必死の謝罪、嬉しいです。……それで、やり直せると思いましたか?
「もういやっ!」
ローズマリーは、そんなふうに声をあげたディアナに突き飛ばされた。
突然のことで足がもつれて視界がぐるりと回る。慌ててそばの窓枠に手をついて留まろうとしたけれど、運悪くその手は空をきる。
(……っ)
思わず衝撃に備えて目をつむった。しかしそれと同時に、背後から抱き留められて、ゆっくりと目を開き振り返ると支えてくれたのは友人のアルバートだった。
「あ、ありがとう」
「ああ」
慌ててお礼を言うとアルバートは小さく頷いた。それからすぐに向かいにいるディアナの方へと目線をやった。
同じくローズマリーも彼女に視線を向ける。
ディアナはローズマリーのことを涙目で見つめていて、クスンと鼻を鳴らしてから口を開く。
「も、もういやなの。あたし、あなたにこれ以上いじめられているままでいたくない!」
必死になって叫ぶディアナの声は廊下に響いた。
寮へと帰ろうとしていた友人たちもこちらを見る。その中にはローズマリーの婚約者のブレンダンの姿もある。
ブレンダンは一目散にやってきて、ディアナのことを支えるようにその肩を抱いた。
「ディアナ」
「ブレンダンッ」
二人はお互いに名前を呼んで視線を交わす。それからディアナはそばに寄り添ったブレンダンに勇気をもらったようで、震える拳を握って言う。
「あたし、ずっと我慢してきた! あなたから高圧的に接されて馬鹿にされて! 見えないところではずっといじめられてあたしずっと怖かった!」
ローズマリーは酷く驚いてしまって声が出なかった。
第一にディアナのことをいじめたことなんかない。
むしろないがしろにされていると感じていたのはローズマリーの方だ。
幼なじみで魔法学園までこうして一緒に来て、ずっと一緒にやってきた。ディアナのことを悪く言ったことも、思ったこともこれっぽっちもない。
先ほどだって、帰ったらきちんと今日のテストの復習をしなければいけないと言い含めただけだった。
途端に爆発したディアナに、ローズマリーは意味が分からない。
「それなのにあなたと来たらずっとあたしに付きまとって来てっ、あたしもうっどうしたらいいかって、そう思ってっ」
「……ディ、ディアナ?」
「そんなふうにしらを切るのはやめてよっ! 心の中では、あたしのこと笑って、陰口も言っていたの知っているんだから! あたしはちょっと、て、天然? みたいなところがあるけどっ馬鹿じゃないの!」
次々に責め立てる言葉を言われて、ローズマリーは言葉を失ってディアナを見つめていた。
それに、ディアナのそばについているブレンダンにも目線をやった。
「相談したら、皆が言ったわ! あなたが悪いって! 助けてくれるって! 特にブレンダンは……今のあたしのとても大事な人! あなたからも何か言ってあげて」
ディアナにバトンタッチされたブレンダンは深く頷いて、一歩前に進み出た。
決意に満ちたその表情はどこか誇らしげで、ここ最近妙にローズマリーに対して距離があったことに今更ながら合点がいった。
入学してから二年の付き合いなのでそういう時期もあるだろうと思っていたがそうではなかったのだ。
思い返せば、ディアナとブレンダンは、以前よりも距離が近くなり親しくなっていたような気がする。
「ローズマリー」
「……」
「俺は、ディアナを信じる。……こうなる前からずっと話は聞いていた」
ブレンダンは裁判官みたいな顔をして、ローズマリーに厳しい表情を向ける。
「俺が君にそれとなく言ってもいつも君は、ディアナのことを馬鹿にして偉そうなことを言っていたな」
「そんなつもりは、まったくありません」
「ほら、これだ。君はいつも自分が正解みたいな顔をして、ディアナに付きまとっていじめていた、それに客観的に考えてみてもディアナのような子が嘘なんてつけるはずないだろ」
「……」
ブレンダンの言葉に表情をこわばらせて返すと彼はそのローズマリーの毅然とした態度に大きなため息をつく。
そしてそれが証拠だとばかりに、そばにいた仲良くしている生徒たちに視線を向けた。
