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第07話 3号店と、最初の模倣者

東区の宿屋『銀の鍵亭』のオーナー、ドナは、ゼンを玄関先で待っていた。


 四十代、がっしりとした体格の女性だ。短く切った黒髪に、腕まくりをした仕事着。目が鋭い。宿屋の女主人として十数年やってきた人間の目だ。

 彼女はゼンを見るなり「思ったより若いな」と言い、それ以外の余計なことは言わなかった。


 交渉は二十分で終わった。

 ドナは1号店の利用者数をすでに調べていた。行列の長さも、料金も、ゴードンとの収益配分も。


「レベニューシェアの7割3割は変えない。ただし清掃の手間は折半にしてほしい」


「清掃は全部お前側でやってもらう。その代わり、マリカという指導員を月一で寄越す」


「マリカ?」


「1号店の清掃担当だ。絵マニュアルごと渡す」


 ドナは少し考えた。


「……それで手を打とう」


 東区は商人と職人が多い。昼間は人の流れが活発で、夜まで続く。1号店と客層が被らない。


(立地の分散。これで良い)


 契約書に署名して、設置工事に入った。


 ルッツが傍らで術式の刻印を担当した。今日で四日目の転写作業だ。精度が昨日より上がっている。ゼンが後で確認すると99.8だった。


「城の十台も合わせると、今週だけで十三台を並行している」


「問題ない」とルッツは平然と言った。


 問題ないと言えるようになるまで四日。この男の習熟速度は、ゼンの想定を上回っている。


---


 3号店の設置が完了した翌日、ベルトが宿に飛び込んできた。


 走ってきたらしく、前掛けが乱れている。普段の泰然とした大男の姿とは別物だ。


「ゼン! 市場の北側の路地に、偽物が出た!」


「偽物」


「『聖なる椅子・銅貨2枚』とかいう看板を出して、白っぽい椅子を並べている。水が出るらしい。昨日から行列ができてる」


(来た)


 ゼンは帳簿を閉じた。

 予想はしていた。ただ、追放から一ヶ月と経たないうちに来るとは思わなかった。


「見てくる」


「俺も行く」とルッツが立ち上がった。「術式を調べたい」


---


 北路地の模倣品は、想像より露骨だった。


 木の台に据えられた、白っぽい陶器の椅子。「白っぽい」というのは表現として正確で、磁器ではなく普通の陶器に白い漆喰を塗ったものだ。表面に凹凸がある。形もどこか歪んでいる。便座の縁が左右非対称だ。


 看板には「聖水椅子・体験銅貨2枚・汚れを洗い流す聖なる水!」と書かれている。

 行列が十人ほどいた。


(聖水椅子、か)


 ゼンは内心でため息をついた。「聖座」から着想したのは明らかだ。しかし「テラ・スローン」という名前は使っていない。法的に問題を起こせる根拠がない。


 ルッツが術式見本板を取り出し、陶器椅子の近くに立って感知した。


「……水魔法の術式は刻んである。ただ、一層構造だ。温度制御なし。水圧制御なし。ルーンの刻み方が粗い。魔石との接続が不安定だ」


「使えるのか」


「使える。しかし精度が出ない。水温は環境温度と魔石の消耗状態で変わる。水圧も固定できないから突然強くなることがある」


(それは、危ない)


 ゼンは列に並んでいる人々を見た。何も知らずに並んでいる。


 そのとき、出口から一人の男が出てきた。

 三十代の職人風の男だ。顔が歪んでいる。怒っているのか痛いのかわからない表情で、前掛けを胸元に当てている。


「……熱い! なんだあれは! 急に熱湯が出てきた!!」


 男は看板を運営している露天商に向かって怒鳴り始めた。

 前掛けの下の腹部が赤くなっている。軽度の熱傷だ。


(やはりか)


