第8章
1
数珠市のちょうど真ん中には、警察署がある。数珠市内を管轄とする数珠警察署だ。市自体が小さいため、ひとつの警察署が市内全てを総轄していた。
しかし、いくら市が小さいと言えど、一つの行政区には変わりない。一つの署で取り締まるのはそれなりに大変なのだが、主だった事件もあまり起きないため、署内は平和と言えた。少なくとも、取調室で殺人犯にライトが当てられ、カツ丼を勧められるという光景はない。
だが、犯罪というやつはどこでも起こるもので、課によっては忙しい所もある。
少年課に属する藤は、署内の自販機コーナーにて先輩刑事で第三課に属する三上の話を聞いていた。
「俺よ、今回の事件で切られるかもしんねーわ」
「はっ!?」
唐突な話に、藤は持っていたコーヒーを手にこぼしてしまった。
「熱ぃ!」
「気ぃつけろよ」
「何で三上さんが切られるんですか?」
染みになるのも構わず、藤がくしゃくしゃになったズボンの裾でコーヒーを拭う。彼は素行も言葉も運転も、全てが荒い。
「まぁ俺も潮時ってことかな」
対する三上は中年のおじさんを代表するような人間で、確かにいつも眠そうでやる気はないが、切られる理由がない。彼は警察に二十五年勤めているし、本質である彼の真面目さは、三上がまだ少年課にいたときに藤もよく見ている。周りの評価も良かったはずだ。
「潮時じゃないでしょう。息子さんだって中学入ったばっかりで、これからもう一頑張りって所じゃないですか!」
「そうも行かないんだよ」
「・・・・・・この間の事件っすね」
藤が持ち出したのは、この間三上が担当した事件だ。三上が追っていた暴力団組員が警察上層部に圧力をかけ、三上に手を引けと言ってきた。しかし彼はそれに反発し、そのまま組員を逮捕。上層部は真っ青で、三上をなんとか辞めさせようとしていた。そこに今回の事件が舞い込んだ。この事件を解決できなければクビ。そう言われたそうだ。
「どんな事件なんすか?」
「面倒な話だよ。世も末だ。多分お前の所にも話が行くはずだ」
「少年課に?」
話が読めない藤に、三上は話し出した。
「今回の事件は三者が関わってる。一つは俺の追ってる組織。もう一つは高校生のグループ。最後の一つは実態の知れねぇ黒幕だ。その黒幕が武器密輸をしてて、その仲介役を高校生にさせてるんだ。最近の高校生は恐いもの知らずだか何だか知らないが、高収入のバイト感覚でそれを引き受けてる。そんで、その高校生を介して組織に武器が渡ってるのさ。要約するとこんな感じだ」
「その黒幕ってのは割れてんですか?」
「それがな、よくわかんねぇんだ。ソイツの素性がわかるモンが何もねぇんだよ。指紋は取れてるんだ。けどな、それは人間のものじゃない」
「どういうことですか?」
「指紋ってのは、えらく複雑だろ。けど、それはスタンプみたいなんだよ。ただ、ぽんって押したような跡がある。指紋と呼べるかも疑問だな。足跡って言った方がしっくりくる」
「なんだそりゃ」
「犯人像は、指紋がないやつ。みんな妖怪か幽霊の仕業じゃねぇかって、浮き足立ってるよ」
「妖怪ぃ?」
藤が顔を歪めると同時に紙コップを握り潰してしまう。溢れたコーヒーが再び藤を襲う。
「あっちぃ!」
「だから気をつけろって。一応その黒幕を追ってた部下が顔は見てるんだ。けど寸での所で逃げられてな」
「それってもしかして、病院送りになったっていう・・・・・・」
「ああ。アイツは空手も柔道も有段者だったから、相当凄いやつなんだろうな。その部下がまた化け物だとか言うからみんなビビってる」
「なぁ、それって本当に妖怪か?」
「妖怪がいるかどうかは知らんが、いるならその線もあるんじゃねーの?」
軽く言ってのける三上だが、彼は今回首がかかっている。こんな呑気にしていて良いのだろうか。