「一方君は一目見ただけで意地の悪いことをしそうだとわかる。ディアナからいじめられていると聞いたときしっくりきたぐらいだ。俺の目は節穴じゃない、その性格の悪さを簡単にごまかせるなんて思ったら大間違いだ」
「……そんなふうに思っていたんですか」
「ここまで来て、ディアナをここまで追い詰めて! 謝罪の一つもないなんてな! 性悪にも程がある。そんな人間に俺の婚約者が務まるわけがない」
そうしてブレンダンは、ディアナの訴えをローズマリーとブレンダンの婚約についての話につなげた。
話が大きくなって、通り過ぎる生徒たちもこちらをちらりと確認する。
気まずい視線だった。
「俺は君のような人間に騙されない。うまくやっているつもりだっただろうが残念だったな。ローズマリー」
「……」
「俺はすでに婚約破棄の申し立てを準備している。君から解放されるのも時間の問題だ……それが報いだ。君が、ディアナをいじめた当然の報いってものだ」
彼はきっぱりとそう言い放つ。
ディアナはほうっと頬を染めて感動した様子でブレンダンに手を伸ばす。彼の首に手を回してぎゅっと抱きしめた。
「あ、ありがとう~……怖かった、あたし、頑張ったよぉ?」
「ああ、よくやったな。俺もいい機会を得られてよかった、さぁ、もう行こう。あんな奴は放っておくのが一番だ」
そうして二人は笑みを交わして、その周りにいた友人たちも笑みを浮かべた。
「怖い顔だったね」
「なんか憎たらしいよね」
「だな、ちっとも悪いと思ってない顔だ」
そしてそんなふうにいいながら、可愛くゆるゆると笑っているディアナを慰めながら去っていく。
どうやら、学年が上がってクラスが分かれたことによって、以前はローズマリーとも仲が良かった友人たちはすっかりディアナの味方になってしまったようである。
残ったのは、そばにいたアルバートだけだった。
アルバートはキョトンとして、去っていった友人たちとローズマリーのことを交互に五度見ぐらいした。
相当混乱しているらしい。
そして「あー」ととても気まずそうな声を出す。
それから「そ、相談乗るぜ!」と投げやりに言った。
それからアルバートと場所を移動して、ローズマリーたちは庭園のベンチに座っていた。
隣にいるアルバートは未だ気まずそうにしていたが、カリカリとこめかみあたりを掻いて、首を傾げたり、腕を組んだりしていた。
しばらくしてローズマリーが衝撃に折り合いをつけたころには、アルバートはぽつりと言った。
「一応、聞くけど。嘘だろ?」
その言葉に、ローズマリーは苦い笑みを浮かべながら返す。
「もちろん」
「だよなぁ、だってお前、いじめとか絶対しないだろ」
「……ありがとう」
「別にお礼言うことじゃなくね」
お礼を言うと彼は少し照れた様子で否定してそっぽを向く。
しかし今のローズマリーにとっては、たった一人でもそうして信じてくれる人がいることが、なにより嬉しいことだった。
それに、ブレンダンや友人たちが信じてしまったのも無理はない。そう咄嗟に思ってしまったことが自分の中でもショックなことだ。
「そうでもないですよ。ディアナと比べてみると私の方がいじめをしそうだ思うのは無理もないと思ってしまいましたから」
素直にそう言うと、アルバートはすぐにこちらに向き直る。
「そうか? ……俺はそんなことないと思うぞ。っていうかそれって単に外見の話だろ、可愛くて天然っぽいとか、性格が厳しそうとか」
「……そう、ですね」
「そんなもんしか見て判断できないって、やばいんじゃねぇの、ブレンダンもさ」
アルバートは当たり前のことのようにそう言って、ブレンダンのことも話題に出す。
ブレンダンは伯爵家の跡取りで侯爵令嬢であるローズマリーの将来の結婚相手だ。
だからこそ簡単に、外見しか見えていない愚か者と断じるのには抵抗があった。
けれど、彼は婚約破棄を望んでいるようだし、ローズマリーではなくディアナをかばった時点で、ローズマリーだってブレンダンのことをかばう必要はないだろう。
それは楽ではあるけれど喜ばしいことではなくて、重たいため息が口をついて出た。
