第11話 金貨の壁と、出資者たち
ルッツが上下水道の整備計画の概算見積もりを出したのは、南区の感染が収束して一週間後だった。
羊皮紙五枚。地下水脈の地図、必要な配管の総延長、工事の段階分け、素材費と人件費の試算。
ゼンは数字を一つ一つ確認した。
最終行を見て、ペンを置いた。
「……金貨七千枚か」
「王都全体を整備した場合の概算だ。最低限の主要幹線だけなら金貨二千枚で第一期工事ができる」
金貨二千枚。
ゼンの現在の総資産は金貨四十数枚。月次収益が金貨二枚強。
(百年かかる)
「分割施工は可能か。段階的に資金を投入して少しずつ整備する」
「可能だ。ただし第一期工事だけでも、今すぐ資金が必要だ。計画を進めるには人手と素材の先払いが必要になる」
ゼンは立ち上がり、窓の外を見た。
個人の資産では絶対に足りない。王室の予算は動いているが、「全部を任せる」という話にはなっていない。
(資金を集めなければならない)
前世の知識が動いた。
株式会社。投資家。出資。
この世界に「株式会社」という概念はない。しかし「合資」という仕組みは商人ギルドが使っている。複数の商人が資金を出し合い、利益を分配する仕組みだ。
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次の日、ゼンは三人に手紙を書いた。
エッゲル、バルドス子爵、ライゼル財務大臣。
「テラ・スローン合資組合の設立について、話し合いの場を設けたい」
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三日後、商人ギルドの会議室に四人が集まった。
ゼンが用意した羊皮紙の束を全員が受け取った。
「この組合は、王都の衛生インフラ整備を事業目的とする。出資額に応じて、将来の事業収益から配分を受ける。聖座の設置事業も引き続き含む」
エッゲルが真っ先に口を開いた。
「出資に対するリターンはどれほど見込める」
「十年で元本の三倍を目標にしている。ただし保証はできない」
「率直だな」
「嘘をついても仕方がない。リスクがある事業だ」
バルドス子爵が書類をめくった。
「王室後援が付いているのは確かか」
「確かだ。ライゼル閣下が保証してくださる」
ライゼルが静かにうなずいた。
「私個人としても出資する」とライゼルは言った。「公的な予算とは別に、個人資産として」
エッゲルが少し目を細めた。
「財務大臣が個人出資か。それは珍しい」
「珍しくない。この事業に賭ける理由が、私には個人的にある」
誰もそれ以上聞かなかった。
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交渉は二時間かかった。
最終的な合意内容:
エッゲル:金貨三百枚(商人ギルドの集合拠出として)
バルドス子爵:金貨百枚
ライゼル個人:金貨五十枚
ゼン(事業主):現在の資産と、今後の聖座事業収益を全額投入
合計、第一期工事着手に十分な規模に達した。
書類に全員が署名した。
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帰り道、ゼンは組合の印が押された書類を鞄に入れた。
「テラ・スローン合資組合」。
正式な組織になった。
宿に戻ると、マリカが待っていた。
「ゼンさん、呼ばれたと聞いて来ました。何かありましたか」
「一つ、話がある。座れ」
マリカが向かいに座った。
「合資組合を設立した。テラ・スローンという組織が正式に動き始める。人を雇う必要がある」
「はい」
「最初の正式採用をお前にしたい。雇用の書類を作った。月に銀貨十枚。マリカ・ヴォル、清掃指導部門の主任として」
マリカは書類を受け取り、ゆっくりと読み始めた。
自分の名前が、書類の上に印刷されている。仕事の内容と、給与と、担当区域。
手が、少しだけ震えていた。
「……わたし、文字がちゃんと読めないんですが」
「読める部分だけ読め。あとで説明する」
「わたしの名前は……読めます」
マリカの声が、最後の方で詰まった。
ゼンは書類の説明を続けた。しかし途中でマリカが動かなくなった。
顔を伏せて、小さな肩が震えている。
「なんで泣いている」
「すみません……自分の名前が、仕事の書類に載ったのが初めてで……」
ゼンは少しだけ黙った。
「泣いていい。ただし、署名はしっかりやれ」
マリカは袖で目を拭い、炭筆を受け取った。
丁寧に、一文字一文字、自分の名前を書いた。
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その夜、帳簿を開いたゼンは新しいページを作った。
「組織」
代表:ゼン=アルカ
術師担当:ルッツ
清掃指導主任:マリカ・ヴォル
1号店運営:ゴードン
2号店運営:ベルト
3号店運営:ドナ
出資者:エッゲル、バルドス子爵、ライゼル個人
九人の名前が並んだ。
(俺が一人でやっていた仕事が、ここまで広がった)
ゼンはページを閉じた。
次はいよいよ、インフラ工事だ。
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