後編
ヘンリー・グレイは頭を抱えて自室の床に蹲っていた。
そこにノックもなくズカズカと入って来ると、腰に手を当て仁王立ちで顎をしゃくり上げて女が怒鳴った。
「泣き虫ヘンリー、あんたやる気あんの?何メソメソしてるの、自業自得でしょ?家に招待しといて、『初めまして』って。しかもその一言が出るまで30分、挨拶の後彼女が暇を告げるまで30分。良く我慢してくれたわよ、あんたねえ、乙女の時間は貴重なのよ。3年間も同じクラスで過ごした相手に『初めまして』なんて、何やってんの、嘆かわしい」
この女、ヘンリー・グレイの実姉メアリー・グレイ公爵令嬢である。
公爵令嬢とは思えぬ物言いであるが、彼女はこの国の社交界を牽引している若きカリスマであり、完璧に内と外で被る仮面を変えることが出来る為、外では天女、内ではの暴君と呼ばれ内側の人にはひどく恐れられているのである。
「姉上、傷ついている弟を慰めてくれなど、姉上に求めてはいない。せめて今少しそっとしておいてくれないか」
ヘンリーが、力の無い目を向けてメアリーに希望を告げるが、
「甘い甘いわ大甘よ、あんたわかってんの?後ろがつかえてんの。仕切り直しの泣きのもう一回をもぎ取れたのは、泣き虫ヘンリーなりに頑張ったようだけど、そんなことよりなぜ長々と黙り込んでいたのよ。もっと熱く、強く、自分の中に迸る愛のパッションをキチンと言葉でアピールしなかったの。あんたの次、オーガスタになったわよ、あんな奴に奪われていいの?」
メアリーは意に介さず、人差し指をヘンリーの目の前にビシッと向けてそう言った。
「え、あいつ、婚約者がいたはずじゃ、」
「甘いわ、本当にどうしてこんな大甘なのが後継なのかしら。あんたが継いで侯爵家になった途端に領地取り上げになるんじゃないの?情報戦は貴族の生命線よ。先日の卒業パーティでオーガスタは婚約者を連れてなかったでしょ?その前の週末に、本人有責で破棄されたのよ」
「なんで」
ヘンリーは目を見開いて驚き声をあげる。
「浮気がバレたからにきまってるじゃない、しかも婚約者の義妹よ。後妻の連れ子とヨロしくしているのを婚約者が見つけてしまって、大騒動よ。その日の内に婚約破棄、ついでに義妹も後妻と一緒に追い出されて父の侯爵も引責で息子に交代、その後は独り領地の屋敷に蟄居されたそうよ」
メアリーが事も無げに、他家の内情を然も当然とばかりに説明するのだった。
「姉上、どうしてそんな詳しく。まるで本人に聞いたみたいに知ってるんだよ」
「本人に聞いたのよ。あんたのパートナーで参加した時彼女が見えなかったから、お手紙出したのよ『お変わりありませんか』って。そしたらお茶会に誘われて、そこで顛末を聞いたのよ。そんなことより、そんな節操のないオーガスタがジェマイマに乗り換えようとしてるのよ、あんた良いの、いえ良くないわ、彼女は貴重な存在よ。あんたが無理なら、来週の順番を譲りなさい。私が適切な相手を見繕うから」
またまた、メアリーがビシッと人差し指をヘンリーの顔の前に突き立てて、厳しい口調でそう命じた。
「ダメだ、ダメダメ。次はキチンと話すから、順番を譲ることなんて出来ない。だいたい姉上が用意するって誰を宛がうつもりだ」
ヘンリーが、メアリーの指先をそっと避けて、答えると、
「第2王子のナイジェルよ」
「3つも年下じゃないか、この春学院に入学だろ、まだ子供だ」
「いいのよ、我が王国に婚約者が居るって言うのが大切なのよ、このままじゃ彼女、貴族籍離脱して平民になって他所の国に移住しちゃうわ。そんなの我が王国の大損失よ。とにかく彼女はこの国に居てさえくれたらいいのだし、王家に取り込めたら尚良しよ」
メアリーはフフンと更に顎をしゃくり上げてそう答えた。