 ゼンは人込みから少し下がった。


 露天商は「魔石の調子が悪かっただけだ、返金する」と謝り始めている。周囲の行列が動揺し始めた。何人かが離脱し始めた。


 怒鳴っていた男がゼンの横を通り過ぎた。ゼンは声をかけた。


「怪我の具合は」


 男が足を止めた。怒りが残ったまま振り返る。


「あんた、何者だ」


「『聖座テラ・スローン』の製作者だ」


 男の顔が変わった。怒りに別の何かが混ざった。


「……本物を作ってる人間か。あれの、本物があるのか」


「1号店が南区の宿にある。今から来るか。ただし体験料は銅貨3枚だ」


 男はしばらく考えた。腹を押さえながら。


「……行く」


---


 男の名はロック。石工職人だった。

 毎日重い石を扱うため腰に負担がかかり、「洗浄ができる椅子があると聞いた」という理由で今日の行列に並んだらしい。


 1号店に着き、個室に入った。


 五分後、出てきた。


 顔が、別人だった。


 入る前の怒りと熱傷の痛みが、どこかへ行っていた。代わりに、どこか遠くを見ている目がある。ロックはゆっくりと壁に寄りかかり、大きな体をずるずると下ろした。石工職人の膝が、廊下の床についた。


「……なんだ、これは」


 声が掠れていた。


「こっちは、温かい。最初から、ずっと温かい。水の温度が、変わらない。怖くない」


 彼は顔を上げた。目が赤い。


「俺は……毎朝、あの地獄の穴に行くのが嫌だった。三十年間。職人なんてのは体が資本だから、体には気を使ってきた。でも、毎朝あの穴だけは……嫌だった。誰も文句を言わないから、仕方ないと思ってた」


