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純

衒学的な文学に憧れてしまい少しくどい文章になってしまった気がします。

私の生まれ育った村には、由緒というにはあまりに蒙昧で、因襲というにはあまりに根深い慣習がある。この村に生を享けた娘は、十八になる夜、村の男にその肉身を貫かれねばならない。村人たちは、それを「女になる」と称している。


女になる。


何とも奇妙な言辞である。十八年という歳月を女として生きてきた私が、たった一夜の儀式によって初めて女として完成するのだという。ならば、それまでの私は何者であったのだろう。未完成の女か、あるいは女という範疇にさえ属さぬ、名もなき生物であったのか。

しかし、村人たちはそのような疑義を抱かない。彼らにとって慣習とは、論理に先立つものであり、疑うことのできないものは、しばしば神聖という名を与えられる。

この村は四方を山に囲繞され、春には山桜が咲き、夏には沢水が岩肌を穿ち、秋には柿の実が熟し、冬には雪が万象を白く蔽う。自然の循環は恙なく、村人たちの暮らしもまた、幾世代にもわたってほとんど変貌を遂げなかった。朝になれば畑へ出て、昼には隣人と世間話を交わし、夜には囲炉裏の火を囲む。そうした平穏無事な営為の傍らで、十八になった娘たちは一人、また一人と、定められた夜を迎えてきた。

私は幼少の頃、その慣習を恐ろしいものとは思わなかった。恐怖とは、対象を認識し、その異常性を理解して初めて成立する感情である。生まれたときから周囲の誰もが疑わぬものを、子供が疑うのは難しい。

私は、疑うことを知らぬまま成長した。

ただ、一人の娘に恋をするまでは。

彼女と初めて出会ったのは、今から一年ほど前、雪景があまりにも白く、目を焼くような季節であった。彼女は埼玉の長瀞の辺りに住んでいたことがあり、石畳についてよく話してくれる、太陽のような娘だった。

長瀞には岩畳と呼ばれる景勝があるのだと、彼女は言った。長い年月をかけて地表へ露出した岩石が、あたかも巨大な畳を敷き詰めたように連なり、その傍らを荒川の水が流れているのだという。

私は岩と畳との類似を想像してみたが、どうにも実景が浮かばなかった。すると彼女は、私の無理解をさも遺憾そうに嘆き、雨に濡れた岩肌の色彩や、水流が石の隙間を縫ってゆく様子を、身振り手振りを交えて語った。

私はその横顔を見ていた

彼女の瞳には、私の知らぬ土地の光が宿っていた。私にとって山の向こうは、地図上にしか存在しない抽象的な空間であったが、彼女にとっては記憶の堆積した、具体的な故郷であった。

いつか一緒に行こうね、と彼女は言った。

私は行こうと答えた。

あのとき、未来とは誰にも侵害されることのない、私たち固有の領分であると信じていた。春が来れば春を享受し、夏になれば沢へ赴き、秋には落葉を踏み、冬には互いの手を温める。そうした些末な営みが、反復されることによって永遠という観念へ昇華するのだと思っていた。

彼女と過ごした一年は、実に短かった。

しかし、短い歳月であったからこそ、私はその一日一日を、今になって異様なほど鮮明に追憶することができる。彼女が笑ったときの目尻の皺、沢水に足を浸して冷たさに喫驚した声、私が転んだときに差し出された掌。いずれも、それ自体は取るに足らぬ些事にすぎない。

けれども、幸福というものは、概してそのような瑣末なものの集積によって成立するのだろう。


そして今日、私はその幸福を喪失する。


彼女は朝から不機嫌であった。希望というものが一度捻転し、もはや本来の形態を回復し得なくなったような、そんな陰鬱な気配を纏っていた。かつて太陽のごとき明朗さを湛えていた顔貌からは、その面影すら失われている。


無理もない。


今日は私が「女になる」とされている日なのだから。

己の恋人が、見知らぬ男と番わされる。彼女の胸中にどのような情念が渦巻いているのか、私には到底推し量れなかった。嫉妬、憎悪、無力感、あるいはそれらのいずれにも還元し得ない、もっと根源的な拒絶であったかもしれない。