「な!移住の話はありそうだが、王家に取り込むとか軽く言うなよ。彼女はそう言う野心が無いんだから」
ヘンリーは彼には珍しく姉に強い口調で言い返した。
「そうよ、でも王命が出てしまえば抗えないかもね、今はまだ彼女は貴族なんだもの。ただそうなった時、あの家が素直に従うかはわからないけど。兎に角、あんた次は無いのよ、しっかりおやんなさい」
メアリーにしては珍しく言うだけいって、すぐに部屋から出ていったのだった。
ジェマイマ・キャンベルは、今王都の貴族の注目の的だ。
若手のカリスマ、姉のメアリーが気にかけるほど。
姉ばかりではない、同窓の王女もジェマイマをずっと気にしていた1人だった。
Aクラスのジェマイマとアマベル以外の全員が、いや、3年次では下級生含めて全校生徒がジェマイマと近づきたいと願っていた。
ところがジェマイマは、クラスでアマベルとだけ特別親しく過ごし、それ以外は王女の取り巻きではない、3人の令息とそれなりな距離感をとりつつも、他のクラスメートよりは程好く交流をしていた。
ジェマイマとアマベルが、他のクラスメートと距離をとっていたのには理由があった。
3年前、第1王子とその婚約者、側近候補たちが貴族学院に入学した時、ある男爵の妾腹の令嬢が養女となって入学してきたのだった。
その令嬢は、自由な振る舞いで女子に嫌われる一方、天真爛漫なところが男子に人気で、また『平民だったら~』という口癖を免罪符に、婚約者が居ようが居まいが関係なく男子生徒と近い距離で接するので、婚約者を蔑ろにして彼女に夢中になる男子生徒も現れた。
彼女はEクラスだったので、騎士爵か男爵の子息たちが中心だったが、そのうち、某かの騎士の子息を介しAクラスにいる王子の側近候補の伯爵家嫡男で騎士団長の息子と親しくなったのを手始めに、半ば強引に王子のグループに入って来るようになった。
他の側近候補たちは警戒して彼女を排除しようとしたのだが、幼子のようなやり取りと可憐な容姿を王子が気にいったようで『まあ良いではないか』と許可を与えてしまったのだった。
それによって、婚約者の公爵令嬢が苦言を呈して王子と険悪になったり、側近たちも彼女に懐柔される者と、それを嗜める者との軋轢が生じたり、王子の学年だけ急な婚約破棄が連発して起こったり。
貴族学院の雰囲気はギスギスして最悪になった時、それまで静観していたメアリーが、
「貴族学院とは貴族の子女の教育機関。平民では~などと甘えたことを抜かす生徒は、この学院には必要ないのではなくって?王子殿下も王子殿下です。秩序を整える側の王族が目新しいからと秩序を破壊するなら王族とは、貴族とは、階級とはという話になりませんか」
そう、学生で賑わう学生食堂で断罪劇をぶち上げて、王子にしなだれかかって席に着いていた男爵令嬢を引っぺ返して、首根っこを持って職員室へと連行した。
そうして、学院側との有益な交渉(メアリー談)により、男爵令嬢は退学になり、王子始め側近候補や婚約破棄した戯け者は、停学になった。
王家始まって以来初めての停学者となった第1王子は、毎日山のような反省文を、婚約者の公爵令嬢始め多くの家臣、両親、兄弟、親族などへと手が動かなくなるくらい出し続ける羽目になったのだった。
因みにメアリーには勿論、なぜかまだ成人もしていないヘンリーにも反省文が届いたのだった。
そんなイザコザがあった関係から、それ以降の貴族学院の入学試験はより難しく、また礼儀作法にも厳しい点数を振り分けられるようになった。
そして、ヘンリー世代は王女殿下の入学があった為、学院側はより緊張感のある対応を余儀なくされた。
