プロローグ
なろうでは初投稿になります。お手柔らかに。
ザクッ。ザクッ。
昼間であるというのに辺り一面は薄暗く。吹き荒ぶ雪混じりの暴風は方向感覚の一切を狂わせる凍獄の世界を、襤褸切れをローブのように纏いひたすら歩き続ける一人の少年がいた。
外見は10歳くらいであろうか。被っているフードからは乱雑に伸びている銀色の長髪が覗いている。
「……………………」
少年に発する言葉は無い。
だがそれは極めて当然である。
少年の歩を妨げる様に、止めどない吹雪は容赦無く少年の体温、気力、そして思考力を奪い続けている。口を開く程の余裕などとっくの昔に失われている。
「……………………」
第一語りかける相手がいないのに、否。語りかける相手が既に居なくなったのにわざわざ口を開く理由も無かい。
少年のすぐ後ろをついて来ていた筈の仲間はいつの間にかその姿が見えなくなっている。少年も先刻それに気づいたが、引き返す事は無かった。
歩みを止め、引き返して仲間だったモノを探す事は少年にとって何の意味も持たない事であった為に。
そして何より、この雪中行軍を行うにあたって『誰が倒れても振り返らない。助けを求めてはならない』と全員で誓っていた為に。
足を止めればすぐ後ろに迫る死神に魅入られてしまう。そして残念ながら少年を残して10人ほど居た仲間は既に魅入られてしまった。
ザクッ。ザクッ。
少年は力無く足元に積もる雪を踏み締め、覚束ない足取りで歩き続ける。それは仲間と共に『誰かが倒れても、最後の一人になっても前に進む』と誓いあったが故に。
(まあ、俺が最後まで残るとは思ってなかったけど…………)
少年がそう思うと人形の様にピクリとも動かなかった口角が僅かに上がる。
自分より生きたがった奴がいた。
自分より立派な夢を持った奴がいた。
自分より力持ちな奴も頭の良い奴もいた。
━━━━━だが自分を残してみんな倒れてしまった。いや、誓いという名の免罪符で手を差し伸べなかった以上自分が残してきたのかもしれない。
奴隷商人の元から逃げ出す計画を持ち込んだ気さくな少年の姿が消えたのはいつだったのだろうか。手先が器用だった少女は最初の方で姿を消していた気がする。力持ちだった少年は誓いを無視して引き返していった。少年がどうなったかはわからないしそれを確かめる術は無い。
今更戻る? どの面を下げて行くつもりだ。それにこの猛吹雪の中だ、自分が今どの方角を向いているのかすら定かではないのにどうやって探す。逃げ出した奴隷商人から追手を差し向けられているかもしれない。捕まれば間違いなく殺されるだろう。
考えれば考えるほど、後ろに振り返る為の決意が死ぬ。
後ろに振り返れないから、『誓い』に縋る。
この思考のループは今に始まった事では無い。何度も何度も、繰り返している。
何度も何度も。もう歩きたくないと思った。しかしその度に仲間の顔が蘇る。
(死ねるか…………こんなところで、死ねるか…………)
しかしそんな少年を嘲笑うかのように、背後からランプの灯りが届き始めた。
逃げ出した奴隷商人の膝元からそれなりに離れたと思っていたが、どうやらまだまだ追いつける程度の距離しか稼げていなかったらしい。
追手としてやってきているのは奴隷商人が抱え込む私兵だろうか。それとも雇われの用心棒だろうか。
なんにせよ追いつかれれば命は無いのは明白だ。
雪の冷たさで足はおろか身体中の感覚が消えているが、まだ自分は死んではいない。ならばひたすらに前へ進むだけだ。
あの奴隷商人の為になんて生きてやるものか。アレの為に生きるのなら魔物に食われて死んだ方がいくらかマシだと。奴隷商人の飼い慣らされた豚のような姿を見た時からずっとそう思っていた。
ああ、気に入らない。今頃あの奴隷商人は手下からの報告を暖かい部屋で贅沢な飯を食いながら待っているのだろう。或いは呑気に葡萄酒でも飲んでいるかもしれない。
そう思えばこそ力の入らない足に僅かばかりの力が戻った気がしてくる。
「……………………?」
しかし少年はその歩みを止めた。何故なら自分の背後に迫っていた筈のランプの灯りが見えなくなっていたからだ。
少年は訝しみながら振り返る。少年の目に追手の姿は映らない。風に乗り僅かに聴こえていた声すらも完全に消え失せていている。
自分を見失った? あり得ない。あそこまで迫れば足跡が残っていたとしても、いや視認していてもおかしくはないのだ。
「おい小僧」
「ッ!?」
心臓を鷲掴みにされた様な錯覚を覚えながら慌てて振り返った少年は、いつの間に後ろに立っていた黒い外套を纏った何者かに視線を移した。声から判断するに女だろうか。吹雪の中にあってなお少年の耳にも鮮明に聞こえる透き通った声で女は少年に問いかける
「一つ聞く。コレは貴様の身内か?」
女が無造作に掲げたのは胸の辺りに穴を空けて死に絶えている一人の男。少年はこの男が奴隷商人の元にいた配下であると即座に分かった。
「…………身内じゃないよ。殺してくれてありがとう」
「そうか。我を見た途端に手土産がどうのと抜かした故についつい殺ってしまったが、特に気にする事ではなかったようだな」
よもや『殺してくれてありがとう』などと言われるとは思わなかったのだろう。想像の斜め上を行った少年の返答に女は少し楽しげに語りかけてくる。
「…………じゃあ。もう行っていい?」
「まあ待て。我に貴様の名を聞かせろ」
「…………奴隷番号18番」
「我は名を聞かせろと言ったのだ。番号などに興味は無い」
今度は少年の返答が気に入らなかったのか、不機嫌な様子を隠そうともせずに問い直す。
「…………ノルド・エヴィンス。お姉さんは?」
「我に名を問う奴は久方振りだな…………良かろう。ならばしかとその身に刻め」
女は外套のフードを脱ぐと共に力強い視線を少年、ノルドに向ける。
「我はこの世界にある魔族を統べる者。━━━━リーザヴェル・ディ・ローゼンベルグである!」
これが魔族を統べし魔王と、後に世界最強と謳われる魔狼騎士との、数奇なる出逢いだった。