電車のお姉ちゃん
夕方、ぼくはさっそく散歩係の役目を全うするべく、バターを連れて散歩に出かけた。
バターはとても利口な犬だった。
こんな初対面の子供に散歩させられても文句ひとつ言わないんだから。
「バター、君は本当に利口な犬だね」
「ワン?」
バターは歩調を緩めながらぼくに振り向き、はてなマークを浮かべた。
「ほめてるのさ」
「くぅーん」
バターは諦めて前を向いて、再びもとの歩調に戻った。
ぼくがバターを散歩させて30分ほど経ち、そろそろ家に戻ろうかという頃。
「ぼーくーくーん!」
後ろの方から聞き覚えのある声が聞こえて振り返った。
「電車の……おねえちゃん?」
振り返ると、夕日をバックにしたシルエットが手を振って立っていた。
足元には長い影法師を作っている。
「やっぱりそうだ」
走って近づいてきたシルエットがあらわになると、やはり電車に乗っているときに隣から声をかけてきたあのおねえちゃんだった。
小さなポニーテールがふわりと揺れる。
「ぼくくん、やっと見つけたよ」
「電車のおねえちゃん、なんで起こしてくれなかったの? ぼく、あの後、大変だったんだから」
「え? なんのこと?」
ぼくはお姉ちゃんが起こしてくれなかったせいで寝過ごして変な駅まで行ってしまったことを話した。
電車のおねえちゃんは、ぼくの話を聞いて、きょとんとした。
「んー? なんかおかしいなぁ」
「なにが?」
「だって私、ぼくくんと一緒に降りたと思ったよ?」
「え、どこに?」
「山堀駅」
「うそ?」
「それに、ぼくくん、私と話してたから、一睡もしてなかったよ?」
「え?」
でも確かにぼくは眠ってて、目が覚めたら周りに誰も乗ってなくて。
でもそれって、あれが全部夢だったとしたら、話がつくってこと?
「ぼく、なぜか山堀駅のホームで眠ってたんだ。お姉ちゃん、駅に一緒に降りた後、覚えてる?」
「んー? そのあとは、二人ともトイレに行くっていって、一旦別れたかな。そのあと、くるかなーと思って改札前で待ってたんだけど、いっこうに来ないから、先行っちゃったのかと思って」
「行っちゃった?」
「うん」
「ぼく、ずっとトイレにこもってたのかな」
「そうなのかな」
「覚えてないんだ。なんにも」
「そっか……。でもよかったよ、また会えて」
「うん」
それから、ぼくは電車のおねえちゃんと少しだけお話しした。
「お姉ちゃんは、昔ここに住んでたんだ。」
「うん、ちっちゃいころね。って、これ、電車の中でも話さなかったっけ?」
「え、そうだっけ?」
「うん」
電車のおねえちゃんとぼくには、少し話に齟齬があるようだった。
「私、あっちの方に住んでるんだ。よかったら、今度、あっちの辺、案内してあげようか?」
「うん。そうするよ。ぼくまだ、と・ち・かん? ないし」
「オッケー。じゃあ、いつあいてる?」
「いつでもおーるおーけーさ」
「アハハ。夏休みだしね。そうだなー。なら、明日はどう?」
「うん、大丈夫」
「よし、じゃあ明日、朝ごはん食べて、ちょっとゆっくりしたら、迎えに行くね。くれぐれも寝坊しないよーに」
「しないよ」
こうして、ぼくと電車のおねえちゃんは明日の約束をすると、手を振って別れるのだった。