特に王女殿下とその側近たちが居るAクラスはより厳格な運用となり、婚約者の居る者はその婚約者との仲を歪めるような行いはしない、婚約者の居ない者は婚約者の居るものには近寄らない、と言った誓約書が交わされたのだ、王女殿下を含めた全員が、である。
初め学院側が誓約書の提出を求めたのは、王女とその取り巻きの令嬢たちには婚約者が居たので、婚約者の居ない2名の女子、ジェマイマとアマベルだけだった。
クラス分けの発表の前に2人は別室に呼ばれ、嘗ての反省から誓約書の提出を義務付ける旨を説明を受けた。
説明を聞いたジェマイマは、
「勿論、誓約書にサインすることは吝かではありません。しかし、それでは些か問題の抑止力には足らないのでは?」
と言い放ち、
「実際、その男爵令嬢が誰彼構わず男漁りをしたことが発端とは言え、この誓約書には、婚約者が居るにも関わらず不埒な思惑で親密になった者、つまり男性側へ罰則の言及が無い、これはどう言った了見でしょうか。
例えば、わたくし、いえお隣の彼女とわたくしたち、と複数形で問うても宜しい?そう、ありがとう、ではわたくしたちが、その気がなくても、婚約者のいる不埒な愚か者が粉をかけてきたら、秋波を送ってきたら、しかも爵位を盾に、なんせ我が家はしがない伯爵家ですから、あら、貴女の御宅は男爵家、じゃあよっぽどね、そう言う訳で、高位貴族に爵位を盾に迫られた時、この宣誓書だと無理やり迫られた挙げ句、責任を取るのがわたくしたち、となってしまうのは、これは常識的にみておかしな話。
だいたい、その令嬢イザコザ問題の当事者が、婚約者のいる第1王子殿下なのですもの、どんな爵位の者でも楯突くことは容易じゃないことなど、先生方こそそうお思いでは?
たまたま同学年に、従姉妹の公爵令嬢が在籍していたからこそ、王子殿下にも意見出来て、先生方も対処に至ったのでしょうけど、わたくしたちのような、吹けば飛ぶような爵位の小娘になど、何ができるでしょうか。
そう言った困った事態に陥った時、どう対応し、誰が判断し処罰を決め、責を負うのが誰なのか、もっと明確にして頂いて、書面でわたくしたちに一部ずつ頂きたいものですわ。
もし、それを頂けるのでしたら、わたくしたちは書面を肌身離さず持ち歩きつつ、それ相当の自衛を致しますし、それを担保に宣誓書にここで署名を致しますけれど、」
そう詰め寄ったと言う。
その後、粉をかけたり秋波を送るような不埒な者が現れたら、すぐに教師にしらせること、対処は学校側で行うこと、責任は不埒な愚か者が負うことを明記した書面を2人に交付したのだった。
その書面を使う場面はすぐにやって来て、男爵令嬢のアマベルは見目の可憐な少女であったから、Aクラスの侯爵家の次男が王女殿下のご学友の婚約者がありながら、アマベルを裏庭に呼び出し関係を迫ってる所を、ジェマイマとその婚約者に見られ、婚約者の令嬢はあろうことか、アマベルに対して、ひどい言葉で詰め寄ったらしい。
「貴女、男爵令嬢の立場で婚約者のいる男性に迫るなんて、」
ひどい剣幕で怒鳴りつける令嬢の言葉を遮って、ジェマイマはアマベルを庇うと、
「その発言を訂正して下さいませ。侯爵家の威光をチラつかせて、アマベルに関係を迫っていたのは、見ていた通り侯爵令息の方だったでしょう。わたくしとご一緒に反対側から見ていましたわよね。
だいたい、わたくしたちは、そちらのチームに近寄らないように、普段から自衛をしておりますのよ。
教室の半分以上前には行かない、出入り口は後ろだけを使用する、ご不浄へ向かう途中で邂逅しないようにBクラスのご不浄まで遠征して使用する、昼休みに邂逅しないようにランチボックスを持参して食堂は使用しないなど、日々皆様に近寄らないようにしております。