無論、私もまた、耐え難い嫌悪を覚えていた。

腐敗した柑橘の揮発性の強い臭気。腥い内臓を蛆に蹂躙される動物の屍骸。そうしたものを眼前に据えられたときの、生理的な拒絶に似ていた。私は自分の身体が、私自身の意思とは無関係に、他者の所有物として取り扱われることを想像した。その想像は、肉体の奥底に冷たい異物を埋め込まれるような不快を伴った。


村人たちは、これを祝福と呼ぶ。


母は私に新しい着物を着せ、祖母は髪を梳きながら、これで一人前だね、と笑った。隣家の老婆は赤飯を持参した。誰もが慶事に相応しい表情を浮かべ、私の成長を寿いだ。

私はそのたびに、ありがとうございます、と答えた。

言葉というものは、時として発話者の内心を表明するためではなく、共同体への帰属を証明するために用いられる。私の返答もまた、その種の儀礼的な発声にすぎなかった。


夕刻、彼女が訪ねてきた。

いつもなら戸を開けるなり私の名を呼び、何かしら他愛のない話を始める娘である。けれども、その日は私の前に立っても沈黙したままだった。


私は彼女の手を取った。

指先が冷えていた。季節はすでに冬を脱しているというのに、彼女の手だけは、かつて私たちが出会った日の寒気をいまだに記憶しているようであった。


「逃げようか」


彼女はそう言った。

私は答えられなかった。


逃亡という観念は、これまで何度も私の脳裏を掠めていた。村を出て、二人で暮らす。長瀞へ行き、彼女が語った岩畳を見て、川の流れを眺め、見知らぬ人々の群れに紛れてしまう。そこでは誰も、私たちの生まれた村の因襲など知るまい。


けれども、私たちには金銭もなければ、確かな行く当てもなかった。私は山の向こうにどのような土地が広がっているのかさえ知らず、彼女の知る埼玉という場所も、私には異国の地名と変わらなかった。


それでも、行こうと言えばよかったのだろうか。

私は彼女の手を握り返すことしかできなかった。

彼女は笑わなかった。

いつもなら、もう、と呆れたように笑うところだった。私はその笑顔を愛していた。彼女が笑うと、世界のどこかに小さな窓が開き、そこから外界の光が差し込むような気がした。


今、その窓は閉ざされている。


私たちは家を出て、裏手の林へ向かった。村の子供たちがよく遊ぶ場所である。木の根元には、以前、彼女と埋めた硝子玉があった。彼女が都会から持ってきたものだと言って、私にくれた品だった。

土を掘り返すと、硝子玉は以前と同じ場所にあった。表面には土がこびりつき、かつての透明感は損なわれていたが、水で洗うと夕陽を透かして、かすかな紅色を呈した。


「まだ綺麗だね」


彼女は言った。

私は頷いた。

硝子玉は変わっていなかった。変わったのは、それを埋めた私たちのほうである。

十八になるまでには、まだ幾年もの猶予があると思っていた頃のことを、私は思い出した。十八になれば大人になれるのだと彼女に話したことがある。すると彼女は、大人になんてならなくていいよ、と言った。


「ずっと子供でいようよ」


そのとき私は笑って、そんなの無理に決まっているでしょう、と答えたのだった。

ああ、無理に決まっていたのだ。

時間は万物を変化させるが、その変化が必ずしも成熟を意味するわけではない。あるものは成長し、あるものは腐敗し、あるものはただ形態を変える。村人たちは私の十八年を成熟と呼ぶだろう。けれども、私にとってそれは、私自身の身体に対する自己決定権を剥奪されるまでの猶予期間にすぎなかった。


私たちは林を出て、彼女の家へ向かった。

家の中には誰もいなかった。窓辺には、彼女が以前編んでくれた小さな敷物が置かれていた。編み目は不揃いで、端には一本の糸が飛び出している。私はそれを直してやったことがある。彼女は、そんなことをしなくてもいいのに、と笑った。


