第04話 トイレの中で、貴族は嘘をつかない
2号店が開いた翌日、市場南口の前に行列ができた。
ゼンは遠くから眺めた。宿の裏口の行列より長い。市場に買い物に来た客が「なんだあれは」と足を止め、立ち話で説明を聞いて列に加わる。
立地、というのはそれだけで商売の半分を担う。
ベルトが選んだ場所は正しかった。
帳簿を開く。
1号店と2号店の合算で、1日の利用者数が推定90人を超えた。
銅貨270枚。ゼンの取り分は189枚。銀貨換算で約1.9枚。
月換算で銀貨57枚。金貨半枚強。
(まだ小さい。でも倍になった)
倍は、始まりだ。
それよりゼンの頭を占めていたのは別の数字だった。
バルドス邸の設置から十日が経っている。子爵から聞いた話では、もう設備の「用途」が明確になりつつあるらしい。
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使いが来たのは昼過ぎだった。
バルドス子爵家の紋章が入った封蝋を割ると、短い文章が書かれていた。
「紹介したい人物がいる。明後日の夕刻、屋敷に来られたし。――バルドス」
ゼンは封筒をたたんで懐に入れた。
(紹介、か)
子爵が「客人にも使わせる」と言っていたことを思い出す。その客人が直接会いたがっている。
これは営業の機会だ。どんな人物かによって、話の展開が決まる。
ゼンは次の日を準備に使った。
実演用の「聖座」を一台、改めて精度を上げて作り直す。バルドス邸に持ち込んだものより、術式の洗練度を上げた。見せるなら最高のものを見せる。
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バルドス邸の応接室には、ゼンが入ると二人がいた。
一人はバルドス子爵。ティボーが傍らに立っている。
もう一人は――初めて見る男だったが、ゼンは一目で「大物」だとわかった。
五十代。横幅が広い。丸い腹の上で指を組んでいる。顔の造りは柔らかく、笑顔を崩さない。目だけが笑っていない。
(商人だ。しかも、相当な)
身につけているものは派手ではないが素材が良い。指に嵌まった指輪が二本。どちらも控えめなデザインで、しかし石の色が深い。本物だ。
「これがゼン殿か。エッゲルだ」
男は立ち上がらなかった。それが彼の答えだった。
ゼンは特に気にしなかった。
「どうぞ」とだけ言って、向かいの椅子に座った。
バルドスがかすかに眉を動かした。使用人口から通した平民が招かれもせずに座ったことへの驚きだろう。ゼンは構わず続けた。
「エッゲル殿、王都商人ギルドのギルドマスターで間違いないですか」
エッゲルの目が細くなった。ほんの一瞬だけ、笑顔の下で何かが動いた。
「よく知っているな」
「貴族街で聞けばすぐわかる。バルドス閣下の密談相手が誰かは、市場でも噂になっています」
沈黙。
バルドスが口を開きかけたが、エッゲルが先に笑った。
「さすがだ。ならば本題から入ろう」
エッゲルは指を一本立てた。
「あれを、儂に独占させてほしい。バルドスの屋敷で体験した。あれは只者ではない。王都の主要な商人と貴族のすべてに、儂が独占的に設置権を販売する。利益は折半でいい」
(来た)
ゼンは内心で一つうなずいた。エッゲルは商人ギルドのトップだ。流通を握っている。「独占を買う」という発想は当然の一手だ。
「お断りします」
間を置かなかった。
エッゲルの表情が初めて変わった。笑顔が薄くなり、代わりに「品定め」の顔になった。
「理由を聞こうか」
「設備の術式は私の固有スキルから来ています。複製できません。つまり独占権を売っても、あなたが販売できる数は私の生産速度に依存する。それはビジネスとして非効率です。あなたは仲介マージンを取るだけになる」
「それでもいい。儂には客がいる。お前には客を見つける力がない」
「今のところはそうです。しかしバルドス閣下が十日で自然に紹介してくださいました。今日はギルドマスターと話しています。独占を渡さなくても、客は来ます」
エッゲルは腕を組んだ。
しばらく、ゼンを観察していた。
「……強気だな」
「適正価格を守っているだけです」
