前編
鏡かと思うほどピカピカに磨かれた大理石の床。
重厚感が半端無いアンティーク家具。
完璧な場所に置かれている花瓶や壁の絵画は国宝も斯くや、そんなものが、そこここに。
貴賓の応接室であろうこの部屋に、こんな体を包み込むがごとく快適なソファが存在していることすら、この時まで知らずに生きてきた女と、古代遺跡から発掘されたであろう彫像そのままな完璧なる黄金比で配置された目鼻口、眩い黄金の髪に深い森の奥にある湖の底のような碧眼の男が、静かに向かい合って座っていた。
ここは先代王弟が臣籍降下して興された公爵家の応接間。
一代公爵であるから、次代は侯爵へと叙され王都に程近い主要な街道が通る領地を賜ることも先代国王の時代から決まっていることであり、一般的な貴族は皆当然のように知っていることである。
因みにその領地は、現在、公爵夫人の実家の侯爵家が管理しており、そこの領主に孫が就くだけである。
夫人の生家の侯爵領は別にあるので、領主の跡目争いが起こることなど心配無用である。
さて、そんな高貴なる血筋の御方の前に座らされている女、どういう感情なのであろうか、その顔は能面のように青白く表情を無くし、口許だけ微かに笑みの形を取りつつも、目は全く覇気がないガラス玉のよう。
ただ、その座姿は美しく、天井から操り糸で吊られているかのごとくピンと背筋を伸ばし、頭など決して揺れることもなく、揃えた両足の膝の上に正しく置かれた手の指先まで美しい佇まいである。
「挨拶としては、初めまして、で宜しいだろうか、キャンベル伯爵令嬢」
男が長い沈黙を破って、やっとのことで話しかけた。
この部屋に女が通され、男がやって来てから早30分は経過しているのではないか。
実際、この場に女が招かれたのも、女にしたら青天の霹靂である。
男と女に面識はあれど、自宅に招かれる程の交流は無い。
男が『初めまして』と疑問符つきの挨拶をしたことでもその程度はお分かりだろう。
「そうです、ね。勿論、わたくしはグレイ公爵令息を存じ上げておりますけれど、お話しさせて頂くのが初めてでございますれば、そのようになさるのが正しいのでしょう、か。」
そう言うと女は、音もなくスッとソファの脇に立ち上がり、
「では、改めまして『お初にお目にかかります』キャンベル伯爵家が長女ジェマイマと申します」
そう言うと、最上位のカーテシーを披露した。
「あ、頭を上げて。そんな堅苦しい挨拶は不要だ、席に着いてくれ」
一瞬そのカーテシーの美しさに目を奪われていたけれども、自分が座ったままの無作法に気付き、直ぐに着席を促した。
その言葉を耳にすると女は、また先程と同じ能面の表情に美しい座姿に戻りつつ、男の次の言葉を待った。
「そんなに緊張しないでくれ、私たちは同窓の仲間ではないか」
男が女の出す緊張した空気を和らげようと、そう口にした。
女はその言葉を耳にして、一瞬、ほんのコンマ何秒か眉に力が入りそうになったが、それを胆力で耐えに耐え、既にデフォルトになっている能面微笑を維持しつつ、
「左様ですか、仰せのままに」
そう答えた。
そしてまた室内に嫌な沈黙が広がるのだった。
女は美しい姿勢を保ちつつ、脳内で思考を世話しなく巡らせていた。
これは何の試練なのかと。
女は、ジェマイマ・キャンベルと言い、キャンベル伯爵家の長女である。
グレイベージュの髪に、鳶色の瞳、ピンとこないぼんやりした色合いの令嬢で、背は少しばかり高めではあるが中肉中背の範疇であり、特別注目されるようなスタイルの持ち主では決してない。
顔は、卵形の輪郭の中に極々普通の大きさの目と口がついているが、少しばかり鼻が大きいのが悩みの種である。
良く言えば、鼻筋が通っていると言えなくもないが、目と口の大きさに比べて些か主張が激しいと、鏡を見る度に思いため息を溢し、
(鼻をもう少し小さくするか、目と口をもう少し大きくするか、そうしないとバランスが悪いのよね)
そんなことを思うのだった。
キャンベル伯爵家自体もピンとこない家柄で、立ち位置は常に中立派であり、伯爵家の中の序列も真ん中、10軒伯爵家があったなら、5位か6位か7位である。きっちりとしたヒエラルキーがあるわけでないから、人によっては下位伯爵家と捉える家もあるだろうが、まあ真ん中位かと思う家が多いだろうな、そんな立ち位置の家柄である。
