↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『裸のこころ』— Le Prince du Script Innocent —  作者: 東曌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/4

第1話:エスケープ・シーケンス(ステータス・コード:401 Unauthorized)

【登場人物紹介:キャラクター・プロファイル】


ハリー・エリオット(Harry Elliott)/ 29歳

クラス: シニア・システムエンジニア(AI・自動標的選定アルゴリズム担当)

出自・ルーツ: イスラニア国防軍所属のユダヤ人

現在の法的ステータス:

イスラニア国内法:国家反逆罪(最高刑・死刑)の指名手配犯

国際法・フランス国内法:OFPRA(難民・無国籍者保護局)認定の正式亡命者(難民旅行証明書:Titre de voyage 保持) [Étape 1 : la SPADA - Ofpra, Demande d'asile - Service Public]

ハードウェア環境: iPhone DUO(2画面折りたたみスマホ) & 超薄型折り畳みBluetoothキーボード

ネットワーク環境: プリペイド式高速5GデータeSIM(Tor経由による多重暗号化プロキシ)


概要:

無人航空機(UAV)のカメラフィードと通信ログから脅威を自動選定するディープラーニングモデルのアーキテクチャ設計者。ジュニアハイスクール時代にハンナ・アーレントの『悪の凡庸さ』に触れ、システムへの盲従を拒絶する倫理観を培う。自ら構築したシステムに国家が仕込んだ「虐殺のバックドアコード」を発見し、例外処理(Exception)を仕込んで内部告発を敢行。亡命により、国籍、資産、キャリア、法律の保護(推定無罪)のすべてを能動的に喪失(社会的な死)する [Demander l'asile in France : L'accueil des demandeurs d'asile ⋅ GISTI]。しかしエンジニアとしての脳(コア)からはドロップアウトせず、1858年の『日仏修好通商条約』プロトコルをハックし、パリのカフェの片隅から極東の「海抜ゼロメートル地帯」を救うためのコードを紡ぐ。



ダヴィド・ベネット首相(Prime Minister David Bennett)

クラス: イスラニア現職首相 / 右派ナショナリスト政党党首

現在の法的ステータス: 国際刑事裁判所(ICC)ローマ規程第27条に基づくジェノサイド罪の容疑による「公式逮捕状執行対象(国際指名手配犯)」


概要:

排他的なナショナリズムで大衆を煽動する最高権力者。総選挙を前に封鎖自治区カナアンの「完全なる掃除(ジェノサイド)」を画策し、機械学習モデルのパラメータを政治的に改ざんさせた張本人。ハリーのリークによって現職首相でありながらICCから指名手配される。国際法の追及を不当な政治迫害と突っぱね、国内法(国家反逆罪)を武器にハリーを「法的権利なき逃亡犯・妄想狂」と断定する大規模な国際プロパガンダ(情報戦)を仕掛ける。



アリア・マンスール(Aria Mansour)/ 28歳

クラス: パレスチナ自治区「カナアン」出身のシステムエンジニア

現在の法的ステータス: 自動標的選定アルゴリズム上の「排除保留(PENDING)レコード」


概要:

オープンソース(GitHub)の共同開発コミュニティでハリーと知り合い、国境を越えてコードの美しさを語り合った無二の友人。現在はカナアンの難民キャンプで戦争孤児の支援活動を行う。ベネット政権の歪んだニューラルネットワークによって「テロの連絡網」と自動誤認され、空爆の最優先ターゲットに指定されるが、ハリーが命を懸けてデプロイした無限ループ処理(タイムアウト)によって一時的に命を救われる。



クロエ・デュポン(Chloé Dupont)/ 34歳

クラス: フランス人権弁護団所属 弁護士

現在の法的ステータス: フランス法曹界公認・暗号化デジタル署名権限 保持者


概要:

法的権利を失い「裸の命」となったハリーの前に現れた、冷徹な法理の体現者。ハリーに対して「亡命とは、隣国スペインにいる家族に触れる権利さえ失うことだ」という冷酷な実務を突きつける [Demander l'asile in France : L'accueil des demandeurs d'asile ⋅ GISTI]。ハリーの手書きのノート(数理モデル)に法的な血を通わせるため、フランス難民審査(OFPRA)の行政手続きを主導 [Étape 1 : la SPADA - Ofpra]。ハリーの頭脳を保護するため、1858年の『日仏修好通商条約』の法的プロトコルへのアクセスを許可する。