私はその笑顔を思い出しながら、彼女を抱きしめた。

今日という日は、あらゆるものに最後という接頭辞を与えてしまう。

最後の夕暮れ。最後の抱擁。最後に聞く彼女の声。

私たちは、まもなく失われるものの輪郭を確かめるように、互いの身体を抱き寄せた。幾度となく触れてきたはずの肩も、首筋も、背中も、今夜ばかりは初めて触れるもののように思われた。


私が大好きな貴女の脊椎。


でこぼことしているが、嵐前の波のような静かな滑らかさも持ち合わせている。私は自身のこめかみをその波にぴたと重ねた。彼女は全身を紅潮させ、私の名前を小さく呼んだ。


その素直な反応に、私はどうしようもなく愛おしさを覚えた。余った片手で彼女の背を撫でる。肩から腰へと、幾度も。まるで、そこに存在するもののすべてを記憶の裡へ封じ込めなければならないような気がした。

彼女は私の胸に顔を埋めた。私はその髪を撫でた。窓の外では風が吹き、枝に残っていた葉が一枚、硝子に張りついた。

私たちは何も言わなかった。

言葉とは、経験を他者へ伝達するための手段である。しかし、これから私たちが経験しようとしている喪失は、言葉によって共有するにはあまりにも個人的で、あまりにも巨大なものであった。

彼女の手が私の頬に触れた。私はその手を取り、掌に口づけた。彼女は泣きそうな顔をした。私は笑おうとしたが、顔面の筋肉は私の意志に従わなかった。

私たちは、純である身体を悼むように、最期の愛し合いをした。

やがて、窓の外が暗くなった。

事を済ませた私たちは、何故か泪ぐんでいた。私たちは永遠の夢が散っていくところの手助けをしてしまったような気がしていたためだ。

彼女は私の髪を撫でながら、幾度も、ごめんね、と繰り返した。私は何故謝るの、と尋ねた。彼女は答えなかった。ただ私の額に額を寄せ、目を閉じた。


私はその横顔を見つめた。


長瀞の岩畳を語る彼女。沢水に足を浸し、冷たさに叫んで笑った彼女。私が転んだとき、笑いながら手を差し伸べてくれた彼女。私はそのすべてを愛していた。

そして、そのすべてが今夜を境に、取り返しのつかぬ過去へと変貌してしまうのだと思った。


純を失うまで残り一時間を切ったであろう頃、私たちは神社へ向かっていた。

そこは崖の頂に建立され、一本だけ生えている赤松が映える、そんな神社だった。村人たちはここを神聖な場所と呼んでいる。毎年、十八になった娘は母親に伴われてここへ参拝し、これから立派な女になりますようにと祈るのだそうだ。

私は一度だけ、幼少の頃に母と訪れたことがあった。そのとき母は、私の頭を撫でながら、いつかお前もここへ来るのだよ、と言った。

私はその言葉を忘れていた。

否、忘れたのではなく、記憶の底へ沈めていたのかもしれない。人間の記憶とは、必ずしも過去を保存するためだけに存在するのではない。時には、現在を生き延びるために、不都合な過去を意識の外へ排斥するのである。

階段の段差は疎らで、何度も挫けてしまいそうになった。彼女の足取りは重かった。罪責感と寂寥感に駆られているであろうその姿を見ると、可哀想で、登り途中、幾度も抱きしめてしまった。


「もういいよ」


彼女が言った。


「もう、いいから」


私は首を横に振った。


「嫌だ」


「どうして」


「貴女が、可哀想だから」


彼女はひどく悲しそうに笑った。


「あなたもでしょう」


そう言われて、私は初めて自分自身のことを考えた。


私だって怖かった。今夜が怖かった。明日の朝が怖かった。明日になれば、私は村人たちから女と呼ばれるのだろう。母は安堵し、祖母は喜び、隣家の老婆はまた赤飯を持ってくるかもしれない。


そうして、誰も私のことを知らなくなる。


彼女を愛した私も、長瀞へ行こうと夢見た私も、石畳のことを何も知らずに笑っていた私も、すべて昨日までのものになってしまう。


共同体は個人に名前を与え、役割を与え、時にはその生涯に意味さえ与える。けれども、その意味が本人の意思に反するものであるならば、それは祝福の外形を借りた暴力にほかならない。