「はぁ……でも、婚約者だったんです。ディアナとも普通に距離の近い幼なじみだった」
それが突然、違う物になってしまったことをローズマリーは純粋に悲しく思っている。
それを声音から察して「そうだな。簡単なことじゃねぇか」とアルバートは考えを改める。
「突然のことだもんな。俺も全然気がつかなかったぜ」
「ええ、…………」
私も、そう続けようと思ったけれども、ローズマリーはだんだんとディアナからないがしろにされているような気もしていたので、まったくの想定外だったとは言い切れない。
そういうことを見逃していた自分が悪かったのだろうか。
もっと、うまくやることができたかもしれない。
その可能性は重たくのしかかってきて、午後の温かな日差しがぽかぽかと体を温めてくれるのに気分は上がらなかった。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が走って、ローズマリーの思考は後ろ向きに進んでいく。
突然のことに怒りよりも、がっくり来る気持ちの方が強くて立ち上がるのにはずいぶんと苦労しそうだった。
けれども、隣にいるアルバートはそれに引きずられることはなく、別の方向に話を持っていった。
「だとしても、あの野郎はずいぶんと惜しいことをしたな。これが報いだ! なんて言っていたが、ローズの方がディアナよりもずっと強いし、優しいし周りが見えてるし、いいやつだ」
「……」
「それにお前、実際のところディアナには勉強を教えてやってただろ」
「……」
「ブレンダンの奴だって、たしか、爵位が上のローズとの婚約を決めて跡取りの地位に座ってるんだったんじゃないか?」
アルバートは気さくに話を続ける。
アルバートとはディアナと同じぐらい昔からの仲なので、そのあたりの事情には詳しいのだ。
彼はローズマリーと同じく侯爵家の出身で、ブレンダンやディアナのことを信じた友人たちよりも多くのことを知っている。
「ブレンダンのやつ跡取りになってさえしまえば、好みの相手を選べるとでも思ってるんだろうが、それほど甘くないだろあいつ、次男だし」
「……ええ」
「お前をもっとずっと大切にするべきだった。後悔するだろうな。ローズはただディアナのことをよく面倒見てやっていたそれだけだろ」
淡々と気さくに情報を述べていくアルバートに、ローズマリーも話を聞けば聞くほどそんな気がしてくる。
それにアルバートの言葉は、どれもこれもローズマリーが納得できるような物ばかりだ。
きちんと考えてみれば、あんなふうにしたブレンダンがただで済むとは思えない。
むしろ、アルバートの言う通り後悔するだろう。
絶対に戻ってくる、それには確証があった。なんせ、ローズマリーは父からの教えを受けてディアナのことを特別フォローしていたのだ。
廊下で、それもあんなに大きな声で糾弾したのだから、それを見ていた人間も多くいる。
ローズマリーがあの侮辱を証明するのに困ることなんてないはずだ。
「……」
「落ち込むのはもちろんわかるぞ。でも自分を責めるのは違うだろ。少なくとも俺は違うと思うな、ローズは…………偉い!」
アルバートは言葉を区切って、ローズマリーを言い表す言葉を考えた。それからぱっと思いついた顔をして決め顔でローズマリーに言った。
そのアルバートの顔つきは温かな日差しに照らされてとてもハンサムに見えてローズマリーは少し笑う。
(偉いですか。褒められてしまったわね)
長らくローズマリーはそんなふうに人に褒められたことはなかった。
家は継がないが長女なのでできて当たり前と言われることが多くて、アルバートの言葉にじわっと胸が熱くなって、ついつい嬉しくなってしまう。
こんなふうに偉いと言ってくれる人がいるのに自分を責める、それはきっとやるべきではないことだ。
自分は間違っていなかった。
けれども道を別つことになった。
そして、ディアナもブレンダンもローズマリーのことを強く傷つけた。
それだけが事実だ。
「偉い、ですか」
「ああ、偉い。俺なら、人の面倒なんて見ないし、あの場でぶん殴ってる」
