第4章
1
春一は朝のニュースを見て、夏輝は朝食を作っていた。いつもの朝の光景。
「あ~くそっ!」
突然春一が叫び声を上げた。彼がこの時間に悔しがるということは・・・・・・
「また負けた!」
夏輝がテレビを確認すると、スポーツコーナーだった。春一贔屓のサッカーチームがホーム二連敗を喫したと報じていた。全く、野球にサッカーに忙しい人間である。
「負けたからと言って、当り散らしてはいけませんよ」
「はいはい」
夏輝の説教じみた物言いに、春一は短く言って続きを拒否した。夏輝は小さく溜息をついて、出来上がったスクランブルエッグを皿に盛った。
「さぁ、メシだ」
「ご飯、ですよ」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「はーい」
「伸ばさない」
全く、この人は。
「おはようございます」
春一が学校に登校すると、前回と同じ先生が校門に立っていた。
「春一君おはよう。この間の球技大会で取ったアンケート、処理お願い。会長に渡してあるから」
「わかりました」
春一は階段の途中ですれ違った先生に会釈をして、目的の教室へ向かった。そこには予想通り、同じ科目を取っている夢亜がいた。
「ハル、山ちゃん髪切ってたの気付いた? 超カワイイ」
数学美人教師山川は、そのルックスから男子生徒に多大な人気を誇る。そのファンの一人が夢亜だ。
「興味ないから」
呆れたように笑う夢亜を無視して、春一は教科書や参考書を出して授業の準備をした。
「あ、夢亜、先生からアンケートもらっただろ。球技大会の」
「よし、職員室の山ちゃんの前で集計しよう」
そこで山川が入ってきたので、二人は姿勢を正して前を向いた。
その後、やけに積極的な夢亜を中心に授業は進んだ。
「終わった終わった。いやぁ、今日も山ちゃんかわいかったなぁー」
「別にいつも通りだったけど」
「だからお前はダメなんだ。女を見る目がない」
「だから、興味ない」
「それもダメだな。お前は人としてダメだ」
「お前に言われたくない」
一方、店を任されている夏輝は一階に降りて店番をしていた。
棚に置かれた硬貨一枚で買えるシャープペンシルや鉛筆、更にはハサミやのりなどが列を並べる。
そろそろ埃を払おうかと考えた、そんな時、店の扉が開かれる。時間からして学生の線は薄いのだが、彼女は学生に見えた。
「いらっしゃいませ」
夏輝が人に好かれる笑顔で礼儀正しく頭を十五度傾けた。相手はまだ若い、ちょうど春一と同じくらいの女性だった。
「あの・・・・・・夢亜君の紹介で来たんですけど・・・・・・」
控え目に言葉を紡ぎ出す少女は、首は回さずに目だけで店を見、夏輝を見ては他に視線を巡らせた。
2
「お待ちどお、ハル」
「他の役員は?」
昼休み、自習室でパンを齧っていた春一の元へ、夢亜がやってきた。しかし、他の役員は見当たらない。
「みんな忙しいって。俺らとは違うらしい。テスト室に忘れ物したからさ、ちょっと付き合ってくんない? そのままテスト室で食おう」
「・・・・・・わかった」
春一はその言葉に隠されていた真意を悟った。ここは人が数人いるが、テスト室は最上階である五階だから人がいない。つまり、人目を避けたい話ということだ。
「ドーナツ屋の分な」
テスト室に入り、適当な椅子に腰掛けるなり夢亜が言った。
「まだカラオケの分が残ってるからな」
「・・・・・・お前の懐はどうしてそんなに豊富なんだ?」
「俺は物欲が少ないんだよ。そしてお前は物欲が多すぎる」
「まぁ、いいか。よし、話そう」
夢亜はそう前置きして、一回息を吸った。そして、流れるように言葉を吐き出した。
「被害者は高井理乃。ご存知の通り、ウチの生徒会書記だ。理乃ちゃんが言うには、毎晩窓を叩く音や、誰かからの視線を感じていて怖くて仕方ないそうだ。最初はストーカー被害に遭っていると思って独自に調べたんだ。しかし、一筋縄ではいかないことがわかった。相手は人間じゃない。妖怪だ。それも、『タチの悪い』が付く、な」
夢亜はそこで話すのをやめた。けしからんという風に溜息をついて、更に続きを話した。
「逃げ足が速くてな、すぐに逃げられちまった。それに加え、腕っ節も強い。見ろよ、これ」
夢亜は右腕を上げた。半そでだからよく見える。肘から二の腕にかけて、白い包帯が巻かれていた。特に理由を聞くことはしなかったが、そういうことだったのか。
「妖怪のストーカー。目的は不明。まぁ、ストーカーの目的なんて知れてるがな。退治は頼んだぜ。これは、相談を受けた生徒会長としての頼みだ」
「成る程、わかった。新しい情報が入ったらヨロシク。今日理乃ちゃんて学校来てる?」
「いや、お前ん家行ってんじゃねぇか?」
「・・・・・・俺のこと喋ったのか?」
