白き戦慄のカプリース
随分前に書いたまま、ず~っと「執筆中」状態だったヤツを思い出したので書き上げてうp!
連載予定だったけど、なンか長かったンで思い切って短編に。
長編も書く予定(書くとはいってない⇒書いたw
長編連載「白き戦慄のエクリプティカ(http://ncode.syosetu.com/n4911ed/)」
──世界は、三度、戦禍に震えた
蔓延するテロリズム、燻り続ける犯罪、愛郷心を煽る民族紛争と売国奴に因る暗躍、固定観念と許容とを履き違えた宗教対立、行き過ぎた人権ファシズムとリベラル権益、行き場のない退廃的平和主義、閉塞感に満ちた経済停滞、危機的食糧難を示唆する人口爆発と垂れ流される支援活動、作為的な投機と未知のパンデミック…自浄作用の機能不全と免疫不全とに世界は怯え、戦き、藻搔いていた。
最中、巨大な海洋の覇権争いは、両岸の大国の経済と金融とを競い狂わせ、前時代的な地政学的戦略論を加熱させ、亦、堕落した自尊心と押し付けがましい正義感とを擽り、越えてはならない一線を、いとも容易く踏み外させた。
最終兵器と呼ぶに相応しい量子力学の花火は、不徳な祭を催し、夥しい汚物と呪詛を撒き散らし、自発的天罰を齎し、致命的な一撃を下した。
滅亡の序曲を以て、既存の人類社会は、瓦解、破滅した。
人類は、持続可能性よりもディストピアを選択、決断したのだ。
併し、人類が存続する限り、其処に秩序は生まれる。
不死鳥のように、毒草のように、孑孒のように、密やかに、こっそりと。
それが例え、巫山戯た野蛮なものであっても、退屈な喜劇であっても、滑稽で無様であっても、それは紛れもなく、社会であり、法であり、秩序である。
狂った道徳が狂詩曲を、狂った本能が狂想曲を、それぞれ紡ぎ奏で、暴力と腐敗と退廃とが目敏く世界を支配する。
新世紀は実に、終末、であった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村の出入り口には、バリケードと呼ぶにはあまりにも見窄らしい鉄鋲付きのコンパネを無造作に幾重にも重ね、ボルトと番線で括り付けた即席の木壁が台車に載せられ、チェーンブロックで人力可動、忙しなく開閉されている。
今も亦、荒野から戻ったトラックとサンドバギーを搬入する為、ギイギイと妬ましい獣の悲鳴のような音を立てて、無造作に招き入れようと口を開く。
7tトラックの荷台には、過積載丸出しの錆び付いた鉄格子の檻が備え付けてある。
その檻の中には、汚らしいボロ切れのような衣類を纏った少年少女達がギュウギュウに閉じ込められている。
遺棄児、と呼ばれる棄て児や放浪する子供達。
限界集落化が進む村々にとって、将来の有望な働き手足り得る遺棄児の収攫は重大な行事。生き残る希望。
汚染されていない天然の真水が湧くアサマの村にとって、遺棄児は、貴重な投資にして財産。
それは、決して豊かとはいえない限りある食糧やガソリンを消費しても確保しなければならない天然資源に他ならない。
少なくとも、アサマの村にとって、必要不可欠な資源。
村長と自警団の闘士ら4人は、運転手と捕獲者達と共に檻の中を眺める。
殆どの少年少女達は、5〜10歳くらい。
その中に、一際目を惹く少女が一人。
年の頃、14、5歳。
明らかに異国の地出身を思わせる金とも銀ともつかぬ色素の薄い毛髪。
異国人故、若しかしたら見た目より幼いのかも知れない。
異国の宗教画に描かれたルネッサンス初期の天使の造形を想わせる、そんな儚げで麗しい容姿。絶世の美少女、と称するだけでは、ボキャブラリが足りない、と揶揄されるだろう。
皮膚疾患も病症もなく、畸形も身体改造も見られない見事な健康体。
一つだけ明確なのは──アルビノ。
先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患、眼皮膚白皮症(OCA:Oculocutaneous Albinism)。
異国人の少女にしては小さな体躯。
引き締まったスリムな筋肉質の白堊のような肌には、無数の傷跡が絶えない。
乾ききっていない血糊が口許と眉間、左拳に、頬と額、右肩口には青タンが、衣服は所々破れているのが見てとれる。
「…お主ら、暴行を働いたのか?」
「滅相もない!行き倒れていたのを見付けたんで駆け寄った処、凄い形相で俺達の水や食糧を奪いにきたもんだから鎚鉾を押し付けただけだ。即時性ある貴重な“苗床”に乱暴する筈がないでしょう。診療師に診て貰えば、すぐに分かることでしょう」
「…ふむ。それならばよし。では、子供達を留置場に入れておきなさい。但し、その異国の娘だけは、他の子らとは分けて入れておきなさい」
「承知」
──アサマの村の留置場
薄汚れた混凝土壁と錆び付き、所々歪曲した鉄格子に囲まれた埃っぽい粗末な部屋。留置場と云うか、その儘、囹圉。
薬液による腐食した床に酸性雨の雨漏りも重なり、海月のような盛り上がりが地面を歪にして妙に痛々しく、汲み取り式の便座からは腐乱した卵にも似た激しい異臭が漂い、放射線の影響を被ったやけに大きな醜い羽虫が縦横に飛び回る。
格子の窓から射す西日は、燻った痩せ豚の肌のような黄土色と酸化した血液のような焦げ茶っぽい紅色を混ぜた禍々しい光の極光が留置部屋を斜に掛ける。
プラチナの頭髪を持つ少女は、部屋の奥の壁に粗雑に寄り掛からされている。
足枷こそされてはいないものの、やたらと頑丈そうな手枷から赤錆た鎖がじゃらりと伸び、前面の鉄格子の左右両端に繋がれる。
少女に意識はなく、項垂れている。
「起きろ、小娘!」
牢獄の前に先程の村長と自警団の闘士らが現れる。
ひとりの闘士が鉄格子に繋がれた鎖を強引に引き寄せ、少女を揺する。
揺すぶられ、怒鳴られ、軈て、少女は首を擡げる。
顔を斜めに上げ、ゆっくりと瞼を開く。