「……それは、自重してくださいね」
「ジョーダンだ。それぐらいのことされたって意味」
「そうですね」
アルバートの言葉は軽そうに見えて、とてもローズマリーの胸に響く。
優しくて思いやりがあって、よく思い出してみるとひねた態度で接してきて、全然優しくもしてくれなかったブレンダンとは大違いだ。
どちらの言葉をより大切にするべきかと考えればおのずと答えは出るだろう。
気持ちはやっと上を向いて、ローズマリーは空を見た。
雲一つない快晴でどこまでも透き通るような青空が深く深く続いている。
「……ありがとうございます。アルバートやっと気持ちを切り替えられました」
「そりゃよかった」
「それで言えることは、このままでは済ませないということですね」
「なにかするのか?」
「ええ、ブレンダンが今日、私のことを信じずに、ディアナのことを信じた結果を……報いを見せたいなと思いました」
ローズマリーは、優しい口調でそう言った。目は薄く細められていたけれど笑ってはいなかった。
『ただのちょっとした悪戯みたいな気持ちだった。
幼いころから優秀だったローズマリーが少し困ればいいと思っただけだったの。
でもそれで本当にあなたのことを傷つけちゃった、わかってる。ちゃんと理解している。だからお願い、許すって言って、あなたのお父さまに』
ある日、ローズマリーにそんな手紙が届いた。
それはディアナからのものであり、許しを請う手紙だった。
要約すると上記のようになるが、実際はもっとたくさんのことが記載されていた。
ローズマリーを糾弾した後のことから、実家に呼び出されて領地に戻ることになったこと。
家での騒動、今どんなふうにディアナが扱われているか、本当はブレンダンにそそのかされただけなんだとも。
そういうことが同情を誘うように事細かに記載されていた。
ディアナは長い文章なんて書くのは大の苦手なので、よほど切羽詰まっているか、もしくは周りには彼女を監視している人がいて、書くように命令されているのかもしれない。
どちらにせよ、もう魔法学園には戻ってこられないだろうことは確かだ。
しかし、ローズマリーはそんなディアナからの手紙を読んでもまったく心は動かなかった。
むしろ少しスカッとしたくらい。
それにこうなることぐらい簡単に予想できただろう。
それともディアナはローズマリーがなにもせず、しくしくと泣いて婚約者を奪われたことを受け入れるだけだと思っていたのだろうか。
(落ち込んだことには落ち込んだけれど、なにもしないなんてそんなことあるはずないですよ)
そうして父の言葉を思い返す。
ローズマリーがディアナに特別良くしてやっていたのは、なにもローズマリーが彼女のことを特別好いているからではない。
父は常々言っていた『持つ者の義務を果たせ』と。
侯爵家であり、経済的にも時間的にも余裕があって恵まれて生まれた自分たちは、それによって得たものを周りに与えなければならない。
ローズマリーは後を継がない、相続するものはない。けれども侯爵家に生まれて受けた教育やはぐくまれた知能や才能、そういうものは父の言う持つ者の義務を発生させる。
そして、ディアナとローズマリーは遠い親戚の血筋で彼女は子爵家の娘。
ディアナは幼いころから抜けているところの多い、問題の多い子供だった。
そういう者に与えてやることができる人になれ。
そんなふうに言われてここまで、ディアナのために時間を割いてきた。
それを父も誇らしそうにしていた。けれどもディアナは与えられるものを受け取りつつも牙を向いた。
それは、持つ者の義務を大切にする父にとってなにより許しがたい行為で、最も敏感な部分だ。
ローズマリーは、きちんと間違いなくそれを父に伝えただけである。
一週間もたたないうちに、ディアナは学園から去ることになり、瞬く間にブレンダンまで飛び火した。
しばらく二人がいない間は静かなものだった。元々、座学の成績によってクラスも離れていたのだし、さほど大きな違いがあるわけではなかったが。
