28:聖女は、すべての元凶を粉砕する
どれくらい意識を失っていたのだろうか。
私が目を開けた時、視界に飛び込んできたのは、見慣れない豪華な天蓋だった。身体はふかふかのベッドの上に横たえられており、上質なシーツに包まれた感触が心地よい。
どうやら私は、王城の一室で眠っていたらしい。
魔神との戦いで軋んでいたはずの身体は、不思議と痛みが引いていた。誰かが治癒魔法をかけてくれたのだろう。
おそらくは、リリアナか。彼女も無事に自分の役目を果たしたようだ。
私がゆっくりと身を起こすと、部屋の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、私の忠実な護衛・カインだった。その顔には疲労の色が浮かんでいたが、私を見ると、心から安堵したように表情をほころばせた。
「セレス様。お目覚めになられましたか」
「カイン、ここは……?」
「王城の、賓客室です。セレス様はあの後、丸二日、眠っておられました」
「二日も……。それで、王都はどうなりましたか?」
「はい。魔神は、完全に消滅。王都は甚大な被害を受けましたが、リリアナ聖女と、神官団の懸命な救護活動のおかげで、死者は最小限に抑えられました。今は皆で力を合わせ、復興作業に当たっております」
カインの報告に、私は静かに頷いた。
どうやら、最悪の事態は免れたらしい。
これで本当に、すべてが終わったのだ。
私の長かった残業も、ようやく終わりを告げた。
「……そうですか。それは、良かった」
私は心から、安堵のため息をついた。
もう、戦う必要は、ない。
面倒な陰謀に巻き込まれることも、ない。
これからは、どこか静かな田舎で、今度こそ本物のスローライフを送るのだ。
私がそんな輝かしい未来に思いを馳せていると。
カインが、神妙な顔で口を開いた。
「……セレス様。ひとつ、ご報告が」
「何ですか?」
「……宰相、デューク・ヴァルトが、目を覚ましました」
その名を聞いた瞬間。
私の心に再び、黒い靄のようなものが立ち込めるのを感じた。
そうだ。
まだ、終わっていなかった。
すべての元凶。
私の平穏なスローライフを邪魔しまくってくれた、すべての始まり。
あの男との決着が、まだついていなかったのだ。
◇ ◇ ◇
カインの案内で、私が向かったのは、王城の地下深くにある牢獄だった。
ひんやりとした、石造りの廊下の一番奥。
厳重な鉄格子の向こうに、その男はいた。
宰相、デューク・ヴァルト。
かつての威厳は見る影もなく、囚人服に身を包み、虚ろな目で壁を見つめていた。
大神殿の最上階で私がぶん殴り、気絶させた後。彼は意識を取り戻す前に、騎士団によって捕縛されたらしい。そのまま、国家反逆罪の首謀者として、ここに幽閉されたんだとか。
私が鉄格子の前に立つと、彼はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや何の光も宿ってはいなかった。
魔神を失い、計画がすべて水泡に帰した。
今の彼の心は完全に折れてしまっているようだった。
「……セレスティア……」
宰相は、か細い声で、私の名を呼んだ。
「……なぜだ……。なぜ、私の、完璧な計画が、貴様ひとりの、せいで……」
まだそんなことを言っている。
私は黙って、彼の言葉を聞く。
「私は、この国を、憂いていたのだ……。腐敗した貴族。無能な王……。このままでは、国は滅びると。だから、私が立たねばならなかった……。絶対的な力ですべてを支配し、新たな秩序を築く必要が、あったのだ……!」
彼の独白は続く。それは歪んだ正義感と、肥大化した自己愛に満ちた、哀れな男の言い訳に過ぎなかった。
「魔神の力さえ手に入れれば……。私は、神となれたのだ……。なのに、貴様が……。貴様さえ、いなければ……!」
鉄格子の向こうで、宰相が勢いよく迫ってくる。
がしゃり、と音を立てた鉄格子を掴みながら、彼は私を睨みつけた。
その目には、先ほどまでの虚無の色が消え、憎悪の炎が揺らめいている。
私は静かに、息を吸い込んだ。
そして、ゆっくりと、口を開く。
「……あなたの高尚な理想論など、私には、どうでもいいことです」
「……何?」
「私が言いたいことは、ただひとつだけ」
