第10話 疫病の地図
ルッツが地図を広げたのは、凱旋パレードの翌々日だった。
『跳ね馬の足跡亭』の作業場を兼ねた一室。床の羊皮紙は以前より増えている。慣れてきたゼンは踏まないルートを覚えた。
「見てくれ」
大判の羊皮紙だった。王都の地図に、細い線が何本も引かれている。水色と茶色と赤の線。
「水色が地下水脈、茶色が自然の排水経路、赤が現在の感染報告地点だ」
ゼンは地図を覗き込んだ。
(一致している)
赤い点が集まっている場所は、ほぼ全部、茶色の線の下流に位置していた。そして茶色の線の起点近くには、必ず水色の線、つまり井戸がある。
「南区のこの四区画で腸鳴り病が出始めている。昨日の午後から。死者はまだいないが患者は増えている」
「感染源は」
「ここの井戸だ」とルッツは一点を指した。「北側の馬小屋の排水が地面に染み込んで、この井戸に入っている。時間をかけて汚染が進んだ結果だ」
「この井戸の閉鎖と代替水源の手配が要る」
「ライゼルに話を通した。今朝、王室の衛兵が来て井戸に封鎖の印をつけた。代替の水は城の貯水池から馬車で運ぶ手配が取れている」
(ルッツが直接ライゼルに連絡できるようになっているのか)
ゼンは少し考えてから、それが良いことだと判断した。組織が機能し始めている。
「感染区画と聖座設置区画の重なりは」
ルッツは地図を指でなぞった。
「感染が出ている四区画のうち、聖座が設置されているのは一区画だけだ。残りの三区画は未設置だ。感染者の内訳も確認した。設置区画の感染者は、三区画合計の五分の一以下だ」
ゼンは帳簿に書き込んだ。「感染率比較:設置区画 対 未設置区画 ≒ 1:5」
「まだサンプルは小さい」
「そうだ。だが、方向性は見えている」
---
その日の夜、ライゼルが宿に来た。
珍しい。財務大臣が自ら足を運ぶのは初めてだった。
「ルッツの地図を見た」
ライゼルはゼンの前に座り、書類の束を置いた。
「見ろ。これは過去十五年分の感染地点の記録だ。王国の医務局が保管していたもので、バラバラだったが今日一日かけて整理させた」
ゼンは書類を開いた。
感染地点の座標と日時の記録。それにルッツの地図を重ねたら、どうなるか。
答えは明白だった。
「一致する」
「一致する」とライゼルは繰り返した。「十五年分が、全部、ルッツの地図の汚染経路に沿って動いている。偶然ではない」
沈黙。
「動けますか」とゼンは言った。
「動く」とライゼルは即答した。「南区の未設置区画への緊急設置と、問題の井戸二十本の改良を、王室予算で手配する。設備の提供はお前に頼む。急いでほしい」
「ルッツと分担すれば三日で十台作れる。設置は並行してやる」
「それで頼む」
---
緊急設置の三日間、ゼンとルッツは睡眠時間を削った。
焼結だけ火魔法使いの職人に外注し、成形と術式刻印に集中した。
マリカが清掃指導員として南区の担当を引き受けた。設置と同時に絵マニュアルと清掃道具を配る体制が動いている。
設置から四日後、ルッツが新しい数字を持ってきた。
「南区の新規感染者が止まった」
「止まったのか」
「昨日からゼロだ。流行が始まって十日で、封じ込めに成功した」
ゼンはその数字をじっと見た。
(これは初めてだ)
疫病の流行が「始まってから十日で収束」。前世の知識では当たり前のことが、この世界では「奇跡」に近い。
---
翌日、南区で一人の男がゼンを探して宿にやってきた。
四十代の大工だった。顔に苦労の線がある。名はヘルト。
「あんたが聖座を作った人か」
「そうだ」
「南区の設置を急いでくれた人か」
「王室と一緒にやった。俺だけではない」
男は少しの間、黙っていた。
「……子供が三人いる。今年また疫病が来たら、去年みたいに誰かが死ぬと思ってた」
声が震えていた。
「去年は長男を亡くした。十二だった。腸鳴り病だ。何も手を打てなかった。今年も怖かった。ところが今年は流行が止まった」
男は目を押さえた。大きな手で、顔全体を覆った。
「なんで、なんで今まで誰もこれをやらなかったんだ……」
ゼンは何も言えなかった。
やらなかったのではない。知らなかったのだ。
しかしその言葉は、今ここで言うべきことではないと思った。
「これからやる」とだけ言った。
「……頼む。続けてくれ。俺も何か手伝えることがあれば言ってくれ」
「大工か」
「そうだ」
「ならいずれ頼む。配管工事の仕事が出てくる」
男は顔を上げた。目が赤い。しかし目の奥に、何か力が宿っていた。
「絶対に来る。待ってる」
---
夜、帳簿を閉じる前に、ゼンは一行書き足した。
「南区緊急対応完了。感染収束確認。大工ヘルト:将来の配管工事要員候補」
それから、ルッツが広げたままにしている地図を眺めた。
赤い点が、今日は増えていない。
(やっと、一つ)
目に見える結果が出た。数字ではなく、人が助かったという結果が。
ゼンはランプを消した。
もし面白かったら、下の評価に★★★★★をポチッと押していただけたら、とっても嬉しいです!