マーク(Mark)

クラス: イスラニア国防軍・先端兵器開発局 チームリーダー


概要:

ハリーの直属の上司であり、アーレントの言う「悪の凡庸さ(思考停止した官僚)」を完璧に体現するシステムの歯車。ブレードサーバーの排熱を完全に22度に制御した冷徹な管制室で、ドローンが子どもたちを爆殺するFLIR映像を見ても「完璧な命中、システムを信じろ」とコーヒーを片手に淡々とログを流す。「エラーを出さずにシステムを安定稼働させることだけがSEの仕事だ」とハリーに圧力をかけ続けた。


============================================================

[SYSTEM INFRASTRUCTURE BOOTING...]

[LOCATION: ISRANIA DEFENSE FORCES - CENTRAL HUB]

[TARGET INITIALIZED: HARRY ELLIOTT (AGE: 29)]

[STATUS: CODE COMPILING... STABLE]

============================================================

第1話:エスケープ・シーケンス(ステータス・コード:401 Unauthorized)


君がこのログを読んでいるということは、僕の仕込んだ例外処理スクリプトが正常に実行され、商用環境のサーバー群を駆け抜け――長年慣れ親しんだシステムを離れ、新しいグローバルなインフラストラクチャへとその身を移行(コンパイル)させたことを意味している。


中央管制室(コントロール・ルーム)の空気はサーバーの熱暴走を防ぐために常に摂氏22度に完全制御され、微かな電子の駆動音と、マークが淹れたパナマ産コーヒーの香りが混ざり合っていた。


僕の名前はハリー・エリオット(29)。

イスラニア国防軍・先端兵器開発局のシニア・システムエンジニア。

そして、この国に生きるユダヤ人だ。

僕の専門は、無人航空機(UAV)のカメラフィード、地上の監視カメラ、通信ログをリアルタイムで統合・解析し、脅威となる「重要参考人」を自動選定するバックエンド・システムのアーキテクチャ設計だ。


僕がキーボードで紡ぎ出すPythonのスクリプトは、混沌とした世界を整理し、国家の安全を事前に確保するための「予測装置」だった。


python

def evaluate_target_priority(realtime_feed, historical_data):

# realtime_feedからパターンを抽出し、数理モデルに入力

features = extract_behavioral_features(realtime_feed)

prediction = model.predict(features)


if prediction['confidence'] > 0.85:

return Status.TARGET_CONFIRMED # 排除確定

return Status.LOG_AND_HOLD

*コードは注意してご使用ください。


「美しいシステムだな、ハリー」

背後から、チームリーダーのマークが声をかけてきた。マグカップを片手に、僕の画面のコードを覗き込んでいる。「この深層学習(ディープラーニング)ベースの予測モデルに変えてから、我が軍のターゲット処理効率が35%向上した。ベネット首相も昨日の閣議で、我々システムエンジニアのチームを名指しで称賛されたよ。戦争を早く終わらせるための、人道的な最適化だ。僕たちは人命を救っている」

「数理モデルとシステムは嘘をつきませんから」

僕は自分の声を、数十の監視フィードが流れるモニターのガラスに反射させながら答えた。Enterキーを叩く。カチリ、と静かなプラスチックの音が部屋に響く。


僕にとって、戦争は複雑な多変数最適化問題、あるいは大規模なトラフィック処理に過ぎなかった。東の境界線を越えてやってくるテロ組織。彼らをいかに効率的に、予測可能なパターンとして処理するか。僕の設計したシステムは、無駄な戦闘を減らすための「盾」であるはずだった。そう自分に言い聞せていた。

モニターの右下、小さなウィンドウで、軍の暗号化ライブフィード映像が流れている。最新鋭ドローンが、封鎖自治区「カナアン」の上空3000メートルから見下ろしたFLIR(赤外線)映像。白黒の熱源として描かれるのは、無機質な街並みだ。