睫毛すらも、その髪と同じ白金色、いっそ白か。氷細工の様。
見開いた瞳は、ごく薄い青みを帯びたような、今は無き渓流の如き透明度を誇る清き水色の、その背後に流れる血液が透過し、微かな緋色を浸みさせ、恰も薄紫のような、併し、あまりにも移ろう色素の淡さは、陽光を浴びて、まるで黄金の如き輝きと煌めきを放つ。
「白子!白人にして白子……其方は若しや、“妖性の戰耍皇女”か!!?」
ボーッ、とした虚ろな表情を浮かべる少女からは、感情を伺える余地もない。
「なンですか村長?その“妖性の戰耍皇女”ってのは?」
「──妖性に、七つの曰く在り。
一つ、現世為らざる秀麗を以て常世を籠絡する不埒者也。
一つ、乱に在り、禍を喚び、白々しく迂遠に生きる者也。
一つ、蠱惑の業駈りて末法に誘い拐かす妖しき者也。
一つ、闇に潜み、蔭に乗じ、寂寞たる常闇に侍る者也。
一つ、愚直にして驕慢、直情にして激昂、而して努めて涼しく泡沫の氷に座す蒙昧者也。
一つ、愛深き故、相容れない、哀に阨ぐ者也。
一つ、弥終の救世也。
大凡、関わるべき者に非ず」
「…では、どのようになさるのですか村長?」
「鎖を解き、食事と休息を与え、然る後、放逐せよ」
「苗床として留め置かぬのですか?」
「──関わるべき者に非ず!」
「…承知」
鎖に繋がれた少女は、その端正で美しい顔を伏せる。
村長は振り返り立ち去る。
微かな笑みを口許に浮かべているような、そんな気がした。
「おぃ!言葉は分かるか?」
「………」
「……チッ」
格子の左右に取り付けられた手枷から伸びる鎖の錠を解く。
「今、食事を運ばせる。待っていろ」
自警団の闘士らも留置場を後にした。
再び静寂に包まれ、少女はそっと目を閉じる。
──ハイウェイ・ルート14
荒野のハイウェイの一角、クーガ周辺。
クルーザー、ネイキッド、オフロード、トライク他、思い思いの改造バイクが居並ぶ。
その全てが旧世紀の遺品。併し、その全ては貴重な財産。
爆音と白煙を撒き散らし、無意味な威嚇を周囲に知らしめている。
騒音クレームを捲し立てる者は、今や誰もいない。
それもその筈。周辺に住まう者等、端からいない。
殃餓、と呼ばれる破落戸共は、終戦後、何処となく涌き出た蛆虫の如き無頼漢はそれぞれに徒党を組み、ハイウェイの通行者やキャラバン、集落、バザール、蚤の市等を襲い、糧としている。
正に新世紀の野盗と呼ぶに相応しい悪漢。
殃餓達の殆どは“汚染”されている。
先天異常も然る事乍ら、環境汚染や感染症、薬物摂取、身体改造等に伴う後天異常も含め、成長ホルモンの分泌異常や染色体異常、遺伝子疾患を引き起こし、巨人症や小人症他、顕著な症状を伴う。
それ故、彼等の悪逆とは抑々無関係に、伝統的な定住集落や非汚染区域、健常者、保全学的自然主義者らにより忌み嫌われている。
殃餓達は、その所業だけに限らず、存在そのものが忌諱されていた。
殃餓達は各々、何等かの指標をもって形成されている。
思想であったり、哲学であったり、宗教であったり、嗜好であったり、ファッションであったり、と様々。
多種多様な指標の下、多くの殃餓が存在しているものの大抵の場合、暴力による支配で成り立っている。
世界秩序の崩壊は、実にシンプルな暴力と云う求心力を呼び戻したのだった。
クーガ周辺に集った輩も、その殃餓の一団。
棟髪刈りに刺青、身体改造、鉄鋲付きの革ジャン、革パン、ロインクロスと伝統的な旧世紀のパンクロックスタイルに見を包むバイカー達。
典型的なファッション・オーガ。
ファッション・オーガは他の殃餓程執着せず、盲信的な信念を持ち合わせてはいないので刹那的で飽きっぽく、余程の不運でも重ならない限り、静観しておくか媚び諂っておけば遣り過ごせる、比較的対処し易い輩。
併し、殃餓共に共通する狂気の暴力性に変わりはなく、信念が無い分、その赤子のような無垢さにも似た野獣の如き欲望に際限はなく、抑えが効かない。
童のような無邪気さに破滅的な暴力がプラスされた印象、知的障礙を抱える巨人の癇癪宛ら、そう思って間違いない。
──閑話休題
ハイウェイ脇には、無数の遺体。
まだ、どれも新しい。
蟲も湧いていない。
尤も、殃餓が集結する前迄、鴉共が遺骸を啄んではいたが。
凄惨な光景を現実に引き戻すかのように、殃餓の一人が声を上げる。
「族長ッ!見てください、コレを!!」
左目の下に【B.I.BOS(野牛)】と墨の入った、虹色に染め上げた棟髪刈りの大男は、辺りをじろりと睨む。
集った殃餓達もまた、無慙に転がる仲間と思わしき遺骸を眺める。
遺体の全てに、鳥共が啄んだ以外の外傷は無く、汚染物質を含む風に晒されている。
辛うじて分かるのは、若干の痣、そして、骨や内臓の一部が失われたかのように、本来あるべき姿ではなく、窪み、凹み、拉げている。
共通しているのは、遺骸の全てが苦悶の表情を残して絶命している。
「どういう事だ、コレはッッ!」
「ウイルス感染で内臓や骨が融解した、或いは、未知の外科手術でも施された、そンな風です」
「ぬ゛ッ!コイツらが、俺達ブラック・インペラトルの一員と知っての事かァーッ!!!」
怒りに奮える族長と呼ばれる男の激昂に怯える部下達。
居たたまれない仲間、というよりは、部下、といった方が適切かもしれないが、遺体周辺を捜索する。
軈て、一人が慌てた様子で叫ぶ。
「族長!コレを見てくださいッ!ダイイング・メッセージじゃないですか!?」
襲撃され、息絶える直前だろう。
地面に指で文字か記号らしきものを残している仲間の遺骸。
こう書かれていた。
< イ ヨ め >
「なンだコレは!?」
「犯人の名か?」
「“いよ”とつく名の奴を捜せッ!」
「俺達にナメた真似する奴らは、皆殺しだァーッ!!!」
殃餓達は、遺骸を埋葬する事もなく、改造バイクに跨がり、排ガスを撒き散らし、ハイウェイの東西に散った。