こちらに来たのは、アマベルの無くなった教科書をこの場所で受け渡すという、匿名の手紙を受け取ったからですわ。さあ、では学校側から明示された手続き従い、職員室へと参りましょう」
そう言って、2人で首から下げた袋の中から教師から受け取っていた不埒者対処に関する誓約書面を取り出して、侯爵令息とその婚約者に掲げて見せたと言う。
結果、その侯爵令息は、第1王子と同じく停学と反省文の手紙を家族、親戚、傘下貴族、その他に出すことで、自分の愚かな行いを広め罰を受けたのだった。勿論、各所から一生分叱られたのは言う迄もない。
王女殿下含めた他6名の女子たちは、
「そんなご不浄までBクラスまで遠征などせずとも、ご利用なさいませ」
「いえ、行く道すがらどなたに邂逅しないとも限りませんので」
「王女殿下の行くご不浄の回りに男子生徒が侍っていたら、それこそ大問題ですからご利用なさいませ」
そんなやりとりも有り、2人にだけ誓約と自衛を強いてきたことを後悔し、結局、当初ジェマイマが言ったように、婚約者が居る者が不埒な行いをする方がより問題だし、2人にだけ理不尽に誓約を迫ったのも宜しくないと、クラス全員が宣誓することが決まった。
そして、この騒動により、ジェマイマとアマベルはクラスでアンタッチャブルな存在となってしまい、婚約者の居ないヘンリーのような者も気安く2人に声をかけることが出来なくなった。
この時ヘンリーは、いやクラスの男子一同は、この侯爵令息の短慮で不埒な行動を心の底から憎々しく思い、彼は嫌われ王女の取り巻きから外されてしまったのである。
先週と同時刻同じ応接室で、ジェマイマの前にヘンリーが赤い炎を背に纏い(幻影)前のめりで話し出した。
「ジェマイマ嬢、不甲斐ない私に何度も時間を取ってくれたこと、感謝する」
ジェマイマは、馬車から降りる自分をエスコートする為待ち構えていたヘンリーに、先週との違いを脳内で比較し、その変わり身を訝しく思っていたが、表面はいつもの能面微笑を携え小さくヘンリーに首肯した。
「先週、君はお飾りの妻に初夜の晩『君を愛することはない』と言って、家政と社交をやらせるだけの偽りの妻として貧乏伯爵家の令嬢を娶ろうとしているといったが、それは全くの間違いだ。
まず、キャンベル伯爵家は建国以来の名領主として王国にその名を轟かせ、常に我が王国のキャスティングボードを握っている名家だ。勿論、貧乏伯爵家などではない、」
「えっ!?あの、どこかの領地と勘違いされているのでは、」
ヘンリーの話すキャンベル伯爵家が、自領と解離しているようで思わずマナー違反であるのに話をぶった切って声を被せてしまったが、今回はヘンリーが、
「すまないが、ここは僕に、一気に最後まで話させてもらえないか」
と、正しく指摘してきたので、
「あ、はい。大変失礼致しました」
そう謝罪を口にし、姿勢を正して、聞く姿勢を取った。
「えっと、だから、キャンベル家のご令嬢である君を金と権力で無理矢理娶ってお飾りの妻にすると言うことはない。
次に、私に『真実の愛』を誓った者は居ないし、勿論婚約者も居ない、あ~蛇足ながら、世間で言われているような、庇護し金銭的な世話を必要とする者を平民街に囲うようなこともないし、幼い時から一緒に育ったなさぬ仲の乳母の娘も、孤児のメイドも、幼馴染みの近隣領地の令嬢も居ないことは、キチンと付け加えておく、」
「え?ああ、ご令嬢では無く王女殿下ですものね、」
ジェマイマは能面微笑から心の声が漏れ出していたのだが、気付いていなかった。
「ん、んん。あ~、四六時中世話を焼がねばならない幼馴染み王女殿下も、勿論居ないことは付け足しておく」
ジェマイマは、え!?読心術?と思い目を見開きそうになったが、淑女の矜持でグッと我慢をして、小さく首肯した。