 ゼンは何も言わなかった。


「……なんで、今まで、こういうものがなかったんだ」


 ゼンはゆっくり答えた。


「今まで作る人間がいなかった、それだけだ」


 ロックは少しの間、床を見ていた。それからゆっくり立ち上がり、大きな手で顔を拭った。


「銅貨3枚。毎日来ていいか」


「毎日来い」


---


 宿に戻ったゼンに、ルッツが術式の分析結果を見せた。


「模倣品の術式は誰でも組める程度のものだ。水を出す、それだけなら特別なスキルはいらない。これからもっと増える」


「そうだな」


「防ぎたいなら術式に暗号化を入れることはできるが……コストがかかる。そして、暗号化しても現物を見れば構造はある程度わかる」


「防がなくていい」


 ルッツが顔を上げた。


「防がなくていい、とは」


「模倣品が増えることで、『温水で洗浄できる椅子』という概念が王都に広まる。知らなかった人間が模倣品を試して、不満を持って、本物を求める。あのロックがそうだった」


「……つまり、模倣品が宣伝になると」


「なる。ただし一つだけ問題がある」


 ゼンは立ち上がり、羊皮紙を広げた。


「品質が低い模倣品のせいで、『温水椅子』全体への不信感が広がることだ。『水が出る椅子は危ない』という評判になれば、俺の設備まで巻き込まれる」


「それは……確かに困る」


「だから、区別できる仕組みが要る」


---


 ゼンは土魔法で小さな試験片を作り、その表面に細かな紋様を刻んだ。


 直径三センチほどの円の中に、流水と玉座を組み合わせた紋様。「テラ・スローン」の頭文字を入れた。


「これを『公認刻印』にする。本物の聖座すべての目立つ箇所に刻印する。購入者にはこの刻印の見方を教える」


「刻印を模倣されたら」


「刻印自体は真似できる。しかし俺の【精密構成】で刻んだ刻印は、磁器の内部の分子配列に特徴が出る。それを見れば本物かどうかわかる」


「なるほど」


「さらに刻印と一緒に、設置証明書を発行する。設置者の名前、設置日時、設備番号を記録した羊皮紙だ。紛失した場合も俺の台帳で確認できる」


 ルッツは腕を組んだ。


「徹底しているな」


「ブランドとは仕組みで守るものだ」


 前世で散々聞いた言葉だった。品質保証部の上司が口癖のように言っていた。当時は「また始まった」と思っていたが、今は身に染みる。


 ゼンは帳簿に「公認刻印制度・設置台帳」の項目を新設した。


「ルッツ、刻印の転写も覚えてもらえるか。設備と同じタイミングで刻む」


「今日の夜には対応できる」


「早い」


「紋様の転写は術式より簡単だ」


---


 その夜、ゼンはマリカを呼んだ。


「絵マニュアルに、一項目追加する」


 マリカは羊皮紙と炭筆を構えた。習慣になっている。


「清掃のあとに刻印を確認すること。設備の側面にある紋様が欠けていたり、傷がついていたりしたら、すぐ俺に報告しろ」


「この紋様ですか」とマリカが刻印の複写を眺めた。


「そうだ。本物の証だ。覚えておけ」


「……きれいな紋様ですね」


「ありがとう。俺が設計した」


 マリカは少し驚いた顔をしてから、微笑んだ。


「ゼンさんって、絵が上手くないのに、こういうのは上手いんですね」


(上手くない、か)


「絵は下手だ。これは設計だ。違う」


「同じように見えますが」


「……違う」


 マリカはくすくす笑いながら、刻印の模写を絵マニュアルに書き加えた。

 その手付きは、最初に出会ったときの頼りなさとは別物だった。


---


 翌朝、ゼンは帳簿を開いた。


 3号店(銀の鍵亭):設置完了。初日稼働。

 城内10台:残り6台。あと2日。

 バルドス邸追加:2台。城の次に着手。


 設置台帳:通し番号001〜。公認刻印刻入済み確認欄を追加。


 月次収益の試算を更新する。

 1号店+2号店+3号店の合算で、月に金貨2枚弱の定期収益が見えてきた。

 城とバルドス邸の追加はスポット収益として別計上。


(月次収益が金貨2枚。この水準が積み上がれば)


 計算は続く。5号店で金貨4枚。10号店で金貨8枚。20号店で金貨16枚。


 王都の主要な宿屋は三十軒以上ある。商人ギルド系の施設を入れれば五十を超える。すべてを制覇したとして、月次収益は金貨20枚を超える。それに加えて貴族邸の高額スポット案件。


 まだ序の口だ。


「ゼン」


 ルッツが声をかけてきた。珍しい。作業中は基本的に話しかけてこない。


「なんだ」


「さっき、3号店の方向から人が来た。宿の前で『聖座はここか』と聞いていた。ゴードンが対応している」


「また新しい問い合わせか」


「そうかもしれない。ただ……」


 ルッツが少し間を置いた。


「その人間、服に王家の衛兵の紋が入っていた。城の人間だと思う」


(城から? 城内の工事はまだ終わっていないのに)


 ゼンは立ち上がった。


「案内してくれ。どんな用件か聞く」


---


 玄関に来ると、若い衛兵が一人、緊張した顔で立っていた。


「ゼン殿ですか」


「そうだ」


「ライゼル財務大臣閣下より、伝言があります」


 衛兵は羊皮紙を取り出した。


 「城内の設置が完了し次第、陛下が直々にお会いになりたいとのご意向がある。準備が整い次第、連絡を」


 ゼンはその紙を読み返した。


(陛下が直々に)


 財務大臣の次は、国王そのものか。


 ゼンは衛兵に告げた。


「城内の工事は明後日に完了する予定だ。その翌日に伺えると伝えてくれ」


 衛兵が去った後、ゼンはもう一度帳簿に目を落とした。


 数字が並んでいる。

 銅貨から銀貨へ、銀貨から金貨へと変わってきた数字。

 そして今、その数字の向こうに、城の玉座の影がちらついている。


(俺は追放されてから、まだ一ヶ月と少ししか経っていない)


 ゼンは帳簿を閉じた。

 先のことは考えすぎない。今日やることをやる。


 「城内、残り6台」と頭の中で数え直し、作業場に戻った。


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