あなたが俺(私)を見ているわけがない
恋愛なのに三人称に挑戦して、それが裏目に出たような作品。正直公開を迷っていたのですが、今後の為にも至らない点を指摘してもらった方がよいのかなと思い、公開を決めました。
九月の下旬に差し掛かり、暑さの中に秋らしい冷たい風が混じるこの季節、東城雅也は値段が手頃で味もそこそこと評判のファミリーレストランでアルバイトをしていた。大学生の雅也は世間の中高生とは違い、まだ夏休みである。それも残り一週間ほどのことであるが。
「雅也君、八番テーブルオーダー!」
「はい!」
「その後はこの料理を十二番のカウンターに! それから一番テーブルの片付け!」
「わかりました!」
調理場から響く壮年の男性の怒号。それに応えながら雅也は言われたことを、そして目についた事を自分からこなす。現在の時刻は午後七時過ぎ。一日で一番忙しい時間帯。雅也だけではなく、他のホールの人も、調理場の人も、ひと時も休むことなく動き続ける。それでも捌ききれないお客さんたちが出入り口に溢れかえる。
「いらっしゃいませ!」
自動ドアの開く音に反応し、店中から声が響く。たまたまドアの近くにいた雅也は、チラとそちらを振り返りながら。
そして、雅也は思わず動きを止めた。その目は今入った三人連れの客、初老の男性と女性に挟まれるようにして入ってきた、自分とそう多くは年の違わないであろう少女に釘付けになった。
「雅也君、動き止まってる。パッパと動く!」
「は、はい! すみません!」
雅也は名残惜しそうに少女から目を離し、再びホールという戦場へと身を投じた。
***
「おーい美咲、晩飯食いに行くぞー」
「はーい」
藤田美咲は父親の間延びした声に答え、今までやっていたスマートフォンのアプリを閉じた。今年大学生になったばかりの彼女は、周りが次々に髪を染めるのを意に介さず黒髪を貫いていた。それは、自分が茶や金などよりも黒が似合うことを自覚しているからだ。そして実際、大人しいながらも整った顔立ちをしている美咲に、黒髪の滑らかなボブヘアは彼女の魅力を最大限に引き出していた。どれほど魅力的なのかは、おそらく本人の想像を超えているだろう。
父親と母親に挟まれるようにしながら、三人横に並んで歩く。美咲らがよく行く安くて美味しいファミリーレストランまでは、徒歩で五分ほどだ。
「いらっしゃいませー!」
店中が震えんばかりの賑やかさ、入口でごった返す順番待ちの人たち、デフォで怒っているような店長の怒号。いつもと変わらない、この店の通常運行だ。しかし何気なく店内を見回した時、美咲はある一点に釘付けになった。
店指定の制服を身につけ、休むことなく動き続ける少年。すっかり店のペースに溶け込んでいる彼を、美咲と対して歳の変わらないであろう彼を、美咲は初めて見た。
物珍しさから、美咲はしばらく彼を見つめていた。というのも、この店の従業員は年配の人がほとんどで、彼のような若い人は今までいなかったのだ。
父親が一旦名前を知らせると、順番が来るまで外で待っていた。秋口に差し掛かり、朝夕はすっかり冷えるようになった。まとわりつく熱気のない爽やかな風に、美咲は心地よさそうに目を瞑った。
時を忘れるほどそうしていると、彼女らの名前が呼ばれた。その頃にはすっかり、見慣れぬ少年のことを忘れていた。だから店に入ってすぐ、真正面にいた彼と目が合った時、思わず心臓が跳ねた。
***
先ほどの少女らが入店した後オーダーを取りに行ったのは、雅也だった。別に意図してのことではない。流れのまま動いていたら、たまたまそうなってしまっただけだ。
「いらっしゃいませ、ご注文よろしかったでしょうか?」
声をかけてから、目の前にいるのが先ほど見とれた少女だったことに気づいた。かといってまた硬直するわけにもいかない。雅也はれっきとしたこの店の従業員で、今は仕事中。どんな客が来ようと手厚く接しなくてはならないし、ましてや感情的になるなんて許されない。
目の前の少女は一言も発しない。その代わりに、少女の父親らしき男性が、全員のオーダーをまとめて告げる。間延びした声だが、何故か頼りない感じのしない、しっかりとした声だった。雅也はオーダーをとることに集中することで、無理やり少女から意識を逸らした。
少女らから離れても、雅也の視線はふとした拍子に少女へと向かった。大人しそうだが、意外とよく笑う。雅也はその笑顔を見るたび、体温が一度ずつ上がっているような錯覚がした。
料理を持っていったとき、間近で少女の顔を覗き込んでしまい、傍から見てもわかるのではないかと思うほど顔が熱くなった。雅也は少女の笑顔を、純真な瞳を、そして先ほど一言だけ聞けた「ありがとう」という声を鮮明に心に刻んだ。しかし同時にこうも考えた。
『あの子が俺なんかを見ているわけがない』