間もなく、様子を伺っていた鴉共が再び大地に降り、埋葬さえしない殃餓共に代わり、鳥葬を引き継いだ。
──再び、アサマの留置場
「うわーっ!本当に別嬪さんだぁ!」
牢屋に訪れたのは、年の頃、10、1歳の少年。
端正な顔立ちだが髪はボサボサ。衣類も汚れている。
時折、ゴホゴホと厭な咳をする。今の時代、珍しい事ではない。環境汚染が深刻な今、何処かを病んでいても不思議ではない。寧ろ、表だって分かるような先天異常が見受けられないだけ、大分増し。
違和感を覚えるのは、やたらと頑丈そうな錠前付きの首輪。金属プレートが括り付けてあり、そこには【108】と数字が刻まれている。
凡そ、収攫された遺棄児の類。
食事と水を運びにやってきた。
黒ずんで拉げたアルマイトのトレイに無造作に載せられた雑穀と豆、粗末な野草の類、ペースト状の練り物が並ぶ。
「おーい、ねぇーちゃン!起きてるかー?」
鉄格子の食器孔にトレイを仮置き、覗き込む少年。
牢獄の中にある娘は、僅かに首を傾げ、チラッと少年を見る。
「食事と水を持ってきたぞー。腹減ってるだろ?良かったな、ねぇーちゃン!アサマの村は汚染されてない天然の真水が湧くんだゼ〜。おいしいぞっ!土壌汚染も殆どないから、本物の土で作った穀物と自生してる野草だし。塩不足だから味は薄くて保証できないけど、外じゃこんないいもン、滅多に食べられないゾ!」
「………」
「!?あっ、そうか!ねーちゃン、喋れないンだっけ?異国の人だもンな〜、分からなくて当然だよな。いいよいいよ。それよか腹減ってるだろ?すっげー痩せちゃってるし、腹空かしてンだろ?ここに飯置いておくから自分で中に引き込んでくれよ」
「……」
「それにしてもねーちゃン、ほンと別嬪さンだなー!こンな綺麗な女の人、見たことないよっ!真っ白で透き通るようだ。天使みたいだな〜。まぁ、天使ってのがいるのかどうか知らないけどさッ。異国の人は、みンなそーゆ〜感じなのかっ?それともねーちゃンだけなの?」
「…」
「すげーな〜。それにしてもよく生き残れたよ、本当!運が良かったと思うよ、この村の収攫に引っ掛かって。余所だったらねーちゃンみたいな綺麗な人、プランテーションか見世物小屋行きだよ!さぁ、早く飯喰いなよ」
「──よく喋るんだな、少年」
「!!?」
少年は驚き、思わずアルマイトのスプーンを滑らし、暫し、咳込む。
低いとも高いともとれるよく通る声。
儚げなイメージの娘のものとは思えない、強い意志を感じる声質。
「ビ、ビックリしたな〜ねーちゃン!喋れるなら最初から喋ってくれよっ!」
「…話せない、なんて一言も云ってないだろう?」
「そ、そうだよな!いや〜、さっき村長から啞だって聞いたからさ〜、てっきりそう思っちゃってさ」
「…ところで少年。一つ訊ねたいことがある」
「えっ!?なに?」
「この村に、君らの云うところの“白人”の、壮年男性は来なかっただろうか?或いは、村周辺で見掛けなかっただろうか?身の丈は195cm以上、赤髪の短髪をオールバックで髭面、左手にはパンジャのようなアクセサリをつけ、右目には無骨な眼帯をつけている。恐らく、巨大な銃と剣を背負っている筈」
「…うーん、見たことないな〜。村への出入りにはパスが必要だし、一人旅をしてるんだったらハイウェイは危険過ぎるから通らないだろうし」
「そうか、知らないか。それならいい」
「…えーと、それだけ?他に訊ねたいこととかは?」
「ない」
「…そっか〜…もしかして、ねーちゃンって話すの嫌いな人?」
「──その首についてる枷は?アクセサリと云うには、雑だし、機能的過ぎるが」
「!?あ、ああ、コレかい?ファッションだよ、ファッション!あははは…」
「そうか」
「──う、うん…」
――ゴホッゴホッ。
咳き込む少年。
元気な態度をとってはいるが、よく見れば窶れている。
「何処か悪いのか、少年?」
「…う、ううん、全然平気!元気だよっ」
「――そう」
「……うん」
「――綺麗な目だな、少年」
「!?」
「黒耀石のように、深紫を幾重にも重ねた深く落ち着いた漆黒の瞳。この国の人間の瞳は、神秘的、だ」
「…いや、ねぇーちゃンの目の方が神秘的だよ」
「わたしの瞳は──“血”に染まっている」
「──」
「いや、なんでもない」
「…そ、それじゃ〜、俺は戻らないと──またな、ねーちゃン!」
咳込みながら、少年は奥に消えた。
──ハイウェイ・ルート110
「なにィッ!?中型トラックとバギーが西に向かうのを見ただとォ?」
ブラック・インペラトルと名乗る殃餓の群れは、ルート134との合流地点で襲った流氓の一団から仲間を殺害したであろう情報を聞き出す。
流氓の代表者である年配の男を、放置され拉げ朽ちた標識から逆さに吊るし、単管パイプを改造したお手製の釘付き鎚鉾で甚振る。
「そいつらは、どンな連中だッ?」
「う、うう…あいつらは収攫者共だ…間違いない」
「収攫者?人攫い共か。併し、奴らは女子供しか狙わン筈。それが何故?」
「…うぅ、俺達は、あいつらがあンた達の仲間を襲ったのを見た訳じゃないンだ…死体が転がっていたすぐ側をあいつらが去って行く姿を見掛けただけ、だ…」
「ほぅ、そうか。で、この近くで人攫いをしている集落はあるか?」
「お、恐らく、アサマの村の連中だと思う…あそこは豊かだと聞いている…」
「成る程、アサマ、か」
聞くだけ聞くと、殃餓の一人が年配の男目掛けてナイフを投げ付ける。
吊された年配の男の喉仏はナイフでバックリと割られ、血袋宛ら鮮血を溢す。
それが合図とばかりに、他の殃餓達は捕らえた流氓に襲い掛かる。
男と子供達は即座に殺害され、女達は嬲り者にされた。
終末の日常。
凄惨な光景を背後に、殃餓の族長が叫ぶ。
「仲間を集結させろ!ありったけの武器弾薬を用意しろ!報復だッ!!!」
──うおおおおおおお!
