26:聖女は、魔神と対峙する
王都の石畳の上を、私は疾風の如く駆ける。
目指すは王都の中心、魔神が暴れているだろう王城だ。
肩の上では俵抱きされた聖女リリアナが、もはや声にならない悲鳴を上げ続けている。時折、「も、もう少し、ゆっくり……」「吐きそう……です……」などと、か細い抗議の声を漏らしていた。
だが今の私に、そんな彼女を気遣う余裕はない。
一刻も早く、あの騒ぎを起こしている魔神と称する巨大なハエを叩き落とさなければならない。そうしなければ、私のスローライフは永遠に訪れないのだから。
王城へ向かう道中、広場のようになっている場所に出た。そこでは、魔神に壊された建物の下敷きになった人々が担架で運ばれ、神官たちが必死の形相で治癒の祈りを捧げている。まるで野戦病院のような様相を呈していた。
他にも、騎士たちが市民を安全な場所へと誘導し、炎上する家屋の消火活動に当たっている。
絶望的な状況の中、誰もが己の役目を果たそうと、必死に戦っている。そして、その救助活動の中心で檄を飛ばしている人物。その人の顔には、見覚えがあった。
「負傷者をこちらへ! 神官たちは詠唱をやめるな! 神は、我々を見捨ててはおらんぞ!」
白髪を振り乱しながら、必死の形相で指揮を執っているのは、かつて私に毎日三時間コースの説教をかましてくれた、あのアークビショップ・オルコットだった。
私が神殿を追放されて以来の再会だ。
彼も、私の接近に気づいたらしい。
その血走った目が、私を捉えて、大きく見開かれた。
「せ、セレスティア!? な、なぜ貴様が王都に……!」
彼は驚愕の声を上げたが、その視線が、私が俵のように担いでいるリリアナの姿を捉える。その瞬間、彼の驚きは二倍にも三倍にも膨れ上がった。
「り、リリアナ聖女!? な、何故、セレスティアと一緒に……! しかも、その担がれ方は、一体……!?」
オルコットは完全に混乱していた。
無理もない。追放したはずの偽りの聖女が、現聖女を米俵のように担いで、戦場のど真ん中を爆走してきたのだ。常識的に考えて、理解できる光景ではない。
「一体、何がどうなっておるのだ! 説明しろ、セレスティア!」
彼は私に詰め寄り、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。
……面倒くさい。
また、この男の長い説教が始まるのか。
私は、心底うんざりした。
今、この一分一秒を争う状況で、悠長に事情説明などしている暇はないのだ。
「――説明は、彼女に、聞いてください」
私はそう言うと、肩の上でぐったりとしていたリリアナを、オルコットの目の前に、ぽい、と乱雑に下ろした。
「きゃっ!」
リリアナは短い悲鳴を上げて、その場にへたり込む。
私は、そんな彼女を見下ろし、きっぱりと告げた。
「あなたはここで救助活動に加わりなさい。あなたの治癒の力は、ここでこそ役に立つはずです」
「え……? で、ですが……」
「私は王城へ行って、あのデカブツをぶん殴ってきます」
「……はい?」
リリアナと、オルコットが、同時に間抜けな声を上げる。
そんな彼らの返事を待つことなく、私は踵を返した。
何かを言われる前に遁走する。
これぞ、面倒ごとを回避するための究極の奥義だ。
「――では、あとはよろしくお願いします!」
私はそう叫ぶと、再び地面を蹴った。
背後でオルコットが、「ま、待て、セレスティア!」と叫ぶ声が聞こえたが、もう、知らない。説明責任はすべてリリアナに丸投げだ。
頑張れ、現聖女。
それも、あなたの新しい役目ですよ。
◇ ◇ ◇
荷物を下ろして身軽になった私は、さらに走る速度を増す。
王城は、もう目と鼻の先だ。
王城の少し手前にある、城門に到着する。
城門は、巨大な爪のようなもので引き裂かれたように、無残に破壊されていた。普段は常に立っている、門番の騎士の姿もない。
私は躊躇なく、その見る影もない城門をくぐり抜けた。
城内は、街中以上に悲惨な状況だった。
美しいはずの庭園は踏み荒らされ、建物のあちこちが崩落している。
ズウゥゥン……!
ひと際大きな音が響いてきた。地響きと、破壊音が、城の中心部から聞こえてくる。目的地が分かりやすくて有難い、と言えなくもない。ともあれ、音のする方へと向かう。
しばし駆けて、たどり着いた場所。そこは王が謁見を執り行う玉座の間へと続く、中庭だった。普段であれば、ひと際美しい庭園が広がっているのだろう。けれど今は、凶悪な闖入者が暴れたせいで、見るも無残に破壊されている。
その破壊の中心に、ヤツはいた。
――グルルルルルルオオオオオッ!!