領地も別に鉱山があって金銀鉄鉱石が涌き出て国内有数の資産家なんて訳もなく、普通に小麦栽培の農業を中心とした牧歌的な土地柄で、だからと言って王国の食物庫と呼ばれる大穀倉地帯!と言う程広くも収穫高もあるはずもなく、然りとて、喉から手が出るほど希少な特産品がある訳でも無い。
ではでは、王国にこの人有り!と言う切れ者伯爵が父と言う訳でも社交界の薔薇と呼ばれる貴婦人が母と言う訳でも無く、至って極々穏和で普通な両親である。
上に、3つ離れた兄がいるが、兄も兄とて同じようなもので、貴族学園を極々中くらいの成績で卒業した後は、当たり前のように領地へと戻り、父と一緒に領地経営を無難に執り行っている、極々普通な兄である。
貴族の子女が15才からの3年間通う、王立貴族学院。
ジェマイマもつい先日卒業したばかり。
成績順にクラスが決められるのだが、ジェマイマは兄より少しばかり勉強は出来て、3年間常にAクラスであった。
それは別にジェマイマの知能が非凡と言う訳では無く、ただ兄が3つ上に居たので、兄が学年が上がる度に前年使っていた教科書を譲り受け先に学んでいた為で、授業内容を予習していたからに他ならない。
進学前に家庭教師によって厳しい教育を施されている高位貴族の子女や、況してや王族とは勿論歴然とした差があるのは致し方ない、そう思ってクラス内の順位は気にもせず、AクラスはAクラスと自己評価は高めである。
まあ、20人のクラスメイト中、最下位では無かったが、良くて15位といった所。
それでも3年間Aクラスに在籍出来たのだから、優秀だ、キャンベル伯爵家始まって以来の才媛だと、両親や親戚縁者は褒め称えてくれたので、ジェマイマ的には大満足であった。
ジェマイマの兄の時代は、第1王子殿下とその婚約者の公爵令嬢、その側近候補の高位貴族が闊歩する中、婚約者のいない下位貴族令嬢が絡んだ、観劇さながらのイザコザ大立回りを繰り広げていたとかで、その高貴な方々を遠巻きに見ているその他大勢の生徒たちは、巻き込まれないように息を詰めて成り行きを見守る気苦労があったと言う。
そのイザコザで、王子の婚約破棄騒動、とはならず、程無くして、きちんと学院の教師たちによって問題なく対処されたようだが。
ジェマイマの学年には、妹王女殿下とその婚約者の侯爵令息、王女の従兄弟で準王族であるグレイ公爵令息も在籍し、また王女殿下のご学友たちは、第1王子殿下の側近候補の婚約者たちであったし、王子殿下の婚約者の公爵令嬢の取り巻きの兄弟姉妹も在籍していたので、クラスの大半は幼少期からの幼馴染みたちであった。
そこに成績上位者としてAクラスに入れられた外様たちがジェマイマ含む下位5名であった。
その5名の内1名は、男爵家のたいそう可憐な御令嬢で名をアマベルと言った。
クラスのヒエラルキーは入学したその日に決定していたので、外様の5人は自然と纏まらざるを得なかった。
特に、王女殿下の取り巻きのご令嬢や幼馴染みを除くと、クラスの女生徒はアマベルしか居なかったので、ジェマイマは自然とアマベルと一緒に居るようになった。
アマベルは目を見張るほどの華やかな美貌を持っていたが、その中身はしっかりと将来を見据えて努力してAクラス入りを果たした少女であった。
男爵領は王都から遠く離れているが、海に面しているので外国との貿易を生業にしていて、王都に商会を出していた。珍しい舶来品を取り扱う商会は瞬く間に大きくなって、男爵位を賜ったのだそう。
しかし、新興貴族と侮られることも多く、アマベルはそれが我慢ならなかったらしく、貴族学院在学中に貴族家の子女と友好を深めたいと考えていたそう。
が、入学したその日にそんな目論見は露と消えたと言う。
貴族のつき合いは、幼少期から、いや、親世代から、いや、その脈々と培った時間が関わるのだと思い知り、今後の地位向上戦略を練り直すと話してきたアマベルをジェマイマは大層好ましく思った。
「まあ、10軒伯爵家があったなら、ランキング5位か6位か7位である我がキャンベル伯爵家ではお目に叶わないのかしら?」
そう告げたジェマイマに、
「い、いや、全然、全然そんなこと無いよ、え、良いの?お付き合いして貰えるの?いえ、有り難いです」
焦ってそう言うアマベルは本当に可愛らしかった。
