きさらぎ駅2
「……」
ぼくは駅のホームに立ち尽くしたまま、しばらく、行ってしまった電車の跡を呆けて見つめていた。
……さっきの運転手の顔、やっぱりおばけ電車だったのだろうか。
ぼくはさきほどの運転席を見た時のことを思い出して背筋がゾクッとしたが、それを振り払うように頭を思いっきりふった。
「さっきのは、幻だ。うん。きっと、そうに違いない」
自分に言い聞かせるようにブンブンと頭を縦に振った。
そう。幻さ。それに、あれは太陽の光の反射でそういう風に見えてしまっただけ。
絶対そうだ。
ぼくはさっきのことを急いで忘れようとして、別のことを考えようとした。
「そうだ。出口はどこだろう?」
ぼくはきょろきょろと辺りを見回して、後ろに大きく飾られた駅の看板に気づいた。
「おんな、くち、つき、えき?」
女、口、月、駅……って、どこだろう?
聞いたこともない。
知らない駅。
でも、山堀駅じゃないってことだけはわかった。
「やっぱり、違う駅だったんだ……」
どうしよう。焦りと不安が募ってくる。
「次の電車は、えーっと……」
ぼくは電車の時刻表を木の柱に見つけたが、それはボロボロに風化していてとても読めたものじゃなかった。
「なんで読めないんだよ」
ぼくは駅員さんに文句、じゃなくて、次の電車が来る時間を聞こうとして出口を探して。
……。
……。
「……。」
……どこにも出口がないことに気づいた。
「……なんで?」
なんでどこにも出口がないんだ? これじゃあ、入ることも出ることもできないじゃないか。
駅のホームは2メートルほどの鉄柵に覆われていて、子供の自分では這い上がることは無理そうだった。
それからぼくは涙目になりながら駅の端から端まで歩いてみたが、駅員さんらしき人影は見当たらなかった。
「またぼくひとりぼっちかよ……」
ぼくはすでに半泣きで、しかも日が暮れかかっていた。鉄柵の向こうは雑草がうずたかく生い茂り、高い鉄柵を這い上がったとしても、こんな田舎で、人を見つけられる気がしなかった。
それに、迷って駅に戻ってこられなかったら元も子もない。
取り付く島もなく、ぼくはその場に尻をつき、座り込んだ。
「早く行かないと。おじちゃんが待ってるのに。このままじゃ……」
ぼくは暗くなっていく恐怖に、耐えられそうになかった。
懐中電灯は後ろのリュックサックに入ってるけど。
夜はきっと真っ暗になるだろう。
もしかしたら、夜になると変な奴が隠れていて、いきなりナイフで切りかかってくるかもしれない。
ひとりで吹き曝しの駅のホームにいると、そんな妄想が後を絶たず、自分の脳を黒く侵食していった。
お母さん。
置いていかないで。
ぼくを、一人にしないで。
ぼくは体育すわりで膝を涙で濡らしていた。夕日は今にも沈みかけ、カラスが鳴きながら空を飛んで帰っていく。辺りには鈴虫などの羽音が充満し、夜の訪れはもうすぐそこまで迫っていた。
風は冷たさを帯び、汗と涙で塗れた体を冷やしていく。
シャリン、シャリン、シャリン、シャリン。
ぼくが夜の恐怖におびえ、膝を抱えて目をつむっていると、どこからか再び鈴の音が聞こえてきた。
それは電車の中で聞いたかまびすしい音ではなくて、神社の巫女さんが鈴を持って踊っているような、柔らかな音色だった。
ぼくは充血した眼をそっと開くと、思い切ってその音の方に顔を向けた。
月も星も雲に隠れてしまっているような真っ暗な空の下で、線路の向こうに小さな青白い光が灯っているのが見えた。
「あれは……?」
一瞬、あるはずのない奇妙な光にビクリと怖気づいたが、勇気を出せば辿り着けそうな、そんな現実味を帯びた光だった。
もしかすると、お巡りさんか誰かが巡回しているのかもしれない。散歩でも、なんだっていい。
とにかく、このままここにいたら危ない、そんな気がした。
ぼくは深く息を吸い込むと、思い切って立ち上がり、その光に向かって歩き出した。
ホームから線路に降りるのに少しだけ躊躇したが、迷っている暇はなかった。
線路に落ちると、今まで座っていたからか膝がじんと痛んだ。
でも痛みを感じるってことは、ぼくはまだ生きてるってことで。
なんだかよくわからない安心感を感じながら、まっすぐに伸びる線路の真ん中を再び歩き出す。
その光は変わらずそこに佇んでいた。
近づくことも、離れていくこともなかった。
ちょっとだけ怪しさを覚えたが、さっきの駅にいるよりマシだと思い、そのまま進んだ。
