06:聖女は、対話(物理)で解決する
私がたどり着いたその村は「ポプラ村」というらしい。名前の通りポプラの木が村の入り口にそびえ立つ、のどかで小さな村だった。
広大な麦畑が黄金色の絨毯のように広がり、その間を縫うようにして素朴な家々が点在している。煙突からは白い煙が立ち上り、どこからかパンの焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
これだ。これこそ、私が夢にまで見たスローライフの舞台。
村の入り口で大きく深呼吸し、胸を高鳴らせながら村へと足を踏み入れた。
まずは、村長さんの家を探さなければ。
私がきょろきょろと辺りを見回していると、井戸端で洗濯をしていたおばちゃんが、人の良さそうな笑顔で話しかけてくれた。
「あら、見ない顔だね。旅の人かい?」
「はい。南へ向かう途中なんです。もしよろしければ、この村で少し働かせていただけないかと思いまして」
「働く? あんたみたいな、か細いお嬢ちゃんがかい?」
おばちゃんは、私の華奢な身体つきを見て、心配そうな顔をした。
まぁ無理もない。聖女時代はドレスで身体のラインが隠れていたが、今は薄っぺらい麻のワンピース一枚。どう見ても力仕事ができるようには見えないだろう。
ここは、百聞は一見に如かず、だ。
「見た目によらず、力には自信があるんです。例えば……」
私はそう言うと、井戸の隣に置いてあった、水で満タンの巨大な樽をひょいと持ち上げた。推定重量、百キログラム以上。
「……え?」
おばちゃんの笑顔が、固まった。
私はにっこりと微笑み、その樽を軽々と肩に担ぐ。
「これくらいなら、朝飯前です」
「…………」
おばちゃんは口をパクパクさせている。どうやら衝撃が強すぎたらしい。
そこに、ちょうど村長さんらしき恰幅のいいおじいさんが通りかかった。
「おーい、マーサ。何をしとるんじゃ……って、ひいっ!? な、なんじゃ、そのお嬢さんは!?」
村長さんは、樽を担ぐ私を見て、腰を抜かさんばかりに驚いていた。
かくして、私のポプラ村での生活は、ド派手なデモンストレーションと共に始まった。
村長さんに事情を話すと(もちろん、元聖女だということは伏せて、「怪力だけが取り柄の訳ありの旅人です」と説明した)、私の力を大いに歓迎してくれた。
「おお、おお! なんと頼もしい。ちょうど若い男衆が兵役に取られて、人手が足りずに困っておったんじゃ!」
私は、村の共有の納屋を寝床として貸してもらう代わりに、村のあらゆる力仕事を手伝うことになった。
私の新しい日常は、まさに理想そのものだった。
朝は、鶏の鳴き声で目を覚ます。
まず、村の各家庭に配るための水を、井戸から何十樽も汲み上げる。他の村人なら半日かかる仕事も、私にかかれば三十分で終わる。
それが終わると、次は畑仕事だ。
固い土を、クワではなく素手で耕す。私の指先は、どんな農具よりも効率的に土を掘り起こした。村人たちは最初、その光景を遠巻きに見ていたが、今では「セレス、そこの岩、ちょっとどかしといてくれ!」と、気軽に声をかけてくるようになった。直径二メートルほどの岩を、私が「よっこいしょ」と持ち上げて畑の隅に移動させると、皆が「おー!」と拍手してくれる。それが、なんだかとても心地よかった。