「なので、しょ、しょしょ、しょ初夜で、んん、『愛することはない』などと言う戯けたことは言わないと断言する。この旨はきちんと宣誓書面に記載することを、先にお伝えしておく。えー、だから、そのう、」
ヘンリーが急に顔を赤らめて、モジモジし始めた。普通なら、成人した男性がしたら、気色悪い仕草であるのに、人外の美しさを持つこの男がすると、ため息が出ちゃう程色っぽいのだから、造形美は得であるなとジェマイマは呑気に眺めてしまっていた。
すると、ヘンリーがバッと立ち上がっては、ジェマイマのソファの横に膝をついて手を取ると、
「だから、ジェマイマ嬢、私は貴女のことが学院の頃からずっと好きだった。他意は無いんだ、それは信じて欲しい。
クラスでは君とアマベル嬢に声をかけてはならないという不文律が、あの忌々しい事件の後から出来てしまい、君と話すことも出来なかった。それで卒業を待って慣例に基づき家を介して求婚したが、伯爵からは断られてしまった。
だが、諦めきれないのだ、どうか、私と結婚、の前に、婚約、は最短の日数で結婚の準備をするとして、きちんと結婚式の準備を整え、大勢を招いて披露宴もする、勿論、君と神に愛を誓うし、勿論勿論、後継の子供をきちんと君と、君との子作りにも励むよ、ああ、勿論励むとも。だから、どうか、どうか、私と一緒になってくれ」
そう、舞台の長台詞のようにツラツラと語られ、額に手の甲を押し付けられて懇願されてしまった。
ジェマイマは、その長台詞を脳内で再生して、聞き直し(幻聴)していた。
彼は、こんなに綺麗な顔をしているくせに、本当に見目の特徴もなく、政略結婚にもならない、伯爵ランキング5位か6位(10件中)の我がキャンベル家と婚姻する気なのだろうか。
何か私が知り得ない領地の裏情報を持っていて、それを得るためにこんな小芝居をうってるのだろうか、と心中では、更に訝しげな目線を投げ掛けているが、表面はデフォルトの能面微笑のまま静かに佇んでいた、のだが、やっぱり心の声が無意識に漏れ出してしまい、
「なにが目的?」
小さく呟いていた。
「目的は、君を得ることだ。じゃあもうハッキリ言うよ、私は君がずっと好きだったんだ。好きなんだ、ジェマイマ。僕のお嫁さんになってくれ」
バッと顔を上げて手をギュっと握りしめて、ヘンリーが強め大きめな声でそう言った。
「え?グレイ公爵令息」
「ヘンリーと呼んでくれ。なし崩し的に君のこともジェマイマと呼ぶから」
「え?名前呼び?なぜ。いや、では今だけ、ヘンリー様、わたくしのことが好きなのですか?」
「そう、ずっと言い続けているのだが。今日は始めから、ずっと君に告白を続けてきたつもりだったのだが、ジェマイマ、君は聞こえてなかったのだろうか」
「いえ、聞こえておりましたが。とりあえず、まず、ソファにお座りになって」
ジェマイマはヘンリーに握られていた手を、反対の手でひっぺ剥がし、向かい側に座るように促した。
ヘンリーは握った手が離されるのを悲痛そうな顔つきで見たが、言われたように席についてジェマイマを見つめた。
「ヘンリー様、あなた、わたくしの何がお気に召したの?」
言葉だけ聞いたら、好きだと告白された相手に自分のどこが好きで惚れたのかと聞くなど、随分高飛車な態度だと非難されそうであるが、ジェマイマは自分の容姿も能力も過小評価しているから、そんな気は更々無く相手に聞いてしまうのだった。
「う、」
ヘンリーは今までの貴族令嬢然とした様子とうって変わって、単刀直入な物言いに戸惑ったが、