「なら、この3年間で我が家が持っている数少ない貴族家との縁を出来る限りアマベルに繋ぎましょう、ですからアマベルにはその商会のノウハウ、を教えて頂くのは申し訳ないから、少しでも我が領地の特産品になりそうな物を見出だして貰えないかしら?そう言ったこと、我がキャンベル家は誰も彼も苦手で全く出来ませんのよ」
「ええ、ご紹介頂けますの?お申し入れの件、はい、勿論喜んで!」
そんな話をしたのは、ヒエラルキー上位者がランチへと食堂へと行った後、閑散とした教室で、向かい合って各々持ちよったランチボックスを摘まんでいる時であった。
王子殿下が在籍していた時代に、兄は昼休みの食堂でも気苦労したと言っていたので、休憩時間までヒエラルキーを気にしたくないジェマイマは、初めから弁当持参で登校していた。
それを目にしたアマベルも真似をするようになったのだった。
二人とも両親は領地、タウンハウスで悠々自適な学生生活をしていたので、学院の帰りにお互いの家を行き来したり、休日にアマベルの商会を訪ねたり、長期休暇にお互いの領地を行き来したりと、友好を深めて行った。
アマベルの見目の良さに、ちょっかいを出してくる高位貴族の令息とそれを面白く思わない令嬢の嫌がらせが最初はあったのだが、ジェマイマも立ち会って話し合った後はそう言う厄介事もなくなった。
下位5人の内残りの3人の令息たちとは、それとなく程好い距離感でつき合いを持ちつつ距離をとりつつ過ごしていたが、その中の子爵家の嫡男とアマベルは3年生の後半に婚約を交わしたのだった。
めでたいことである。
ジェマイマはと言うと、学院入学当初は王宮へ女官として出仕しようと思っていたのだが、上位者たちの振る舞いに嫌気がさしてその希望は早々に手放し、アマベルの商会を参考にして、キャンベル伯爵領地の特産品を扱う商会を運営しようと考えを改めた。
それならば、下手に嫁入りするより生涯独り身でもかまわないと両親と兄に告げた。
兄が伴侶を持ち、早々に子宝にも恵まれていたため、ジェマイマの婚姻に特別必要性は無いとすんなりと許可が下りたので気楽なものである。
キャンベル領地内では、ジェマイマは伯爵家始まって以来の才媛である。
その上、商売上手な男爵家のご令嬢と友好を築き、学生時代に、歴代領主が見出だ無かった領地の特産品を見つけ出し、量産し販路開拓もやってのけた、大変優秀で将来有望な、キャンベル伯爵家希望の星(領地限定)になっていたのである。
なので、両親にしても兄にしても、折角の才能を婚姻で他領に持っていかれるのも面白くないし、本人が領地の為に自分の商会を運営していきたいと希望している、なんと健気で優秀な娘(領地限定)なのか、と家族親族領民諸手を上げて賛同したのだった。
何のことはない、特産品は領地で細々作られていた栗から作られる蒸留酒で、そこそこ珍しく美酒だとかで、アマベルが遊びに来た時に土産に持たせた物を父親の男爵が気に入って、自分の商会での独占販売を持ちかけてくれただけなのだが。
作り方のノウハウを持つ領民を雇用して、ジェマイマが小さな蒸留所を造ったので、試飲と栗拾い観光をと、これまたアマベルとその家族を招待したところ、それもいいツアーになると、男爵領に来た他国の旅行者を連れてきてくれて、それが周囲に広まってちょっとしたブームになったのだ。
観光地にはほど遠い、風光明媚な場所など皆無なキャンベル領地に、観光客が、しかも他国の観光客が来るといって、宿屋やら飲食店の出店を募ったり、都市の整備を急ピッチで整えたり、治安維持を図ったりとキャンベル家とそれに連なる者、領民たちもフル稼働で頑張った。
お陰で、ジェマイマが卒業する頃には、王国で経済成長が著しい領地へと変貌を果たしたのであるが、だからと言って大資産家に成った訳ではない。
基礎インフラの資金は、寄り家の侯爵家からの借款で賄ったので、儲けた分から返済している最中である。だけど、少しは潤った。
伯爵家ランキング、5位か6位かと言われる位にはちょびっとランクアップしたのだった。
特産品を見つけるという当初の願いを早々に叶えて貰ったジェマイマは、キャンベル伯爵家と付き合いがある、寄り家の茶会にアマベルを伴って参加したり、夜会に一緒に行ったりして、少しでも男爵家に貴族との縁を繋ごうと積極的に社交を行った。
その甲斐あって、3年経った頃には新興男爵家と侮るよりも、やり手の商会を持つ男爵家と言う評判に変わり、彼の家とは、上手につき合った方が得だという雰囲気になったので、まあアマベルの希望に少しは貢献出来たであろう。