突然、僕が構築した自動標的選定アルゴリズムのデーモンプロセスが動いた。画面中央に赤い外枠(バウンディングボックス)が走り、一つの熱源をロックオンする。


[INFO] Target detected: Threat Score 94.2%

[INFO] Executing script: strike_authorization.py

「よし、かかった。デプロイ成功だ」マークがコーヒーをすする。


いつもなら、ここで目をそらす。数字とログ(Status: 200 OK)しか見ない。それがシステムエンジニアとしての「正しいインターフェース」だと教えられてきたからだ。システムが弾き出した「不審者」をただ処理する。それ以上の詮索は、システムへのノイズになる。


だが、この時は、何故か指が動いた。マウスホイールを転がし、その熱源の拡大高解像度カメラのストリーミングフィードへと切り替えた。

画面に映し出されたのは、コンクリートの瓦礫が散乱する、かつて学校だった場所の跡地だった。白黒の熱源の輪郭が、次第に生々しい人間の形を結ぶ。

それは、テロリストではなかった。


小さな影。身長は120センチメートルにも満たない。ちぎれた教科書のような紙切れを、泥だらけの地面から拾い集めようとしている、幼い子どもたちの姿だった。一人の少女が、怯えるように妹らしき幼児の小さな手を引いている。その頭上に、システムは「テロリストの行動パターンと94%一致」という冷徹なコードを貼り付けていた。


「待ってくれ」僕の喉が渇いた音を立てる。

「マーク、これ、バグだ。例外処理が抜けている。特徴量抽出(フィート・エキストラクション)の段階で、異常なバイアスがかかっている。子どもたちの動きを敵の伏兵だと誤認して――」

その言葉が終わる前に、画面が真っ白にフラッシュした。


ドローンから放たれた精密誘導弾が、寸分の狂いもなくその座標に着弾した。遅れて届く無音の映像。爆風が、小さな影たちを、紙切れのように吹き飛ばす。崩落する壁。灰の中に消えていく、幼い命。画面の隅では、我が子がいたはずの瓦礫に向かって、衣服を血で染めた母親らしき女性が、天を仰いで絶叫している姿が鮮明に映っていた。


指先が、ガチガチと激しく震え出した。心臓が肋骨の裏側を狂ったように叩く。猛烈な吐き気が込み上げ、僕は口元を押さえた。キーボードの隙間に、僕の冷や汗が落ちていく。いたたまれなかった。自分が一週間寝ずに書いたクリーンなはずのPythonコードが、この子どもたちを効率的に殺すための「凶器」に変換されていた。


「ハリー?」マークが怪訝そうに眉をひそめる。

「どうした。完璧な命中じゃないか。敵は民間人の服を着て、子どもを人間の盾に使う。それが奴らのやり方だ。僕たちのシステムは、その奥にいる『脅威』を正しく排除した。お前はシステムエンジニアとしてよくやったんだよ。システムを信じろ」


「……これが、僕たちの守りたかったシステムですか」

僕の声は、自分でも驚くほど掠れていた。「僕たちは、システムに嘘を吐かせている。あれは子どもだ。ただの、子どもだったんだ!」


「ハリー・エリオット!」

マークの声から温度が消えた。冷酷な官僚の目が、僕を射抜く。「深く考えるな。僕たちの仕事は、エラーを出さずにシステムを安定稼働させることだ。道徳の議論は、上層部と政治家がやる。ベネット首相は、総選挙を前に『カナアンの完全なる掃除』を望んでいる。余計な思想は、コードを鈍らせるぞ。お前が手を止めれば、コンパイルエラーを起こすのはお前の人生だ」


マークが去った後、僕は一人、青白いデスクに残された。周囲のシステムエンジニアたちは、何事もなかったかのようにキーボードを叩き、冗談を言い合っている。誰も、画面の向こうで引き裂かれた命を「人間」として見ていない。ただのノイズ、データ。

その時、僕の脳裏をよぎったのは、ジュニアハイスクール時代、学校の図書館の片隅で読んでいたハンナ・アーレントの著作だった。



同胞であるユダヤ人の大虐殺を首謀したアドルフ・アイヒマン。彼は狂気の怪物ではなく、ただ「考えることをやめ、システムに忠実に従っただけの凡庸な役人」に過ぎなかった。アーレントが喝破した「悪の凡庸さ(Banality of Evil)」。