「三上さん、何とかしてやろうって気はないんですか?」
「まぁ、あるって言えばあるな。来週女房が誕生日なんだ。たまには真珠の指輪でも買ってやりたいな。最近の若いやつらはダイヤとかトルコ石とかって言うが、俺らの時代はやっぱり真珠だよな」
はにかむ三上がどうにも痛々しく見えて、藤はコーヒーを飲み干し、紙コップを握り潰した。
「俺が検挙してやる!」
「お前が検挙できるのは高校生だけだぞ」
冷静にそう言われると、続きの言葉が出ない。
「俺もやれるだけやってみます。相手が妖怪なら何とかなる」
「はぁ?」
妖怪だからこそ何とかならないんだ、と三上が言おうとした時には、藤はすでにどこかへと足を向けていた。
「そのせっかちを直せ。だから結婚できないんだよ」
三上は自分の倍ほどもある藤の背中に呟いた。
2
藤は車を運転しながら、前に取り扱った事件を思い出していた。あれは何年前だろう。そうだ、三年前だ。三上が異動してすぐの時だった。
「お前ら、また来たのか!」
藤が休憩から戻って少年課の部屋に入ると、見慣れた三人組がいた。一人は茶髪で銀色のメッシュを入れて、もう一人は銀髪の少年よりも明るい茶髪に黒いメッシュを入れて、もう一人の女は金髪だ。お前ら、何人だ。
「連れてこられたんだよ」
「俺ら嫌だって言ったのにサ」
「来たくて来てる訳じゃないし」
このガキ共め、毎度思うがどんな教育受けてやがる。
「今度は何したんだ?」
眉間を指で揉みながら、藤は向かいの椅子に座った。
「だからね、俺らは妖怪を退治してたわけでー」
「真面目に言ってんのかテメェ!」
机をバンと叩くが、春一は眉一つ動かさない。
「もうそこはどうでもいいよ。話がややこしいからさ。まぁ、その妖怪的な犯人を追ってて、そいつを取り押さえたトコにパトロール中のお巡りさんが通りかかって、捕まっちゃった訳よ。正当防衛だったのに」
「だったら、その妖怪はどこに行った?」
「お巡りさんが俺らを詰問してる間に逃げちゃったよ。あーあ、これでまた悪さするよ」
はぁ、と藤は溜息をついた。
確かに春一達「トランプ」は警察の常連だった。しかし、それは彼ら自身が悪いことをしていたわけではない。恐喝に遭っていた人間を庇って逆に不良やチンピラを伸したり、盗みを働いた人間をやはり伸して、警察に持って来たり、ということで常連になっていた。本人達は正当防衛だと言い張るが、実質は過剰防衛だ。悪を以って悪を制す、と言った所か。
そんな事情から、藤は三人のことをいつも見逃していた。きっとこの三人なら更正できる。今は喧嘩しかできないが、いつかもっと手段を覚えるはずだ。
そんな信用半分、手続きが面倒なのでさっさと返すの半分で、トランプの三人はいつも厳重注意後釈放になっていた。
その三人が、突然変なことを言い出した。
「もういいよ、お前ら。帰れ」
相手をするのが面倒になり、藤は三人をさっさと帰した。
「やった、今日早ぇよ」
「おやっさん太っ腹」
「見直しちゃったかも」
「俺はおやっさんって呼ばれる年じゃねぇ!」
「よく言うよ、オヤジのくせに」
「おやっさん、鏡で自分の顔見てみなよ」
「あたし今持ってるよ。見る?」
「帰れ!」
一喝すると、三人は笑いながら席を立って慣れた足取りで去っていった。
さっきも思ったが、あいつらどんな教育受けてやがる。
「ここが現場だよな」
藤は三人の事後処理を終えた後、トランプの三人が捕まったという現場に来ていた。公園から続く林の中で、所々ゴミが捨てられている。全く、最近の人間のモラルはどうなってる。
そう思っていたら、近くを通りがかった男が目に入った。
(こんな所に何の用だ? この先は何もないはずだが・・・・・・)