古の魔神。
その巨体は城壁よりも高く、見上げるだけで首が痛くなるほどだ。
全身を覆う黒い炎が、周囲の空気を歪ませている。
その山羊のような頭には、禍々しい螺旋状の角が生えている。
まさに悪魔、といった容貌をしていた。
魔神は城の壁をひたすら破壊し、玉座の間へと入り込もうとしていた。
その圧倒的な暴力を前に、王国騎士団の精鋭たちが決死の抵抗を試みている。
「怯むな! 聖女様が救護班を組織してくださった! 我々はここで、奴を食い止めるのだ!」
騎士団長らしき男が叫ぶ。そんな激を背中に受けながら、騎士たちは巧みな連携で、魔神の注意を引きつけ、その足元や背中に絶え間なく攻撃を加えていた。
一撃一撃は、魔神にとっては蚊に刺された程度にもならないだろう。
だがその無数の攻撃が、魔神の侵攻をわずかに遅らせている。
一進一退の攻防。
しかし、その均衡は徐々に崩れつつあった。
「――ウルサイ、虫ケラドモメ!」
しゃべった。
正直、ここ最近で一番びっくりしたかもしれない。
あいつ、少なからず知性はあるのか。
いやまぁ、曲がりなりにも神を名乗っているのなら、そうなのかもしれない。
そんな私の素っ頓狂な驚愕をよそに、魔神の暴悪ぶりは止まらない。
魔神が苛立たしげに、その巨大な腕を薙ぎ振るう。
凄まじい風圧が、まるで嵐のように吹き荒れる。その勢いだけで、数十人の騎士たちが一斉に吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、動かなくなる者。
鎧が砕け、血を流して倒れる者。
そのたった一撃で、騎士たちの戦線は大きく後退した。
魔神は、その隙を見逃さなかった。
巨大な口が大きく開かれ、喉の奥が、灼熱のマグマのように赤く輝き始める。
「ブレスが来るぞ! 総員退避!」
騎士団長が叫ぶ。
しかし、もう間に合わない。
次の瞬間、魔神の口から、黒い炎の奔流が放射された。
ゴオオオオオッ!
炎は、すべてを飲み込み、騎士たちの陣形を焼き尽くす。
中庭は一瞬にして、灼熱の地獄と化した。
炎はさらに勢いを増し、玉座の間にまで燃え移り始めている。
「フハハハハ! 愚カナ、人間ドモメ!」
魔神は自らが作り出した破壊の光景に、勝ち誇ったような笑い声を上げる。
そして、生き残った騎士たちにとどめを刺すべく、再び大きく息を吸い込む。すべてを漏らし尽くさんとする、漆黒の炎のブレスの溜めを作り始める。
騎士たちの顔に、絶望の色が浮かんだ。
もはや、これまでか。
誰もがそう思った、その時。
「――いい加減に、しなさいっ!!」
怒りに満ちた声が、戦場に響き渡った。
私は崩れた城壁の瓦礫の上に飛び乗り、そこを踏み台にして、空高く跳躍した。
目指すは、魔神の巨大な顔面。
私の身体は、不穏な色に染まる空を切り裂く、一筋の流星と化す。
そして、ブレスを放とうと大きく開かれた魔神の顎に向かって、私は渾身の力を込めた、最上段からの蹴りを叩き込んだ。
必殺! 流星聖女キック(メテオ・セレスティア・キック)!
突発的に名付けたばかりの必殺技が炸裂する。
――ゴッッッ!!!
私の踵が、魔神の脳天を正確に捉えた。
凄まじい衝撃に、魔神の巨大な頭が沈み込み、その口は強引に閉ざされた。
行き場を失った黒い炎が、魔神の口の中で暴発する。
ボッ! という、くぐもった爆発音。
魔神は、「グフッ!?」と奇妙な声を漏らし、その鼻や耳から黒い煙をもくもくと噴き出した。
私は反動を利用して、宙で軽やかに一回転する。
そして、魔神の目の前の地面に、音もなく着地した。
「……グルルル……?」
口の中を火傷したらしい魔神が、涙目で周囲を見回す。
そして、ようやく、自分を害した小さな存在を認識した。
巨大な赤い瞳が、私を捉え。驚愕と怒りに見開かれる。
生き残った騎士たちも、突然現れた私の姿に呆然としていた。
私は、この場の視線を一身に浴びながら、余裕綽々な態度で仁王立ちする。
そして、目の前の巨大な、理不尽の化身に向かって、きっぱりと言い放つ。
「こんにちは、魔神さん。あなたを、私の平穏なスローライフを脅かす、特級の面倒案件として、認定します」
「……」
「よって、これよりあなたを、私の拳で、完全に粉砕します。異論は認めません」
私の、一方的な宣戦布告。
剛腕聖女・セレスティアが、今、魔神の前に立ちはだかった。
これから始まるのは、神話にも語られるであろう、世紀の大決戦。
……いや、私にとっては、ただの迷惑な残業処理に過ぎないのだが。
-つづく-