今、この最新鋭の管制室で起きている思考停止は、かつて僕たちの祖先を絶滅させようとしたあのシステムと、一体何が違うというのだ。歴史の悲劇の記憶を免罪符にして、目の前の非人道行為から目を背けるのか。


僕は震える手で、Jupyter Notebookを立ち上げ、深層ニューラルネットワーク(DNN)の内部パラメータを逆算(リバース・エンジニアリング)し始めた。なぜ、子どもたちを敵の伏兵だと誤認したのか。

コードの奥深く、数日前に追加された暗号化モジュールの中に、それ(悪意)はハイドされていた。



python

# System update patch: v4.2.1

def apply_political_weight(location_id, initial_score):

if location_id in CANAAN_ZONE_A:

# カナアン自治区の特定エリア内であれば、無条件で重み(ウェイト)を倍増させる

return min(initial_score * 2.5, 99.9)

return initial_score

コードは注意してご使用ください。




バグではなかった。

国家が、ベネット首相の政権が、意図的に「特定の地域にいる者は、女子供だろうとすべてテロリストとして処理しろ」という虐殺のバックドアを、機械学習モデルという極めて客観的な仮面の下に滑り込ませていたのだ。


「これ以上、僕のコードで、子どもたちの未来を消させない」

胸の中で、何かが決壊した。深夜、誰もいなくなった管制室で、僕はメインシステムにアクセスし、例外処理(Exception)を仕込むスクリプトを書き始めた。ターゲットが「子供」または「アリア・マンスール」である場合、システムを意図的に無限ループに陥らせ、処理を遅延させるコード(タイムアウト)だ。さらに、このパラメータ改ざんの生データとインフラのログのコピーを、外部の国際人権機関へ即座にドロップした。


指が踊る。これが、システムエンジニアである自分が、一人の「人間」に戻るための、最後のデバッグだった。


翌朝。僕は軍のセキュリティによって拘束され、地下の司法拘置所の冷たい尋問室にいた。

ベネット政権は僕を軍事システム機密漏洩による「国家反逆罪」として最高刑(条文上は死刑)に処すべく動いていたが、僕の前に、人権派の老弁護士サミュエルが現れた。彼はアクリル板を指先で叩き、歪んだ笑みを浮かべた。


「ハリー、我が国の法治主義はまだ死んでいない。公判が始まるまで、君には『推定無罪(Presumption of Innocence)』の原則が適用される。検察が君の有罪を完全に立証するまで、法的には君は無罪の市民だ。この原則を使い、国際社会の注視を盾にして、一時的な保釈を勝ち取った」


「だが、君がリークしたPythonコードによって、国際刑事裁判所(ICC)が動き出した。ベネット首相に対し、民間人の意図的な大量殺傷――すなわちジェノサイドおよび人道に対する罪の容疑で公式な逮捕状が出た。首相は今、国際法上の『拘束対象(指名手配犯)』だ。システムの外側にある法が、彼を捕らえようとしている」


「首相に、逮捕状……」

「そうだ。だがそれゆえに、ベネット首相は完全に一線を越えた。自身の国際法上の犯罪を覆い隠すため、次の選挙までに君を国内法(国家反逆罪)で合法的に処刑し、自らの正当性を国民にアピールするつもりだ。公判が始まれば、軍の息のかかった法廷で君の証拠は握りつぶされる。――亡命するんだ、フランスへ。テルアビブの海岸通り(プロムナード)にある駐イスラニア・フランス大使館へ駆け込め」

サミュエルは僕の目を覗き込んだ。その声は、僕の全存在を解体するようだった。

「だが、よく聞きなさい、ハリー。亡命とは、ハリウッドの映画じゃない。システムエンジニアとしての君のすべてを、能動的に放棄することだ。君の国籍、凍結される銀行口座の財産、この国で築き上げたシニア・システムエンジニアとしてのキャリア、周辺を監視し君を守るはずだった我が国の法律が君を守る『推定無罪』という名のすべての権利……。それらすべてを自らドブに捨て、他国の情けに身を委ねる、社会的な死を意味するんだ」