「お前のことは喋っちゃいない。そう怖い顔すんな。捜査はやりにくくなっちまっただろうが、お前は信用が置けるんだ。頼むよ」
「・・・・・・まぁ、上手くやるさ」
溜息の後に、春一は首の後ろを掻いた。
3
「高井理乃様、でよろしいですね?」
文房具店では、夏輝が理乃の名前を繰り返していた。理乃は向かいの椅子で俯き、軽く握った拳を細かく震わせていた。夏輝が恐いのではなく、無事ここにたどり着いたことに対する安堵感が緊張をほぐし、今になって震えが戻ったのだ。
「紅茶はお好きですか?」
「! はい」
突然声をかけられたことに驚いたが、質問が平素なものであったため、すぐに返事を返した。夏輝は笑顔で頷いた。
「私は上で紅茶を淹れてきます。少々お待ちください」
夏輝は少しでもリラックスしてもらおうと、ミントティーを淹れに席を立った。
4
「ただいま」
紅茶を入れていると、突然春一が帰ってきた。
「ハル! 学校はどうしたんですか?」
「どうせ授業もないし帰ってきた。ちょうどバスもあったし。ところで、下に理乃ちゃんいる?」
「高井様のことですか? お知り合いで?」
「ウチの生徒会書記だ。俺のことがばれるけど、口止めしとけば話さない人だから大丈夫だ。どこまで話進んでる? 俺は夢亜から聞いてるけど」
「まだ紅茶を出す段階です。ストーカー被害に遭っている、漠然とそれだけ」
「俺がいると話しにくいかもしれないから、後で出てく。早く紅茶を持って行ってやってくれ」
「わかりました」
夏輝はミントティーの入ったカップをトレイに載せ、下に運んだ。
「成る程、よくわかりました」
全ての話を理乃から聞き、夏輝はそう言ってひとつ頷いた。このストーカー事件の加害者が妖怪だということは理乃は知らない。ただ、夢亜から紹介されてきただけだ。
「店主に相談してみないことには詳しいことは言えませんが、早速計画を立ててみましょう」
「? 店主は、あなたでは?」
「私は文房具店主に過ぎません。私よりも信用の置ける人ですから、安心戴いて結構です」
理乃はそこで思いつく。
「四季」という珍しい名字を冠した店の名前。そして立地場所。
「・・・・・・ハル君?」
夏輝は言い訳をひとしきり考えたが、結局浮かばず諦めた。
「申し訳ありません。騙していたわけではないのですが、少々紹介が遅れまして」
「ごめん、理乃ちゃん。冗談抜き、俺が店主なんだ」
階段で盗み聞きをしていた春一が階段を下りながら言う。理乃はただただ驚いている。口も聞けない。
「本当はもっと落ち着いてから話すか、最後まで隠し通すつもりだったんだけど・・・・・・」 「何で、ハル君が?」
「俺が、ストーカー退治します。これ本当」
「何!? 本当に!? だってハル君ただの高校生じゃん! 副会長が何やってんの?」
「尤もな質問なんだけど、こっちが本業・・・・・・みたいな。もう察しがついてると思うけど、夢亜から一通りの話は聞いた。それに、頼まれたんだ」
「・・・・・・そう。でも、ハル君本当に大丈夫なの? 疑ってるように聞こえるかもしれないけど、私のせいで友達がケガとかしちゃったら・・・・・・」
心配で顔を上げることができない理乃に、春一は笑顔で語りかけた。
「だーいじょーぶ。俺が腕相撲で夢亜に勝ったの知ってるでしょ? それに、やばいことはしない」
やばいこともするのだろうが、敢えて言わなかった。約束を破ることは心が痛むが、今は安心させたかった。
「危険なことはしないでね」
「うん、わかった」
春一はしっかりと頷いて、理乃を扉の外まで送り届けた。戻ってきたときには、神妙な顔をしていた。
「面倒な相手になるな、と思っただけだ。夢亜は一流の情報屋だから、危険を察知したらすぐに逃げる。けど、あいつ包帯巻くくらい怪我してた・・・・・・。まぁ、今回は多少の私情も逃げ足を鈍らせたんだろうが、それでも侮れないな。相手も足が速く、それなりに強いはずだ」
「大丈夫ですか?」
夏輝が一応社交辞令で聞いておく。
「誰に言ってる?」
予想通りの反応だった。
5
「ふぁ・・・・・・」
「欠伸するな。俺まで眠くなる」
その夜、二人は理乃の家の周りを張り込んでいた。春一と夏輝はそれぞれ分かれて、春一が理乃の家近く、夏輝がその後ろにいた。距離は結構離れているのだが、その中で欠伸の声を聞いてしまうのだから春一の地獄耳は恐ろしい。
春一は少し離れた家の二階の窓から漏れる光を見遣った。ピンクのカーテンの向こうには理乃が不安を巡らせているのだろう。
(そろそろ来てもいい時間じゃないか? ってか早く来い。暑ぃ)
春一がそんな不満を抱きだして三十分弱。ついに犯人が姿を現した。春一が隠れている前の電柱からこそこそと理乃の部屋を覗いている。姿を隠しているつもりだろうが、後ろの二人からしてみれば丸見えである。