私たちは今夜、その暴力から逃れようとしている。


それが逃亡と呼ばれるのか、背徳と呼ばれるのか、あるいは破滅と呼ばれるのか、私には分からなかった。

ただ、彼女と手を繋いでいるこの瞬間だけは、私の生が私自身のものであるように思えた。


頂に着くと、風が強く吹いていた。赤松の枝が大きく揺れ、葉擦れの音が頭上から降ってくる。眼下には村があった。家々の窓に灯火がともり、夕餉の支度をする煙が薄く立ち昇っている。


あの家のどこかに、母がいる。

あの家のどこかに、私の着物が掛けられている。

明日の朝になれば、村はいつものように目を覚ますのだろう。鶏が鳴き、井戸の水が汲まれ、畑へ出る人々が挨拶を交わす。私がいなくても、何も変わらずに。

彼女が私の手を握った。


「ねえ」


「なに」


「石畳、見せてあげたかったな」


私は笑った。今度は、少しだけうまく笑えた。


「見たかった」


「きっと、綺麗だよ」


「うん」


「雨の日はね、もっと綺麗なんだよ」


彼女はそこで言葉を切った。私はその続きを待ったけれど、彼女はもう何も言わなかった。


雨の日。


濡れた石のあいだを流れていく水。彼女の知らない村の風景。私の知らない遠い土地。私たちが行くはずだった場所。

そのすべてが、今、手の届かないところにある。

私は彼女の手を強く握った。彼女も握り返してくれた。

私たちは今、この神社で窮極になるのだ。

永久に憧れ、どこか遠くに夢を見て、空蝉が相容れぬ空間へと移住する。

そう考えることによって、私は自分たちの選択を、ひとつの美しい観念へ昇華しようとしていたのかもしれない。破滅に意味を与えることは、破滅そのものを回避することよりも容易である。人間は時として、耐え難い現実を美学の裡へ封じ込めることでしか、それを直視できない。

けれども、どれほど高邁な言葉を並べたところで、私たちが失おうとしているものの実相は変わらない。


私たちは、ただ生きたかったのだ。

彼女と一緒に。


頂についた私たちは、見ることのできない路へと歩みを進める。浮遊感が身を包み、べたつく汗を冷やし、合わさる唇の温度の齟齬を強烈に目立たせた。


風が吹いた。


赤松の葉が鳴った。


その音は、私たちが生まれてから今日までに聞いた、どんな音よりも優しく思えた。


そして、村には夜が降りた。


翌朝、帰ってこない娘を探しに行った彼女の母によって、原型も分からぬ二人の少女の遺体が発見された。


母は泣いた。村人たちも泣いた。誰もが悲しみ、誰もが二人を哀れんだ。


けれども、誰一人として、村の慣習を疑おうとはしなかった。


悲劇は悲劇として処理され、慣習は慣習として保存された。二人の死は共同体の記憶に一時的な瑕疵を残したものの、その根幹を揺るがすには至らなかったのである。

人間は、しばしば不可解な死に遭遇すると、その死を個人の資質や運命へ帰属させる。そうすることで、既存の秩序を再検討するという、より困難な営為を免れることができるからだ。


その年も山桜は咲いた。

夏には沢の水が冷たく、秋には柿が熟れ、冬には雪が降った。村はいつも通りに季節を迎え、いつも通りに娘を育てた。

ただ、崖の頂にある神社の赤松だけは、翌年の春になっても、一本の枝を失ったままだった。

誰かが折ったのか、風が折ったのか、それを知る者はいない。

私はもう、石畳を見ることはない。

けれども、雨が降るたびに思い出す。

濡れた岩肌の色彩を。石のあいだを縫ってゆく水流を。そして、私の知らない土地を、太陽のような顔で語ってくれた貴女のことを。

無常とは、万物が変転するという事実を指す言葉である。


けれども、変わらぬものもある。


村は今日も村であり、慣習は今日も慣習であり、誰かの人生は今日も、誰かの都合によって定義されている。

私たちが愛し合ったことも、そこから逃れようとしたことも、やがては忘却の底へ沈んでゆくのだろう。

それでも、私たちが互いを愛したという事実だけは、村の誰にも定義することができない。

それが私に残された、唯一の純だった。

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