僕は、自分の手のひらを見つめた。

システムを愛し、コードの正義を信じてきた。その全てを捨てる。法的な「無」になる。かつてアーレントがナチスから逃れ、無国籍の難民として世界を彷徨ったあの絶望を、今度は僕自身が、自分の意志で選択するのだ。


「……行きます。人間でいられるなら、権利なんていらない」

決行は、雨の降る木曜日の深夜。

僕の首に巻かれたGPS首輪の信号は、自宅のダミー端末へとループ偽装されていた。猶予はわずか45分。

長距離トラックの荷台から飛び出した僕の目に、激しい雨の向こう、テルアビブの海岸沿いに佇むフランス大使館の重厚な鉄門が見えた。

門の前に敷かれた白いライン。そこを越えれば、国際法上、フランスの主権領土。だが同時に、イスラニアの法が、僕のすべての権利が消滅するデッドライン。

「止まれ! 止まらないと発砲する!」

背後から、治安機関(シャバック)の強烈なサーチライトと怒号が響いた。パトカーのサイレンが地中海の荒波の音をかき消す。

僕は泥水を跳ね上げ、心臓が破裂しそうなほどに脚を動かした。背後で、銃の安全装置が外される金属音が、雨音の隙間から鼓膜に突き刺さる。

「フランス共和国の庇護を要求する!」

僕は喉がちぎれんばかりに叫び、泥まみれの体で白いラインを越え、フランス大使館の敷地内へと滑り込んだ。


直後、フランスの憲兵隊が素早く鉄門を閉め、追手を自動小銃で威嚇した。


「ここまでだ。ここはフランス共和国の領土である」

一週間後。僕はフランス政府が用意した、窓のない無機質な特別移送機の中にいた。


僕の膝の上には、何もなかった。最新のワークステーションも、何一つない。権利を自ら放棄した者に、そんなプロトコルは用意されていない。


あるのは、フランスの入国管理局から突きつけられた、薄汚れたプラスチック製の「臨時滞在許可申請書(難民申請中)」の紙切れ一枚と、空港の売店で自費で買った、数ユーロの安物のノートと1本のボールペンだけだった。


「ハリー・エリオットさん」

同行するフランスの入国管理官が、冷淡に、しかし事実を告げる。「君の政治亡命(アジール)の手続きを開始したが、君は今日この瞬間から、フランス国内での就労は一切認められない。銀行口座は作れず、クレジットカードも使えない。当然、システムエンジニアとしてのキャリアも完全に剥奪された。君は今、法的な『持たざる者(難民)』だ」

僕は、安物のボールペンを強く握りしめた。

今や、GitHubのアカウントにアクセスする秘密鍵(SSH Key)すら、国籍と共にデリートされた。

僕は、無言でノートを開いた。

だが、僕はシステムそのものを手放したわけじゃない。国家の基盤を動かしていたトップエンジニアの脳は、冷えた機内の片隅で、紙の上に手書きで新しいアーキテクチャ(疑似コード)を書き始める。


python

# System re-booting...

# Status: 401 Unauthorized / Rights: Depleted

# Network: Establishing Global Proxy via Moral Code

while True:

if thinking_stopped == False:

keep_witnessing()

コードは注意してご使用ください。


PCはもらえない。すべての権利を失い、アーレントと同じ「難民」になった。


だが、ベネット首相にICCの逮捕状を突きつけた「ジェノサイド・アルゴリズム」の数理モデルとインフラ構成は、僕の頭脳の中に完全にインプットされている。


国家の法律が、国際法を殺すための道具に使われているのなら、僕は何も持たない難民として、そのシステムを世界に暴いてみせる。デジタルな武器を一時的に外されたとしても、僕のアナログな脳という名のコア・システムは、まだ思考を停止(シャットダウン)していない。

窓のない壁の向こうの、遠いパリの空を見つめた。

全てを失った一人の難民と、国際指名手配犯となった最高権力者の、闘いがはじまる。

============================================================

[SYSTEM OUTLOOK: EXTENDING TO GLOBAL NETWORKS...]

[STATUS: SYSTEM RUNNING STABLE ON ANALOG BUFFER]

[CURRENT STATE: HARRY ELLIOTT IS MONITORING THE WORLD]

============================================================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。