救
世界を誘うは光の飽和。堕落に幸あれ。
『死神』という存在が確かに在る。それは一般に言うような、残酷と恐怖の象徴であるという認識からはひどくかけ離れた存在である。むしろそれは、残酷や恐怖からは対極の位置にあると言っても全く差し支えない。
その戴く名からして、『死』を司る神であることは言うまでもないことであるが、その『死』に誤解を招く原因が集約されているのだろうか、押し並べて世俗の理解は意味を違えがちである。何処にと問えば捉え方にと答えねばならない。
そも『死』とは? はてさて『生』とはなんぞやと、そんな不毛な議論を尽くすつもりなど毛頭ない。僅かに急いて、結論から言うとそれは、実に『救済』の一言に尽きる。
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主よ、我が主よ。何故裁きたまえるか。罪こそ罰すにあたうとも、その雷が打ち抜きたるは、等しく皆始祖の――主の御子達なり。恐れ多くも今一度、御身にその言。
偽聖典『ゲシュペルガ』第十三章・三節「提言」より抜粋
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「要するにね、私はあなたを助けに来たの。とりあえずそれだけはわかってもらいたいな」
どこかで見たことのあるような、しかしさっぱりと見覚えのないような、神秘に光と影を湛えたその容姿から判断できる事は、あまり多くはなかった。それに何より、そんなことに裂く心の余裕が、今の自分には皆無だった。ただの反応だけが勝手に言葉を紡ぐ。
「助け? そんなの、そんなのもうとっくに……」
それ以上はイッテハイケナイと魂が悲鳴を上げ、その劈くような嘶きに言葉が詰まる。そうだ、理解している。誰に言われるともなく、全てを自分は理解している。思い込みであって欲しいというちっぽけな願いなど、この際無駄な足掻きにすらなりえず、ぽっかりと開いた穴に消えていくだけ。そうだ、言葉にはならずとも、当然そんなこと理解しているのだ。
そんなもの、もうとっくに……。
「手遅れじゃないよ」
「っ!!」
驚愕に目を剥き見れば、透き通るように滑らかで白い手の平と、その上の艶やかな意匠に彩られた砂時計。目の前の『少女』が自分に差し出すその砂時計は奇妙で、そして目が離せなかった。内容される境界がわからないほどに真っ黒な砂も十分に興味深かったが、それ以上の異常が目を釘付ける真の理由だった。
「そう、この砂時計は流れない。ず~~っと止まってるの。どっちに傾けてもこの砂時計が進む事はない。なぜって顔してるね、ね。理屈は私にもわかんないけど、理由は簡単だよ。たとえば」
とよく分からない事を言いつつ、『少女』は、その砂の闇と遜色ない、自らの大きめの衣を探る。その衣のどこからともなく取り出されたのは、先のものと同じような砂時計であった。しかし、明らかに違う点が二つあった。一つは砂の色。鮮やかに様々な色を呈している。そして、もう一つは。
「砂が流れ、てる?」
当たり前の事に驚く自分に、違和感は感じなかった。それは人が息を吸うのと同様、極自然なことだった。そんな自分の素直な反応に、ほんのり微笑む『少女』。
「そ。綺麗な色だよね~。この砂時計は、言うなれば『運命の砂時計』。それは人間の一生なんだよ。止まってる黒いのは、役割を終えた砂時計。流れてるのはまだ仕事中の砂時計」
ああ、理解した。つまりはそういうこと。そっちの止まった砂時計は『彼女』の。もう一つの砂時計は多分、『僕』の。『彼女』の砂時計は全て流れ切らずに、五分の一ほど流れた状態で静止している。
「君は、何を?」
「だから最初にも言ったでしょ。私はあなたを助けに来たの。それが『死神』の役割で、『彼女』の願いで、『天使』が壊した『運命の砂時計』の尻拭い」
何もかもを包み込むようなその両手に安らかに抱かれ、いつのまにか頬を伝っていた涙。
絶望も救済も唐突で、理不尽に優しかった。
これはいつの記憶? 現在? 過去? あるいはもしかして、未来?
核心は、革新は、確信は、先のまた先。
世界を導くは闇の輪廻。昇天に禍あれ。