改造バイクを一斉に吹かし、爆音の雄叫びを上げる。
殃餓達は、飢えた狼のようにハイウェイを西に走り出した。
──暫く時は経ち、夕闇の留置場
「出ろ、娘!」
村長と自警団の闘士が再び、留置場に姿を現す。
檻の錠を外し、金属特有の不快な音を立て、扉が開く。
少女は自警団らに両脇を抱えられ、半ば強引に檻の外に放り出される。
村長は、ナイロン製の背嚢を手にし、中からポリカーボネート製の水筒とスパウト付レトルトパウチのレーションを幾つか出してみせる。
「娘よ。可哀想だが其方を村に置いてやる事は出来ぬ。吉凶は村の存続を左右する。不吉な言い伝えに符合する其方を匿う事は出来ぬのだ。
そこで、だ。この村の事を他言無用と約束するのであれば、水と食糧を分けて進ぜよう。喰らい過ぎる事がなければ、これで一週間は保つ筈だ」
少女は、無表情の儘、こくりと頷く。
「うむ、素直な良い子だ。今の刻であれば夕闇に紛れて旅立つ事が出来よう。日の高い内は何処かに隠れ、夕闇を以て旅するのだ。然すれば、程なく別の集落に辿り着こう」
村長から渡された背嚢を背負う。
「恨まんでくれよ、娘よ。生き延びて、丈夫な子を産み育てる事を切に願うぞ」
村長の言に無反応な少女は、自警団に促され、暗い廊下を進む。
廊下には、今迄少女が閉じ込められていたのと同じような幾つかの檻がある。
檻の中には年端も行かぬ少年少女が押し込められている。
手枷足枷はつけられていないものの、皆一様に首枷をつけられている。
首枷にはそれぞれ異なるナンバーが刻まれている。
──そういう事か。
一瞥して、それと気付く。
無気力な子供達の瞳に色はない。
尤も、彼女の瞳も色めく様子はない。
僅かな寒気のみ、瞳を覆う。
軈て、留置場を出て、村の周囲をぐるりと囲むバリケード迄、無言の儘、荒れた舗装路を歩む。
バリケード付近に掲げられた篝火が彼女の幻想的な容姿を照らす。
夜の帳が下りるのを見て解放というのは、村長なりの配慮なのだろう。
彼女の外見は、剰りにも特徴的過ぎる。
暗闇に紛れた方が目立たない。
無論、荒野を一人行く少女の姿を見て、異様と思わない者はいないだろうが。
「ねぇーちゃン!」
聞き覚えのある声。
食事を運んできた、あの少年の声。
咳込みながらも、迹を追いかけるように走ってくる。
先導する自警団が距離を詰める少年との間に割って入る。
「何の用だ、ヒトマルハチ番!もう夜だぞ、持ち場を離れるな!!」
「ゴホッゴホッ…ねーちゃン!」
彼女は足を止めず、振り返る事もせず、その儘、開かれたバリケードを進む。
猶も少年は縋り、叫ぶ。
「ねぇーちゃン!元気でいてくれよ!必ず、必ずっ、ゴホッ、また…また、今度、いつか必ず、逢おう!」
「──Прощайте」──小声で。
「!?」
「──」
背後でバリケードが閉じる鈍い音が響く。
夕闇の空に、あの少年の叫ぶ言葉が谺する。
──達者でな、と。
何度も、何度も、虚しく夜空を駆け巡る。
無論、彼女の肩を引き留めるには及ばない。
孤独が彼女を誘い、彼女が孤独を誘う。
──村の外、夜の荒野
村を出て、荒野を歩む少女。
夜空に星は無い。
汚染された煙霧が舞い、星々の瞬きにベールを敷く。
一層、夜の闇は深く、墨を流した態。
夜目の利く彼女に、暗闇は何の障害にもならない。
アルビノの瞳にとって、夜の闇は、優しい。
日中のそれは、強過ぎ眩し過ぎる。
彼女にとって夜は、頗る心地好い。
当て所ない放浪。
彷徨う、という語が相応しいか。
15分ばかり、方角を定める事もなく、唯々、黙々と歩を進める。
鋭い聴覚と危険を察知する感覚がずば抜けている彼女は、疾うに気付いている。
村を出てからずっと尾行けられている。
──下手な追跡…素人。
行き先を辿る為のものではない。
村から十分な距離を測る、そんな雑な仕方。
疎らに建つ打ち棄てられたバラックの陰に入るよう、彼女は急に曲がり、小径を抜ける。
不意に少女の姿を見失った追跡者達が慌てた素振りの足音を搔き鳴らす。
実に無様な騒音。
遠くで微かに響くエンジン音では掻き消す事が出来ない程、バタついている。
小径からバラックの角に迄駆け寄った者達は、廃屋の壁に背を凭れた少女の赤みを帯びた黄金の瞳に射貫かれる。
「Что вам угодно?」
「!?この娘、喋れんのかっ!?」
「Конечно! Это естественно」
「あっ?な、なんて云ってるンだ?どこの言葉だ??」
「Правильно──これなら分かるの?」
「話せるんなら最初から話しやがれッ、この女がッ!」
見た事のある服装に装備、見覚えのある顔付き。
──自警団の闘士と捕獲者共。
1、2、3…全部で11人。
随分と鼻息が荒い。そう見える。
「よぅ、嬢ちゃん。言葉が分かるなら話が早い。ちょっと俺達の“相手”をして貰うぜ」
「…いいの?」