昼は、村のお母さんたちが作ってくれた、焼きたてのパンと野菜スープをいただく。汗をかいた後の食事は、どんなご馳走よりも美味しかった。
午後は、森へ行って薪割りを手伝う。巨大な丸太を、斧ではなく手刀で真っ二つに叩き割るのが私のスタイルだ。スパァン! という小気味いい音と共に、薪の山がみるみるうちに出来上がっていく。
たまに、森で迷子になった家畜を連れ戻しに行くこともあった。一度、凶暴な大猪に遭遇したけど、軽くデコピンをお見舞いしたら涙目で森の奥へ逃げていった。
夜は、村人たちと食卓を囲む。今日の出来事を笑いながら話し、村に伝わる昔話を聞く。そこには、神殿や王宮にあったような、腹の探り合いも、面倒な儀礼も一切ない。誰もが素朴で、温かかった。
「セレスが来てくれてから、本当に助かっとるよ」
「まったくだ。あんたは女神様からの贈り物だよ」
村人たちにそう言われるたびに、私の胸はじんわりと温かくなった。偽りの聖女と追放された私が、女神様、か。皮肉なものだけど、悪くない響きだ。神殿で「聖女様」と呼ばれていた時よりもずっと、ずっと、満たされた気持ちだった。
ああ、平穏だ。
なんて素晴らしいんだろう。
この生活がずっと、永遠に続けばいいのに。
満点の星空の下、干し草のベッドに寝転がりながら、心からそう願っていた。
◇ ◇ ◇
そんな穏やかな日々が、一週間ほど続いたある日の夜のこと。
その日は満月が煌々と夜空を照らす、美しい夜だった。村人たちは皆、一日の仕事の疲れを癒すため、早い時間に眠りについている。
私もそろそろ寝ようかと、納屋で干し草の上に横になった時だった。
ふと、遠くで微かな金属音がしたのを、私の耳は捉えた。
風の音ではない。
夜行性の動物の立てる音でもない。
それは、鎧や武器が擦れ合う、硬質な音だった。
私は、ゆっくりと身を起こした。
全身の神経が、危険を察知して研ぎ澄まされていく。
また、来たのか。
(……本当に、しつこい)
あの宰相め。私のスローライフを邪魔するためなら、いくらでも刺客を送り込んでくるらしい。前世のパワハラ上司も、一度目をつけたらどこまでも追いかけてくるタイプだった。でもベクトルが違う分、宰相の方が遥かにタチが悪い。
私は音を立てずに、納屋の扉の隙間から外の様子を窺った。
月明かりに照らされた村の広場に、十数人の人影が集まっているのが見えた。
前回の黒装束たちとは違う。今度の連中は、全員が揃いの黒い軽鎧を身に着け、腰には長剣を吊るしている。その動きには無駄がなく、明らかに手練れの傭兵か、あるいは騎士団の特殊部隊といった風情だった。
彼らは、互いに手信号で合図を送り合いながら、静かに村の家々を取り囲んでいく。その動きは、まるで獲物を狩る狼の群れのようだった。
(まずい……。こいつら、私だけじゃなく、村ごとどうにかするつもりだ)
私の背筋を、冷たい汗が伝った。おそらく宰相は、「セレスティアはポプラ村に潜伏中。村ごと焼き払い、反逆の芽を根絶やしにせよ」とでも命じたのだろう。
なんてことだ。
この穏やかで、平和な村を、私のせいで戦火に巻き込むわけにはいかない。私に温かく接してくれた村人たちの顔が、次々と脳裏に浮かんだ。マーサおばちゃんの笑顔、村長さんの豪快な笑い声、私に懐いてくれた子供たちの顔。
あの人たちの日常を、壊させてたまるか。
