スペースと少女とマナー
「世界をあるべき姿へ還そう、無へ還そう」
退屈そうにその長い髪を弄ぶ少女。少年は自分の思いとは裏腹に、訊ねる。
「いつまで?」
何か面白いことを見つけたかのように髪を弄ぶのを止め、そして少し笑みをこぼしながら少年に返す。
「君が大事なものを見つけるまで。そういう約束をした。彼女と」
大事なもの、少年は考えた。しかし納得出来る答が出なかったのか、再度少女に訊ねる。
「もし、見つからなかったら? 僕の大事なものが」
「見つかるよ」
少女はまるで答を知っているかのように即座に言い切る。自信に満ちた笑顔を少年に向けて、そして天井を仰ぎながら、だけどねと続ける。少年はいぶかしむように視線を少女から逸らさず聞く。
「だけどね。だけど、それに君は気付かないかもしれない。大事なものを見つけているのに、それに気付かないかもしれない」
「どうして?」
「もしかしたら、それがあなたの弱さで、わざと目を背けているのかもしれないし、本当の本当に気付いてないだけかもしれない。でもね」
少し間を置いて少女は少年を見つめなおす。少年もそれを強い意思の篭る目で見返す。
「でもね、きっと見つかる。それはかけがえのないものになる。だからそれ以上泣かないで」
「泣かないでって。……えっ?」
少年は目元を拭い驚く。泣いている自分にとても驚く。決めたのに。あれだけ泣かないと決めたのにと。少年は止まらない涙がどうしようもなく、困りながらその場でしゃがむ。
「泣けばいい。悲しかったらいくらでも泣けばいいと人は言うけど、それは少し違う。その涙は力の源泉。その涙のお陰で人は頑張れる。流した涙が人を強くするんじゃなくて、残った涙が人を強くするの。だからどうか、それ以上泣かないで。その涙は大事なものを見つける力」
泣いている少年に諭すように言う。その口調は澄んでいて、擦り傷に染みる消毒液のように少年の心へ染みる。痛い。頬が痛い。少年は、少女が自分の両頬を引っ張っているのに気付いた。痛い。
「ひはいほ(痛いよ)」
「痛みは生きている証。生きるには力が要る。ほら、体は生きるためにさっそく力を節約している」
少女に思い切り引っ張られた頬を撫でる少年は、いつのまにか自分の涙が止まっているのに気付いた。ほらね、と少女はその小さな体に見合った可愛らしい笑いを浮かべる。少年は力無くつられて笑った。
■
「若いうちに自殺しなさい。そうすれば死を利用することができるでしょう」
ピエール・デプロージュ
■
「ヒナタヒナター。お腹減ったー」
「はいはい。今日のおやつはスペースバーガーの超銀河セットですよ~」
「わーい!」
家と学校を繋ぐ動線上に存在するスペースバーガー。そのネーミングセンスは少し残念ではあるが、これでも僕が生まれる前からある老舗で、世知辛い現在も黒字経営を続けているれっきとした実力店である。冒険しまくった名前と内装(未確認飛行物体がやたら飛んでいる)と裏腹に、地に足の着いた商品は地元で愛されている。一応断っておくが非チェーン店である。
「美味そー」
「確かに。いつ見ても絶妙なこのクリームの量、生地の厚さ、巻き具合。見てるだけでよだれが出てくるよ」
「だね」
もう一つ断っておくが、スペースバーガーではハンバーガーは扱っていない。クレープのみを扱う純粋なクレープ専門店である。恐らく地元の人間しかこの事実は知らないだろう。なにせ非チェーン店。というかわかるか! その奇妙な名付け方には諸説あるが、なんでも最初にこの店を作ったのが大正生まれの老夫婦で、区別が着かずただ単に間違えただけ、というのが有力である。店作るならそれくらいわかっとけよ!
「いただきまーす」
「いただきまーす」
「はふほんふふはい!(座布団十枚!)」
「行儀が悪い」
「ひへっ(イテっ)」
口にクレープを咥えたまま喋るのででこぴんをくれてやった。彼女は一瞬痛そうに顔をしかめたが、気にせず美味そうに頬張り続ける。本来そんな乱暴な食べ方をしたならクリームがとんでもないことになりそうなものだが、そうはならない。絶妙なクリーム量で絶対に顔を汚さず、手につかないのである。嘘みたいな本当の話。
「あー食った食った」
「行儀が悪い」
「イテっ」
食べた後すぐにベッドに寝転がったのででこぴんをくれてやった。全く同じ場所に寸分の狂いもなく放ってやったので、先程よりも痛がる。そんなようすが少し懐かしく思えた。
「痛いのは生きてる証拠、か……」
そんな午後のおやつどき。
「世界がまちがいなく有りますように」