「ん?なにがだ?」
「──貴重な兵力が夜更けに村を空けて」
「なンだぁ?村の心配をしてンのか?」
「あーっはっはっはっ!心配すンなら、てめぇーの体の心配でもしてろよ、嬢ちゃん!」
「苗床から洩れた時点でお前は玩具決定だ」
「運が悪かったな!恨むなら遺伝子疾患を引き起こさせた両親を恨むンだな!」
「Да! Я тоже так думаю. 運がなかったね、あなた達」
「あぁ?ナニ云ってンだ、コイツは?」
「なンでもいいさっ!で、誰から“相手”して貰うか?」
「ンなら、俺から──」
30代と思われる自警団の一人が歩み出る。
だらり、と脱力したように項垂れる少女の左肩を掴みに掛かる。
掴もうとした手を上半身だけ僅かに左に捻り流し、左手の肘をほぼ直角に闘士の肘内側に擦り込ませ、同時に踏み出された左足脹ら脛下に右足踵をねじ込む。
刹那に少女は体を右に捻り、右足を引くと闘士はバランスを崩す。左フックと左猿臂を立て続けに打ち込み、追い討つ形で左裏拳を叩き込む。
序でに、足を掛けて縺れるように倒れ、右足脇に絡まる闘士の左足をインサイドから外側に踏み付ける。関節が軋む音を立て、自警団の左足は踝から拉げ、折れ曲がった。
──ぎゃああああああ!
仰向けに倒れた闘士が絶叫を上げたのも束の間、少女は左足を大きく一歩前に出し、そのまま体重を掛け、男の口と鼻辺りに膝を落とす。
鈍い音と飛び散る血、欠けた歯が転がり、闘士は気を失う。
ここ迄、10秒と経っていない。
「なンだッ!?柔道?柔術?合気道かッ!?」
「Нет! Это неправильно. 今のは、 Система。あなた達相手なら十分」
怯懦ぐ男共。
併し、息巻く大男が躍り出る。
「聞いた事があるぞ、システマ。だが、俺は竹内三統流を嗜んでいる。小娘如きに負けはせん!」
大男は、右手を鋭く突き入れるように少女の胸元目掛け、押し掛かる。
少女は、左ショートアッパーで男の右腕を叩き上げると、透かさず右ショートフックを上腕と肘の間内側に打ち込み右腕を弾き、そのまま裏拳を右顔面に打ち込む。
打ち込んだ裏拳の甲を上に返し開き、そのまま背刀を男の喉仏に打ち付ける。同時に右足裏で男の右足アキレス腱を外側から踏み付けるように踏み込み、踵で添え木するように引っ掛ける。
大男は翻筋斗打って背後に倒れる。
少女は一歩踏み出すように倒れた男の鼻辺りを左足で踏み付け、右鉄槌を股間に叩き込む。
流れるような躰捌きで大男は圧倒。
スピードが違い過ぎる上、その小さな体躯からは想像出来ない程の膂力。
誰の目から見ても、到底素人とは思えない動きに男共は確信し、覚悟する。
「こ、こいつ…【蝕人鬼】だ!!」
「…こうなったら一斉に懸かれ!」
9名の男達が一斉に少女に襲い掛かる。
少女は、男達の攻撃を躱すというより、その打撃に合わせ当身を繰り出し、或いは、関節を決めつつ捻り、次々と打ち倒す。
打ち据えた者にも2度、3度追い討ちを掛け、顔面を、急所を、関節を砕く。
確実に、押し並べて男達の戦意を喪失させる。
少女は、何一つ感傷を抱く事も、表情を変える訳でもなく、淡々と男達の肉と骨を砕き、肉体の可動を奪う。
とはいえ、戦いを挑む力は奪ったものの、体を起こす程度の余力を男達に残してやる。
「命迄奪う積もりはない。さっさと村に帰りなよ」
「……」
少女は、歩んで来た背後遠くにある村を指差し、語る。
男達は、無言。無論、痛みに喘いではいるが。
不意な違和感。
指差した方角の夜空が、僅かに赤く染まっているのを感じる。
──燃えている。
村を出た時に見た篝火では、あれ程空を染め上げはしない。
──全く、この男共は…
「見よ!あなた達の村が燃えている。下らない劣情に感けて村を空けている間に襲われている」
「!?バ、馬鹿な──」
「今のあなた達では30分、Нет、1時間は掛かるだろう、村に戻る迄。恐らく、間に合わない」
「……」
少女は、お尻や肩の埃をパンパンと叩き、振り返り、背を向ける。
叩きのめした男達に興味はない。無論、村にも。
孤独な旅路に戻る様。
「──待ってくれ!」
「……Что?」
「…こんな事を頼むのは筋違いなのは分かっている……だが、頼む!あンたは、強い!村を救ってくれ!」
「Вы, наверное шутите? わたしを襲いに来たСвинскийなあなた達の望みを聞くとでも?Мели, Емеля, твоя неделя!」
「ああ、分かってる…分かり切った上で頼む!村を救ってくれたら十分な水と食糧を約束する!頼むッ!!」
「水と食糧か──それでは足らない。Кровь…“血”も必要だ。汚染されていない血、それも出来るだけ新鮮なやつが」
「血?…分かった、約束しよう」
「Все в порядке. 約束を違えるなよ!」
傷付いた男達を一瞥すると、少女は駆けだした。