私の心に、静かな、しかし燃え盛るような怒りの炎が灯った。
前世では、理不尽に耐えるしかなかった。面倒ごとから逃げるために、思考を停止させるしかなかった。
だが、今の私には、守りたいものがある。
そして、それを守るための力が、この身には宿っている。
私はゆっくりと納屋の扉を開け、暗闇の中へと滑るように出た。
対話(物理)の時間だ。今回は、前回よりも少しだけ、念入りに、徹底的に、分からせてやる必要がある。
私はまず、一番近くにいた刺客の背後に、音もなく忍び寄った。男は、村長さんの家を監視しており、私の接近にまったく気づいていない。
その男の首筋に、手刀を軽く振り下ろした。
「ぐっ……」
男は、短い呻き声ひとつあげる間もなく、崩れ落ちた。
もちろん手加減はしている。殺してはいない。ただ朝まで起きられない程度に、深く眠ってもらっただけだ。
物音ひとつ立てずにひとりを無力化し、私は次の獲物を探す。
彼らは、まだ仲間のひとりがやられたことに気づいていない。私は闇に溶け込むように移動し、ふたり目、三人目と、同じように静かに、しかし確実に数を減らしていった。
五人目を沈めたところで、ようやくリーダー格の男が異変に気づいた。
「どうした! 応答しろ、デルタ隊! エコー隊!」
男が、小声で鋭く指示を飛ばす。しかし、返事はない。
「……ちっ! やられたのか!? 敵はどこだ! 探せ!」
リーダーの男が、長剣を抜き放ち、警戒態勢に入る。残った七人の刺客たちも、背中合わせの陣形を組んで全方位を警戒し始めた。
さすがに、もう奇襲は通用しないか。
私は、広場の中央に堂々と姿を現した。
「皆さん、こんばんは。こんな夜更けに、この村に何か御用でしょうか?」
闇の中から突然現れた私を見て、刺客たちは一瞬、息をのんだ。
「……貴様が、偽りの聖女セレスティアか」
リーダー格の男――兜のデザインからして、隊長なのだろう――が、低い声で尋ねてくる。ごまかす必要もないので、私は簡単にうなずいてみせた。
「いかにも。あなたたちは、宰相閣下の手の者ですね。懲りない方だ」
「我らは、王国の平和を脅かす反逆者を討伐に来た、王直属の『黒百合騎士団』である。反逆者セレスティア、および、それに与したポプラ村の村民全員を、ただちに誅殺する」
まただ。
また、この持って回った、大仰な言い方。
反逆者? 誅殺?
私はただ、ここで静かに畑を耕していたいだけなのに。
「あのう、申し訳ないのですが、話が長くなるのはあまり好きではないんです。要するに、私と、この村の皆さんを皆殺しにしに来た、ということですね?」
「……そうだ。それが、陛下の、そして宰相閣下のご意志だ」
「そうですか」
イラつく。こめかみがピクピクと痙攣するのを感じた。
思考が、停止していく。
面倒くさい理屈も、大義名分も、もうどうでもいい。
こいつらは、私の、そして村人たちの平穏を、暴力で奪いに来た。
だったら、私も、相応のやり方で応えるまで。
「――わかりました。対話の用意は、できました」
私がそう呟いた瞬間、地面を蹴った。
一直線に、騎士団の陣形のど真ん中へ。
「なっ!? 来るぞ、迎え撃て!」
隊長が叫んだ。
正面にいた刺客ふたりが、長剣で十字を描くように、私を斬りつけようとする。
私はその二本の剣を、両手でいとも簡単に受け止めた。
――キンッ!