一ヶ月後、無事に婚約は破棄されたと実家から手紙が届き、ローズマリーの父へのお願いも許可が下りた。
父はそれなりに優しい人だけれど、優しいだけでは損をするということを心の底から知っているので、ローズマリーのことを止めはしなかった。
そんな中、ブレンダンは魔法学園に戻ってきた。
彼はなんだか少しやつれているような印象を受ける容姿になっていて、顔色が悪い。そして戻ってきてすぐにローズマリーのことを呼び出した。
ローズマリーとブレンダンがいるのは寮内にある生徒が自由に使える個室の談話室で、屋敷にある応接室を小規模にしたような場所だ。
簡素な額縁の絵画が掛けられていて部屋付きの侍女がいてお茶を出す。
最低限の貴族らしさを担保してくれる場所で、ローズマリーはブレンダンと向き合った。
彼の目元には酷い隈がついていて、その瞳はどこかうつろだった。
「……ともかくよかった、ローズマリー。こうして会えて、会ってくれてありがとう」
それからローズマリーが対応してくれたことについてお礼を言う。
今までの彼はそんな態度を一度たりとも見せたことがなかったので、実家に戻っていた間に色々なことがあったのだろうと考えた。
「いいえ……私もあなたに会いたいと思っていましたから」
彼の言葉に、ローズマリーは少し考えてからそう言った。
ブレンダンはローズマリーの言葉に少し驚いてそれから、瞳をキラリと輝かせた。
「そうか……そうだったんだな……」
なにかを噛みしめるように言う彼に、ローズマリーは言葉を返さない。
嘘ではない、けれどブレンダンが受け取っている意味でもない、ということは言わないでいた。
「君はよく考えたらずっとそうだった。そうして穏やかで、あの女とは違っていた、それに俺はようやく気が付いたんだ」
彼は語りだす、あの女とはブレンダンが一心にかばって、自分の信じたディアナのことなのだろう。
しかしローズマリーはすました顔で首をかしげて問いかけた。
「あの女? ですか、すみません少々話が見えてこないのですが」
「あ? ああ、そうか。そうだよな。ちゃんと話させてくれ時間はある」
「……そうですね」
ブレンダンは切り替えて、困りながらも笑みを浮かべて少し気さくに口を開いた。
「あの件が起こる前から……実は俺はあの女にずっといろいろなことを言われていたんだ」
「……」
「ローズマリーからいじめられているとか、ローズマリーはわざわざやってきて自分を馬鹿にするとか、昔からそうやって貶められてきたとか」
「……」
「それにやればできるのにいつもローズマリーに邪魔されて課題の提出もテストの準備も全部、ローズマリーのせいでダメになっているって」
「……」
「それに、ローズマリーがあの女に執拗に構うのは、あの女の実家が人知れず大きな権力を握っているからとか言ってたんだ。俺も最初は信じていなかったのに、同じことを何度も言われるうちに段々と信じたくなってしまったんだ……」
ブレンダンは、まるでディアナが狡猾に彼を騙したかのようなことを言う。
けれど、ローズマリーはディアナからの手紙で、ディアナの側はブレンダンから、決別するべきだと言われたと主張していたことを思い出す。
(……どちらが真実にしろ、言い訳がましい人達ね……)
「あの時の俺はどうかしていた、君にいじめられているというディアナにそそのかされて、真実を見誤った」
ブレンダンは表情を歪ませて続ける。
「でも全部わかったんだ。領地に戻って話をしてみれば彼女の話はまったくの嘘だった。君は幼いころから優秀で、なんでもあの女のことを助けてやっていたそれは善意に他ならなくて、それを与えるのが侯爵家の矜持なんだろう?」
自分は理解しているとばかりにローズマリーに問いかける。
「それを聞いて俺はあの女を心底恨んだよ。俺を惑わせて、結局自分も破滅して、それでも俺の結婚相手になりたいなんて……俺はごめんだ、だって俺には君しかいない」
「私しか、ですか」
「そうだ。俺は良く思い返してみたら、君のことを本当に愛していた。君のおかげで俺の手元にある多くのものが当たり前すぎて気がつかなかったんだ。見落としていた、あの女のせいでそれに気が付けなかった」