その男はまだ若く、二十代半ばくらいに見える。がさがさと枝や葉を分けて進んで行く途中に、ジュースの空き缶を投げ捨てた。
(刑事の前で不法投棄しやがったなこの野郎。懲らしめてやる)
藤が警察手帳の用意をしながらその男に近付く。
「オイ、警察のモンだが、話聞くぞー」
男はばっと振り返るやいなや、藤を突き飛ばした。不意打ちにそのまま倒れた藤は、信じられない光景を目にした。
男が、木と木の間をサルのように移動しているのだ。人間ではあり得ない脚力で、木々の間を飛び交う。
「何だあれ・・・・・・」
次の瞬間、言葉を失った藤の耳に随分聞き慣れた声が響いた。
「見つけたぞサル!」
その声がすると、さっきまで軽やかに跳んでいたサル男が地面に叩きつけられた。そして上から見慣れた顔が降ってくる。
「春一!」
「うわ、一日におやっさんの顔二回見るとかマジ最悪」
「うるせえ!」
惰性で怒鳴ってから、サル男に目が行く。痛そうに上体を起こし、そのまま別の方向に跳んだ。
「丈!」
「おうよ!」
今度は上から丈が降ってきて、サル男の首根っこを掴んでいる。
「琉妃香、もう降りてきても大丈夫だぜ」
最後に琉妃香が振ってきた。こいつら、木の上にいたのか。お前らの方がよっぽどサルじゃねえか。いや、そうじゃなくて。
「状況を説明しろ」
「さっき説明したのに」
「何で人の話聞かねーノ?」
「だからおやっさんは昇進できないんだよ」
「うっせえ! 状況を説明しろって言ってんだよ!」
叩きつける机があるはずもなく、手は空を切る。
「さっき署で言った俺らが追ってた犯人だよ。ここに逃げ込むの見たから、先回りして待ち伏せてたんだ」
気付いたら三人の手には何やらナイロンテープのようなものが巻かれている。
「お前ら、何だそれ?」
「ややこしい話になるからさ、こいつ引き渡した後でいい?」
その後春一達は枢要院を呼び、後処理を任せた。三人と藤は林から出て、公園のベンチに座って話をすることにした。
そこで春一から妖怪の説明があり、あの種族は脚力が異様に強く、人間サルのようなものだと説明された。本来ならまた一喝した後に一蹴するが、現実に見てしまっては反論もできない。
「百歩譲って、その話を信じるとしよう。そこでお前らに二、三聞きたいことがある」
「おやっさんの二、三って五くらいなんだよね」
「男なら有言実行しろヨ」
「約束守んない男とかマジでナイから」
「黙れっ! あのな、お前らはどうしてそんなのと関わってる? そして何故そんな呪符なんかを持っている? どうしてそんなことをしてるんだ? いつからだ? 誰かに唆されてるのか?」
「ほら、やっぱ五だよ」
「おやっさん、嘘つきは泥棒の始まりだゼ?」
「刑事が泥棒して良いの?」
「ってか『どうして関わってる』と『どうしてそんなことしてる』は殆ど同義じゃね?」
「もうちょっと簡潔にまとめれないノ?」
「あたしの国語のテキストあげよっか?」
こいつら。
「いいから話せ!」
そこで珍しく春一が真面目に受け答えをした。
「わかったよ。言うからベンチ揺らすのやめて」
藤は力の入った全身を一旦緩めた。ガンガンとベンチを叩いていた拳も開く。
「俺達は偶々関われる力を持ってたんだ。この三人が揃って持ってたのは天文学的確率かもな。けど、俺達は普通の人間なら感じない妖怪の気配を感じて、そして介入できる力を持ってた。呪符はさっき来た枢要院って言う妖怪の警察みたいなもんがくれたんだ。俺達がこの能力に気付いたのが一年前くらい。そしてネット使ったり、地元の妖怪と交流をしつつ枢要院の存在を知った。なら、俺達が人間と妖怪の関係を取り持って、問題解決に当たれたら、と思った訳だ」
「お前らがそんなことしてたなんてな・・・・・・」