アスリートのそれとは違う。根本が違う。
猫科のそれを思わせるしなやかな、放たれた矢が曳く如く、併し、地を這う様なその姿は、宛ら影の様。
静かに、足音も無く、風を切る事も息を荒げる事もなく、瞬く間に、束の間に、彼女は闇に熔け、呑まれた。
──燃ゆるアサマ
村に犇めき並ぶバラックは炎上し、夜空を不気味に赤く焦がす。
「焼けぇーッ!焼き尽くせーーッ!!」
ブラック・インペラトルの殃餓達がアサマの村に襲いかかっていた。
村のバリケードは、怒り狂った殃餓共の前には、日差しを遮るカーテン程の効果もなく、あっさりと訳無く打ち倒され、宛ら、誘蛾灯に群れる羽虫の如く覆われ、自警団の抵抗空しく、放火と暴力、破壊と断末魔がアサマを包んでいた。
「ガキだ!此奴らが攫ってきたガキ共を捕まえて来い!」
間もなく、留置場に押し入った殃餓の乾分らがナンバー入りの首枷の付いた少年少女達を引き連れ出してくる。
「村の名主を出せッ!」
「――儂が村長じゃ」
「テメェがこの村の長か。俺はブラック・インペラトルの族長、野牛!仲間共をヤッたゴミがこの村に紛れてるるゥッ!ソイツらを今すぐ出せッ!!」
「待つのじゃ。儂らが其方らを襲う事なぞ、出来る訳もなかろう。儂等定住の民が殃餓に手出し筈がなかろう…」
「“いよ”だ!“いよ”と名のつく者を出せッ!!」
「!?…な、何を云っておるのじゃ?」
「――ぁあン?……ヤれ」
殃餓の手下一人が、捕らえた一人の少年の首を握る。
そのイカれた膂力に任せ、少年の首を捻る。
鈍い音等しない。気泡緩衝材を絞ったような、ぷちぷちと乾いた弾ける音。骨が軋み砕ける低音は、筋肉や神経、血管、リンパ節、軟骨等が弾ける高音に搔き消され、やたらと乾いた音を響かせ、聴いた者達の心胆を寒からしめる。
叫び声さえ上げる猶予さえ与えない、一瞬の出来事。蟲螻を捻り潰す程の感傷もない、それが殃餓の性、畜生の所業、それが、現実。
「待たれよ!」
「ぁあ?」
「大切な子供達の命を無闇に奪うのは止めてくれい」
「はぁ~?人攫い共が何を寝惚けた事云ってンだ?テメェら“根掛かり”共がガキの処遇を偉そうに俺らに語ってンじゃねーよ」
「遺棄児達は儂らの財産じゃ。奪われるのであれば、それは儂らの不甲斐なさ故。併し、闇雲に殺されたのでは堪ったもんじゃない」
「人攫いが如き鬣犬風情がガキを助けろなンざ、笑えもせんわ。ンで、なら、どうするンだ?」
「儂の命を捧げよう。代わりに村と子供らを見逃して貰いたい」
「なンじゃそりゃ?死にかけの老い耄れを一人ヤッた処で仲間共は帰ってこねーンだよ!」
「其方らの仲間を儂らが倒せる訳もなかろうに。怒りが収まらんのであれば儂を殺せ。それで帰ってくれ。儂らは無関係じゃ」
「はぁ~?じゃあ、誰が俺らの仲間をヤッたンだ、ぁあ~?テメェらの収攫者が仲間の遺体近くから立ち去ったっつ~話は聞いてンだ」
「――心当たりは…ある」
「ンだとぉ~?だったら、それを早く云えッ!!」
「…云えぬ――確証は、何もないのじゃ…」
「!!ッテ、テメェ!巫山戯てンのかッ!!」
野牛と名乗ったその殃餓達の族長は、手近にいた少年を掴み上げる。
少年が首に着けている【108】と刻まれた錠前付き首枷をいとも容易く引き千切ると高々とパワーリフトし、叫ぶ。
「おい、爺ィ!その心当たりを早く云えッ!云わねぇーと、このガキを縊り殺すぞッ!」
「止めて下され!その子は、病に冒されているのじゃ…末期の気管支癌に冒されておるんじゃ。どうか、そっとしておいて欲しい」
「はぁ~?ファーハッハッハッ!間抜けな人攫い共だなァ?病気持ちを攫って来て養っとるとは、熟々《つくづく》、間抜けだなァ~」
「――」
「オラッ!早く犯人を云えッ、爺ィ~!!」
――た、助けて…
上空高くにリフトアップされた少年は、絞り出すようにか細く嘆く。
「――わ、分かった…」
「フン!最初から早く云ゃ~いいンだッ!」
「――し…」
「…し?」
「――白子の白人…」
「?…しらこ?しらり?異邦人か??」
――わたし、だ!
炎上するバラックの明かりに照らされ、砂利道に映る人影、それは、少女。
妖精や天使を思わせる様な、儚げで朧気で蜃気楼の様な、様式化された宗教画的な清麗さ、奇蹟的な美貌と荘厳な雰囲気を醸し出す少女が立つ。
「!?なンだ、このガキはッ??」
「ハッ!妖性の戰耍皇女!!な、ぜ…何故、戻って来たのじゃ…」
「いくさひめ?…ハッハーッ、成る程ねぇ~、コイツがあの“戰鬭姬”かッ!」
「Да…御託はいい。その子をさっさと放せ」
「噂の殺戮兵器と見えようとはな。
おもしれぇ~!お前らッ、相手してやれ!」
3人の殃餓が少女の前に立ち塞がる。
セスタスを巻き付け、ナックルダスター、マチェット、剣鉈、釘付鎚鉾等、思い思いの凶器を握り締め、近付く。
――ダメだ、逃げてぇーーッ!!