「若いのに」
「商売の原則は年齢と関係ありません」
また沈黙。今度は少し長かった。
エッゲルはゆっくりと笑顔を戻した。しかしその笑顔は、さっきより幾分か本物に近かった。
「わかった。では別の提案をしよう。儂の商人ギルドの本部に設置してほしい。部屋数は五つ。うち二つは最上位グレードで」
(五部屋)
ゼンは素早く計算した。標準3台、上位2台。金貨25枚。それに月額メンテナンスが銀貨10枚。
「まず、一つ体験されましたか」
「バルドスの屋敷でした」
「それは私室用の上位グレードです。本部に置く場合の想定用途は?」
「会議室だ。重要な取引の場として使う。聞こえない部屋で話ができるなら、これほど便利なものはない」
(会議室か)
ゼンは内心で整理した。商人ギルドの会議室に「聖座」を置く。それはトイレとしての機能だけではない。会議の前後に使う場として、ギルドを訪れるすべての商人が体験する。
(口コミの増幅装置になる)
「わかりました。ただし条件が一つあります」
「なんだ」
「私の設備を使ったいかなる情報も、私に漏らさないことが条件です。中で何を話されても、私は関知しない。その代わり、あなた側も私に対して情報提供を求めないでいただきたい」
エッゲルはしばらくゼンを見つめた。それから深くうなずいた。
「信用できる男だ。それを飲もう」
握手が交わされた。
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実演の時間になった。
ゼンはバルドス邸の使用人棟を借りて、持参した実演機を設置した。
エッゲルは「バルドスの屋敷で済んだ」と言ったが、ゼンは引き下がらなかった。
「今回設置するのは上位グレードです。違いを確認してください」
エッゲルは面倒くさそうに個室に入った。
五分後、出てきた。
彼は笑っていた。笑顔は崩さない男だが、今回の笑顔は種類が違った。
目の端に光るものがある。しかし、さすがに手で覆い隠す速度が速かった。
「……なるほど。確かに違う」
声が、ほんのわずかに掠れていた。
「こちらが標準グレードとの主な差分です」とゼンは紙を差し出した。
「いい。そういう説明はいい」
エッゲルは手を振って紙を押しのけた。それから少しの間、遠くを見ていた。
「ゼン、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「この部屋の中で誰かが泣いても、外には聞こえないな」
「聞こえません」
「……そうか」
それだけ言って、エッゲルは廊下を歩き始めた。
背中はいつも通り、堂々としていた。
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バルドス邸を出て、ゼンは王都の石畳を歩いた。
夕暮れの空が赤い。市場の終い支度の声が遠くから聞こえる。
革袋の中に、頭金として金貨8枚。ギルド本部の5台、工事完了後に残りを受け取る。
(また大型案件が入った)
帳簿に書き込む数字が増えていく。しかし今ゼンの頭にあるのは数字ではなかった。
商人ギルドのギルドマスターが、「会議室に聖座を置く」という選択をした。
それはどういうことか。
王都の主要な取引は、すべて商人ギルドの会議室を通る。
大口の商談、卸売り価格の決定、輸入品の割り当て、貸付の審査。
その「前後」に、重要な人物が全員「聖座」を通るわけだ。
(俺の設備が、王都の経済の動脈の近くに置かれる)
特に何かしようというつもりはない。
約束通り、中で何が話されても関知しない。
しかし、存在感が出る。「聖座を知っている人間」の輪が広がる。
ゼンは路地の角で立ち止まった。
近くの酒場から笑い声が漏れている。
通りすがりの商人二人が、立ち話をしていた。
声が届かないよう、少し離れている。しかし内容の断片が風に乗って来た。
「……ギルドマスターのエッゲル殿が、例の白い設備をお使いになったそうで……」
「ああ、バルドス閣下のところの。あれを最初に使ったのは……いや、噂では財務大臣が……」
声が遠ざかった。
(財務大臣)
ゼンは目を細めた。