「今だから言うけど、警察に世話になった事件も数件は妖怪絡みなんだ。妖怪達も物分りがいいやつなら説得すれば納得してくれるんだけど、時々今回みたいに事件起こすやつがいるから」
「何でそんな真似を?」
「言ったでしょ。俺達が関われる力を持っているからさ。枢要院との取引も、ビジネスなんだ。俺らが協力する代わりに、向こうには金銭を払ってもらう。小遣い稼ぎにはちょうど良いよ。俺らも安心して暮らしたいしね」
「そうか」
それだけ言って藤は席を立った。事情はわかった。今回は見逃してやろう。
「お前ら、嘘つかなくてもいいぞ」
去り際に藤は三人に向き直って言った。
「お前らの性根が腐ってないことくらいわかってる。ビジネスなんて大層な言葉を中坊が使うな」
びしっと指を差して言うと、三人は苦笑しながら返した。
「ああ、おやっさんには敵わねぇなぁ」
「腐っても刑事なだけあんじゃン」
「早く彼女みつけなよ」
「黙れ!」
格好良く決めるつもりだったのに、可愛くないやつらだ。
藤は大股にその場を去った。後に残された三人は、何だか笑えてきて大声を上げて笑った。
3
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴る。ソファで昼寝をしている春一を起こさないように、夏輝は玄関へ出た。
「どちら様ですか?」
そうっとドアを開けると、そこには煙草の匂いを纏い無精ひげを伸ばした、中年のおじさんが立っていた。
「アンタ、この家の人? 俺は警察の藤ってモンだが、四季春一はいるか?」
「警察・・・・・・?」
「怯えなくていい。別に捕まえて牢屋に入れようってワケじゃねぇんだ。ただ話を聞くだけさ」
「呼んで来ます」
夏輝は足早にダイニングに戻り、ソファで寝ている春一の肩を揺らして起こした。
「んん・・・・・・? 何だ、もうメシか?」
「ハル、警察来てますよ。何したんですか」
「はぁ?」
「ハルに話を聞きたいと、警察の方が訪ねて来まして・・・・・・」
春一はまだ合点が行かないらしく、首を捻りながら廊下を歩いてドアを開いた。
「よう、久しぶりだな、春一」
「おやっさん!」
春一の今まで眠そうだった目が、一気に見開かれる。
「どうしておやっさんが?」
「この間の南校の生徒が補導された事件でよ、あいつらの口からトランプって名前が出て、周囲の目撃情報とあわせ、前科持ちのお前らが挙がったってわけだ」
「前科って・・・・・・言い方ひどくねぇ?」
「似たようなもんだろ。どうせ今回のことも悪戯心満載でやったんだろ? 懲らしめ程度に。丈と琉妃香も一緒だな。お前らまとめて署へ来い」
「全く、おやっさんには敵わねぇなぁ。捕まえないよね?」
「さぁ、どうだかな」
「あれは正当防衛だよ? おやっさんも刑事なら知ってるでしょ、正当防衛」
「お前の正当防衛は匂うから話聞くんだよ」
「俺信用されてないの?」
「知らなかったか?」
「参ったなぁ。しょうがない、久々にお邪魔しようかな」
4
夏輝は春一に車を出してくれと言われて車を回したが、いざ行く先を聞いてみたら警察署だった。ここら一帯を取り締まる数珠署だ。
「何故警察なんですか?」
「俺が聞きたい。これで警視庁並みに飯が美味かったら常連になるんだけどな」
春一は楽しそうに周囲を見回し、入り口に立っている警官に「こんちはー」なんて挨拶している。
署内に入ると、大きな受付があって、警官の服を着た人々や一般の利用者がごったがえしていた。
春一についていくと二階へと進み、ロビーの休憩所でまで行くと藤と名乗った先程の刑事が、コーヒーを飲んでいた。
「おやっさん、俺ブラックね」
「馬鹿野郎。誰がお前に買ってやるか」
「相変わらずケチだねー。夏、ここで待ってて。俺はちょっとこのおっちゃんと話があるからよ」
