第08話 玉座の間で、俺は椅子の話をする
城内十台の設置が完了した翌朝、ゼンは東門で衛兵に名を告げた。
城の内部は昼間の光の中で、さらに豪華さが際立つ。磨き上げられた石床。天井まで届く燭台。壁に掛けられた油絵の歴代国王たち。
しかし匂いは変わらない。
十台の設置前も、設置後も、この城の基礎に染み込んだものは一朝一夕には消えない。
(まあ、配管工事が終わるまでは仕方がない)
案内された部屋は、謁見の間ではなかった。
執務棟の奥、小さな会議室。ライゼルが先に来ていた。
「緊張しているか」
「していない」
「そうか。なら話が早い」
ドアが開き、護衛が二人入ってきた。その後ろに、一人の男が続いた。
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ゼンが想像していた国王とは、少し違った。
二十代後半。細身で、背が高い。飾りの少ない濃紺の上着を着ている。冠もない。髪が少し乱れている。
絵に描いたような権威の象徴ではなく、どこか書類仕事で疲れた文官のような印象だった。
「ガルム四世だ。楽にしてくれ」
ゼンは頭を下げた。
「ゼン=アルカと申します」
国王は椅子を引いて座った。護衛に目配せすると、二人が部屋の外に出た。
「ライゼルから話は聞いている。衛生と疫病の関係、上下水道の整備計画、術師との協力体制。全部だ」
「丁寧な報告をいただいたようで」
「余は数字が嫌いではない。ライゼルの報告書は信用している」
国王は机の上の書類を一枚取り上げた。
「腸鳴り病・赤熱病による過去二十年の死者数・経済損失試算」と書かれていた。ゼンが一目で識別できる、ライゼルの筆跡だ。
「直接聞きたいことがある。正直に答えてくれ」
「どうぞ」
「上下水道の整備が実現した場合、この死者数はどれほど減らせる」
ゼンは少しだけ考えた。
「確証はありません。ただし、前例から推測できます。清潔な水の供給と排水の分離、手洗いの習慣化が徹底された地域では、腸管感染症の死者は七割以上減ると考えています」
「七割」
「根拠のある数字ではありません。しかし、方向性は正しいと確信しています」
ライゼルが言った。「過去の疫病発生記録と、現在の聖座設置区画の位置を照合しました。設置区画はいずれも、過去の感染多発地点から外れています。まだ仮説の段階ですが、傾向は明確です」
国王は書類を机に置いた。
「ゼン、一つ頼みたいことがある」
「内容によります」
国王はわずかに口角を上げた。「直接的だな」
「お時間を取っていただいているので、回り道は無駄かと」
「王国が主導する衛生整備事業に参加してほしい。ただし」と国王は続けた。「お前が言うとおり、民間事業としての独立性は保つ。余は『後援』という立場を取る。強制はしない」
(後援、か)
これは想定より良い条件だった。「専属にしろ」でも「国営にしろ」でもなく、「独立したまま王室の名前を使っていい」という話だ。
「王室後援の条件は」
「定期的な進捗報告と、貧民区画への設置を優先課題に含めること。利益は構わない。ただ、最も恩恵を受けるべき人間が最後になってはならない」
ゼンは少しの間、国王を見た。
この男は、本物だ、と思った。
数字を見ている。そして数字の向こうにいる人間を見ている。
「承ります。ただし一点、確認させてください」
「なんだ」
「貧民区画への設置は、収益モデルが変わります。利用料を下げるか、無料にするかが必要です。その分の補填を王室側に求めることになりますが、それは可能ですか」
「ライゼルと相談してくれ。予算の枠は作る」
「わかりました」
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話が一段落したとき、国王が立ち上がった。
「実物を見たい」
「設置した部屋にご案内します」
城内に設置した十台のうち、ライゼルが「陛下専用」として確保していた賓客棟の一台に案内した。
上位グレードの遮音強化型だ。
国王は個室の前で立ち止まり、ゼンに向き直った。
「護衛を下がらせる」
「どうぞ」
護衛二人と、ライゼルも廊下に下がった。
国王が扉を閉めた。
ゼンは廊下で待った。
いつものように。
七分が経った。
扉が開いた。
国王が出てきた。
表情は整っていた。王として、人前では感情を見せない訓練を積んできた顔だ。
しかし目が、少し遠くを見ていた。
「……余が、ずっと探していたものだ」
小さな声だった。独り言のような声だった。
ゼンは何も言わなかった。
「この国の民の全員が、これを使える日が来るか」
「来ます。時間はかかりますが」
「どれくらいかかる」
「設備だけなら十年。上下水道が整えば、五年で普及できます」
国王はうなずいた。長い沈黙の後、ライゼルに向き直った。
「予算を組め」
「すでに草案を用意しています」
「お前は本当に先回りが好きだな」
「財務大臣の仕事です」
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城を出たゼンに、夕方の空気が当たった。
帳簿を開く。
今日の成果を一行書き込んだ。
「王室後援決定。貧民区画設置の補填枠あり」
それから手を止めた。
夕方の鐘が鳴った。
一拍置いて、宿の方向に足を向けかけたとき、通りかかった二人の冒険者の会話が耳に入った。
「聞いたか、勇者パーティが帰ってくるらしいぞ」
「本当か! 魔王の残党を討伐して?」
「凱旋パレードは三日後だと。王都中が沸くな」
(三日後か)
ゼンは空を見上げた。
特に感情は動かなかった。
ただ、少しだけ、あの日の床に落ちた革袋を思い出した。
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