「初めから、君が入学してくると聞いて、楽しみにしていたんだ。キャンベル家の方々は貴族学院以外にはあまり領地から出てこないから。君の兄上の評判は知っていたし、その妹は更に出来が良いと聞いて楽しみにしていたんだ。そして、クラスで一目見て、その座姿の美しさに目を奪われ、控え目に見えて自己主張のハッキリしている所も好ましく思った。それから3年間、私は君を探しては見ていたんだ」
ちょっと頬を赤く染めてそう答えた。
「え~」
その回答に納得がいかず、不満げな感嘆詞が漏れ出てしまった。
ジェマイマは自分が地味で目立たず、キャンベル家も両親も兄も至って普通で特別な所が無いと思っているが、王国では中立派のど真ん中のキャンベル家が稀に動く時、王国史に刻まれる出来事が起こると言われていて、その動きをひっそりと探られてきていた。
この世代、兄の学生時代の第1王子と男爵令嬢のイザコザが正にそれであった。
男爵令嬢に惑わされた者の中に王子の側近候補の騎士団長の息子がいて、婚約者の令嬢が昼の学食で彼に対して苦言を呈した。
それに激昂した令息が彼女を罵倒し、婚約破棄をその場で言い捨てたのだった。
彼女の母親はかつての王妃の学友であり、現在王宮のマナー講師として第1王子の婚約者である公爵令嬢の礼儀作法を教えていた。
なんなら、彼女の祖母は王妃のマナー講師であった、代々続く令嬢教育のスペシャリストの家系である。
そんな家柄の彼女は、王子と側近の有り様に苦言を呈する役割を担わされており、結果として恥をかかされた。
これによって、彼女の母親はマナー講師を辞した。
王妃に謝罪され、当該伯爵家からも相応の謝罪賠償が為された後も、その態度が軟化することは無かった。
王子妃教育を担う次の講師を探そうにも、王都では彼女の家門から免許皆伝を受けた者しか居らず、その宗家が辞した後を弟子が受けることなど出来ない、そう言われ断られる始末。
王家だけでなく、王子の側近の各家にもマナー講師は断られ、その波紋は社交界全体へと広がり、王家の醜聞として語られるようになった。
そんな騒動の最中、ジェマイマの兄がその元婚約者の彼女と母親を連れて領地へと急遽帰省した。
たまたま学食で見た婚約破棄劇、不貞な相手が破棄を口にするなど正気の沙汰ではないと相手の令嬢に同情しての、『王都は騒がしい、落ち着くまで我が領地の田舎で心身の疲れを癒して欲しい』そんなちょっとした思いやりから声をかけたのだった。
可及的速やかにイザコザの対処が為され学院も日常を取り戻した、一方、彼女も田舎ののんびりした生活に心癒され元気を取り戻して、なんとジェマイマの兄の婚約者となって、学院の普通クラスへと戻ったのだった。
傷心の娘に寄り添って一緒に田舎領地へと赴いていた伯爵夫人が、まだ領地にいたジェマイマに、暇潰しとして王家でも通用する最高級のマナーを躾たのだった。
序でに、暇潰しに兄の婚約者の彼女はみっちりと勉強を教えた。
Aクラスの彼女である、ジェマイマの出来が良くなるのも必然であった。
そんなで、彼女と夫人が王都へと戻り、ジェマイマの兄との婚約をきっかけとして王家と手打ちをし、夫人がマナー講師に復職した結果、さすが中立派のキャンベル家、上手に取り成したと家門の評価が知らないところで上がっていた、偶然である。
復職した夫人は、その後、マナー教育の場で、出来の良くない令嬢に、
「キャンベル家のご令嬢は1年で身に付けましたが」「キャンベル家のご令嬢は学院入学前には全てのマナーを完璧に出来ていましたが」
そんな枕詞をつけて指導したのだった、当て擦り、ジェマイマにしたらいい迷惑である。
そんなジェマイマは本人の知らないところで噂の的になっていた。
そして、入学後の誓約書事件を経て、さすがキャンベル家の至宝と評判がバブルのように膨れ上がったのだった。