「はぁ」
返事をすると春一は藤と共に少年課のプレートが下がっている部屋へと入ってしまった。もう少し説明があっても良いのに。全く、あの人は。
「お前も丸くなったもんだな。あんだけ悪さしてたガキが」
部屋に入り、煙草に火をつけながら藤が椅子に座る。春一はその向かいに座り、苦笑いしている。
「さっきの兄ちゃんはどっから拾ってきた?」
「そんな犬みたいな言い方すんなよ。アイツはアイツの意思で俺の所に来た。文句なら直接言って」
「・・・・・・変わったな、お前」
「おやっさんは変わらなさ過ぎる」
「そうだな。・・・・・・今に丈と琉妃香も来る。ちょっと待ってろ」
煙草の煙を大きく吐き出し、灰を灰皿に落とす。
「・・・・・・おやっさん、何が狙いだ? 俺達を使って、何をする気だ」
「ふん、怖い顔すんなよ。別に囮捜査をさせるわけじゃねぇ」
「だったら、何だよ」
「先を急ぐ所は変わってねぇな。言ったろ。もうすぐ丈と琉妃香も来る。話はそれからだ」
5
間もなくして丈と琉妃香が同時に登場した。丈のバイクに乗ってきたらしい。三人が顔を合わせ、藤が話を切り出した。
「お前ら、港南高校って知ってるな?」
「あの坊ちゃん嬢ちゃん高校だロ?」
「お金があれば誰でも入れるって、専らの噂だよー」
「今更になって賄賂の調査か? 税金泥棒。自分らだってしてるくせに」
「お前ら、とりあえず黙れ。黙って俺の話を聞け」
「俺らに黙れって、そりゃ終身刑よりきついゼ」
「死刑だな」
「死刑執行の前に好きなもの食べれるって本当? そしたら三人一緒に死刑宣告受けよーよ」
「好きなもん食ったらおさらばだけどな」
「脱獄計画はハル担当ナ」
「黙れ!」
勝手に話を盛り上がらせる三人に、藤は大声で怒鳴った。だが三人は動じることなどなく、それぞれに話を続けている。
「だ、ま、れ!」
再度怒鳴るが、
「おやっさん、煙草もう指のトコまできてるよ?」
「ケチくセー」
「報われないオヤジの典型だよねー、おやっさんって」
この始末。
「いいから俺の話聞けって言ってんだろ! 逮捕するぞテメーら!」
「うわ、職権乱用」
「こんな連中に税金払うの馬鹿らしいー」
「おやっさん、血管切れるゼ?」
「いいから聞け!」
とうとう机を叩き、立ち上がって怒鳴り散らす藤に、三人は目を合わせて溜息をつくと、漸く口を閉じた。藤は咳払いをして、座りなおすと、調査書を見ながら言葉を紡いだ。
「その金持ち高校に、ひとつの不良グループがある」
「ほら、やっぱそういう系だよ」
「俺ら更正したって見てもらえてねーんだナー」
「そんなこと言われたらグレるぞー」
「黙れこの野郎共!」
「琉妃香は野郎じゃねーぞ」
「お前男と思われてんゼ?」
「おやっさんサイテー!」
「いい加減にしやがれコラァ! ・・・・・・んで! そいつらにはバックがついてる」
新しい煙草に火をつけながら、藤はフィルターを噛む。
「うわー、俺らに何か危険なことさせようとしてるよ、この人」
「市民の安全のために警察はあるんじゃねーのかヨ?」
「これ被害届出したらどうなるかな?」
「おやっさんは懲戒免職じゃね?」
「してみっカ?」
「シャーラップ!」
何度目になるかわからないが、藤が机を叩く。そろそろ机が割れそうだ。
「おやっさんも英語喋れるんだ」
「すげぇ、新発見」
「でもイントネーション違うよ」
「琉妃香、そこは突っ込んでやるな。おやっさんも英語を喋ってみたいんだ」
「所詮日本人なんだからサ、英語を喋ってる自分に浸らせてやろうゼ?」
「二人とも優しいねー」
「話続けるぞ!」
こんなことを続けていたら自分も机ももたないと判断した藤は、三人の小言には反応しないと決めて続きを話し始めた。