ブレンダンはラブロマンス劇の主人公になったみたいに、胸に手を当てて片方の手で訴えかけるようにローズマリーに手を伸ばす。
この苦しみと愛情をわかってくれ、とばかりに、一心にローズマリーを見つめる。
しかし、先程同様に、ブレンダンがローズマリーのことをどんなふうに悪く言っていたかディアナからの手紙で知っているので、その言葉は真っ赤な嘘であることなど考えるまでもない。
そしてならばなぜ彼がこんなことをしているのかというと、それはローズマリーを自分の婚約者にして、危うい跡取りの地位をどうにか繋ぎ止めたいからだ。
アルバートが言っていた通り、彼は自分の現状を正しく認識し、惜しいと思ってこうして戻ってきたのだ。
「どうか、水に流してまた俺の手を取ってくれないだろうか。ローズマリー、俺は君を愛している。それが、今回のことでより深くわかったんだ」
真剣に彼は嘘をつく。
しかし、ローズマリーにとってそのしょうもなさがちょうどよかった。
嘘をついて、自分の本音を殺してまで、地位に縋りつこうとするその行動を待っていたとすらいえる。
だからこそ少し笑みを浮かべて、ローズマリーは言った。
「……なら、ブレンダン。一つ確認していいかしら」
「ああっ、なんでも」
「つまり……あなたの目は節穴で、くだらない妄言に騙されるような間抜けな男で、私を信じなかったくせに他人のせいにして恥ずかしげもなく戻ってくる男、ということでいいですか?」
首をかしげて、いつも通りの穏やかな声で彼に聞く。
もちろん侮辱しているつもりはある。むしろ侮辱しているつもりしかない。
けれども事実だろう、そしてブレンダンは今、それを否定なんてできない。
だって、ローズマリーが必要だから。
「…………は?」
「だから、あなたは人を見る目もないのに、浮気相手を信じて行動を起こして自分の首を絞めるようなことをする人で、それでもこんな自分の元にもどってきてほしいと願い出るプライドのかけらもない男、ということでいい?」
「は?」
ブレンダンは威嚇するように途端にピキッと青筋を立てて、頬を引きつらせた。
しかしローズマリーは余裕を崩さない。
ブレンダンが、謝罪から態度を変えると「違いますか?」とさらに聞いた。
ブレンダンは、目を見開いてローズマリーのことを見つめる。
「……」
「……」
談話室の中には緊張感が走って、他人がいたら息が詰まりそうだと感じるぐらいだと思う。
けれどもローズマリーは彼がどう出るかと少しワクワクしていて、何度かブレンダンが怒りにぐっと拳を握った時には、ドキドキした。
しかしブレンダンは、行動に移さない。
一生懸命に自分を落ち着かせるように細いため息をついて、小さく拳をふるわせて、それでもぎこちない笑みを浮かべて顔をあげた。
「わ、悪かった。そうだよな。それぐらい怒ってるってことだよな。お、俺は、どうしようもない男だ」
必死にこらえて、ローズマリーに媚びるために、ローズマリーの言葉を肯定した。
「そうね、本当に。ディアナの言い分を信じて勝ち誇った顔で私を断罪しているつもりのあなたは酷く滑稽でしたよ」
「……」
「それですぐに学園からいなくなったと思ったら。わかり切っていた目に合って、騙されたと言い訳しながら私の元にやってくる……情けないことをする人ですね」
「……そ、そうだな。本当に、悪かった、ユルシテクレ」
ローズマリーの言葉にブレンダンは何とか必死になって言葉を返す。
彼は自分の将来のために必死になって、気持ちを押さえ込んで言葉を紡ぐ。
どんなに侮辱されようとも、彼は反論することもできないし、やったことは事実で、ローズマリーの言葉を肯定して許してもらうしかない。
ブレンダンの頭の中には、今だけだ、我慢しろと自分に言い聞かせる言葉でいっぱいだろう。
認めた彼の言葉にローズマリーは目を細めて、それからブレンダンの願いに立ち返る。
「それで? あなたの望みは私とやり直すこと、でしたね」
「あっ、ああ、そうだ!」