族長に掲げられた少年は、必死に声を振り絞る。
「――」
「ヒャハハ、逃げてもいいンだぜ、嬢ちゃん?」
「――闇夜にわたしに挑むは無謀、無駄、そして、無能」
「!!この、小娘がァァァーッ!」
不意に、騷めく暗闇。
夜の帳に墨が舞うが如き微妙な濃淡の機微。
風、と評するには、不自然に迄、静か過ぎる何等かの圧が周囲を支配し、変調を与える。五感で察知し得ない不気味な何かが、併し、明らかに起こっている。
気付けば、殃餓の手にしていた物々しい凶器は拉げ、蕩けた飴細工の様。
「!!?な、なンだコリャッ!?」
「そうなりたくなかったら、抵抗を止めなさい」
「うるせぇーーッ!」
――おいィ!テメェら、そのガキから離れろ!
野牛の怒声も空しく、殃餓共は少女に殴り掛かる。
一瞬の交錯。
殃餓達と少女は擦れ違い、今や立ち位置は逆。
族長の前に踏み出した少女の後ろ、村長側に躍り掛かった殃餓。その殃餓達がぴくりとも動かない。
――!?
少女の手は、緩やかに何かを掴んでいるような形。
それを手放すように開くと、形も漫ろな何かがぞろりと地に落ちる。否、落ちたような感じ。
錯覚?
黒い塊のような、闇より暗い何かが、黒より黑い何かが、少女の手からするりと滑り落ちる、そんなイメージ。
間もなく、交錯した殃餓達が絶叫を上げ、而して、地に倒れる。
血を流す事も外傷も無く、僅かな痣を残し、一部肉体が萎むように凹み、只々、不気味に絶命。
「こ、これはッ!!」
白の少女は、野牛に歩を進める。
大胆に、力強く。
「──“イヨめ”…そうか。あのダイイング・メッセージ…
左右に分割された“白”の文字が片仮名の“イヨ”に、平仮名の“め”は元々、漢字の“女”。共に指で地面の土をなぞれば、崩れて“そう”見えても不思議じゃねぇ~。
即ち、“イヨめ”とは──“白女”!
テメェ~だったのか、仲間をヤッたのはッ!!!」
「初めから、わたしだと云ったろう」
「おい、テメェら、ヤッちまえ!」
取り巻く殃餓共は唸り声を上げ、一斉に少女に飛び掛かる。
肉食獣のそれを思わせる襲撃。
白の少女は微動だにせず、一言口ずさむ。
「影に畏れ慄き、白日の夢に絶滅せよ」
少女が動く。
炎上する家屋の炎が照らし出す少女の影は、誰の目を以てしても追う事が出来ない速さ。否、影すら残さない程。抑々《そもそも》、影そのもののようだ。
足音も風を切る音も息遣いもしない。聞こえない。いっそ静か過ぎるが故、耳鳴りを覚える、それ程の静寂を引き摺り、少女は駆け巡る。
蝙蝠さえも、少女の位置を推し量る事が出来ない程、静かに、素早く、気取らせず、駆け抜ける。
軈て、火の粉舞い散る炎の朧影の下、少女は姿を現す。
――ぎゃあああああっ!
殃餓共の絶叫が谺し、ばたばたと倒れる。
その巨軀には、所々窪みと痣が残るだけ。既に息を引き取っている。
見渡せば、殃餓は族長の野牛を除き、全滅。
地獄絵図とは、今、この目の前の光景を云うのだろう。
「くっ…テ、テメェ~、ブッ殺してヤる!!!」
掲げ上げた少年の首を捻ろうとした刹那、白の少女は手を伸ばす。
影が伸びる。否、錯覚か?
兎も角、少年の体は黒塊の靄と化し、蜃気楼の様に夜の闇へと霧散、搔き消える。
まるで、イリュージョンのショーでも見ているかの様。
「!?な、なンだッ!!?」
少女は跳び込む。
族長の眼下、紫丁香花色の紫水晶に輝く瞳を三白眼気味に上目遣いする少女。
――うおッッ!?
少女の色が褪せ、失せる。グレースケールに、モノクロに、間もなく、暗く、遂には、黒く黑く、到頭視認出来得ない闇に。
――人影。
正に、言葉の通り、人の姿をとった影が、族長の、野牛の体を摺り抜ける。
ギョッ、とするような感覚。
ゾッ、とする程の悪寒。
全身の細胞が泡立つような、体の芯から凍えるような、脳味噌が震えるような、金属片を噛み拉き、潰瘍に蝕まれシクシクした痛みを感じつつ、高高度から突き落とされたような、ぞわっとした感覚に身の毛も弥立つ、得も言われぬ底知れない恐怖感。
「Преступление и наказание」
――!!?
背筋を伝う汗を感じるものの、併し、何も起こらない。
背後に立つ少女へと振り向き、野牛は吠える。
「…ヘッ!お、驚かしやがって…ブッ潰してヤるァァァ!!」
唐突に違和感。
腹の底から乾きが、喪失感が、無気力感が、暗黒感が、虚無感が、途轍もない倦怠感が、怒濤のように押し寄せてくる。
痛い、痛い、痛い…
激痛と鈍痛がダブルで襲いかかってくる。酷い吐き気もだ。だが、何処が痛いのか、まるでさっぱり分からない。
分からないままに、搔き毟る。
喉を、胸を、鳩尾を、腹を。そこら中が痛い、熱い、冷たい。
呼吸が出来ない。否、それどころか、心音が無い。
何かが、無い!