「それが、お前らの言う妖怪だ。その妖怪が人間をうまいこと使ってるって情報が夢亜から入ったんだよ。あんまおおっぴらにできねぇが、これが資料だ。一応お前らは補導されてここにいることになってるから、密かに読めよ」
「あんだけ大声で話しといて密かも何もないでしょ。おやっさん、辞書持ってる? 一度『密か』って単語を調べてみるといいよ」
「ハル、おやっさんが辞書持ってるわけねーだロ」
「おやっさん、あたしらがプレゼントしてあげようか? 独身三十九年目記念」
三人がげらげらと笑い出す。藤は先程の判断はどこへやら、今度は拳で机を叩いて怒鳴りつけた。
「続けるぞ! で、この妖怪は高校生を使って武器の取引をしてる。まぁ・・・・・・銃とかな。高校生は高い報酬から軽い気持ちで引き受けて、仲介役をしてるんだ。ここで、お前らの仕事だ。港南高校生がいるところにお前らが行って、そこを取り押さえる。その後浮き足立った闇ルートの方面を警察が叩いて、お前らは、その、なんとかっていう妖怪どもの自警団に妖怪側を叩いてもらえばいい」
「内容はわかったけどさ、何でおやっさんが依頼してくるの? 第三課の管轄じゃねーの?」
春一の疑問は尤もだ。藤は態度こそすれ、所属は少年課である。
「三課に先輩がいてな。そいつが、今回の事件如何で切られるかもしんねぇ」
そこで藤が手で首を切る仕草をする。
「だが、本人は女房の誕生日に真珠の指輪でも買ってやりてぇとかほざいてる。本来なら放っておくが、その奥さんには世話してもらってるからな。何とかしたいが課が違う。そこで、お前らを呼んだ。利用することは百も承知だ。危険もある、申し訳ないとも思ってる。けど、力を貸して欲しい」
潰した煙草を未だに離さず灰皿に押し付け続ける藤に、三人はまたも顔を合わせ、にっと笑った。
「しょーがネー。おやっさんには年少送りを何度も見逃してもらった恩がある」
「あたし達が足洗えるって信じててくれてたしね」
「本当稀だけど、ジュース買ってもらった」
丈が藤の手を持ち上げ、そこに琉妃香が新しい煙草を挟む。ライターを手にとって火をつけた春一が悪戯な笑顔を投げかけた。
6
もう陽も暮れ、辺りは闇に包まれている。海岸沿いの小さな平屋に、小さな明かりが点っていた。平屋と言うよりは車庫に近い大きさで、キャンピングカーが二台ほど停められるほどの体積だった。
そこからは明かりと共に、声が漏れていた。数人の男女が混ざった、大きな声だった。音楽も聞こえており、周りに家があれば苦情必至だ。
その明かりや音を漏らしている窓に、黒い手がかかった。少し隙間を開けて、そこから目が覗く。誰もそれに気付かない。
「ハル、どーヨ?」
声を潜めた丈が、窓から中を覗く春一に話しかけた。春一は自身の肩ほどの位置にある窓に顔の上部だけを出して中を偵察している。丈と琉妃香はその窓際に座り込み、窓から見えないようにしている。
「ん~、男五人くらいいるな。女もそれと同じだけ。合コンか? 全員テンション上がっちゃってまぁ。あ、いけねーの、酒飲んでやがる。うわお、ありゃ相当良いボルドーだ。あいつらに味なんてわかんのか?」
「ハル、これ終わったら祝勝会だよ」
「わかってる」
春一は窓から体を離し、丈たちと同じく窓際に座り込む。三人がそれぞれ腕を出す。
「勝利なら酒盃を、敗北なら煮え湯を」
三人が同じ文句を呟き、腕をぶつける。勝利を呼ぶ儀式は終わった。女神ならばとうにいる。後は、行動だけだ。
開けたままの窓の隙間から、春一が発炎筒を二本投げ込む。屋内はすぐさま悲鳴と怒号に変わる。
開け放たれたドアから、女子達が走って逃げる。そのまま海岸の方まで走って行ってしまった。残された男子達は、手に手に武器を持ち、外へ出ようとする。
ガシャン!