さて、そんなジェマイマとアマベルの有意義な学生生活を、先日の卒業パーティーを以て恙無く終えた。
アマベルは婚約者と領地へと戻り、半年後に婚姻を執り行うそうだ。
勿論、ジェマイマも招待を受けている。
親友と呼べるほど一緒にいたアマベルが去って、一人になったジェマイマは、王都でキャンベル領の特産品や観光誘致を行うアンテナショップを開いた。
これからは、1商売人として、自身の商会とキャンベル領を更に盛り上げるべく、社交に励まなければならない、そう思い意気込んだ矢先、冒頭のキラキラしい公爵家から突然、招待を受けたのである。
長い、長い、沈黙渦中、ジェマイマは己の有意義だった3年間のアマベルと過ごした学生時代をダイジェストのように思い出していた。
目の前の御方は、知らぬ間にメデューサにでも見つめられてしまったのだろうか。
「グレイ公爵令息、御用が御済みであればそろそろお暇を、」
先程の挨拶から更に30分経っている。
充分待った、もう良いだろうとジェマイマが暇を告げると、
石像になっているのでは、と心配するほど動かなかった男が、ガバッと身を乗り出して、
「キャンベル伯爵令嬢、単刀直入に伺うが、君はヒューム男爵令息かマーチモント伯爵令息のどちらかと婚約をするのだろうか」
比較的大きめな声でそう聞いてきた。
「は?」
ジェマイマは目を瞬かせて、淑女にあるまじき低い声を出してしまった。
「いや、君の友人のご令嬢が子爵家へと嫁ぐと聞いて、君はどちらの家へと、」
「致しませんが。どちらとも婚約する予定は御座いませんが」
焦って話している最中の男の言葉に被せて返答してしまった。
「では、君は誰と婚約する予定なんだろうか」
しつこく婚約婚約と聞いてくる男に、え?さっきまでの長い沈黙なんだったんだ?とイライラが募っていった。
「予定は御座いませんが。先程から、グレイ公爵令息はどうしてわたくしの婚約についてばかりお聞きになるのでしょうか。いったいこのご招待は何の為の機会なのでしょう。頂いたお手紙には『将来について希望を聞きたい』とあったのですが、それはわたくしの商会との取引という理解でよろしいですか?」
ジェマイマは、同窓生とは言え、初めましてと挨拶したこの御人になんの思いも持っていない。
今日は偶々、公爵家から手紙で問い合わせが来たので、商売の話しかと思って出掛けて来ただけである。
それを長く待たされた(無言で目の前にいたけれども)挙げ句、プライベートなことを単刀直入に聞くとか、どう言った了見であろう、ジェマイマの憤りは瞬間的に沸点へと到達したのだった。
「あ、いや、実は、君のご実家のキャンベル伯爵家へと先日婚約の打診を父から行ったのだが、『娘は政略結婚はせず、自身で決めた道を歩んで行く所存につき、お断り申し上げます』と早々に断られてしまい、」
「へ?」
また淑女にあるまじき(以下略)、公爵からの、元王弟からの、婚約の打診をそんな簡単に断れるんだとジェマイマは遠い目をしながらも、心の中で父にサムズアップを送った。
「だから、学生時代仲の良かった二人のうちどちらかと婚約するのだろうと、そう思って。いや、違うな、私は卑怯だな、彼らの事は関係ない。どうしても君の口から返事が聞きたくて、来て貰ったんだ。すまない」
そう言うと、目の前の男が居住まいを正して、ジェマイマの目を見つめ、
「ジェマイマ・キャンベル伯爵令嬢、どうか私、ヘンリー・グレイと婚約、いや結婚してもらえないだろうか」
そう熱い告白をしたのだった。
その声や振る舞いは、自身の美しさを正しく理解しているもので、それはもう美しい演目のようであった。
ジェマイマも先程からの、は?へ?だのと言う気の抜けた言葉を発して乱れた姿勢を正して、デフォルトの能面微笑を装備して、
「お断り致します」
そう無機質な声色で答えた。
「なぜ、いや、確かに私たちは今日初めて会話を交わした。しかし、僕、いや私はクラスでずっと君を気にして見ていたんだ」
そう演技がかった仕草を交えてそう言った。
「そんなことを言って、貴方どうせ地味で面白味の無い恋愛経験ゼロな女をそんな芝居がかった嘘コクでファーって舞い上がらせて、その気にさせて、婚約を飛び越して早々、結婚式も無い婚姻届に署名するだけの簡単な結婚を執り行ったその初夜の晩に、『君を愛することは無い』って仰るのでしょう?