やっと屈辱的な時間が終わって、自分の願いが果たされると思った彼は、バッとローズマリーに視線をやって、深く頷いた。
「こうして謝ってくれたし、自分の非も認めてくれた……その姿勢は大切なことですよね」
「ああ、これからはもう間違えないようにする、絶対に後悔させない」
「そうね。……大丈夫ですよ。ブレンダン、私はもうあなたに後悔させられることはないと確信していますから」
言いながら、ローズマリーは、ソファの座面に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう……信じてくれて」
ローズマリーの言葉を、ブレンダンは『信用しているから後悔なんてするはずがない』と思っているという意味で受け取る。
彼は、立ち上がったローズマリーに少し首をかしげながらもその動向を見つめた。
もうこれで大丈夫だと安堵している様子で、その顔を最後に一目見てから、ローズマリーは扉を開いて、外を見た。
そこにはあらかじめ呼んでおいたアルバートの姿があった。
アルバートは、出番が来たことを察してニコッと笑ってそれからその顔のまま中へと入って、ローズマリーの腰を抱いてブレンダンを見つめた。
「違いますよ。ブレンダン。あなたに後悔させられないと思うのは、あなたを信じているからではありません」
ブレンダンは寄り添った二人を見て、目を見開く。
「あなたのことなんてもう信用しないからです。でも謝罪とあなたの後悔と無様でプライドのかけらもない懺悔はきちんと受け取りました、ありがとうございます」
「悪いな、すでにローズマリーは俺のものだ。今更お前の手を取ることなんてありえない」
寄り添ったアルバートははっきりと口にする。
「許しなんてしませんよ。私を信じなかったあなたの事を心底、嫌いになりました。だから、あなたの手を取るわけもない」
「……」
「それに見る目もなくて、簡単な嘘に惑わされて、矜持も何もない人なんて誰が魅力的に思うのかしら、誰が傍にいたいと思うのかしら」
「……」
「これが、報いですよ。ブレンダン」
先ほどまでのブレンダンが認めた言葉を並べ立てて、口にする。
ブレンダンからすればそれを言うことが、ローズマリーとよりを戻すための唯一の手段と思っていたからこそ認めた言葉であることなど理解している。
けれども、そんなの甘すぎるだろう。
そんな程度で許すはずがない、それがわからないなんてブレンダンはやっぱり物事を見抜く目がないのだ。
最初からあきらめて、自分のやったことを後悔して謝罪だけをして欲を書かなければこんな目には合わなかったのに。
「これが、あなたが起こした行動の報いです。よく、その目に刻んでくださいね」
ローズマリーは今までの優しい声をやめて、怒りをにじませて最後にそう言った。
ブレンダンは長らく、黙ってそれから椅子を蹴とばすようにたちがあった。
「ふざっ、ふざけんなぁ!!」
怒鳴り声をあげて、こちらに突っ込んでくる彼に、ローズマリーは杖に手を伸ばす。
しかし、アルバートが前に出る方が早く、アルバートは簡単にブレンダンの拳を止めて、代わりに拳で軽く顔をごつっと小突いた。
「ぶぐっ」
驚いてブレンダンは鼻を押さえて後ずさり膝をついた。
たらりと鼻血が垂れて、「うゔ」と小さく呻いて、血が出ているのを見ると顔を青くする。
それでもブレンダンは「ふざけんな……ふざけんなよ……」とつぶやいていた。
しかし、アルバートはすぐに俯いたブレンダンの髪をわしづかみにして、いつものお調子者の声ではなく、低く地を這うような声で言った。
「お前こそ、ふざけるなよ。殴りかかれば勝てるとでも思ったのか? お前よりずっとローズの方が魔法もうまいだろ。お前になんてもったいない人だって、いい加減認めろ」
「……っ」
「身の程知らず、次、彼女になにかしようとしたら俺は容赦しないぞ」
ローズマリーからはアルバートの顔は見ることができなかった。
けれども、アルバート越しにブレンダンの表情が見えて怯える彼に、きっとアルバートは怖い顔をしているのだろうと思う。