途中、足場の石ころに躓きかけて、リュックサックから懐中電灯を取り出そうとした。
その時だった。
なんだかわからない悪寒が背中から伝わってきて、自分は今振り返ってはいけないような気がした。
リュックを取ろうとした手をそっと離すと、ぼくは一目散に駆け出した。
誰かが駅からこっちを見ている、そんな悪寒が背筋を伝った。
振り向いたら、ぼくの命はない、そう思えた。
わからないけど、でも……。
ぼくは夢中でその光を目指して走った。
何度も転びかけそうになりながら、自分の身体がだんだん重くなっていく感覚を味わっていた。
走っているのに、ぼくの身体だけが少しずつしか進んでいない錯覚に陥る。
身体が張り詰めている。まるで金縛りにでもかかっているかのように。
光はもう目前だった。
あと100メートルもないだろう。
だが、その100メートルがとてつもなく長い。
「もう少しなんだ……」
重い足を必死に上げて、走る。
そこでふと、自分の足元を見て、気づく。
何かが後ろにいる。
すぐ後ろまで迫っていたのだ。
「っ……」
と。
足がもつれた。
ぼくは勢いよく前のめりに倒れる。
やばい、と思った時にはぼくの身体に何かが巻き付いていて、すごい勢いで駅の方に引きずられていった。
「うわああああああああぁぁ!!」
それは黒い、無数の人の手だった。
手だけじゃない、のっぺらぼうのような顔が手の隙間からのぞき、叫び声をあげていた。
『残念だったなぁ!!!』
『もうちょっとだったのにねぇ!!』
『間抜けなやつめぇ!!!』
そんな狂気に満ちた声がぼくの周りから響いてきた。
ぼくは終わったと思った。
もう少しだった。だけど、届かなかった。
あそこで足がもつれさえしなければ、助かっていたかもしれない。
だけど、ぼくは勝負に負けてしまったのだ。
もしかしたら、あの駅は人間という餌を連れてきて、置いておく餌置き場だったのかもしれない。
青白い光が遠ざかっていく。
ぼくは黒い手に引きずられ、駅へと逆戻りしていく。
黒い手が顔を、そして目を覆い、青白い光さえ見えなくなる。
ごめんなさい、お父さん、お母さん……。
ぼくは目じりから流れる涙をぬぐうことすらできず……
そのまま……意識を失った。
・
・
・
「ぼくくん、ぼくくん、しっかりしなさい」
遠くから、ぼくを呼ぶ声が聞こえる。
ぼくはその声に朦朧とする意識を集中させていった。
次第に意識がはっきりとしてきて、おぼろげだった視界に焦点が合っていく。
「ん……おじ、ちゃん……?」
白いひげを生やした、ひょろっと痩せていて、煤けた肌の見覚えのある顔。
「大丈夫かい。そんなところで寝ていたら、風邪をひくよ」
おじちゃんはそう言うと、羽織っていた黒のジャンパーをぼくの身体にかぶせてくれた。
「おじちゃん……ここは、どこ……?」
ぼくは重い目をこすりながら、ぼくの身体を支えてくれているおじちゃんに問いかけた。
「まだ寝ぼけているのかい? ここは山堀駅のホームだよ」
おじちゃんは変な夢でも見ていたのかというように心配そうな顔でそう言った。
「そっか……」
……帰ってこれたんだ。
ぼくはそれだけを言うと、また目を閉じた。
「ごめん、ぼく、疲れちゃってるみたい」
「そうなのかい? なにがあったかしらないけれど、こんなところで寝てちゃだめじゃないか」
おじちゃんはそういうと、ぼくを抱き起してくれた。
「外にトラックを置いてきてる。そこまで、歩けるね?」
言って、おじちゃんはぼくを立たせた。
「うん。大丈夫」
ぼくはふらふらな足取りで、おじちゃんの後ろを歩き出した。
……あれは、夢だったのだろうか?
でも、どうしてぼくはあんなところで眠っていたのだろう。
いくら考えてみても、答えは出なかった。
「ほら、見てごらん。星がきれいだろう」
駅を出るとおじちゃんが空を見上げていった。ぼくもつられて見上げた。
「ほんとうだね」
星空を眺めていると、悪夢のような出来事が遠い過去のように思えてくる。
いろいろあったけど、無事にたどり着けたんだ。
ほっと一息つくと、ぼくはおじちゃんのトラックに乗り込んだ。
トラックはうねるようなエンジン音を鳴らし、動き出す。
やがて、駅が遠ざかっていき、木立の中に消えた。
窓から入ってくる風が心地よい。
田舎特有の草いきれの匂いを風とともに感じながら、ふわりと浮かぶ前髪に手を添えた。
これから始まる。
ぼくのなつやすみが。
長くて、短い、お父さんもお母さんもいない、おじちゃん家での、なつやすみだ。