真実、愛する人と結ばれる為に、侯爵家の家政と社交をこなさせるだけのお飾り侯爵夫人をお探しなのでしょうが、少しわたくしではその条件に向きませんわ。
こう見えて、我がキャンベル家は侯爵家に娘を売り付けなくとも済む位には堅実な領地運営を行ってますのよ。またわたくしも、甘い言葉に現を抜かすほど、脳内お花畑女では無いのです。
確かに侯爵家に身売り同然で嫁入りするには、貧乏伯爵家の娘と相場は決まっておりますけれど、我がキャンベル伯爵家、貧乏伯爵家と言われるほど落ちぶれてはおりません。我が父もそう思った故のお断りだったのだと思いますわ。
しかも、わたくし、少なくても両親や兄と良い関係を築いておりますの。
母も後妻ではありませんし、血の繋がらない連れ子の妹も、ズルいズルいと人の物を欲しがる妹も、いえ、妹自体おりません。
居るのは3つ上の兄と兄嫁、そして生まれたばかりの甥っ子ですわ、我が領は次世代、次次世代もおりますれば、暫く安泰でございます。
どうぞ、その真実の愛の隠れ蓑は、わたくしではなく、それを求めて止まぬどなたかをお探し下さいませ」
そう一気に捲し立てると、出されて手もつけず冷えて渋くなった紅茶を一気にグッと呷った。
そうして、スクッと立ち上がると、略式のスカートを摘まんで膝を折る礼をして、開いていたドアからサッサと出ていった。
「は!待って、待ってくれ。真実の愛ってなんだ、そんなのは無い。隠れ蓑なんてひどい誤解だ!」
そう言うと焦って応接室から飛び出して、前を歩くジェマイマの手を引いた。
キャッと姿勢を崩すジェマイマを抱き止める、と言うこともなく、逆に、フンっと引っ張り返されてヘンリーが慌ててよろけた。
「待って、待って。本当に君の話の一つも僕、私の思いと合致しない。どうか、私の話を聞いて貰えないか」
姿勢を戻しながらすがり付く勢いでそう言うヘンリーに、能面微笑を止めて、眉間に深いシワを寄せいかにも嫌そうな表情で、
「嫌です。聞いても結局お断りするのですから、同じです」
そう実に嫌そうな声で答えた。
「それでも!変な妄想でフラれるのなら、ちゃんと話だけでも聞いて欲しい。今日じゃなくてもいい、もう一度だけ、話を聞いてくれ、お願いだ」
恥も外聞もなんのその、必死に頼み込み、ジェマイマに追いすがった。
ジェマイマは、え~めんどくさいと声を出さずに呟いて、チラッと目を左右に揺らして周囲を見回したようだった。
そこには、何事かと息を潜めて遠くから見守る多くの使用人の姿があったのだろう。
はあ~っと、肺の中の空気全てを吐き出した後、じゃあ、また来週の同時刻で、そう言い捨てて、振り向きもせず颯爽と外へと出ていったのであった。
自称地味で空気のように存在感の無いジェマイマは、その優秀さの評判が、キャンベル領限定ではなく、王都の貴族中、いや王族の耳にも入っているなど思いもしない。
王宮で、婚約者を持たずに卒業を迎えたジェマイマはきっと職業夫人として邁進するべく、女官として出仕してくると今か今かと待ち構えていた王女だが、本人は全くその気が無いと聞いてガックリ肩を落としたとか。
ジェマイマは品行方正、深慮遠謀な、ちょっぴり人見知りが過ぎる伯爵令嬢なのであった。
「あれは何だったのかしら?」
ジェマイマの後ろに影のように寄りそう侍女に聞く。
「あれは、まごう事無い求婚だと思いますよ」
「でもお父様もお断りしてくれたのでしょう?お父様も隠れ蓑を是とせずに断って下さったのよ」
「それは違うと思いますよ、お嬢様。なぜ頑なに隠れ蓑だとお思いで?」
「ねえ、あの顔見たでしょ?間近で見てビックリしたわ、彫刻みたいな均整の取れた配置、大きさ、色合い。完璧な美貌よ。それをこんなパッとしない見目の鼻の大きな女を娶ろう何て裏が無ければ思わないわよ、それか鼻フェチか、どっちかね」
「お嬢様、自虐が過ぎますわ、あの方の美貌はさておき、お嬢様を娶とりたいお気持ちは本当のように思いましたけど」
「そりゃそうよ、そう思わせなきゃ、いくら貧乏伯爵令嬢でも了承しないわよ、偽装結婚なんて」