溢れかえる煙に、数人の男子がその音に振り返る。
「誰だ!」
「俺だ」
煙の中で、うめき声が聞こえる。そのうめき声は、一つ増える。
「何があった! うがっ!」
声を発した主も倒れる。それが更に増え、瞬く間にしんとなった小屋の中から、段々と煙が消える。残った煙の中には、立っている三人と倒れている五人。
「すげーな。こんなのルパンでしか見たことねーゼ」
「警察もいいもん持ってんな」
「これってもらえる系?」
サーモセンサーゴーグルを外しながら、春一たちは転がった男子達を見下ろした。全員気を失っている。煙に紛れてスタンガンを食らわせた。
「こいつらを外に転がせばいいんだろー?」
「ああ。そうすりゃおやっさんが拾ってってくれる。多分海岸に逃げた女の子達はもう捕まってるゼ」
「うわお、本物の銃だ。こんなのを高校生に捌かせるなんて世も末だねー」
春一が近くにあった木箱の蓋を開けて、黒い塊を発見した。
「さぁ、おやっさんに連絡だ」
7
「いよう、妖怪君」
上の方から声が聞こえたと思いそちらをばっと振り返ると、木の上に寝転がっている少年がいた。
まだ昼間だがあまり日光が入らない、木だらけの遊具もない公園で、妖怪は春一と対峙していた。
「お宅の取引相手は逮捕されちゃって、アンタもどうやって身を固めようか悩んでるんでしょ」
「・・・・・・何故それを?」
男の形をした妖怪は、パーカーのフードを被っている下から鋭い目を覗かせた。
「まぁそれはその、色々ありまして。その色々をはしょると、俺はアンタを捕まえにきました」
「誰だ?」
「四季文房具店の者です」
冷静を貫き通していた妖怪の顔が、少し歪む。
「先に言っておく。俺は膂力が桁外れに強い妖怪の一種だ」
「知ってますよ」
「もしかしたら、お前を殺すかもしれない」
「俺、殺されても死なない人なんで」
次の瞬間、妖怪が春一の寝転がっている木の幹を思い切り殴った。とてつもない衝撃音がして、木がめきめきと音を立てて崩れる。他の木々に絡まって、斜めになって止まっている。
「アンタさ、いけないよ」
いつの間に移動したのか、妖怪と相対する形で春一が立っていた。彼は髪をボリボリ掻きながら言った。
「何がだ?」
春一の俯いていた顔がすっと上がる。目は鋭く尖り、手には呪符が巻かれている。
「お前が事件を起こすから、一人のおっさんが職を失いそうになった。お前を捕まえられないから、切られる所だったんだ。妻子もいるんだぞ」
起き上がった妖怪の顎が砕かれる。アッパーカットを食らったと理解したのは、一瞬飛んだ意識が戻ってからだった。
「そして何より、それが結果として俺の恩人を悩ませた」
そこで春一は妖怪の胸倉を掴んで引き寄せた。
「お前は許さねぇ。罪を受けても、二度とこんなことするんじゃねぇ」
妖怪は何とか春一の手から逃れ、一旦体勢を立て直した。
しかし春一は地を蹴って一気に間合いを詰めた。後ろに飛び退る妖怪よりも速く。そのまま春一は妖怪を殴り倒した。
呻き声を上げながら起き上がろうとする妖怪を前に、春一は冷たい調子で言葉を並べる。
「それに」
春一は頭を掻きながら、軽く笑った。
「警察に協力するのも市民の役目なんだ」
そう言って頭を振りかぶった。妖怪が最後に食らった頭突きは、この後彼が反省するのに充分すぎる痛みを味わわせた。
「枢要院のやつらが来る前に退散するか」
春一は意識を失って伸びている妖怪の上にメモ用紙を残した。そこには―「数珠市一善良な市民の役目です」と書かれていた。