バルドス子爵は確かに言っていた。「我が家の客人が使いたいと言った場合、断る理由はない」と。
財務大臣がバルドス邸を訪れる理由は、一つだ。密談だ。
(もう動いている)
ゼンは歩き出した。
設備を置いているだけで、王都の政治と経済が少しずつ「聖座」の周りに引き寄せられていく。
これは、俺が操っているわけではない。
ただ、「最も安全に話せる場所」という需要は本物で、その需要を満たせる場所が一か所しかなければ、人は集まる。
(インフラとは、こういうことだ)
前世でもそうだった。電気が来れば工場が建つ。道路が通れば街が生まれる。水道が整えば人が住む。誰かが「使わせたい」と思わなくても、あれば使われる。
ゼンは帳簿の新しいページを開いた。
収益のことより先に、一行書き込む。
「術師ギルドへ――明日」
生産速度の壁は、まだ越えていない。
案件が増えれば増えるほど、自分一人の手では追いつかなくなる。
術式の転写が可能な術師を探すこと。焼結を担える火魔法の使い手を探すこと。
「仕組み」を作るために、今度は「人」が要る。
夜風が石畳を流れた。
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翌朝、ゼンは術師ギルドの門を叩いた。
受付の青年は、ゼンの話を最後まで聞いてから、ゆっくりと首を傾げた。
「……術式の、転写、ですか」
「そうだ。俺が刻んだ術式を、他の術師が別の磁器に再現できるか確認したい。できる人間を紹介してほしい」
「术式の種類は何属性ですか」
「水魔法の精密制御系。加熱術式、水圧制御術式、遮魔術式の三種類だ」
青年は少し考えてから、奥に引っ込んだ。
数分後、別の男が出てきた。白髪混じりの、ローブを纏った四十代の術師だ。
「俺がここの術式顧問をしている。話を聞かせてもらえるか」
ゼンは実演用の設備から取り外した「術式見本板」を取り出した。
磁器の欠片に、三種類の術式が刻まれている。
術師顧問がそれを受け取り、顔を寄せた。
十秒ほど、黙って見ていた。
「……これは」
顧問の顔が変わった。困惑と、興味が混ざった表情だ。
「この術式の組み方、見たことがない。標準的な水魔法の術式と構造が根本的に違う」
「俺の固有スキルで直接刻んでいる。だから設計が独自になっている」
「……転写は、難しいかもしれない。構造が独特すぎて、普通の術師には読み解くだけで一苦労だ」
(やはりか)
ゼンは予想していた。「できない」ではなく「難しい」と言った。可能性はある。
「時間をかけてでも読み解ける術師を探している。報酬はそれなりに出す」
「……一人、いるかもしれない。変わった男だが」
顧問は少し迷ってから、羊皮紙に名前を書いた。
「ルッツという。元々王立魔法学院の研究者だったが……いろいろあって、今は独立している。術式の解析なら、王都で一番だと思う」
ゼンは紙を受け取った。
「感謝する」
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『跳ね馬の足跡亭』に戻ったのは夕刻だった。
ゴードンが帳場でゼンを待っていた。珍しい。
「何かあったか」
「来客だ。二時間待っている」
「誰だ」
「名乗らない。ただ、お前に渡したいものがあると言って、これだけ置いていった」
ゴードンがカウンターに小さな封筒を置いた。
封蝋に、見覚えのある紋章が押されている。
(……王家の紋章?)
ゼンは封蝋を親指でなぞった。確かめるように。間違いではなかった。
(早い。早すぎる)
封を切った。中には短い一文だけが書かれていた。
「明日の朝、城の東門へ。お会いしたい方がおられます」
ゼンはしばらく、その紙を見つめた。
(城から、か。財務大臣の噂が宮廷まで届いたということか)
口コミの伝播速度は、想定の何倍も速かった。
どうやら、宮廷の速度はもっと速いらしい。
ゼンは手紙を折りたたみ、革袋にしまった。
帳簿を開く。
——明日のことは、明日考える。
今日の数字を、まず書き終えなければならない。
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