箱の歌
第三十二期テーマ短編参加作品。テーマは「箱」、ジャンルはヒューマンドラマです。
この箱を満席に出来なければ、私は夢を諦める。
裏通りの一角にある、小さなライブハウス。それすらも最後まで満席にできない無名のシンガーが、私。今日でちょうど三年。夢に生きようと決めてから三年。夢に夢見る少女は少女ではなくなり、夢は夢のまま終わってしまう。だからこそ、最後の夢は今までのどの舞台よりも全身全霊をぶつける。私の三年前の気持ちを、歌に乗せるーー。
三年前、私がこのライブハウスを訪れたのは本当に偶然だった。本当は同じ通りにある古本屋に行くつもりだったのに、店の外装が似てるものだから間違って足を踏み入れてしまったのだ。受付で当日券の料金を要求されて初めて間違いに気づき、すぐそこを出ようと考えた。しかし、中から漏れ聴こえる美しいソプラノに、私の後ろ髪が囚われてしまった。私も当時はそこそこ青春を謳歌している花の女子高生だったから、好きな歌手の一人や二人はいた。でも、ここまで歌声に惹かれることなんて初めてだった。そしてそれは、今でも変わらない。
彼女の歌声は、桜の花びらのように可憐で、近所の神社にある樹齢千年の大木のように力強かった。あっさりと心に入ってくるのに、一度掴まれた心は離れない。人の心を歌で動かすという意味を教えてくれたのは、彼女だ。そして、将来のことなど何一つイメージできなかった少女に生き方を教えてくれたのは、彼女だ。彼女のように人の心を動かす歌手になりたい。その時そう決意した。
結果としてはそれが叶うことはなかった。歌とギターを寝る間も惜しんで練習し、路上からショッピングモール、そして箱で何度もライブを重ねた。それで人の心を動かすどころか、全然人が集まらなかった。箱はともかく、行きずりの人がお客さんである路上やモールにおいて人が集まらないということは、それだけ私が人の心を動かせてなかったということになる。どれだけ熱意を持って努力を重ねても、叶わないことはある。現実を、突き付けられただけだった。
そしてもう一つ、私の人生を変えた彼女の歌声を、あれ以降一度も聴くことはなかった。詳しく調べてみると、彼女はインディーズでCDすら出しておらず、細々と箱を中心に活動していた歌手だった。そして私が行ったライブを最後に、表舞台から完全に姿を消していた。早い話が、引退していた。彼女のことをよく知るライブハウスの店長いわく、僅かな固定のファンがいるのみで毎回箱の半分も埋めることが出来ず、借金が嵩んで活動を辞めてしまったらしい。私と全く同じ境遇で、それを知ったのが夢を諦めた一番大きな要因である。彼女より遥かに劣る私が、彼女に出来なかったことを出来るわけがない。逃げだと言われるかもしれないが、私にとってそれは揺るぎない事実だったのだ。
だから、ちょうど三年目の今日、彼女に出会ったこの場所を満席に出来なければ、万が一にも彼女を越えることがなければ、私は引退する。ラストライブにすると決めたのだ。
舞台に上がり、膨らむほどもない僅かな期待を持って客席を見渡すと、ざっと三分の一ほどが埋まっていた。私にしてはかなり多い方。でも目標には遥かに及ばず、私の夢は終わった。
いや、まだ終わっていない。
このライブで全身全霊を込めて歌い、歌声に魂を乗せ、私の気持ちを全て伝える。そして最後には、迷惑かもしれないけどお客さん一人一人にお礼を言って見送る。有終の美を飾らないと、私の三年を否定することになってしまう。だから、一時間に三年を込めて、歌うーー。
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私がこのライブハウスを訪れたのは本当に偶然だった。本当は同じ通りにある喫茶店に行くつもりだったのに、看板が似てるものだから間違って足を踏み入れてしまったのだ。受付で当日券の料金を要求されて初めて間違いに気づき、すぐそこを出ようと考えた。しかし、中から漏れ聴こえる美しいソプラノに、私の後ろ髪が囚われてしまった。私もそこそこ青春を謳歌している花の女子高生だから、好きな歌手の一人や二人はいる。でも、ここまで歌声に惹かれることなんて初めてだった。
私の人生が変わる音がした。