金属と、私の素手とがぶつかり、甲高い音を立てる。
普通ならば出ることはない、非常識な音。
騎士たちの顔に、信じられない、という驚愕の色が浮かんだ。
「ば、馬鹿な! 剣を、素手で……!?」
「そんなもので、私の肌は傷つきませんよ」
私は掴んだ二本の剣を、そのまま内側へと捻じ曲げる。
ぐにゃり、と、剣が飴細工のように変形した。
その剣はもはや武器としての体をなしていない。
呆然とする騎士たちの顔面を、彼らの持っていた剣の柄で思い切り殴りつけた。
「ぐっ……」
「がはっ……」
二人の身体が、面白いように吹き飛んでいく。取り囲んだ怪しい男たちに臆せず小娘が拳を振るう、っていうことだけでも非常識。それに飽き足らず、女の細腕に成す術もなくぶっ飛ばされたのだ。意味不明、理解不能、青天の霹靂と、喚きたくなっているに違いない。
「陣形を崩すな! 囲んで叩け!」
それでも、さすがはプロと言うべきか。隊長が冷静に指示を飛ばす。
残った五人が、私を取り囲み、四方八方から同時に斬りかかってきた。
剣の嵐。常人なら一瞬でミンチされること必至だろう。
しかし、私の目には、そのすべての剣の軌道がはっきりと見えていた。
「――遅い!」
私は、その場で高速回転を始めた。
さながら、死の舞を踊る独楽のように。
私の手足が、鞭のようにしなり、周囲の騎士たちを次々となぎ倒していく。
回し蹴りがひとりの兜をへこませ。
裏拳がもうひとりの顎を砕き。
肘打ちが別の男の鳩尾にめり込む。
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図。
ほんの数秒のこと。
回転を止めた私の周りには、刺客たちが無様に転がっていた。
「……な……」
ただひとり、無傷なままの隊長が言葉を失って立ち尽くしていた。
彼の誇り高き精鋭部隊は、わずか数十秒で、私ひとりに壊滅させられたのだ。
「さて。残るはあなただけですね、隊長さん」
ゆっくりと、彼に向かって歩き出す。
隊長は恐怖に顔を引きつらせながら、気力を振り絞るように剣を構え直した。
「ば、化け物め……! だが、王国騎士の誇りにかけて、貴様だけは……!」
「誇り、ですか。結構なことですね。でも残念ながら、そんなものでお腹は膨れないんですよ」
私は、彼の目の前でぴたりと足を止めた。
「あなたは、この村を焼こうとしました。何の罪もない、ただ懸命に生きている人たちを、殺そうとしました。その行いが、本当にあなたの『誇り』に値することなんですか?」
「……うるさい! 任務は任務だ!」
隊長が、絶叫と共に最後の力をこめて斬りかかってくる。
その一撃は、確かに鋭く、速かった。
だが、私にとっては止まって見えるようなものだ。
その剣を、指二本で、つまむようにして受け止める。つまんだ剣を、そのままパキリ、と、チョコレートを割るかのようにへし折った。
隊長の目が、信じられないものを見るように大きく見開かれる。
「な……にぃ……!?」
「対話は、これで終わりです」
私は小さく腕を降る。インパクトの小さなアッパーカット、のようなパンチ。
がら空きになった隊長の腹部に、ゆっくりと、しかし容赦なくめり込ませた。
「ごふっ……」
隊長は、カエルが潰れたような声を漏らし、静かにその場に崩れ落ちた。
「ふう。一件落着、ですね」
私は、自分の拳をパン、と打ち合わせた。まるで埃を払うように。
月明かりの下、広場には十数人の刺客たちが、折り重なるようにして転がっている。もちろん、全員殺してはいない。ただ骨の二、三本は折ってやったし、二度と私に逆らおうとは思わないくらいの、深いトラウマは植え付けてやったはずだ。
これで、私の、そしてポプラ村の平穏は、守られた。
彼らをこのまま放置するわけにもいかないので、私は全員を荷馬車に積み込み、村の外まで運んでやることにした。彼らが目を覚ました時、自分たちがなぜここにいるのか、何が起きたのか、しばらくは理解できないだろう。
それでいい。
二度と、この村に近づかないでくれれば。
すべての「後始末」を終え、私は再び納屋へと戻った。
村は、何事もなかったかのように、静かな寝息に包まれている。
私は、干し草のベッドに身を横たえ、夜空を見上げた。
ああ、疲れた。
できればもう二度と、こんな面倒なことはしたくない。
ただ、静かに、穏やかに、暮らしたいだけなのに。
願いはささやかなのに、どうしてこうも簡単に打ち砕かれてしまうのだろう。
私は大きなため息をつきながら、ゆっくりと目を閉じるのだった。
-つづく-
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