ジェマイマが深い思考の波を漂っている中、徐にヘンリーが
「もし、僕、いや私の申し入れを拒んでも、次々と求婚者が列を成すだろう。その内第2王子との婚姻の王命もあるやもしれない。ジェマイマ、私は君がしたいことを咎めることは無い、むしろ率先して応援する。君の力になると誓うから、どうか、どうかぼくを選んで」
遂に泣きの懇願を始めた。
その姿はたいそう悲壮感漂うもので、また舞台俳優のように見えた、が、そんなことより、王命などと聞き捨てられないワードが飛び出してきた。
「王命、え?しがないキャンベル家に王命まで出して、なんの目的で?」
ジェマイマがこんどはハッキリと目を見開いて聞き返した。
「中立のキャンベル家が動いたこの時代、王家の落ちた威信を取り戻したいとキャンベル家の至宝と呼ばれている君を王族に迎えるつもりがあるそうだ。だが、第2王子妃とはいえ王族だと、商会の運営は難しいだろう、その点ぼくは侯爵になるから好きなだけ商会運営に注力したらいいよ」
ヘンリーが今度は自分のお得感をアピールし始めた。
ジェマイマを得る為のなりふり構わぬ、波状攻撃である。
「キャンベル家の至宝、随分大袈裟な二つ名ですが、それは置いておいて。本当のお話ですの?」
ジェマイマが訝しげに目を細めてヘンリーを見た。
「情報通な我が姉からの話だ、大分確証が高い」
「王国初の女宰相と呼ばれているメアリー様のお話、まあ」
ジェマイマは、フッと小さくため息を吐いて、それから姿勢を正し
「ヘンリー様、では、このお話お請け致します。先程の商会運営の件なども含めた書面を作成して、両親を交えて再度話し合いをお願い致します」
そう答えた。
「え、いいの、やったー!ありがとう、ジェマイマ、ちゃんと書面にする。今から書記官に言って最短で書類を作成して、すぐに君の領地へと伺わせてもらう、ありがとう!ジェマイマ愛している」
ヘンリーは、あまりに呆気無く了承を得られたことに驚いたが、このチャンスを逃すものかと、一気に畳み掛けた。
そして、ジェマイマがティーサロンへと誘われお茶を2杯頂いている間に、出来た書類を携えてやって来た。
その時には、既に早馬で先触れを出した後で、そのままジェマイマを公爵家の馬車に乗せて領地へと一緒に下ったのだった。
その道すがら、どれ程自分がジェマイマに憧れていたかを熱く語り聞かせたヘンリーだったが、ジェマイマはその熱量の1%ほどしか受け取らなかった。
それでも、最短の婚約期間を経て婚姻をして、後継を得るに至ったのだから、ヘンリーは結果オーライであった。
その後もジェマイマは大袈裟な二つ名で語られたが、侯爵夫人として程程に、商会のオーナーとしては積極的に活動して暮らした。
ヘンリーは約束通りジェマイマの活動の応援を精一杯行い、それが巡って侯爵領の利益となり程程に繁栄したので、女宰相となったメアリーに
「ジェマイマを泣き落としで落としたのが、あんたの唯一の功績ね」
と言われたのだが、気にもならなかった。
ジェマイマは結婚式の支度をしている時、いつも付き添ってくれている侍女に、
「結局、ヘンリー様は鼻の大きな女が好きだったのかも知れないわね」
と言ったとか、言わないとか。
侯爵夫人となっても、運が良かっただけと思い驕ることの無いジェマイマは、今日も言葉の裏を読むため能面微笑の下で、脳内を世話しなく働かせて、合ってたり間違ってたりの推測をし続けているのである。
「世の中には色んなフェチがいるって本当ね、旦那様が鼻フェチだったなんてね」
「奥様、それは無いかと思われますわ」
毎朝、身支度を整える鏡を見ながら侍女とそんな会話が繰り返されていることをヘンリーは知る由も無い。