私は鉄格子越しに、彼の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
鉄格子が、ガシャン、と音を立てる。私の剛腕で、ミシリ、と軋む。
宰相の顔が、恐怖に引きつった。
「――あなたは、私の、平穏なスローライフを邪魔しました」
「……は……?」
「私はただ、静かに暮らしたかっただけ。毎日、美味しいものを食べて、昼寝をして、のんびりと過ごしたかっただけです。なのに、あなたは刺客を送り、街を混乱させ、挙句の果てには、世界を滅ぼしかねない巨大な迷惑物を呼び出した」
私の言葉、一つひとつに、怒りがこもっていく。
それは、魔神に向けたような、派手な怒りではない。
もっと個人的で、陰湿で、粘着質な怒りだった。
「あなたの、その自己満足な計画のせいで、私の貴重なうたた寝タイムが何度、奪われたと思っているんですか?」
「う、うたた寝……?」
「私の快適なニート生活計画が、どれだけ台無しにされたか、分かっているんですか?」
「に、にーと……?」
宰相はもはや、私が何を言っているのか、理解できていないようだった。
無理もない。
彼が描いていた、壮大な国家転覆の物語。
そして、私が描いていた、ささやかなスローライフの物語。
そのふたつが交わったこと自体が、そもそも悲劇の始まりだったのだ。
「……あなたは、私が一番嫌いな、タイプです」
私は、静かに告げた。
その言葉は、私の心の奥底から湧き上げてきた、紛うことなき本心だった。
「自分の都合で、他人の平穏を踏みにじる。自分の正義を振りかざし、相手の言い分を聞こうともしない。自分の価値観が世界のすべてだと、信じて疑わない」
それはまさに、前世で私を苦しめ続けた、あのパワハラ上司そのものだった。
「……だから、私は、あなたを許さない」
私はそう言うと、掴んでいた胸ぐらを離した。
そして、鉄格子の扉に、手をかける。
「セ、セレス様!? 何を……!?」
カインが慌てて止めようとする。
だが、遅い。
私はいとも簡単に、絶対的な防御力を誇るはずの魔術的な錠前ごと、鉄格子の扉を引きちぎってみせた。
――バキンッ!!
金属の断末魔が、牢獄に響き渡る。
私は、ひしゃげた扉をその場に投げ捨て、牢の中へと一歩、足を踏み入れた。
「な……な……」
宰相は腰を抜かし、後ずさった。
その瞳には、純粋な恐怖の色だけが浮かんでいる。
彼は初めて、理解したのかもしれない。
自分が敵に回してしまった存在の、本当の恐ろしさを。
それは神でも、悪魔でもない。
ただひたすらに自分の平穏を愛する、ひとりの脳筋女の怒りだった。
「……最後に、ひとつだけ教えてあげましょう、宰相閣下」
私は、彼の目の前に、しゃがみこんだ。
そして、完璧な聖女スマイルを浮かべる。
「この世で最も大切なのは、国家の安寧でも、世界の秩序でも、ありません」
「……」
「穏やかな、昼寝の時間です」
私のその言葉を最後に、彼の意識は途切れた。
パチン、という、乾いた音。
宰相は白目を剥き、そのまま後ろに倒れた。
私の、前世から溜まりに溜まった理不尽への怒りを、すべてこめて。
渾身のデコピンを、彼の額にクリーンヒットさせたのだ。
おそらく、数日間は目を覚まさないだろう。
そして、目を覚ましたとしても、彼の記憶には、巨大な空白と、聖女の笑顔に対する根源的な恐怖だけが、残っているに違いない。
これで、本当に、すべてが終わった。
すべての元凶は、私の手によって、完全に粉砕されたのだ。
「……ふう。スッキリしました」
私は立ち上がり、満足げに息をついた。
長かったクレーム処理も、これでようやく、完了だ。
あとはどうなろうと、もう知らん。
私の背後で、カインが、深いため息をついているのが聞こえた。
「……セレス様は、やはり最後まで、セレス様でしたな……」
その声には、呆れと、感心と、ほんの少しの安堵がじっているような気がした。
私はそんな彼に振り返り、にっこりと笑いかける。
「さあ、カイン。帰りましょうか。私のスローライフへと」
ようやく手に入れた、本当の平穏へと。
私は地下の牢獄を後にし、地上へと続く階段を登り始めた。
その足取りは、今までで一番、軽やかなものだった。
-つづく-