***
少年が注文をとりに来た時、あまりの驚きに美咲は声が出なかった。店に入ったときに一瞬かち合った視線を思い出し、美咲は思わず顔を伏せた。
父親が全て注文を済ませたので、少年はそのまま立ち去ってしまった。恐る恐る顔を上げると、少年はもう本来の仕事に戻っていた。
「っていうか、今のもれっきとした仕事か」
呟いてみておかしな気分になった美咲から笑みが溢れた。それ以降は少年から意識を逸らし、両親との会話に没頭した。
「お客様、本日の定食です」
本日の定食。美咲が頼んだ料理だ。受け取ろうと顔を上げると、目の前に少年の顔があった。一瞬目が合った。だがすぐ少年に目を逸らされてしまった。それでも、美咲は囁くように「ありがとう」と言うのが精一杯だった。
美咲は目の前の料理にありつきながらも、その味は全く感じられなかった。美咲の頭の中は全て、先ほど間近で見た少年の包容力のありそうな、深遠を思わせる黒い瞳でいっぱいだった。それでいて同時に、こうも思った。
『あの人が客の一人である私なんて見ているわけがない』
***
普通ならば、この二人の想いが結ばれることはないだろう。格好いい店員への、可愛いお客さんへの、一瞬の気の迷い。それで片付けられて、それで終わりだろう。
だがその日の運命の神様は、いつもより“ちょっとだけ”お茶目だった――。
***
数時間が経ち午後十時を回った頃、雅也の働く店は閉店を迎えた。雅也が外に出た途端、冬をも思わせる容赦ない突風が彼を襲う。そんな風を気にも止めない様子の雅也は、いつも通り自転車で疾走する。彼の前髪が勢いのまま逆立つ。
その日たまたま肉まんが食べたくなった雅也は、店からほどないところにあるコンビニへと立ち寄った。直接レジへと向かい、財布を取り出しながら店員に注文をしようと顔を上げた――。
「えっ?」
「あっ!」
目の前にいたのは、忘れかけていたものの、雅也に強く印象を持たせた、あの少女だった。
***
美咲は、週末の深夜には、家の近くのコンビニでアルバイトをしている。最初は怖いと感じていたけれど、ここしばらくはもうそんな様子はなかった。一人っきりというわけでもないので、実際そこまで危険ではない。そのことも手伝ったのだろう。
その日も、家族で食事をした後ほどなくしてバイトであった。始めの方こそ人がいたが、十時を回ってしまうとほとんど人がいなくなってしまった。
「いらっしゃいませ」
扉の開く音がして、反射的に声をかけた。入ってきた客は店内を物色することなく、一直線にレジへと向かってくる。美咲は笑顔を作り、客の顔を見た――。
「あっ!」
「えっ?」
目の前にいたのは、思わず強く見つめてしまっていた、あの少年だった。
***
「もしかして、俺らさっきあの店で?」
目の前の少女も驚きの声を上げたのを見て、雅也は恐る恐る訊ねた。
「やっぱりそうですよね! まさかこんなところで会えるなんて」
少女の笑顔は、さっき会った時と変わらず、雅也の心を揺さぶった。
***
「そういえば、何を買うつもりだったんですか?」
目の前の少年を見ていると思わず緩みそうになる顔に心の中で気合いを入れつつ、美咲はそう訊ねた。
「あっそうだった。肉まんを一つ」
「肉まん一つ。お会計百八円になります」
少年が差し出してくる百円玉と十円玉を受け取る。その過程で二人の手が僅かに触れた。一瞬感じた少年の肌の感触が、美咲の臨界点を超えた。
***
「あの、大丈夫ですか?」
お金を受け取ったまま固まってしまった少女に、雅也は思わず声をかけた。
「ひゃいっ!? わわ、えっと、お釣りの二円です!」
差し出された銀色の硬貨二枚を見て、雅也は思いっきり吹き出した。
「ぶははっ、それ百円玉だよ?」
「あっ……すす、すみませんっ!」
少女は顔を真っ赤に染めて、一回り小さな銀貨を二枚差し出す。そんな反応を見ていると雅也の方まで恥ずかしくなってきたようで、目線を不自然に漂わせた。いや違う。バイト中に少女を見かけたときも、このコンビニに入って少女に会った時も、ずっと恥ずかしい、こそばゆい気持ちでいっぱいだったのであろう。雅也は再び視線を少女に戻すと、意を決したような、引き締まった顔で口を開いた。
「あのさ――」
***
「連絡先、交換しないか?」
少し逡巡した素振りを見せつつも、思い切った様子で少年がそう訊いた。美咲は目の前の少年が何を言ったのか理解できず、ただ固まるのみだった。
「あっいや、嫌ならいいんだ。突然こんなこと言ってゴメン」
何しちゃってんだろうなーと言ってヘラヘラする少年の目は、心なしか悲しげだった。その目を見て、美咲はやっと正気を取り戻した。
「あっあの、嫌じゃないです。その……私もできればそうしたいなって思ってたから」
そう言って美咲は、赤い顔で優しく微笑んだ。
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