大事な何かが。何かは分からない。だが、確かに、無い!
――ああ、駄目、だ…
そして、悟る。死を。
「Прощай навсегда(さよなら、永遠に)」
――ぐぎぃぃぃゃやああぁぁぁーーっっっ!!!!
断末魔の叫びを上げ、野牛の巨体が大地に倒れる。
白い少女の腕の中に、夜の闇が引き込まれるように収束し、軈て、黒い人型を象る。
少女の腕の中のそれは、間もなく色を取り戻し、原形を顕わにする。そう、先程迄捕らえられていた少年。
少年は汗だくで気を失っている。
少女は、その儘抱き抱えた少年を村長に引き渡す。
茫然自失であった村長も気を取り戻す。
「娘よ、村を救ってくれて有難う。心から感謝致す」
「Спасибом сыт не будешь. 外で村の者達と“約束”をした。それを貰い受けたい」
「――うむ、話を聞こう…」
──村の端、壊されたバリケード付近
少女の体には少し大きい背嚢と膨れた頭陀袋、20ℓポリタンク。少女の戦利品。アサマの村を救った、その返礼の品々。
これだけあれば、暫くの間、活きて行ける。
荒野で襲ってきた自警団の罪については、約束の返礼を以て問わない事にした。
少女にとって、そんな些細な事等、気にする程の事でもないからだ。
見送りは、いない。
村長と、そう約束したのだ。
気恥ずかしいなんて殊勝な思いはない。
只、厄介だから、だ。
少女にとって、別れは、常に“孤独”でなくてはいけない。
孤独ではなくては、孤高たり得ない。
思い出は、作らない、抱かない、残さない、振り返らない。
全ては、記憶の闇の中に葬らねば。
それが、妖性の宿命。
――だと云うのに…
あの少年が、亦、迹を追いかけてきた。
見送りは止めろ、と約束したのだが。
少年がごねたのだろう。
咳は止まっている、な。
――例外。
そう云う事にしておこう。
あまり、例外なんてものは作りたくない。
まあ、手に入れるものは入ったし、今くらいは、いいだろう。
――ねーちゃン!待ってくれよ!
「何も云わずにいなくなるなんて酷いじゃないか!」
「―そう?」
「有難うの一言も云えてないのに…」
「――そうそう…」
「え、なに?」
「君の病巣は、全て取り除いておいたよ」
「!!…えっ!?」
「手の施しようがない末期癌だった、と村長から聞いた。だが、取り除いたので根治した」
「!?ほ、ほんとに?」
「ああ」
「ど、どーやって??」
「――機密事項」
「…」
「長生きするといいな、少年」
立ち去ろうとする少女。
慌てた様子で少年が呼び止める。
「ちょっと待ってくれよ、ねーちゃン!」
「ん?」
「ねーちゃンの、その…呼び名を――名前!そうだ、名前を教えてくれよ…」
「――名前…」
「うん」
「…Нонна」
「ノンナ?ノンナって云うんだね」
「――そう」
「そっか~、いい名前だなぁ~」
「――どうも」
「うん!ノンナ!凄くいい響きだよ、ノンナ!きっと、親御さン達はいい意味で名付けてくれたんだね」
「――まだ、聞いてなかったな少年…君の名は?」
「…な、名前――え、えーと……ひ、108、番…」
「――」
「……ご、ごめん…名前は、無いンだ…」
「――そう」
「…うん」
「――トーヤ。この国の言葉の語呂合わせ、10(十)に8(八)で“トーヤ”。わたしの国で近しい名だとТося。トーシャは、Анатолийの略称。アナトリーは、ギリシア由来の名で、ラテン語で“日の出”の意。日の出の国である君の国の名に近しい響きであれば、トシヤ。当面、君は“トシヤ”と名乗ればいい」
「!?トシヤ!“としや”だね!ありがとー、ねーちゃン!!すげ~いい名前だよ、ありがとう。本当にありがとうよ」
「――うん」
一拍の間。
少年が決意の表情で話す。
「…ね、ねーちゃン!」
「うん?」
「……オ、オレも連れていってくれよ!」
「――」
「…頼むよ!何でもするからっ!」
「わたしは、君の乳母でもなければ、母でもなく、姉でもない」
「……」
「――」
「……分かったよ…」
「…」
「オ、オレ、強くなるよ!」
「――…」
「強くなったら!強くなったら、ねーちゃンの側に置いてくれよ!ねっ?いいでしょ?」
「――強くなれたら…ね…」
「有難う、ねーちゃン!約束だよ、約束っ!」
「――」
「オレ、強くなるから!強くなって、ねーちゃンを守ってやるから!!」
「――…」
「ねーちゃン、またな!」
「――それじゃ、Всего хорошего」
「達者でなーっ!!!」
――達者でなー!達者でなー!達者でなー!
──真夜中の荒野
――まだ、手を振っている…
あの子の視力で、抑々《そもそも》、夜目の利かないあの子がこの距離が見える筈がない。
なのに、いつ迄もいつ迄も、馬鹿の一つ覚えのように、手を振り続けている。
あれは…あれでは、長生き出来ない。
折角、命を拾ってやったのに。
あんな甘ちゃんじゃ、今の世を生き抜いてはいけない。
尤も、あんな甘っとろい人攫いの村、遅かれ早かれ他の殃餓共に襲われ、滅びるだろう。
達者でな、か。
達者って、直訳すると、熟練者とか、その道のプロだとか、エキスパートだとか、そんな意味だった筈。
わたしに、達者でな、って…川魳に泳ぎを覚えろ、って云ってるようなもの。
馬鹿、ね。
わたしを“守る”とか…本当、馬鹿な子。
達者、か…
なんか、いい響き。
たっしゃ……
タッシャ……
ターシャ……
トーシャ…
――達者でね、トーシャ……
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Конец, Нет! Нет! Продолжение следует!!!