男の容貌をした妖怪は、夏輝と負けず劣らずの背丈に筋骨隆々の体つきをしていた。体つきからして夏輝の方が小さく見えそうだ。ストーカーには幾分不向きそうだが。
「! 誰だ!」
男がこちらを振り返った。春一が挑発の代わりに気配を少しだけ発した。妖怪は敏感に反応し、こちらに歩いてくる。
「お前か・・・・・・」
「アンタ、名前は?」
「聞いてどうする?」
「取引に使う」
妖怪の眉がぴくつく。夏輝は気配の探られる範囲外にいるので、見つかったのは春一だけだ。彼の思惑通り、妖怪は相手を春一に限定して、他に人がいるとはわかっていないだろう。
「俺の邪魔をしに来たんだな、ガキ」
「まぁね。ガキのする可愛いことだから目瞑っててよ、おにーさん」
「生憎俺はそこまで心の許容量がねえんだ」
「心の狭い男は嫌われるよ?」
「知らねえな」
「無知ってのは哀しいね」
次の瞬間、妖怪の豪腕が唸りを上げ、春一の顔面めがけて飛んできた。彼はそれを普通の人間とは思えない反射神経でかわし、その反動を利用して跳び、近くの壁に手をかけて上った。壁の上でしゃがみながら目線が同じになった男に意地悪く笑っている。
妖怪は更に攻撃しようと試みたが、腕が動かない。白い紐に腕が絡め取られている。紐の行く先を見ると、そこには夏輝がいた。
「もう一人いたか・・・・・・」
紙紐程度の細さだが、彼がどれだけ引っ張ってもびくともしない。逆に強く締めつけられる。
「なかなかやるな」
「当たり前だ。俺が選んだ相棒だぞ」
春一が首の骨をこきりと鳴らして立ち上がる。
「俺とまともに勝負する気か?」
「そりゃ、ねえ。可愛い健気な女の子のために立ち上がらないナイトじゃないぜ」
不適に笑った春一の手には、例の呪符が巻かれていた。それを手の甲から手首まで巻き、最後は金具のボタンで留めてある。
「ほう。だが、こんな紐すぐに解いてやるぜ。そもそも、俺に当てれると思うのか?」
「お前如きに当てれないと思うの?」
妖怪は再び襲い掛かった。そして、その場に沈んだ。
「ハル、終わったんですか?」
男の巨体のせいで春一の様子がよくわからなかったが、その妖怪は鼻が変な方向に曲がって伸びているので、恐らく万事解決だ。
「おう。全く、夜遅くに迷惑なやつだよな」
ぴくりとも動かない妖怪を見下ろしながら、春一は溜息をついた。「世も末だ」とか言っている。
「夏、もう帰っていいよ。理乃ちゃんへの報告は俺一人でいい。男二人が寄ってたかる所を見られちゃ困るからな。夏、お前は不審者にしか見えない」
名指しで不審者扱いされた夏輝は、大して嫌そうな顔もせず、頷いた。
6
理乃にストーカー退治をしたと説明を終えた春一が家に戻ってきたのは深夜三時を過ぎてからだった。
ダイニングに行くと、夏輝がコーヒーを飲んで春一の帰りを待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま。ああ、クーラーって偉大だ」
「あの後どうなされたんです?」
新たにコーヒーを入れながら夏輝が聞く。夏輝は彼が伸されて、春一が高井家に向かう所までしか見ていない。
「ああ、あの生意気なおっさん? あいつなら起こして説教しといた。んで、ちょっとだけ脅したらもうやんないって」
満面の笑みで話すのだから、さぞ大仰な脅しだったのだろう。大方今のような笑顔で恐ろしい文句を吐き出したに違いない。
「では、引き渡しはしていないのですね?」
「そこまでことが大きくなかったし、できることならあいつらの目に留まりたくなかったしね」
春一の言う「あいつら」とは枢要院のことである。
「金額は如何程に?」
「請求してないよ。恐い目遭って更に金払えなんて言えるか? 幸い、時雨のおっさんからふんだくった直後だしな」
「安心しました」
枢要院が絡んでくる問題ならばそれなりの報酬はあるのだが、春一個人で請け負った仕事は依頼人から報酬をもらわなければならない。報酬の額は春一の気分次第だ。
「高井様のご様子はいかがでしたか?」
「心底嬉しそうだったよ。俺の心配もしてくれて、優しい子だよ。これでよく眠れるだろう」
「・・・・・・お年寄りのような言い回しですね」
「敬われるべき知を持っている者の言葉だ」
「その減らず口はとても十七年で身に付くものとは思えません」
「神童と呼ばれた俺だ、一般ピープルと一緒にするな」
「いつの話です?」
「小学生低学年」
「その頃のハルを見てみたいですね」
「髪の色は黒だったぞ」
「そうでなくては困ります」
夏輝はこんな他愛もない会話を楽しみながら、春一にコーヒーを出し、自分も続きを飲んだ。この苦味も会話のエッセンスに思えた。