすっかり踏み固められていた。
そこにはすべり台やブランコや砂場など定番の遊具があったが、すべての遊具に雪が積もっておりとても遊べる状態ではない。寒いせいもあってか、公園で遊んでいる子供はいなかった。公園の端には子供が作ったと思われる、小さくいびつな雪だるまがあった。
目は落ちていたらしい木の実で、鼻と口と腕は木の枝で、バケツの帽子は被っていなかったがマフラーをしていた。
そしてそれは僕が彼女からもらったマフラーだった。
彼女のように、天真爛漫に冬の寒い風にはためいていた。
「私が体を使える間に、ここにマフラーを置いてきた。ほんの僅かな時間しか使えなかったけど、公園にいる間に交代されなくてよかった」
彼女は喜んでいる口調でそう言うが、全く嬉しそうではなかった。うつむいていた。
寒がりの僕が用もなく公園に来るなど、ましてや彼女からもらったマフラーを捨てるような真似をするなど、ありえない。
ほうっと僕は息を吐いた。息は白い。
「僕は君が、杏が好きだ。どうしようもなく好きだ。愛している。それは変わらない」
彼女が僕を抱きしめる。彼女が何と言おうと、僕は彼女のぬくもりを感じる。
何かが砕けた音がした。
雪だるまは変わらず虚ろな目でそれを眺めていた。雪は変わらず幻想的な美しさでで灰色の街を白く塗り変えようとしていた。
***
「戻った…」
本当によかった。安心からかその場に膝をついてしまう。これで戻らなかったらもうどうしたらいいかわからなかった。
天海圭なんて知らない。あれは私のことを好きだと言っていたがそんな訳がない。あれは私が作り出したにすぎない代物だ。
彼は薄着をしがちなので、彼がコーディネートをした今日の服装では寒い。体はすっかり冷えていた。
「圭のバカ」
気がつけば彼のことについて考えている。これではまるで恋をしている女子そのものではないか。ありえない。そんなことを考える自分に怖気が立つ。
だけど、もし、もし私が彼を好きだとしたら、彼が本当に私を好きだとしたら。いや、そんなはずはない。全部私の妄想だ。
そんなことはありえない。
寒さからか、手足が震える。口から吐き出される息は白い。
【あとがき的な】
本題に入る前に最近あったびっくりしたこと、というよりかはちょっと悲しかったことを聞いてください。
ひょんなことから、実在する中学生作家の存在を知りました。3年連続で小学館主催の子供(?)向けの賞を取っていて、デビュー作は十万部の大ヒット。しかも本当に中学生。私と一つしか違わない。彼女についてエゴサすれば「リアル響じゃんwww」と呟かれる始末。
軽く読んだのですが、好きなジャンルじゃなかったので面白くなかったです。他の人が読めば面白いのでしょうが。
じゃあお前はそれよりも面白いものが書けるんかって? 無理です。あとジャンル違いです。畑違い。
気になる方は調べてみてください。鈴木るりかさんです。
さて、それでは本題へ。
あなたの嫌いな人は誰ですか?
ちなみに私が一番最初に思い浮かんだのは某クラスメイトでした。大体の人が友達とか。あるいは親が嫌いという人もいるかもしれませんね。しかし一番最初に自分が思い浮かぶ人はなかなかいないのではないのでしょうか。もしいたら私に言ってください。
この話は解離性障害にファンタジー要素をいっぱい混ぜた、解離性障害もどきになった、自分が大嫌いな主人公の杏がぐっちゃぐちゃになる話です。過去のトラウマが大きなショックでぶり返し、自己が破壊されることを避けるために天海圭という人格を作り出しちゃったよみたいな。解離性障害が大好きだった時に考えた話です。
わかる人にはわかりますが、私の第二作目(?)であの子を突き落としたと思われる子が、杏ちゃんです。あの頃からなんかあったんでしょうね。トラウマに蓋をしていたけど、何かがきっかけで蓋が外れておかしくなっていしまった。
杏ちゃんは誰かに愛して欲しかったのかもしれません。だからどんな状態になったとしても自分を愛してくれる天海圭という人格を作ったのでしょうか。しばらくは天海圭という人格が彼女の体を使っていました。彼は自分が女だということに気づかず、男の格好をして、また、恋人である杏の幻覚を見ていました。端から見たら、一人でブツブツしゃべっているヤバイ女です。時々体を使う人が杏に戻りますが、杏は状況を把握すると(天海圭である時の記憶は杏に受け継がれません)このままでは自分という人格が消えてしまうと思い、行動をします。その後は本文の通りです。
ちなみに、なぜマフラーがきっかけでこうなったかというと、マフラーは天海圭が杏からもらった唯一の実在するモノとして彼の記憶にあったからです。思い出などはすべて天海圭の空想でしかなかったのですが、マフラーだけが彼女と僕という関係を繋ぎ止めて揺るぎないものとしていたのです。
そもそも、男が誕生日に化粧品は変だと思いませんか?多分杏が潜在意識で欲しがってたのでしょう。マフラーがないのにあまり寒く感じなかったのは、杏が体の支配権を持っている間に走り回ったからです。彼女が薄着だったのは、彼の中で彼女という存在に揺らぎが生じたからです。僕が鏡を見て自分が杏の姿であることに恐怖を覚えたのは、彼が本能的に自分の消滅を感じていたからです。ちなみに最後の杏パートを読めばわかりますが、杏も自分の妄想であるはずの天海圭を想い始めています。ある意味禁断の愛ですね。
天海圭は本当に彼女を愛していました。たまには甘えたいけど、彼女が幸せであることを望み彼女のためなら、彼女がそれを望むなら多少納得いかなくても自らの消滅を選ぶ。彼は最後まで彼女との思い出がすべて自分の妄想で空想だったということに納得できていません。しかし、彼はそのようなふざけたことをほざく杏もすべて愛せるのです。
美しいですね。愛とはかくあるべし、と思ったりもしますね。
私は恋愛小説をまともに読んだことはありませんし、書くのも初めてですが、面白かったと思っていただければ大変嬉しく思います。ぜひ感想を霜月までお寄せください。
あとがきが長くなってしまうのは私の悪い癖です。本文よりも長いのではと思うとひやひやしますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
またあなたに会えますように。