04:聖女は、能天気に旅を始める
王都の立派な門をくぐり、どこまでも続く街道に出た瞬間。
私はこれ以上ないほどの解放感に包まれた。
ああ、自由だ!
大きく腕を伸ばし、肺いっぱいに外の新鮮な空気を吸い込んだ。神殿の中に引きこもっていると、どうしてもお香の匂いが服に染みついてしまう。それも今日でさよならだ。
「さーて、と」
改めて、今の自分の装備を確認してみよう。
追放されるにあたり、私が身に着けていた豪華な聖女のドレスや宝飾品は、すべて剥奪された。まぁ当然と言えば当然。聖女だから与えられていたものなわけだから、聖女じゃなくなれば返却するのが普通の考えだ。
代わりに与えられたのは、粗末な麻のワンピースと、古びた革のブーツだけ。むしろ動きやすくて目立たない服を与えてくれたことに感謝していた。
持ち物は、小さな布袋ひとつ。中身は、硬くなったパンがふたつと、水を入れた革袋のみ。先の見えない旅路を考えれば、あまりに心許ないと言える。
まさに、無一文からのスタートである。
普通なら、絶望のあまり道端にへたり込んでしまうような状況だろう。
しかし私の心は、まるでピクニックにでも行くかのようにウキウキしていた。
(何もない、ということは、何でもできるということだ!)
そうだ。地位も、名誉も、財産も、すべて失った。
それは同時に、私を縛り付けていたすべての面倒ごとからも解放された、ということに他ならない。
もう、早朝の祈祷で眠い目をこする必要はない。
もう、アークビショップの長い説教に耐える必要はない。
もう、貴族たちの腹の探り合いに、愛想笑いを浮かべる必要はないのだ。
「最高だ……! これぞ、私が求めていた第二の人生!」
私は思わずガッツポーズをした。
周囲を通りかかる商人や旅人が、頭のおかしい女を見るような目で私を一瞥して通り過ぎていく。だがそんなことは気にしない。今の私は、世界で一番幸せな追放者なのだから。
さて、これからの計画を立てよう。
まずは、当面の目的地だ。王都から南へ向かえば、豊かな穀倉地帯が広がっていると聞く。その辺りの適当な村で、しばらく厄介になるのがいいだろう。
畑仕事でも手伝えば、寝床と食事くらいは提供してくれるかもしれない。「元聖女」という肩書は使えないが、「力仕事なら任せてください」と言えば、きっと歓迎されるはずだ。私のこの有り余る腕力は、畑を耕したり、重い荷物を運んだりするのに、まさにうってつけだろう。
そして、少しお金が貯まったら、森の近くに小さな家を建てるんだ。
自分で木を切り倒し、石を運び、壁を塗り……。想像しただけでワクワクする。DIYだ。素晴らしい。
家庭菜園で野菜を育て、鶏を飼って卵を貰う。たまに森へ狩りに出て、鹿や猪を仕留める。私の身体能力なら、熊でもない限り、素手で捕獲できるだろう。新鮮なジビエ料理……考えただけでお腹が鳴る。
「ふふっ、ふふふふ……」
あまりに完璧なスローライフ計画に、思わず笑いが込み上げてくる。
前世では、仕事に追われ、上司に怒鳴られ、心身ともにすり減らす毎日だった。休日は疲れて眠るだけで、趣味も娯楽もなかった。
それに比べて、今はどうだ。
目の前には、どこまでも広がる自由な世界が広がっている。
面倒な人間関係も、理不尽なノルマもない。
ああ、神様。私にこんな素敵なプレゼントをくれて、本当にありがとう。あの脳筋パワーは、このスローライフのために与えてくれたものだったんですね!
私は能天気にそんなことを考えながら、南へと続く街道を歩き始めた。
鼻歌交じりの足取りは軽い。
しばらく歩いていると、後ろから馬車の走る音が聞こえてきた。
ゆっくりと道を譲ると、その馬車は私のすぐ隣で止まった。窓から顔を覗かせたのは、見覚えのある人物だった。
「――セレスティア殿」
銀縁の眼鏡の奥から、冷たい瞳が私を見ている。
アークライト王国の宰相、デューク・ヴァルトその人だった。
「これは、宰相閣下。ごきげんよう」
私はにこやかに挨拶した。
内心では「うわ、面倒くさいのが来た」と思っていたが、顔には出さない。もう彼にへりくだる必要はないのだが、長年の癖というものは恐ろしい。
「追放された身に、わざわざお声掛けとは。何か御用でしょうか?」
「いや、なに。君がこれからどうするのか、少し気になってね」
宰相は、馬車の中から私を見下ろし、値踏みするように言った。その視線は、哀れな追放者を気遣うものではない。実験動物を観察する科学者のそれに近かった。
「すべてを失い、さぞかし絶望していることだろう。もし、今からでも過ちを認め、聖女リリアナの下で働くというのであれば。神殿の隅にでも、君の居場所を用意してやらんでもないが?」
おぉ、言ってくれるなコイツ。それは彼の最後の揺さぶりなのだろう。私を完全に屈服させ、自らの支配下に置こうという魂胆が見え見えだった。もし私が、ここで泣きながら申し出にすがりつけば、彼は満足したのかもしれない。
しかし、私は首を横に振った。
「お心遣い、痛み入ります。ですが、私は自由の身。これからは、誰にも縛られず、自分の力で生きていこうと思います」
「……ほう。その貧相な身なりで、か。世の中は君が思うほど甘くはないぞ?」
「存じております。ですが、私にはこれがありますので」
私はそう言って、自分の右腕の力こぶを、ポンと叩いて見せた。
宰相の眉がピクリと動く。その表情に、ほんの一瞬だけ、険しい色が浮かんだのを私は見逃さなかった。彼は、私のこの「力」を忌み嫌っているのだろう。
「……そうか。ならば、好きにするがいい」
宰相は、それ以上何も言わず、窓を閉めた。
御者が鞭を振るうと、豪華な馬車は土煙を上げて走り去っていった。
「わざわざ嫌味を言いに来るなんて、ご苦労なこった」
私は小さく肩をすくめた。
まあ、いい。これで、本当に王都との縁は切れた。
今度こそ、私のスローライフの始まりだ。
「いざ、南の穀倉地帯へ!」
私は再び歩き始めた。街道沿いには、美しい花が咲き乱れている。鳥のさえずりが心地よい。ああ、平和だ。素晴らしい。
昼過ぎになり、お腹が空いてきたので、道端の木陰に腰を下ろした。
布袋から、カチカチに硬くなったパンを取り出す。水筒の水で少し湿らせてから、ゆっくりと口に運んだ。
決して美味しいとは言えないが、神殿で食べていた豪華な食事よりも、ずっと美味しく感じられた。これが「自由の味」というやつだろうか。
食事を終え、しばらく木陰で休んでいると、遠くから数人の男たちがこちらへ向かってくるのが見えた。旅の商人だろうか。いや、荷物を持っていない。屈強な身体つきからして、傭兵か、あるいは冒険者か。
なんてことを頭の中で考えていたら。彼らはニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら近づいてきた。お、ナンパか?