しかしブレンダンが崩れ落ちると、アルバートはすぐに振り返った。それはいつもと同じ気軽な笑みだった。
「行こう。ローズ、もう用はないだろ」
「……ええ、そうですね」
ローズマリーはいつもと同じ調子のアルバートに安堵して、それから歩き出した。
もうブレンダンがどんな顔をしているかなど興味はなかった。
ローズマリーとアルバートは正式に婚約している。
ディアナに糾弾されて翌日の事、絶対に戻ってくるブレンダンにすでに手遅れで、自分のやった事の報いを見せつけるために協力してほしいと言えば、アルバートはローズマリーとの婚約を二つ返事で了承した。
ローズマリーとしてはもちろんその後解消する関係のつもりでいた。
しかし、両親たちも案外その気になるのが早く、婚約者の裏切りという機会を元に、もともと思いあっていた二人が協力して打ち負かしたそんなふうに映っているらしい。
そして、両親が納得していて、アルバートが拒絶しない以上は、婚約破棄をする理由がない。
ただの作戦のつもりだったが、悪くない組み合わせであると周りが納得した以上、アルバートとローズマリーは話し合ってこの婚約を前向きにとらえることにした。
けれども一つ問題点がある、それは恋愛結婚だと勘違いしている家族から、お熱い二人を祝うような手紙が届くことである。
きっとアルバートもこれには困っている事だろうと思い、さっそく、毎日ともに登校しているアルバートに言った。
「おはようございます、アルバート」
「はよー」
「ところで、今日私、お兄さまから手紙をもらったんです」
適当に歩き出すアルバートに、ローズマリーは隣を歩いて言った。
「よかったな。なんの話だったんだ?」
「……それが、恋愛結婚をするなんて羨ましいって」
「……」
「そうじゃないって、家族たちにも言っているのにどうにも、納得してくれないんです。あなたもそれで困っているのではないかって思って」
どうして、歳を取った人間というのは、若い二人のこういう話が大好物なのだろう。
好きでもいいけれど、決めつけるのはやめてほしいと思う。
きっとアルバートも同じようにうんざりしているはずだろうと思って、ローズマリーは彼を見た。
それにこれ以上言われるようなら、二人で実家の方に帰省して、事情説明をして回ろうかとも考えていた。
「そうだな。俺も同じようなこと言われるぞ」
「そうよね」
「でも、困ってはないな」
「どうしてですか?」
「だって、嬉しいし」
アルバートはいつも通り気さくに笑って、朝日に照らされて、その笑みはなんだか輝いて見えた。
しかしローズマリーは予想外の答えにぽかんとした。
そんな恋愛結婚だと思われて嬉しいなんて……恋愛結婚願望があったなんて案外ロマンチストだったのだろうか、と考える。
「ローズが俺のことを恋愛的な意味で好いてくれているって言われてるみたいで嬉しいぞ。まぁ、実際はそんな理由じゃないけど」
けれどもローズマリーのその考えも違ったらしくアルバートはよくわからないことを言った。
「どうして、私があなたを好いていたら嬉しいんです」
咄嗟に問いかける。しかし言っていて、それが嬉しい答えなど一つしか思いつかなかった。
しかしまさかそんな都合のいい話があるのかと自分の考えを否定する。
そんなローズマリーにアルバートは、機嫌がよさそうに手を伸ばして、ゆるりとつなぐ。
「俺がローズを好きだから。むしろそれ以外ないだろ」
「……」
「ローズが嫌なら、否定して回ってもいいけど、俺は嬉しい」
ローズマリーのことを覗き込んでアルバートはニコリと笑う。
その表情にローズマリーはふいに胸が高鳴って、つい彼の手を強く握った。
「……」
「……」
「嫌だったか?」
そのまま視線を逸らすローズマリーにアルバートは問いかけた。
その言葉に小さく首を振る。
ローズマリーはそっぽ向いて顔が赤くなっているのがばれないようにしながら「驚いただけです」とつぶやくように言ったのだった。
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