「よう、嬢ちゃん。ひとりかい?」
リーダー格と思わしき、顔に大きな傷のある男が話しかけてくる。
うわ、面倒くさいタイプの典型だ。
私は立ち上がり、関わらないようにその場を去ろうとした。
「おっと、待ちなよ。そんなに急ぐことないだろう?」
男たちは、私の行く手を阻むように立ち塞がった。その目は明らかに獲物を見る目をしている。うぜぇ。
「俺たちも、ちょうど休憩しようと思ってたところなんだ。少し付き合えよ。いいことしてやるからさ」
男たちの下卑た笑い声が響く。
私は、大きくため息をついた。
追放されて、まだ半日も経っていないというのに。
なぜ、こうも次から次へと面倒ごとが湧いてくるのだろうか。
前世のパワハラ上司の説教を思い出す。理不尽な要求、粘着質な物言い、逃げ場のない状況。あの時、私はただ耐えることしかできなかった。
でも、今は違う。
「……お断りします。通してください」
私は、できるだけ穏便に済ませようと、低い声で言った。話し合いで解決できるなら、それに越したことはない。暴力は、最後の手段だ。
「はっ、威勢のいい女だ! だがな、こんな街道筋で、誰もお前を助けになんて来ねぇんだよ!」
傷顔の男が、私の腕を掴もうと手を伸ばしてくる。
ああ、もうダメだ。こいつら話が通じないタイプだ。
思考を、止める。
面倒な交渉は、ここまで。
――ここからは、物理の時間だ。
男の手が私の腕に触れる寸前。
私はその手首を鷲掴みにした。
「ぐっ!?」
男が、驚愕の声を上げる。私の華奢な腕からは想像もできない握力に、驚いたんだろう。顔が明らかに引きつっていた。うん、分かる分かる。
「い、ててて! なんだ、この力……!?」
「言ったはずです。通してください、と」
私がギリ、と指に力を込めると、ミシミシ、と嫌な音がした。男の手首の骨が、悲鳴を上げている音だ。
「ぎゃあああああっ!」
男が、情けない絶叫を上げた。
それを見て、周りの仲間たちがようやく事態の異常さに気づいたようだ。ニヤついた表情を引っ込めて、怒り心頭って感じの顔になる。
「て、てめえ! 何しやがる!」
「離せ!」
ふたりの男が、同時に私に殴りかかってくる。
私は、傷顔の男の手首を掴んだまま、その身体を軽々と持ち上げた。
「なっ!?」
そして、その身体を巨大な盾のようにして、殴りかかってきたふたりの男たちの前に突き出した。
ゴッ!
バキッ!
鈍い音がふたつ。
ふたりの拳は、仲間である傷顔の男の顔面と腹部にクリーンヒットした。
「ぐふっ……」
傷顔の男は白目を剥いて気絶した。殴ったふたりの方は、自分たちの拳の痛みに顔をしかめている。
私は、気絶した男をその場にポイと捨てると、残った男たちに向き直った。
「さて。まだ、何か御用ですか?」
聖女スマイルを浮かべて問いかける。すると男たちは恐怖に顔を引きつらせ、傷が夫の男を抱えて逃げていった。うん、そこまでバカではなかったようだ。
「ふう。やっぱり、暴力は究極のコミュニケーションだわ」
私はパンパンと手を払い、再び歩き出した。
それにしても、追放された早々にトラブル発生とか、ツイてないにも程がある。この世界は、私が思っていたよりもずっと物騒で、面倒なことが多いようだ。
でも、まあいい。
どんな面倒ごとが起ころうと、この腕っ節があれば、きっと何とかなるだろう。
「少しだけ、スローライフ計画に修正が必要かもしれないなぁ」
これからどうしようか、という悩みが頭の中に湧いてくる。けれどそれは、これまで経験したことの何よりもポジティブなものだった。気の向くままになにをしてもいいし、気に入らなかったら絶対にやらない、ということも許される。なんて素晴らしい事だろう。
私は、先ほどよりも足取り軽く、それでいて少しだけ力強く。南へと続く道を能天気に歩き続けるのだった。
-つづく-
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